本との気持ち74
「かたみ歌」朱川湊人
(新潮文庫・460円)
東京のとある下町にあるアカシア商店街の古本屋、花屋、酒屋、スナックなどの商店やアパート、お寺などを舞台に、そこに住む人々の人間模様を昭和のヒット曲をBGMに、下町の空気漂う7つのストーリーがおさめられた短編集。ちょっと古めかしい『かたみ歌』というタイトルは全体を象徴していて、これ以上はないくらい心憎く、表紙の絵もふさわしく思わず手にした文庫であった。しかも7つの短編小説どれもが「不思議な“奇蹟”を呼んで涙を誘う物語」とでもキャッチコピーにしておきたい程だし、その奇蹟には悲しみなのか、嬉しさなのか、どちらとも知れない優しさが隠されている。でも、その温もりはあやしく、真実の果実のようにすぐそこにある。
「紫陽花のころ」は、不倫の過去から家族の元へ帰る女性の、ある家族の殺人事件をきっかけにした思いがけない心変わりを、その不倫相手の男が語る二人の出会いから別れまでのストーリーだ。ラストは映画を見ているような場面であった。不思議で、あり得ないことの裏には人の本当の心の裡が見え隠れする。それは時に恐ろしかったり悲しかったり、また怖い程優しかったりする。それこそがヒューマン・ファンタジー小説の醍醐味だろう。そうした小さな意外性がトテントテンと繰り出されながら、もっと深い心の奥にあるほんとうの心の真実に迫ってゆく。そう、不倫は魔法にかけられた愛欲なのだ。その魔法が解けた時、現実よりも真実が見えてくる。しかしそれは再び出会うことのない永遠の別れで、男のエゴはかくも脆いものということだろう。紫陽花が雨に濡れて美しく咲いても、醜い枯れ葉になるように。あり得ない不思議な現象が強烈な過去に投影されて真実を暴く。魔法が解けてゆく、悲しくも怖いようで虜にされてしまうラストに期待してほしい。★★★★★
「夏の落し文」は、友情や愛情の間に割って入り込もうとする目に見えない魔物がいると、それを物語はランドセルを背負い帽子を目深にかぶったのっぺらぼうの小さな少年に怪聞を告げる形で語らせている。見えないものを見えるものにするファンタジー小説の面白さがここにはある。電信柱の誰からか分からないメッセージが徐々に隠された過去の真実を告げる。それは悲しい出生の秘密だったけれど、弟の私に寄せた異兄の限りなく優しさに満ちたメッセージだった。兄の化身を待ちわびる弟の切ない夢のエンディングがいい。★★★
「栞の恋」は、邦子という若い女性が古本屋で見かけた青年に心を寄せて、その彼が手にした本に挟まれた栞を葉書代わりに交わすという実にロマンチックな発想の物語だが、それだけでは終わらない。前半は女性の青年に寄せる思いの丈が同じ棚から本を手にするたびに大きくなってゆく場面が綴られ、読者をすっかり恋人気分にさせてゆく。しかしある日、栞に「君は誰ですか」という問いかけが書かれていた。物語はむしろそこから始まる。恋焦がれる思いが空想の大きな翼を広げて飛翔した先は、夢見るようなことが待っているはずだったけれど、現実は女神のようには微笑んでくれなかった。恋の正体は悪戯と紙一重。でも今思えば、若かったあの頃の瑞々しい思い出だけはいつまでも大切にしておきたい。秘めた恋の証しとして、“心の栞”のままに。★★★★
「おんなごころ」は、せんない女に良くしてあげたのに後悔するスナックのママの独り言。というのも、可哀想な女心なんて結局男のおもちゃにされる結末が運命というのがママ初恵の正直な気持ちなのだ。ホステスの豊子ったら、うだつの上がらないチンピラのような男に惚れて、その男が馬鹿な死に方をしたら、そのあげく子供まで道連れにして死んじまうんだから。先に死んだ男が夜な夜な現れるなんて、気がふれるほどそんなに好かったのなら、どうしてアンタは子供まで死なせて男のいるあの世が好いって思ったのよ。バッカじゃないのアンタって女は。子供が可哀想過ぎるよ。アンタなんか、すっこしも可哀想でも何でもないんだってばさ。でも、読んでみて思った。女ってほんとに地獄まで行っちゃうんだよね。女の業って言うの。太宰が「死ぬ程の恋を僕としてみないか」なんて言って、女が本気になったら太宰はもう後に引けなくなったようにね。文学って凄いんだなって気がする。だからいいんだけど…。★★★
「ひかり猫」は、駆け出しの漫画家の「私」のアパートの部屋に猫のチャタローが毎晩通ってくるという野良猫との交流を描いた短編。「私」が出版社に持ち込むマンガはことごとくけなされてばかり。落ち込んでいたある晩、窓の鉄柵に人魂のような光が見えた。その動きが生き物のようでチャタローがどこかで死んで「私」の許へ帰ってきたのだろうと思った。手をかざすと掌の上に乗って軽い手触りがした。その後も毎晩光の球は現れ、少しずつ強い光を放つようになった。そのことを古本屋の店主に話すと、近所にあの世とつながっているお寺があるくらいだからそんなこともあるだろうという話を聞く。あんまり気にしないようにしてマンガを描いていたが一向に目が出ないでいた。やがて光の球は「私」の癒しの存在になっていた。しかしこの奇妙な出来事にはあの世とつながっているというお寺で猫の死骸を見つけアパートの庭に埋めてあげたという結末が待っている。もちろん、物語はそれだけでは終わらない。浅田次郎の好短編「Xie]を思い出したという次第だ。★★★
他二編。
かたみ歌 (新潮文庫)/朱川 湊人

¥460
Amazon.co.jp
(新潮文庫・460円)
東京のとある下町にあるアカシア商店街の古本屋、花屋、酒屋、スナックなどの商店やアパート、お寺などを舞台に、そこに住む人々の人間模様を昭和のヒット曲をBGMに、下町の空気漂う7つのストーリーがおさめられた短編集。ちょっと古めかしい『かたみ歌』というタイトルは全体を象徴していて、これ以上はないくらい心憎く、表紙の絵もふさわしく思わず手にした文庫であった。しかも7つの短編小説どれもが「不思議な“奇蹟”を呼んで涙を誘う物語」とでもキャッチコピーにしておきたい程だし、その奇蹟には悲しみなのか、嬉しさなのか、どちらとも知れない優しさが隠されている。でも、その温もりはあやしく、真実の果実のようにすぐそこにある。
「紫陽花のころ」は、不倫の過去から家族の元へ帰る女性の、ある家族の殺人事件をきっかけにした思いがけない心変わりを、その不倫相手の男が語る二人の出会いから別れまでのストーリーだ。ラストは映画を見ているような場面であった。不思議で、あり得ないことの裏には人の本当の心の裡が見え隠れする。それは時に恐ろしかったり悲しかったり、また怖い程優しかったりする。それこそがヒューマン・ファンタジー小説の醍醐味だろう。そうした小さな意外性がトテントテンと繰り出されながら、もっと深い心の奥にあるほんとうの心の真実に迫ってゆく。そう、不倫は魔法にかけられた愛欲なのだ。その魔法が解けた時、現実よりも真実が見えてくる。しかしそれは再び出会うことのない永遠の別れで、男のエゴはかくも脆いものということだろう。紫陽花が雨に濡れて美しく咲いても、醜い枯れ葉になるように。あり得ない不思議な現象が強烈な過去に投影されて真実を暴く。魔法が解けてゆく、悲しくも怖いようで虜にされてしまうラストに期待してほしい。★★★★★
「夏の落し文」は、友情や愛情の間に割って入り込もうとする目に見えない魔物がいると、それを物語はランドセルを背負い帽子を目深にかぶったのっぺらぼうの小さな少年に怪聞を告げる形で語らせている。見えないものを見えるものにするファンタジー小説の面白さがここにはある。電信柱の誰からか分からないメッセージが徐々に隠された過去の真実を告げる。それは悲しい出生の秘密だったけれど、弟の私に寄せた異兄の限りなく優しさに満ちたメッセージだった。兄の化身を待ちわびる弟の切ない夢のエンディングがいい。★★★
「栞の恋」は、邦子という若い女性が古本屋で見かけた青年に心を寄せて、その彼が手にした本に挟まれた栞を葉書代わりに交わすという実にロマンチックな発想の物語だが、それだけでは終わらない。前半は女性の青年に寄せる思いの丈が同じ棚から本を手にするたびに大きくなってゆく場面が綴られ、読者をすっかり恋人気分にさせてゆく。しかしある日、栞に「君は誰ですか」という問いかけが書かれていた。物語はむしろそこから始まる。恋焦がれる思いが空想の大きな翼を広げて飛翔した先は、夢見るようなことが待っているはずだったけれど、現実は女神のようには微笑んでくれなかった。恋の正体は悪戯と紙一重。でも今思えば、若かったあの頃の瑞々しい思い出だけはいつまでも大切にしておきたい。秘めた恋の証しとして、“心の栞”のままに。★★★★
「おんなごころ」は、せんない女に良くしてあげたのに後悔するスナックのママの独り言。というのも、可哀想な女心なんて結局男のおもちゃにされる結末が運命というのがママ初恵の正直な気持ちなのだ。ホステスの豊子ったら、うだつの上がらないチンピラのような男に惚れて、その男が馬鹿な死に方をしたら、そのあげく子供まで道連れにして死んじまうんだから。先に死んだ男が夜な夜な現れるなんて、気がふれるほどそんなに好かったのなら、どうしてアンタは子供まで死なせて男のいるあの世が好いって思ったのよ。バッカじゃないのアンタって女は。子供が可哀想過ぎるよ。アンタなんか、すっこしも可哀想でも何でもないんだってばさ。でも、読んでみて思った。女ってほんとに地獄まで行っちゃうんだよね。女の業って言うの。太宰が「死ぬ程の恋を僕としてみないか」なんて言って、女が本気になったら太宰はもう後に引けなくなったようにね。文学って凄いんだなって気がする。だからいいんだけど…。★★★
「ひかり猫」は、駆け出しの漫画家の「私」のアパートの部屋に猫のチャタローが毎晩通ってくるという野良猫との交流を描いた短編。「私」が出版社に持ち込むマンガはことごとくけなされてばかり。落ち込んでいたある晩、窓の鉄柵に人魂のような光が見えた。その動きが生き物のようでチャタローがどこかで死んで「私」の許へ帰ってきたのだろうと思った。手をかざすと掌の上に乗って軽い手触りがした。その後も毎晩光の球は現れ、少しずつ強い光を放つようになった。そのことを古本屋の店主に話すと、近所にあの世とつながっているお寺があるくらいだからそんなこともあるだろうという話を聞く。あんまり気にしないようにしてマンガを描いていたが一向に目が出ないでいた。やがて光の球は「私」の癒しの存在になっていた。しかしこの奇妙な出来事にはあの世とつながっているというお寺で猫の死骸を見つけアパートの庭に埋めてあげたという結末が待っている。もちろん、物語はそれだけでは終わらない。浅田次郎の好短編「Xie]を思い出したという次第だ。★★★
他二編。
かたみ歌 (新潮文庫)/朱川 湊人

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本との気持ち73
「スティーブ・ジョブズのプレゼン技術を学ぶ本」キム・キョンテ 著
(こう書房・1575円)
Macが出始めた頃、WYSIWYG(ウィジウィグ)という語句をパソコン誌などでよく目にした。What You See Is What You Getの略で 、「見たままが得られる」という訳だったかと思う。まん中のIs を省いてWYSWYGとも書かれた。この本もなるほどそのMacを1976年に作ったスティーブ・ジョブズが2005年に発売した新iMacとiPod、それにiTunesを発表したときのプレゼンテーション・ステージの紹介本で、編集自体がWYSWYGなのだ。
まずプレゼンテーションをするために何が大事かという疑問を提示して、それをスティーブ・ジョブズはステージでどう見せてどう解説して応えたか、そしてその解説のポイントは何なのかがまとめられ、最後にスティーブ・ジョブズの肉声代わりの英文と訳を載せている。それが29のChapterからなる一冊で、実に明快な論法がいかにも合理主義のアメリカ的と言った感じで、韓国人の著者もすっかりスティーブ・ジョブズになりきって書いている。こちらもまるでスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションの現場にいるようなリアル感を味わいながら読み進むことができた。
何年か前、Adobe Creative Suiteのアプリケーション発表会を東京フォーラムで見た。そのステージもAppleのプレゼンテーションにならってオープニングが実にショーアップされ、その後もカジュアルなファッションの紳士なプレゼンター達が次々に登場、ワイドなスクリーンにビジュアルな画面が展開、息をのむような感動の連続にすっかり虜にされた経験がある。その時の気分を思い出しながら読み進んでいるうちに、家にある少し古いMacが恋しくなってきた。その箱型のSE/30を押し入れから出して動かしてみた。すると、8インチのモノクロ画面にイラストレーターがまだドロータイプでしかできなかった懐かしい画面が立ち上がった。隔世の感を抱きながら、しばし放心状態に。「お互いMacに出会っていなかったら芥川賞だったんだけどなぁ」なんて友人と言い合って笑ったことも思い出した。Macはなかば僕の人生そのものだったかもしれない。
AppleのHPでも本書の生のスティーブ・ジョブズのプレゼンテーション・ステージを見ることができる。マックフリークにはたまらない一冊なのは間違いない。
スティーブ・ジョブズのプレゼン技術を学ぶ本/キム キョンテ

¥1,575
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(こう書房・1575円)
Macが出始めた頃、WYSIWYG(ウィジウィグ)という語句をパソコン誌などでよく目にした。What You See Is What You Getの略で 、「見たままが得られる」という訳だったかと思う。まん中のIs を省いてWYSWYGとも書かれた。この本もなるほどそのMacを1976年に作ったスティーブ・ジョブズが2005年に発売した新iMacとiPod、それにiTunesを発表したときのプレゼンテーション・ステージの紹介本で、編集自体がWYSWYGなのだ。
まずプレゼンテーションをするために何が大事かという疑問を提示して、それをスティーブ・ジョブズはステージでどう見せてどう解説して応えたか、そしてその解説のポイントは何なのかがまとめられ、最後にスティーブ・ジョブズの肉声代わりの英文と訳を載せている。それが29のChapterからなる一冊で、実に明快な論法がいかにも合理主義のアメリカ的と言った感じで、韓国人の著者もすっかりスティーブ・ジョブズになりきって書いている。こちらもまるでスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションの現場にいるようなリアル感を味わいながら読み進むことができた。
何年か前、Adobe Creative Suiteのアプリケーション発表会を東京フォーラムで見た。そのステージもAppleのプレゼンテーションにならってオープニングが実にショーアップされ、その後もカジュアルなファッションの紳士なプレゼンター達が次々に登場、ワイドなスクリーンにビジュアルな画面が展開、息をのむような感動の連続にすっかり虜にされた経験がある。その時の気分を思い出しながら読み進んでいるうちに、家にある少し古いMacが恋しくなってきた。その箱型のSE/30を押し入れから出して動かしてみた。すると、8インチのモノクロ画面にイラストレーターがまだドロータイプでしかできなかった懐かしい画面が立ち上がった。隔世の感を抱きながら、しばし放心状態に。「お互いMacに出会っていなかったら芥川賞だったんだけどなぁ」なんて友人と言い合って笑ったことも思い出した。Macはなかば僕の人生そのものだったかもしれない。
AppleのHPでも本書の生のスティーブ・ジョブズのプレゼンテーション・ステージを見ることができる。マックフリークにはたまらない一冊なのは間違いない。
スティーブ・ジョブズのプレゼン技術を学ぶ本/キム キョンテ

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本との気持ち72
「謎解きはディナーのあとで」東川篤哉
(小学館・1575円)
第1話の「殺人現場では靴はお脱ぎください」はアパートの部屋で若い女性が殺される殺人事件の犯人探し。宝生麗子という女性刑事と上司の風祭警部、それに麗子の豪邸の運転手の影山という執事の3人が、事件当時の状況証拠をめぐってそれぞれの推理を戦わせるストーリーだ。この3人が以下、5話でも同様に推理合戦を戦わす。でも決まって影山が人を食ったような冗談を交えて犯人を言い当ててしまう。彼はどこか刑事コロンボを思い出させるようでおもしろい。読み切り連載の形で、あまり難しく考えないで読み進んだ方が楽しく読めるかる~いミステリー小説です。マンガの原作みたいで、いくつも繰り出されてくる推理の展開をジェットコースターに乗ってるような気分で思い切りエンタメな気分で読むに限ります。で、他のストーリーはといえば、第2話「殺しのワインはいかがでしょう」、第3話「綺麗な薔薇には殺意がございます」、第4話「花嫁は密室の中でございます」、第5話「二股にはお気をつけください」、第6話「死者からの伝言をどうぞ」と、ほぼタイトル通りだから、あとはストーリーをお楽しみあれ。それにしてもこの本、厚くなってもいいからも少し字が大きいと良かったな。「どうぞ眼鏡をかけてお読みください」って言うの、どうかしら。
謎解きはディナーのあとで/東川 篤哉

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(小学館・1575円)
第1話の「殺人現場では靴はお脱ぎください」はアパートの部屋で若い女性が殺される殺人事件の犯人探し。宝生麗子という女性刑事と上司の風祭警部、それに麗子の豪邸の運転手の影山という執事の3人が、事件当時の状況証拠をめぐってそれぞれの推理を戦わせるストーリーだ。この3人が以下、5話でも同様に推理合戦を戦わす。でも決まって影山が人を食ったような冗談を交えて犯人を言い当ててしまう。彼はどこか刑事コロンボを思い出させるようでおもしろい。読み切り連載の形で、あまり難しく考えないで読み進んだ方が楽しく読めるかる~いミステリー小説です。マンガの原作みたいで、いくつも繰り出されてくる推理の展開をジェットコースターに乗ってるような気分で思い切りエンタメな気分で読むに限ります。で、他のストーリーはといえば、第2話「殺しのワインはいかがでしょう」、第3話「綺麗な薔薇には殺意がございます」、第4話「花嫁は密室の中でございます」、第5話「二股にはお気をつけください」、第6話「死者からの伝言をどうぞ」と、ほぼタイトル通りだから、あとはストーリーをお楽しみあれ。それにしてもこの本、厚くなってもいいからも少し字が大きいと良かったな。「どうぞ眼鏡をかけてお読みください」って言うの、どうかしら。
謎解きはディナーのあとで/東川 篤哉

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