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【漂揺の30年(5)】「進展とは全員帰国」「横田家だけの問題ではない」

 「拉致被害者数人が日本に帰るということで、進展にはなりうるかもしれない」

 10月26日、高村正彦外相がこう発言したことで、拉致被害者の家族らに不安が広がった。

 拉致問題の解決を内閣の最重要課題とした安倍晋三前首相は、北朝鮮の核問題を話し合う6カ国協議で決まった対北エネルギー支援への参加条件に、「拉致問題の進展」を挙げた。

 「被害者全員の帰国に向けた具体的な動きがあったとき」(安倍前首相)とされてきた「進展」の定義が、揺らいだとも取れる発言だった。

 福田康夫首相は慌てて「(進展とは)全員だ。こちらが向こうにいるといっている方々が全員帰ってくるということだ」と軌道修正した。

 その日の夜、就任後初めて家族と面会した福田首相は「政府は一体だ」とし、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さん(75)も「膠着(こうちゃく)状態が続いていたが、これから期待が持てる」と語った。

 だが、不安要素はつきない。

   □ □ □

 「(支援は)危ないんじゃないかと思っている。(北は)信じられない」。めぐみさんの母、早紀江さん(71)はそう話す。

 家族らには苦い思いをした経験がある。

 平成12年、当時の政府は「拉致問題解決の呼び水に」と、家族らの反対を押し切って、北にコメ支援を実施した。家族らは連日、外務省と自民党本部の前で「反対」の座り込みを続けた。家族らの必死の訴えを無視するかのように、政治家や官僚たちが通り過ぎていった。支援を実施してもなお、北の反応は「拉致はでっちあげ」のまま。結果は変わらなかった。

 政治情勢に翻弄(ほんろう)され続けた苦い過去。滋さん、早紀江さん夫妻は「(支援は)北に経済的な余裕を与え、拉致問題の解決が長引く。同じ過ちは繰り返さないでほしい」との思いを深めている。


 「進展」をめぐり、家族にはもう一つ気がかりなことがある。米国務省が指定するテロ支援国家から、北朝鮮を除外しようとする動きだ。

 指定理由には、家族会と支援組織「救う会」などの働きかけで「拉致問題」も含まれるようになった。指定が解除されれば、拉致問題の解決に少なからぬ影響が出る。

 「信じがたいのは、(北が)国家として拉致を許したことだ。人権を尊重し、自由社会を実現させることを、私は強く保証する」

 昨年4月、早紀江さんとホワイトハウスで面会した際のブッシュ大統領の言葉だ。その後も、大統領は折に触れて面会に言及してきた。早紀江さんは「(約束を)信じている」と話す。

 あれから約1年半。「進展」をめぐり、日米間の「温度差」も指摘される中、家族会は11日、再び訪米団を送った。「日本人拉致問題の解決」を指定解除の条件に盛り込む法案を下院に提出した共和党議員、政府高官らに改めて働きかけるためだった。滋さんらは、訪米する家族に手紙を託した。

 《北朝鮮による拉致は、憎むべき国家テロです。(略)このテロ行為が続いている状況下で、何ら責められるべき要素がないのに30年間自由を奪われ「人質」の状況にあるめぐみたち拉致被害者の「命」と「人生」に思いをはせていただきたいのです》

 早紀江さんは力を込めて、こう語った。「家族の本当の言葉が届き、心の痛みを分かち合ってほしい。ブッシュ大統領がしてくれたように。核問題と同じで、子供たちが帰ってこないこともテロだと認識してほしい。(拉致は)横田家だけの問題ではないのです」

      =終わり

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 連載は住井亨介、尾西央行が担当しました。

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連載【漂揺の30年(4)】「一番つらいのは姉」「当たり前の幸せさえ奪った」

 「すぐ来てください」

 横田めぐみさんの弟、拓也さん(39)に、川崎市内の病院から電話がかかった。相手の声の様子から一刻を争うことだと直感した。父、滋さん(75)が、検査で訪れたこの病院から急遽(きゆうきよ)、横浜市内の病院に転院させられたのだという。平成17年12月9日のことだ。


 滋さんは血液の流れをよくするために服用していた薬の副作用で、緊急入院した。拓也さんが駆けつけたとき、病院にはすでに双子の弟の哲也さん(39)が到着していた。忘年会の予定が入っていたが、キャンセルして駆けつけた。

 すぐに医師との相談が始まった。「経過観察などしていては間に合わない」。母、早紀江さん(71)は拉致問題について講演するため、岩手県に出かけていた。携帯電話もつながらない。相談している時間はなかった。「お願いします」。直ちに血漿(けつしよう)交換治療が開始された。

 病室で父は目を開き、意識ははっきりしていた。だが、顔は青白い。悲しそうな表情。見たことのない父の姿だった。娘のために長年、身を粉にして駆け回った姿がベッドの上の父と重なった。

 命が危ない状態にまで陥ったが、幸い峠を越し少しずつ快方に向かった。「少しでも早く、ベッドで眠る父に姉と会わせてあげたいと心から思った」。拓也さんはそう振り返る。

 めぐみさんが失跡してからの30年間、娘を思う両親の姿を、拓也さんと哲也さんは何度も目の当たりにした。「どこにでもいる普通の両親。泣いている姿を何度も見た」。何もしてあげられないむなしさと「なぜ」という思い。拓也さんらは小学生のころから無力感と怒りを背負い、手がかりのない日々と向き合い続けた。

 中3のとき、父の転勤で新潟から東京に引っ越した。その時、拓也さんと哲也さんは「決め事」をつくった。兄弟は、自分たち2人だけ-。友達と遊んでいれば、兄弟について話が出る。姉のことを話せば、なぜいないのか、となる。「当時はいなくなった理由が分からなかったので、姉の説明や話をすることはとてもつらかった」

 兄弟が社会人になって、両親とのふれあいも難しくなった。会えるのは集会や政府関係者との面会などの活動のときに限られ、「プライベートな時間を両親と一緒に過ごしたことは数年間、ほとんどない」という。

 拓也さんと哲也さんには子供もいるが、滋さんらは孫の顔もほとんど見ていない。拓也さんは「子供たちにとって、両親は『テレビの中のおじいちゃん、おばあちゃん』でしかない」と苦笑いする。孫をゆっくり抱きしめたいという両親の気持ちは、痛いほど伝わってくる。「北朝鮮はこんな当たり前の幸せさえ奪っていった」

 滋さんは無事、回復したが、「会うたびに両親の歩く速度が遅くなっていると実感するんです」と拓也さん。両親の苦労、兄弟の苦労…。

 「でも姉は、いまだに自由のない過酷な地で苦しみ続けている」。拓也さんは、一番つらい思いをしているめぐみさんの苦労と心痛に思いをはせる。「人生の3分の2以上の時間を北朝鮮で過ごしている姉は、今年もまた寒い冬を迎えようとしている」

 自分たちの姉を取り戻すための戦い。拓也さんは「つらいことはたくさんあるが、精神的に『負担』と感じたことはない」と言い切る。「姉自身の平穏な生活を取り戻すためにも、そして家族全員の普通の暮らしを取り戻すためにも、一刻も早く解決されなければいけない。30年は長すぎる」 

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豆満江開発:投資フォーラムで流域5カ国が協力宣言

 ロシア極東ウラジオストクで開かれていた中国、北朝鮮、ロシア、韓国、モンゴルによる豆満江(中国名・図們江)流域開発の投資フォーラムは16日、参加国がエネルギー、運輸などに関する協力宣言に調印し、2日間の日程を終えて閉幕した。

 宣言には(1)東シベリアから太平洋岸方向へ建設中の石油パイプラインから中国へ支線を建設し北朝鮮、韓国へつなぐ案を検討する(2)日本と韓国の企業から投資を招く(3)南北首脳会談はシベリア鉄道と朝鮮半島縦断鉄道の連結構想にも貢献(4)ロシアから北朝鮮への送電プロジェクトの実現を目指す(5)観光の促進--などが盛り込まれた。

 フォーラムは国連開発計画(UNDP)などの支援で開かれた。(ウラジオストク共同)

毎日新聞 2007年11月17日 13時22分 (最終更新時間 11月17日 13時23分)

豆満江開発:投資フォーラムで流域5カ国が協力宣言 - 毎日jp(毎日新聞)