昨日、6月15日は庄助がわが家にやってきた日でした。
そして、この日はわが家だけの祝日でもあります。
ボクは6月12日~14日まで関西へ出張研修に行ってきました。
出張を告げた時、奥さんの第一声は「え?庄助記念日はいないの?」と。
「14日の夜に帰ってくるから」と答えたら「だったらいいけど」って(笑)
わが家では家族全員でお祝いする日です。
ボクがこの日を意識しているのは迎えたその日の気持を絶対に忘れたくないからかもしれません。
6月12日。
西へ向かう新幹線の中で、Facebookを見ていたら6年前のボクの投稿が表示されました。
そうそう、庄助を迎えるにあたりお家を準備しなきゃということで帰宅後に庄助の家を組み立てました。
お金を使いたくない時期だったのですが、長く使うものだからということで、少しだけお値段の張る、ガッチリしたタイプを購入しました。
産まれてくる子供を”いまかいまか”と待つような心境の時間が始まりました。
奧さんに至っては「♪♪うちの子庄助♪♪可愛い子♪♪という謎の唄をずっと唄っていました。
↑ せっかく作ったのですが、左側の寝床はわが家に来た日の夜にウンチまみれに・・・
仕方なく、ボクのバスタオルを重ねて寝かせたのを覚えています。
その後、庄助はここに入るのを拒み続け、いまでは影も形もありません。
初めてワンコを飼ったボク。
いま思うと迎えた日は肩に力が入り過ぎるくらい入っていました。
いまでこそ庄助との呑気な時間を過ごしているボクですが、その日は「自分の命に代えても、守らなくてはいけない存在ができる」という力みでカチカチでした。
ペットショップへ迎えに行き、クレートに入った庄助を見ながら、ため息が出たのを覚えています。
身体中に力が入り、呼吸が浅くなっていることを感じました。
家に連れて帰り、ひと騒ぎすると庄助はボクの手の中でウトウトとし始めました。
ボクは起こしたら大変だと、そのままの姿勢のまま身を固くして約2時間半を過ごしました。
いまなら、そっと床に置いてお終いですが、その時は「子犬はできるだけ睡眠をとらせたほうが良いのだろ」と思っていたのです。
庄助より先に寝ていた奥さんが起きてきて「何しているの?」と聞かれたときに、声を潜めて「いま、寝ているから」と答えたら、「え?ずっとその姿勢でいたの」と驚いてました。
最近、友人知人の間でもボクが愛犬家であることが知れてきたようです。
ワンコを飼いたいのだがという相談を受けることもでてきました。
「世話は大変だろう?」と聞かれたら「思っていたより大変だと実感している」と正直に答えています。
「金かかるのだろう?」と聞かれたら「金がかかるよ~」と答えています。
「時間が拘束されるから生活も変わるよ」とも伝えます。
お金と時間が間違いなくかかります。
でも、ボクはかけたお金と時間がどうでもいいとも思えるくらいの幸せを受け取っています。
ワンコを飼う幸せってなんでしょうか?
答えは飼い主ごとにあるはずです。
ボクにとってはその子、その子の「個体」を感じることです。
犬のことを少し知っている方なら「柴犬は~」「チワワは~」「プードルは~」という犬種毎の性質について聞いたことがあると思います。
人間でいえば「日本人は~」「フランス人は~」「中国人は~」というのと同じですね。
たしかに、犬種毎に明らかな傾向値はあります。
でも、人と同じように個体差が大きくあることも事実です。
庄助を迎えるにあたりボクが決めていたのは「その子の生まれもった性格を受け入れよう」ということ。
大人しい子には大人しい子の可愛さ、活発な子に活発な子の可愛さがあります。
(あ、女性と同じだ、笑)
一緒に暮らす中で庄助という個体の性格、気持を感じる瞬間はボクだけの特権。
感じたことが客観的に見てどうなのかは知りませんが、その瞬間の感覚は絶対的なものです。
その時感じるものが、その犬種特有のものと同じであっても、ぜんぜん違ってもどうでもいいのです。
それがその子なのですから。
そして、その瞬間その子を感じているのは世界中で自分だけ。
その幸せは独り占め。
贅沢な時間ともいえます。
庄助を感じるたびに、幸せの経験値が積み重なります。
人生という有限の時間の中で、こんな幸せをボクに教えてくれたのはこの子です。
【うちの子記念日 過去記事】