英語への考察
subjectはsub(下に)ject(投げる)。何を投げる?影響、作用、力etc.それがverb.じゃあどこに投げる?object.に投げる。それが英語の基本構造。だから英語の動詞の9割が他動詞。SVOが英語の論理構造の基本。そこからSV型とSVC型の構造を決定すれば完成。
SVOC型は上の三つを組み合わせればできる。
手書きで書いたノートをいずれ文章化してアップするつもり。
仮説が書きまくってあるノートがあるので。
気まぐれなのでいつになるかわからんけど、少々お待ちを。
ちなみにこれで英語ができるようになるわけではなくて、
日本語にも応用可能な論理構造、作法を知るために考察した次第です。
言葉足らずで説明になってませんが、まとめときたいので、書きました。
2012.2.14 tue
さて、続きいきますか。
あえて編集せずにいきま~す。
こういうときは昨日の自分は他人みたいなものなんで。
subjectとはverb(作用、他への影響)の可能性を秘めてるものと考える。
objectとはverb(作用、他への影響)を受けるものと考える。
ただし、subjectと大きく区別しなければいけないのは、可能性ではなく、実際に起きていること、もしくは観察者(第三者)を要するということ。
もう少し色んな説明を並べてみるのでしっくりきたもので理解してみてください。
objectの存在条件は、subjectよりも厳しいものだということ。
予備知識というか、前提条件の確認として。。。
名詞はS(=subject)、O(=object),C(=complement)のいずれかになれる。
文法上ではこういう風に習う。というか、名詞の機能の定義だ。
ここでは文法のお話がしたいのではありません。
なぜ、名詞の説明をしたかというと、次のような時を考えて欲しいから。
世界に何か物体があって、それに名前があるとする。
人でもいいし、動物でもいいし。何でもいい。
その物体をあなたは目の前にしている。
つまり、あなたはその物体の観察者である。
その瞬間のあなたに質問です。
Q:目の前の物体はsubjectですか?それともobjectですか?
。
何その質問?判断要素がたりないじゃん!強いて言えばsubject?
。
大正解。
では
Q:なぜsubjectとobjectが決めれないのか?
A:verbが無いから。
世界に物体があった時、どの物体もsubjectであるとは言える。ほぼ無条件に。
(認知、認識の観点からは反論が成立するけど、ここでは保留。この後、どこかで触れる)
たとえこの世界にその物体しかなくても、真空で風の圧力(verb)などの可能性を排除しても。
つまり、objectたるにはverbが必要なわけです。
ここで言いたいのは、objectの存在条件の厳しさではありません。
物体(名前を持つ)がある世界に存在した時に、その物体(名詞)を区別するときにverbが必要であるということ。つまりverbあっての世界ということです。
それが証拠に、さっきの例で、objectが存在しないと確定した時に、つまりその物体がsubjectであると決定した瞬間、verbはいわゆる自動詞という名前をもらいます。
なぜ名前がつくのか。
(これはverbに限らない問いです。認知、認識の範疇に大きく足を踏み入れることになります。)
それは名付けるということで、verbという集合体から、一部の特別なverbをくくりだすためです。
一部の特別なverbには役割がある。判断基準となる。
つまり、objectは存在しません、という証明になる。
その一部の特別な動詞があるおかげで。
そのverbは世界に存在する物体(名詞)に
「あなたは正式にsubjectとして認識されました」
と伝える役割を果たす。
この瞬間、物体はsubjectとして振る舞うのです。
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ここでなぜ擬人法を使っているか。
それは観察者がいなければ、物体は認知、認識されないという仮説に基づいているからです。
そして言葉は誰かに伝達するための道具でもあります。
それは観察者がいて、第三者がいる時に成り立つことです。
観察者ありきなのです。観察者がいなければ、いくら物体がsubjectとして振る舞っても何も意味を持ちません。
そして何より、発せられた言葉の中で、もしくは記された言葉の中で、その物体(名詞)がsubjectとして振る舞っていると分かることが、いわゆる言葉が分かるという状態(無意識であっても)なのです。
-------*-------*------*------*------*------*------*------*--------
この一部の特別なverbたちは、面白い特性を持っています。
それはさっき、verb(作用、他への影響)と書いたにもかかわらず、
これらのverbはむしろ逆。subjectの方に矢印が向いているような感じさえ受けます。
おっと、ここで矢印という言葉が出てきました。
何が逆?って思って人もいるでしょう。矢印が逆ということが言いたかったのです。
矢印はこの文章では、普通の言葉ではなくて、重要な意義を担っているので、キーワードというか、テクニカルタームです。数学で習う(習った)ベクトルの概念を浮かべてくれればいいです。
しかし、この文章では物体という言葉が多用されているように、物理の力学分野での矢印の振る舞いやベクトルの意義をイメージしながら考えた方がいいかもしれませんが。
矢印の書きだしを始点、伸びる方向を終点と言います。
(始点)⇒(終点)
verbはこの矢印で考えると分かりやすいです。始点がsubjectで、終点がobjectと考えます。
英語の基本型のSVOはS⇒Oと考えるというわけです。
話を戻しましょう。もう一度同じ文章を繰り返しますね。
この一部の特別なverbたちは、面白い特性を持っています。
それはさっき、verb(作用、他への影響)と書いたにもかかわらず、
これらのverbはむしろ逆。subjectの方に矢印が向いているような感じさえ受けます。
まるでこれらのverbが単独でsubjectに影響を及ぼしているような、空気のような存在ですね。
物体の周りにぺたっと張り付いているような、そんなイメージ。
だいぶ勿体ぶってきましたが、これが自動詞です。自動詞の中でも、さらに際立ってこの能力というか性質を帯びているのが、be動詞、というわけですね。
なぜbe動詞かって? それは上で説明した機能(役割、性質、能力)を持つverbがbe(原型)だったからです。これじゃいまいち説明になってませんね。
ちょっと長い説明になります。言葉と認知、認識についてです。これに触れないといけません。
世界を認識した時、何を以って認識したとするか。
これは独りよがりではいけないので、みんなにも通用するようにしなくてはいけませんね。
俺は認知した、いやいや俺が認知したみたいな、お笑い的展開では困りますね。
つまり伝えなきゃいけないんです。
伝えて、かつ分かってもらう必要がある。
伝える時に使うのは?
言葉です。
ジェスチャーもあるじゃんって言わないでください。
ジェスチャーを解してる人の頭のでは、言葉によって処理が行われてるはずです。
「伝える」が起こっている時に、言葉が存在しないはずがないです。
それに、今何気なく言いましたが、ここでは当然、人が言葉を使うという大前提があります。
僕らが人ですから。人の定義の一つじゃないですか?言葉って。
人じゃないものの認知については語れません。
語ってもいいけど、どうとでも言える。以上お終い。
(個人的には、どうとでも言えることを妄想も含めて考えるのは好きですが、いかんせんこういう文章なので、上のような言い方をしました。書いてる文章は書き手の全てではない。これは僕も含めて、読者という役割を演じる時、必ず覚えておかきゃいけないことのような気がします)
世界の事象を認識するとき、世界を言葉によって切り取ります。
みんなで切り取られたモノを前提にみんなで話し合います。
ではその切り取られたモノとは何でしょう。
それが、名前です。
話し合う時に、あれが、これでこんな感じ。なんて話し合ってたら分かりませんね。
名前を付ける。ある集団の構成員が把握しうる名前を。
その構成員の中ではその名前(世界から切り取られたモノ)を前提としなければ、何も話が進みません。
なので、ようやくbe動詞の話になりますが、なぜbe動詞?と聞かれても困るし、さっきの答えが限界ってことです。
名前ってすごいですね。
世界から切り出すとき、世界はそう簡単に自分の一部を差し出すことをよしとしません。
そこで言葉という人間の使える(使えるようになった)道具が適応可能な状態を作るために、世界の一部に勝手に名前を付けて、切り出してきた。それくらい名前を付けるということは、僕らが人間である以上、世界に対して鋭い切れ味を持つということです。
それで世界を切ったことにしてる人間は、神という存在がいるなら、つまり人間を観察してるやつがいるなら、滑稽なことなのかもしれませんね。
この説明は、若干、禁断の知恵の実を食べた、アダムとイブの話を連想させます。
どうでもいい話ですが、ipod,ipad,macのapple社のappleはこの禁断の知恵の実から来ています。