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前の記事ですニコニコ

興味があれば、読んでください。



私は子どもの頃、「考えすぎ」とよく言われました。
深く考える所は子どもらしくなかったのかもしれないです。
中学生の頃には、表面的には明るく「何も考えてないね。」と言われるように
これが私の防衛だったのかもと思います。

相談者の方も「考えすぎ」と言われたり、自分で思っている方も多くいます。
「私って、考えすぎですよね」とよく聞かれます。
ちゃんと現実を見据えて、考えるからこそ相談出来るんです。
なのでいつも「考えることは良いこと」とお伝えしています。

考えることが例え苦しくても、、、




暮らしに哲学を!



私の中学生の頃は、せいぜい、テーマに添って作文を書き発表するくらいでしたが、
娘の中学の国語の授業は、自由に自分でテーマを決め、提案を発表したりします。
先日は先生に向けて、学校の悪しき風習や規則を訴え、改善を要求する子が何人もいたそうです。



その授業の内容を聞いて、哲学だなぁと思いました。

『 哲学する子どもたち』を読んで、フランスと日本の教育の違いを感じていましたが、

日本も段々近づいてきたのでしょうか?


 




もちろん、この程度のことは哲学じゃないと言われる方もいらっしゃると思います。難しい哲学はそういう方にお任せして、私は「暮らしにある哲学」をご紹介します。



哲学の入門に
『考えるとはどういうことか』お勧めです。

 


なぜ哲学が必要か?なぜ考えることが必要か?

作者の梶谷真司さんが書いてらっしゃることで共感した部分を書きます。


私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。まだ誰かに変わって考えて決めてあげることも、止めなければならない。人間は自ら考えて決めた事にしか責任は取れないし、自分の人生には自分しか責任はとれないのだ。


もちろん学校にせよ会社にせよ、一から自分で決められるわけではないし、そんな必要ですらない。しかし、自ら考え、自ら選び、自ら決められる余地がなければならない。そのためには、自由に考えられる場、何でも話していい場が、どこかで絶対に必要なのである。しかもそのさい、一人で考えるのではなく、他者と共に考えることが重要なのだ。



また、聞き手は「受け入れる」ではなく、「受け止める」ことが必要とあります。確かに、自分の事ではないので、受け入れる必要はないですよね。



「自由」になりたくて1人になっても、全く自由でない。「自由」とは、自分の考えを受け止めて貰えた時に初めて自由になる。

話を受け止める場所、それが『安全な居場所』なのだと思います。



哲学対話のルールを作者の梶谷真司さんが書かれてます。

①何を言ってもいい

②人の言うことに対して否定的な態度をとらない

③発言せず、ただ聞いてるだけでもいい

④お互いに問いかけるようにする

⑤知識ではなく、自分の経験にそくして話す

⑥話がまとまらなくてもいい

⑦意見が変わってもいい

⑧わからなくなってもいい




私が相談者の方と話す時は、もちろん何を話してもいいです。

非社会的なことでも、思うことは自由です。

アドバイスはたまにしてしまいますが💦

アドバイスを聞き入れてほしいとは思っていません。

「こんな考え方があるよ。」くらいの気持ちです。


もしそれが、とても腑に落ちたなら、それは相談者の方の心の奥深くにある気持ちが、私の言葉になって出てきただけです。




自分を生きてください。

自分の人生は、自分の考えを優先して下さい。

自分以外の人の人生はその人に任せてください。






見つけてください

哲学会話ができる人

(安全な居場所)

そして、

自由になってください





笑顔ある1日を!



つたない文章、最後まで読んで頂いてありがとうございますニコニコ

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