本との気持ち55
「クラシック音楽と西洋美術」中川右介 著
(青春文庫・600円)
「教養のツボが線でつながる」というサブタイトルが付いている。15世紀のルネッサンスから現代芸術までを時代ごとにクラシック音楽と西洋美術を縦横に紹介しながら多くの芸術家と作品について論じている。たとえば音楽史が主として始まる18世紀は、革命によって教会の代わりに国家がその存在力を強め、同時に貴族よりも市民層が新たな階級として台頭してきた。そして、その時代の変化が「線」となって芸術家達の立場を自ずと変えていった。彼らは権力のお抱え芸術家に代わって裕福な市民層のパトロンを得て、表現対象や手法も大きく変えていった。音楽はバロックに始まりイタリアオペラを経て交響曲が生まれ、美術ではロココが新潮流のロマン派への橋渡しをした。
共通して言えることは、個人の発露がその後の時代へも存在し続けていったということであろう。ショパンは古典的手法を打破し「別れの曲」で文学的叙情性を謳い「ピアノの詩人」と呼ばれた。また画家のクールベは「目に見えないものは描けない」と言ってありのままを描く写実主義者として、1870年のパリ・コミューンに参加した「社会派」でもあった。さらにセザンヌはありのままを再構築して見せて、後のキュビスムへの原型を示唆した。ワーグナーは時代に翻弄されながらもオペラを総合芸術に変貌させた。そして最後に、音楽雑誌や画集の編集者でもある著者がひとしきりカタストロフィックに文体を熱くするのが、現代芸術の時代だ。
それまでの西洋音楽は文字通りヨーロッパだけを見ていれば良かった。しかし20世紀になると世界各地の民族音楽も視野に入れたものとなり、楽曲的にも「調性」が崩壊して不協和音や不規則なリズムなどが取り入れられ「無調音楽」が生まれた。その結果、西洋のクラシック音楽は秩序ばかりでなく聴衆をも失ってゆく。
音楽家はパトロンからスポンサーという商業主義的な世界で生きていかなければならなくなり、「売れる曲」「売れない曲」という基準で名曲か名曲でないかが決まるようにもなった。クラシック音楽愛好者にとっては、モーツァルトやベートーヴェンのままでよかったという否めない現象が一般的となったのだ。モーツァルトの「フィガロの結婚」を「ばらの騎士」でパロディー化したリヒャルト・シュトラウスはナチ政権の下、宣伝省の音楽院初代総裁になった。シェーンベルクは音楽の常識であった「調性」を完全に放棄した「6つの小さなピアノ曲」などを作曲した。
美術もまた、「具体的な対象の形態を再現しない」という新たな地平へ向かい抽象絵画が主流となった。シュールレアリスムなど多様な表現法が生まれ混沌としてゆく。それらは否応なく時代へのプロテクトだったり、平和の謳歌だったりした。カンディンスキーもピカソも然り。一方、シャガールは時代にとらわれない自由な独自の画風で長寿を全うした。
しかし、分散と国際化が進む世界にあって、芸術は今やどこへ行こうとしているのか。約500年にわたる音楽と美術の流れを追った著者は、幾分高揚していた気持ちを鎮めるように「専門家でない」からと謙虚に筆を置く。それは、そのままクラシック音楽や西洋美術を鑑賞したくなる気分に通じるようでもあった。
教養のツボが線でつながるクラシック音楽と西洋美術 (青春文庫)/中川 右介

¥600
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(青春文庫・600円)
「教養のツボが線でつながる」というサブタイトルが付いている。15世紀のルネッサンスから現代芸術までを時代ごとにクラシック音楽と西洋美術を縦横に紹介しながら多くの芸術家と作品について論じている。たとえば音楽史が主として始まる18世紀は、革命によって教会の代わりに国家がその存在力を強め、同時に貴族よりも市民層が新たな階級として台頭してきた。そして、その時代の変化が「線」となって芸術家達の立場を自ずと変えていった。彼らは権力のお抱え芸術家に代わって裕福な市民層のパトロンを得て、表現対象や手法も大きく変えていった。音楽はバロックに始まりイタリアオペラを経て交響曲が生まれ、美術ではロココが新潮流のロマン派への橋渡しをした。
共通して言えることは、個人の発露がその後の時代へも存在し続けていったということであろう。ショパンは古典的手法を打破し「別れの曲」で文学的叙情性を謳い「ピアノの詩人」と呼ばれた。また画家のクールベは「目に見えないものは描けない」と言ってありのままを描く写実主義者として、1870年のパリ・コミューンに参加した「社会派」でもあった。さらにセザンヌはありのままを再構築して見せて、後のキュビスムへの原型を示唆した。ワーグナーは時代に翻弄されながらもオペラを総合芸術に変貌させた。そして最後に、音楽雑誌や画集の編集者でもある著者がひとしきりカタストロフィックに文体を熱くするのが、現代芸術の時代だ。
それまでの西洋音楽は文字通りヨーロッパだけを見ていれば良かった。しかし20世紀になると世界各地の民族音楽も視野に入れたものとなり、楽曲的にも「調性」が崩壊して不協和音や不規則なリズムなどが取り入れられ「無調音楽」が生まれた。その結果、西洋のクラシック音楽は秩序ばかりでなく聴衆をも失ってゆく。
音楽家はパトロンからスポンサーという商業主義的な世界で生きていかなければならなくなり、「売れる曲」「売れない曲」という基準で名曲か名曲でないかが決まるようにもなった。クラシック音楽愛好者にとっては、モーツァルトやベートーヴェンのままでよかったという否めない現象が一般的となったのだ。モーツァルトの「フィガロの結婚」を「ばらの騎士」でパロディー化したリヒャルト・シュトラウスはナチ政権の下、宣伝省の音楽院初代総裁になった。シェーンベルクは音楽の常識であった「調性」を完全に放棄した「6つの小さなピアノ曲」などを作曲した。
美術もまた、「具体的な対象の形態を再現しない」という新たな地平へ向かい抽象絵画が主流となった。シュールレアリスムなど多様な表現法が生まれ混沌としてゆく。それらは否応なく時代へのプロテクトだったり、平和の謳歌だったりした。カンディンスキーもピカソも然り。一方、シャガールは時代にとらわれない自由な独自の画風で長寿を全うした。
しかし、分散と国際化が進む世界にあって、芸術は今やどこへ行こうとしているのか。約500年にわたる音楽と美術の流れを追った著者は、幾分高揚していた気持ちを鎮めるように「専門家でない」からと謙虚に筆を置く。それは、そのままクラシック音楽や西洋美術を鑑賞したくなる気分に通じるようでもあった。
教養のツボが線でつながるクラシック音楽と西洋美術 (青春文庫)/中川 右介

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本との気持ち54
「晩酌パラダイス」ラズウェル細木
(幻冬社・定価1365円)
この書き手の偉いところは、出されたものばかりを食べるのでなく、自分で買って来て料理して、しかも時にはひと手間かけて作ったものを酒肴にして晩酌するところだ。例えば冒頭の章にあるホタルイカは二度湯通ししたり、ふきのとう味噌には酒粕を合えるなどがある。居酒屋の晩酌セットを自作自演しているような大したこだわりようで、独り晩酌にしては豪華この上ない。
それらを四季に分けて章立てし、その一つひとつに漫画家らしくイラストで解説してまとめている。文体も軽妙な語り口で読みやすく、手軽な並製本なので手にしていてもスラスラと、まるで落語でも聞いているような感じで読むことができる。
書き手は味覚の宝庫山形県の出身で、庄内のだだちゃまめや赤かぶ、米沢の雪割り納豆なども紹介。納豆のネバネバが苦手ながら郷土のそれはネバネバしていてもあまり糸を引かないからつまみにはもってこいだというのだ。お国自慢は文中の所々にあり、郷土愛も忘れないグルメ漫画家の原点が忍ばれ、読み終わって温かい気持ちになれた一冊であった。
晩酌パラダイス―今宵も酔いし、美味し、楽し/ラズウェル細木

¥1,365
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(幻冬社・定価1365円)
この書き手の偉いところは、出されたものばかりを食べるのでなく、自分で買って来て料理して、しかも時にはひと手間かけて作ったものを酒肴にして晩酌するところだ。例えば冒頭の章にあるホタルイカは二度湯通ししたり、ふきのとう味噌には酒粕を合えるなどがある。居酒屋の晩酌セットを自作自演しているような大したこだわりようで、独り晩酌にしては豪華この上ない。
それらを四季に分けて章立てし、その一つひとつに漫画家らしくイラストで解説してまとめている。文体も軽妙な語り口で読みやすく、手軽な並製本なので手にしていてもスラスラと、まるで落語でも聞いているような感じで読むことができる。
書き手は味覚の宝庫山形県の出身で、庄内のだだちゃまめや赤かぶ、米沢の雪割り納豆なども紹介。納豆のネバネバが苦手ながら郷土のそれはネバネバしていてもあまり糸を引かないからつまみにはもってこいだというのだ。お国自慢は文中の所々にあり、郷土愛も忘れないグルメ漫画家の原点が忍ばれ、読み終わって温かい気持ちになれた一冊であった。
晩酌パラダイス―今宵も酔いし、美味し、楽し/ラズウェル細木

¥1,365
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本との気持ち53
「地アタマを鍛える 知的勉強法」齋藤 孝 著
(講談社現代新書・756円)
この齋藤孝のスキル本は先人に学ぶ教養にあふれていて実に面白い。
複雑でどうしてよいかわからないとき、ニーチェの「わたしがもし神を信じるなら、踊る神だけを信じるだろう」という言葉には、本質を上機嫌に単純にえぐり出す勉強法を学ぶことができる。不安で悩みがあっても、エネルギーが消耗しないうちにポジティブにチャレンジしようというわけだ。
福沢諭吉は「根(こん)のあらん限り」「宝物の正味をぬすみ取る」と言い、真似たり盗んだりすることも必要だと解いている。有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」というのも、学ぶことが人の価値を決めるという深い意味がある。勉強法としてはポイントを盗み、それに独自のネーミングを付けて自分のものにしてしまおうという方法だ。例えば、読んだ本のタイトルを変えてみるというのも楽しい方法の一つだと思う。
万有引力という「見えざる糸」を見つけたニュートンは、本質の把握には問いを立てることだと言っている。いつも疑問を持って勉強することが勉強法の王道だと言うのだ。
その他、モチベーションを武器にとことん追究する野生のごとく勉強しようということを教えられる民俗学者で菌類学者でもあった南方熊楠、勉強を実地体験で克服したダーウィン、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と言い、学ぶことで人格が形成されるとした孔子など、多くの先人の知恵を挙げている。「勉強とは「生きる力」を身につける最強のスキルである」と、著者は結んでいる。
読んで最も印象的でなるほどと思ったのは、目次をしっかり読んで全体像をつかむ「目次勉強法」だった。昔、中学校の歴史で長い年表を黒板一杯に開いて、「今日はここの時代のこの部分の勉強をします」と言ってから授業を始めてくれた先生がいた。目次と同じで、歴史も年表で全体像をつかんでから勉強ができ、クラスのみんなが歴史好きになったことがあった。もちろん先生は人気者になり、勉強は覚えるだけでない勉強法があることを教えられた。本書にもあるように、勉強も工夫次第だというわけだ。
地アタマを鍛える知的勉強法 (講談社現代新書)/齋藤 孝

¥756
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(講談社現代新書・756円)
この齋藤孝のスキル本は先人に学ぶ教養にあふれていて実に面白い。
複雑でどうしてよいかわからないとき、ニーチェの「わたしがもし神を信じるなら、踊る神だけを信じるだろう」という言葉には、本質を上機嫌に単純にえぐり出す勉強法を学ぶことができる。不安で悩みがあっても、エネルギーが消耗しないうちにポジティブにチャレンジしようというわけだ。
福沢諭吉は「根(こん)のあらん限り」「宝物の正味をぬすみ取る」と言い、真似たり盗んだりすることも必要だと解いている。有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」というのも、学ぶことが人の価値を決めるという深い意味がある。勉強法としてはポイントを盗み、それに独自のネーミングを付けて自分のものにしてしまおうという方法だ。例えば、読んだ本のタイトルを変えてみるというのも楽しい方法の一つだと思う。
万有引力という「見えざる糸」を見つけたニュートンは、本質の把握には問いを立てることだと言っている。いつも疑問を持って勉強することが勉強法の王道だと言うのだ。
その他、モチベーションを武器にとことん追究する野生のごとく勉強しようということを教えられる民俗学者で菌類学者でもあった南方熊楠、勉強を実地体験で克服したダーウィン、「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と言い、学ぶことで人格が形成されるとした孔子など、多くの先人の知恵を挙げている。「勉強とは「生きる力」を身につける最強のスキルである」と、著者は結んでいる。
読んで最も印象的でなるほどと思ったのは、目次をしっかり読んで全体像をつかむ「目次勉強法」だった。昔、中学校の歴史で長い年表を黒板一杯に開いて、「今日はここの時代のこの部分の勉強をします」と言ってから授業を始めてくれた先生がいた。目次と同じで、歴史も年表で全体像をつかんでから勉強ができ、クラスのみんなが歴史好きになったことがあった。もちろん先生は人気者になり、勉強は覚えるだけでない勉強法があることを教えられた。本書にもあるように、勉強も工夫次第だというわけだ。
地アタマを鍛える知的勉強法 (講談社現代新書)/齋藤 孝

¥756
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