2児拉致で捜索 逮捕状請求へ
北海道出身の渡辺秀子さんの子ども2人が北朝鮮に拉致された疑いがある事件で、警視庁などは、2人を工作船に乗せて北朝鮮に渡ったとされる女の東京都内の自宅や朝鮮総連・在日本朝鮮人総連合会の関連団体などを捜索しました。拉致を指示したとみられる別の工作員の女の国際手配に向け、近く逮捕状を請求する方針です。
捜索を受けたのは、東京都内の55歳の女の自宅や文京区にある朝鮮総連の関連団体など4か所です。この事件は、北海道出身の渡辺秀子さん(当時32歳)の長女の敬美さん(当時6歳)と長男の剛さん(当時3歳)の子ども2人が、昭和49年6月ごろ、北朝鮮に拉致された疑いがあるもので、拉致には東京の貿易会社を拠点にしていた北朝鮮の工作員グループがかかわった疑いが持たれています。自宅の捜索を受けた女は貿易会社の元社員で、当時、子ども2人の世話役だったとみられ、事件後、「子ども2人に睡眠薬を飲ませて工作船に乗せ、いっしょに北朝鮮に渡った」と周囲に話していたということです。また、朝鮮総連の関連団体は、拉致を指示したとされ、現在は北朝鮮にいるとみられるリーダー格の別の工作員の女が一時、所属し、団体の活動を通じて元社員の女を工作員グループに引き込んだとみられています。元社員の女は事件直後には日本に戻り、その後、国内で暮らしていることなどから、すでに時効が成立しているとみられ、警視庁などは25日、任意での事情聴取を求めましたが応じなかったということです。引き続き、元社員の女に事情聴取に応じるよう求めるとともに、リーダー格の工作員の女の国際手配に向け、近く拉致容疑で逮捕状を請求する方針です。
NHKニュース
北朝鮮15年ぶり本格的軍事パレード
北朝鮮の朝鮮人民軍創建75周年を迎えた25日、首都平壌の金日成広場で、軍最高司令官である金正日(キムジョンイル)総書記が出席して閲兵式が開かれ、陸海空軍の兵士や士官学校生らの行進とミサイルが登場する軍事パレードが行われた。朝鮮中央通信などが伝えた。
閲兵式は近年1、2年おきに実施されているが、ミサイルが登場する本格的な軍事パレードは1992年4月以来15年ぶりで、金総書記の指導体制下では初。昨年7月のミサイル発射や同10月の核実験を踏まえ、軍事力や、軍優先の「先軍政治」を進める総書記の指導力を軍創建記念日に合わせ内外に示そうとしたとみられる。
4個中隊規模とみられるミサイル部隊は、国旗と最高司令官旗を掲げた軍用トラックにミサイルを1基ずつ搭載し登場。中国中央テレビによると、48基のミサイルは4種類程度とみられる。可動式を含め新型も含まれているもようだが、「テポドン1号」のような中距離弾道ミサイルは見られなかった。
ひな壇には金総書記と金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長、趙明禄(チョミョンロク)軍総政治局長、金英逸(キムヨンイル)首相ら指導幹部のほか、先に就任が判明した金格植(キムギョクシク)軍総参謀長が並んだ。金総参謀長はパレードに先立つ演説で、日米の「圧殺の企て」に対し「軽挙妄動してはならない」と警告したが、核保有や6カ国協議への言及はなかった。
金日成広場には花束を手にした100万人近い市民が集まり、「先軍革命」「金正日」などの人文字をつくった。
金総書記は25日、金総参謀長、金鎰竽(キムイルチョル)人民武力相らとともに、金日成(キムイルソン)主席の遺体が安置されている錦繍山記念宮殿を訪問、軍合唱団の祝賀公演も観覧した。
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「6カ国での妥協を危惧」訪米の拉致家族が訴え
【ワシントン=有元隆志】訪米中の拉致被害者の家族会事務局長で、増元るみ子さん=拉致当時(24)=の弟、増元照明さん(51)は24日、ワシントン市内で開かれた北朝鮮の人権弾圧に関する展示会であいさつし、「6カ国協議で米国が北朝鮮に大きな妥協を重ねていることを危惧(きぐ)している」と述べ、拉致をはじめ人権問題を解決するためにも北朝鮮に圧力をかけ続ける必要があると訴えた。
松木薫さん=同(26)=の姉、斉藤文代さん(61)も「(他の国の)みなさんと力を合わせて、金正日政権を倒さないといけない」と呼びかけた。増元さんらは25、26の両日、米政府高官と会談し、拉致問題解決への協力を要請する。
展示会は22日からワシントンで開かれている「北朝鮮人権週間」にあわせ企画されたもので、米議会近くの集会所の壁には、飢餓に苦しむ北朝鮮の子供たちの写真や収容所のスケッチなどが張られている。
一方、米下院人権議員連盟では、大阪在住の脱北者の千葉優美子さん(46)=韓国名・高政美=が証言。北朝鮮でおきた飢饉(ききん)の際、1カ月以上にわたり飢え死にした人々を運んだことや、収容所での拷問など、北朝鮮の悲惨な生活、人権弾圧の実情を明らかにした。
千葉さんは3歳のとき、両親と日本から北朝鮮に渡り、大学の教員をしていた。1995年の飢饉では、餓死者を人々に見つからないよう埋める作業を強制的にさせられ、「胸が張り裂ける思いがした」という。千葉さんは2000年に中国に逃れたが、その後、北朝鮮に送還され、収容所では拷問を受け続けた。収容所を出た後再び中国に渡り、05年7月に日本に戻った。
(2007/04/25 23:40)
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