「聖書の人物名しりとり」などをして無理にでも覚えるというような信仰だった。
学校でも教科書ぜんぶは覚えなくていい。テストに出る重要な箇所だけでいいのだ。
しかしクリスチャンは聖書を丸暗記した方が素晴らしい信仰だという。
しかも新約聖書の始めは「系図」である。だから「系図」と「人物名」もしっかりと覚えないと正しい信仰に入れないという。旧約聖書に至っては族長や王などの人物名や地域名などがたくさん出て来る(出エジプト、レビ記、民数記)もあり、歴代志(上)は始めから系図と人物名のオンパレードである。
これも全部覚えなければならないという教えに、完全につまずいた。
実は記憶力が悪い方である。「覚えようとしないから!」と怒られるが、最近になって「人の顔や人物名」を忘れる体質のようなものがあることが判明している。
ブラッドビットがカミングアウトして知られるようになったのが「相貌失認」という病気です。出会った時は顔と名前を覚えようと努力するのだが、月日が経つと完全に忘れてしまう。それで多くの人たちに誤解されて信頼を失ったと告白されたのです。
この話を聞いて自分も少しそれに近いと思った。配達の仕事をしている時、道や人物名がなかなか覚えられないし忘れるのでメモに書かないといけなかった。
それで教会では聖書を暗記しないと、系図や人物名を覚えていないと「聖書をまじめに読んでいるのか?」「出来の悪いクリスチャン」というようなレッテルをはられるみたいだったので、「これが道・真理・命であるキリストの教えか?まだ世の中の教えの方がマシ」だと思っていました。
しかし三浦光世氏との出逢いで救われました。三浦氏は腰が低く「ミスター謙遜」だと思うくらいでした。毎年のように年賀状もくださって、すっかりファンになりました。
それから三浦綾子さんの本をたくさん頂いたので読みました。
その著書「新約聖書入門」の中に、求道中時代の綾子さんは前川さんとの約束で新約聖書を読むことになるのですが、最初の1ページ「系図」でつまずいたのです。
実は1年前に他の人から新約聖書をもらったのですが、最初でつまずいて読んでなかったそうです。「この系図を見て「これは面白そうだ」と思われる方があったら、お便りを頂きたいものである。この系図を一字も飛ばさずに読まれた方は幾人いるだろう。私は前川と約束したから仕方なしに読んだ」と言われています。
綾子さんが「系図」について調べると、バーグレーの注解書によると、ユダヤ人は民族の純潔を尊んだからです。外国人の血が少しでも流れている人間はユダヤ人と呼ばれる資格がなかった。
神に仕える祭司は系図を提出することを義務づけて一ヶ所に保存しなければならなかった。だからユダヤ人にとって系図は非常に興味があり重要視したものであったので、聖書にはよく系図や人物名が明記されていると言うことでした。
ですから系図や人物名が重要ではなく、実はイエスキリストの系図の人物の証が重要でした。そしてユダヤ人にとって「イエスキリストの系図と人物名」は「問題だらけ」でした。
「ユダはタマルによるパレスとザラとの父」このタマルはユダの息子の嫁であった。嫁は遊女の姿をして、夫のお父さんを誘惑して、その姦淫で出来た子がパレスとザラである。
「サルモンはラハブによるポアズの父」このラハブは遊女である。
「ボアズはルツによるオベデの父」ルツはユダヤ人の忌み嫌う外国人である。
「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父」不倫・姦淫・殺人によって夫婦となった次男がソロモンです。
つまりイエスキリストの系図には必ずしも聖なる人々だけが登場しているのではない。かえってユダヤ人の嫌った外国の女、姦通をした男女、遊女などを際立たせるようにして書いてある。
これはつまり、キリスト教の思想を端的に現している。すなわち人間に対する無差別、平等の思想の現われである。
また神の子キリストは、このような罪深い世界に生まれて来たということを物語っている。汚辱にまみれた世にこそ、イエスの誕生の秘義があったのである。と系図について解き明かされました。
また「系図」は退屈であるということは「一つの関門」であると思う。と言われた綾子さんは、その系図や人物名を覚えることが重要ではなく、その系図や人物名を通して「神様はすべての罪人を愛されている」ことを証明されていることが重要なことだと教えられるのです。
聖書を正しく読むとは「神様はすべての罪人を愛されている。御子イエスキリストの十字架の贖いにより、すべての罪は赦された」ということが心に響いたり刻まれるようなことなのです。
聖書を無理に丸暗記しなくても良い。神は愛です!物忘れな体質な人たちもいます。必死で覚えようと努力しても出来ない人たちもいます。学校での勉強で暗記することに疲れ果ててトラウマになっている人たちもいます。
神は愛です!聖書を暗記しようとして苦しみながら読むのではなく、神の愛が伝わってくるような、神の御心を知りたいと思いながら楽しむような読み方を神様は望まれているでしょう。
三浦綾子さんの著書を通してでも、正しい聖書と系図の読み方を伝えて行きます。