定期的にブログを更新してる友人に感化されて、何となく更新。
今日買った本。
ショウペンハウエル「読書について」 ウィトゲンシュタイン「論考」
ということで、読書について。
この本を読む前と後でどんなふうに変わるか、気になるし。
本の読みすぎは毒。読んだ本の全てが血肉になる訳ではない。
だからたくさん読むことを目的化したり、義務化するのはnonsense。
自分がどういう本に興味を示し、その本の内容が血肉化するのに要する時間を見極めること。
これは本を読みながら同時進行で考えるべきこと。
Reading for information:80% Reading for formation:20%
(超意訳:読んだ本の8割は情報にすぎず、残りの2割が人格形成に役立つ。)
脈絡もないけど、この文章が頭に浮かんだ。
英文解釈教室の例文と、「8:2の法則」をヒントに、書いてみた。
書店で自分の人格形成に役立つ本が見極められたら苦労しない。
本屋に通い、色んな本に目を通し、情報を集めつつも、人格形成に役立つ本との出会いを期待する。
本屋をbrowse aroundする理由だ。
本屋に通って、平積みされた本に飛び付き最先端に着いていってると勘違いはしたくない。
ここでの積ん読が効果を発揮する気がする。
書店で目を引く本がある。
で、とりあえず買う。
買って本棚に置いておく。
もちろん、買った当日のテンションで読むのが一番いい。
買いたいと思った理由と気持ちの消費期限はその当日だから。
漫画でも、小説でも、学習参考書でも当てはまることだと思う。
でも、続かない本の方が多い。
少なくとも自分は。
それも仕方ない。と個人的には諦めていた。
ちょっと罪悪感を感じつつ。
僕の読書の基本は積ん読にあると思う。
とりあえず買う。
買ってから考える。
自分がすでに持っている本の中に位置付けてからじゃないと見えない景色があると思って。
実際にそうだし。
けど、これも狙って始めた訳ではないのだが。。
僕は本が読めないんじゃないかと思ってた。
今も少し思ってるのかも。
積ん読ばかりして、読書も習慣化しない。
一旦読み始め、もしハマると、時間を忘れ読み続ける。
小説の場合だとまるで映画のように感じてしまう。
本当に面白い小説だと読むスピードも上がって、集中力も長時間続く気がする。
けど、全然面白くない本だと、30分が限度。
読み続けられない。
何でこれを読まなきゃいけないの?とか
そもそもこれを学んで俺は何をしたいのか?とか
メタ知識への問いがボコボコ湧いてきて、読書どころじゃなくなる。
何かを吸収しようとするんじゃなくて、問いを立てる。
しかも根源的な問いを。
何よりも割り切ることが大切。自分でもよくわかってる。
けど、問いを立てまくる。
しかもすぐに答えが出ない問いばかり。
僕は読書ができないんじゃないか?
いや、そもそも読書ってなんだ?
読書って何のためにするんだ?
楽しいから始めたはずなのに、何で文句言いながら本を読んでるんだ?
しかも、いつの間にか本を読むことが過大評価されてる。
読んでないと知的に劣ってる、っていう変な風潮がある気がする。
そんなに読書ってすごいことだっけ?
そもそも頭がいいってなんだ?
頭がいいことに憧れを持ってる自分がいるけど、それはどこからくる?
頭がいい=知性?(なんか違う気はしてる。でもなんでだろう)
読書っていう言葉の周りにはあまりにも多くの通念が結びつきすぎている。
それを解いてみると何があるんだろう。
何で目の前に本がある?
作者がいるから。
何でいる?
何かしら伝えたかったんじゃないの?
誰かに何かを伝えたい、それを通して自分を表現したい。
そう思わずに書いてる人なんかいないだろうからさ。
じゃあなんでこの本がここにある?
そりゃ買ったからだろ。
じゃあなんで買った?
買いたかったから。
なんで買いたかった?
その時の自分に聞く以外、本当の答えは知り得ない感じがするね。
でも、その本を読んでなんかしら自分のためになるって思ったから買ったんだろうね。
ためになるて何?
成長するっていう感じかな。
なんで成長しなきゃいけないの?
成長。厄介な言葉。強迫観念だよね。それにはあんま触れたくない。
不安と表裏一体な気がするんだけど。
否めないよね。
恐怖とも関連がある気がする。あっ、恐怖と不安ってどっちが親なんかな?
それは人によるんじゃない?
不安と恐怖って包含関係で表したら、どんな関係になるんかな?
どっちかがどっちかに含まれる、みたいな単純な感じではなさそうだけど。
とりあえずここでは同義でいこうよ。
書いてて違いを発見したら、定義を書きかえりゃいいだけじゃん?
まぁそだね。
で、ここまでをまとめるとさ、読書は不安が根源にあるってことになっちゃうけど、
それでいいんかな?
それが全部じゃないことはもちろんだけど、そうとも言えるんじゃない?
多くの人が本屋に通いつめる。
しかもそれを変なことと思わない状態。
ここも一度疑ってみる必要があるんじゃない?
こんだけ集団で本屋に通い、小説、新書、英会話や経済、自己実現etc...
の本を立ち読み&買ったりするのって奇妙なことなのかもって思わない?
病気とも言えるんじゃないかな。
不安に駆られた病気。
成長パラノイア、ってやつ?川北稔先生の本で知ったんだよね。
読んでるお前も病気だなって言われたら何も答えられないけど。
で、僕はとんでもないところで割り切ることにした。
というか、違う視点から読書を定義づけてみようと試みた。
「読書はしないに越したことが無い。
もしくは完全な娯楽と考える。」
娯楽ってことは、ギャンブルみたいなものって考えてもいいかも。
部分強化みたいな考え方。
あたりの本とはずれの本があるから、人は読書を止められない。