コラムなタイム -46ページ目

未練酒場(ファルコンの巻)

初めて入って好きになってしまうという店がある。もちろん雰囲気のいい店で、そのときの気分もいいときだ。僕にはいつか好きな連れを誘ってみたい店が幾つもあるが、仕事の取材でちょっと覗いただけで、ほとんど飲んで楽しんだことのある店は数少なかった。
 その夜は好きな連れと店に入ってボトルをキープした。少し高かったけれど、いいところを見せたかったし、気分は最高だった。僕はもうオジサンだけれど、連れは僕よりずっと若い。彼にとっては僕が連れて歩く店という店はどこも初めてだったろう。もちろん勘定は先輩のこちらもちだ。
 店は山形駅前はながさ通り二番街・佐五郎ビルの4階にあった。店内は広くカウンターの方に大きな窓があり、夜空が見上げられた。まるでシティーホテルのスカイラウンジのようだった。天井には光ファイバーのスタールーフ。ビッグな40インチ大画面のAVカラオケ。浜田省吾のバラードでも歌ってみたいと思ったけれど、好きな連れはカラオケがあまり好きじゃなかった。独りの夜のときにはこっそり歌ってみようと思ったけれど、とうとう行かずじまいになった。独りで飲み歩くってどうも淋しくてね。よそ者だし、なおさらだ。

父の風景「父の帰宅」

 父は旅が仕事みたいな人だった。必ず手にした土産物を隠して玄関に入ってきて、喜びはしゃぐ男ばかり五人の子供達を見やり、「みんな大丈夫だったな」といった安堵の笑顔で框を上がるのだった。母にソフト帽を手渡しながら、何故か照れ臭そうに小さく会釈をする。母は彼を見上げるでもなく、何となく伏し目がちに自然過ぎる位静かにそれを受け取る。土産物を受け取った長男を追い掛けて部屋の奥へ駈け込んで行く三人の兄達の殿りから僕は振り返って、良くそんな二人の光景を目にした。見てはいけないものでもないのに、小さな心を震わせたのには、屹度父への対抗心の様なものがあったのかもしれない。僕はそれ位家の誰よりも母が好きだったし、母がいなければ何もかもが楽しくなかった。

 父は、明治生まれの気骨と文明開化を引き継いだ様なモダンさを兼ね備えた自由人だった。外国語の専門書を翻訳する仕事や官立の大学の講師をしたり、雑誌に何か書いたりもしていた。少し若い頃はちゃんと勤めてもいたらしいけど、何時からともなく名刺が自由業になって、何とかコンサルタントとかになると殆ど家にいない人になった。然し父の不在にも関わらず、訪ねて来る大人の男の人や女の人が何人もいた。母は真っ直ぐ父の奥の書斎に案内してお茶を出したきり家事をしていて、格別な応対をしている様子もなかった。果たして客人の帰りを見送るでもなく玄関の気配を見定めると、茶盆を手に父の書斎に走り込んで行く。しばし母の書棚を整理しているらしい物音が聞こえた。それにしても、あの客人達は何をしにやって来たのだろう。

 家は、長さ百メートル程の急な坂道の中腹の通り沿いにあった。民家の建ち並んだ向かいは高い土手で樹木が坂道を覆う程に茂っていて、時折神社の祭事の気配が葉室に籠もって聞こえて来ていた。坂道を登り切ると、クリスマスに呼んで貰える教会と兄弟皆が通う小学校と東京に行ける省線の駅に通じた。もっと向こうに行くと、叉丘があって、その天辺には港の方を向いた偉い人らしい高い銅像が建っていた。
 一方、坂道を下ると、長い道の先には二本の国道を結ぶ通りがあって頻繁に車が行き交っていた。その通りには牛乳工場の他に銭湯や何軒かの商店があり、右へ行くと母が通う大きな商店街へ向かう国道、左へ省線のガードをくぐって行くと路面電車の通るもう一つの国道があり、その国道の先は蝦蛄の揚がる小さな漁港と進駐軍の港があった。町には運河が流れていて、その遙か向こうの丘からは天気が良いと富士が覗いた。

 父の土産は地方の特産物が多かった。それも必ず食べ物で、数の取り合いで子供達の争いの元になった。その晩の土産は山形の「ゆべし」とかいう不思議な和菓子だった。透明な土色をした薄いゴムの様な長方形で一口サイズの果肉が笹の葉に一枚ずつ包まれていた。僕達兄弟はその小振りな見たこともないお菓子の品の良さに臆した様に沈黙した。すると長男が「おい真、お前試食してみろ」と言い、兄達は揃って僕の方を睨んだ。僕は仕方なく一つだけ笹の葉の剥かれたお菓子を恐る恐る口に運んだ。摘んだ爪先から舌の様にだらりとしたそれを掬い上げるように咥えると、甘酸っぱいトロっとした味わいが口中に広がり、微かな酸っぱさに顔を歪めていると、忽ち甘い香りだけがこの上ない美味しさとなって残った。兄達は僕の微かな笑みをほっとしたように見詰め、「良し、大丈夫だ」とばかりに一斉に竹の葉を次から次へと毟り取り競う様に食べ散らかした。その内誰が一番多く食べたかという言い争いが始まった。僕はお決まりの様に到頭試食の分しか有り付く事が出来なかった。
 そんな騒ぎを父も母も咎め様とはしなかった。母は父の着替えの後片付けに傅いていたし、父は父で留守中に届いた書類に余念がなかった。

 父の書斎は二つあった。一つは一番奥まった部屋と、あとは玄関を上がったすぐそばにあった。父は家にいると、玄関先の方と行ったり来たりしていた。奥の書斎から本やら書類やらを手にして来ては大抵玄関先の方で書き物をしていた。その方が書き易かったのだろうか、書斎では居眠りばかりして仕事が捗らないのだと、母が父のいない長旅の時に淋しさの愚痴の様に子供達の前で言った事があった。それなのに、母は「お父さんがお仕事をしている時は話し掛けてはいけませんよ」と、思いなしかきつい調子で言うのだった。

喫茶店デビュー

 公園の木立ちの下のベンチでボケーッとしていた。昼下がりの気持ちよい日差しの広場で小さな男の子が三輪車を乗り回している。その向こうで、母親らしい若い女性が、なぜか所在なげに腰掛けたブランコを揺らしている。公園デビューにしては時間がちがう。ふつうはお昼前なのに、こんな時間なのにはきっとあまり幸せでない何か訳があるにちがいない。それを想像していたら、彼女をいじめているようで途中でよした。そして自分のことの方が今は案じるべき時期というか、はっきり言って立場にいることに、今さらのように気づいた。こうはしていられない焦りのような気分が、いつもの小さな不安とちがって発作のように心の内に立ちのぼってきた。誰もいないはずのブランコが陽炎のように揺れて見えた。
 
 しかし、それから公園を逃げるように出て来ると、覚悟したような反省はその道すがら心地よく萎えてゆき、無性に癒しが恋しくなってしまった。ふと街角を曲がると、そこにずっと前から自分を待ち伏せていたかのように小さな喫茶店があった。それにしても、こんな近所にこんな素敵なお店があったとはつゆも知らなかった。木造りの扉を開けると、いくつもの風鈴を一度に鳴らしたみたいな軽やかな鐘の音とともに、ほんとに待っていてくれたみたいな優しいマスターの声がした。

 喫茶店に一人で入るなんて何年ぶりだろう。いや、何10年ぶりだろう。勤めていた頃は同僚との昼食後の談笑や、会議の打ち合わせか営業の商談などで、いつも誰かと一緒だった。一人だったのは大学時代、“田園”とかでクラッシックを聴きながら『失われた時を求めて』なんて長編に読みふけっていた頃だ。今こうして“失われた時”を取り戻すように何くれない時の流れに身をゆだねて一人で喫茶店にいる。うすっぺらな人生が心もち弾力を含んでたゆたっているようで、ようやく癒しの境地にいる。ほんの慰めかもしれない。でも目の前の一杯のコーヒーにも気高い香りとさぐるような苦みがあるように、人生にもいいこともよくないこともあって歳を重ねた今だからこそ容せる人生が味わい深く感じられてくるのにちがいない。
 こんど来る時は本でも持って、またここに来よう。マスターに感謝するみたいにお代わりをした。