連載【漂揺の30年(4)】「一番つらいのは姉」「当たり前の幸せさえ奪った」
「すぐ来てください」
横田めぐみさんの弟、拓也さん(39)に、川崎市内の病院から電話がかかった。相手の声の様子から一刻を争うことだと直感した。父、滋さん(75)が、検査で訪れたこの病院から急遽(きゆうきよ)、横浜市内の病院に転院させられたのだという。平成17年12月9日のことだ。
滋さんは血液の流れをよくするために服用していた薬の副作用で、緊急入院した。拓也さんが駆けつけたとき、病院にはすでに双子の弟の哲也さん(39)が到着していた。忘年会の予定が入っていたが、キャンセルして駆けつけた。
すぐに医師との相談が始まった。「経過観察などしていては間に合わない」。母、早紀江さん(71)は拉致問題について講演するため、岩手県に出かけていた。携帯電話もつながらない。相談している時間はなかった。「お願いします」。直ちに血漿(けつしよう)交換治療が開始された。
病室で父は目を開き、意識ははっきりしていた。だが、顔は青白い。悲しそうな表情。見たことのない父の姿だった。娘のために長年、身を粉にして駆け回った姿がベッドの上の父と重なった。
命が危ない状態にまで陥ったが、幸い峠を越し少しずつ快方に向かった。「少しでも早く、ベッドで眠る父に姉と会わせてあげたいと心から思った」。拓也さんはそう振り返る。
めぐみさんが失跡してからの30年間、娘を思う両親の姿を、拓也さんと哲也さんは何度も目の当たりにした。「どこにでもいる普通の両親。泣いている姿を何度も見た」。何もしてあげられないむなしさと「なぜ」という思い。拓也さんらは小学生のころから無力感と怒りを背負い、手がかりのない日々と向き合い続けた。
中3のとき、父の転勤で新潟から東京に引っ越した。その時、拓也さんと哲也さんは「決め事」をつくった。兄弟は、自分たち2人だけ-。友達と遊んでいれば、兄弟について話が出る。姉のことを話せば、なぜいないのか、となる。「当時はいなくなった理由が分からなかったので、姉の説明や話をすることはとてもつらかった」
兄弟が社会人になって、両親とのふれあいも難しくなった。会えるのは集会や政府関係者との面会などの活動のときに限られ、「プライベートな時間を両親と一緒に過ごしたことは数年間、ほとんどない」という。
拓也さんと哲也さんには子供もいるが、滋さんらは孫の顔もほとんど見ていない。拓也さんは「子供たちにとって、両親は『テレビの中のおじいちゃん、おばあちゃん』でしかない」と苦笑いする。孫をゆっくり抱きしめたいという両親の気持ちは、痛いほど伝わってくる。「北朝鮮はこんな当たり前の幸せさえ奪っていった」
滋さんは無事、回復したが、「会うたびに両親の歩く速度が遅くなっていると実感するんです」と拓也さん。両親の苦労、兄弟の苦労…。
「でも姉は、いまだに自由のない過酷な地で苦しみ続けている」。拓也さんは、一番つらい思いをしているめぐみさんの苦労と心痛に思いをはせる。「人生の3分の2以上の時間を北朝鮮で過ごしている姉は、今年もまた寒い冬を迎えようとしている」
自分たちの姉を取り戻すための戦い。拓也さんは「つらいことはたくさんあるが、精神的に『負担』と感じたことはない」と言い切る。「姉自身の平穏な生活を取り戻すためにも、そして家族全員の普通の暮らしを取り戻すためにも、一刻も早く解決されなければいけない。30年は長すぎる」
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