こんばんは。
今回は、僕の大好きな作家の一人向田邦子さんのことを書いてみたいと思います。
今年で没後30年だそうです。1981年8月、台湾旅行中に飛行機事故で亡くなられたんですよね。当時、僕はまだ子どもでしたけど衝撃的な出来事として憶えています。
今、本屋さんへ行くと、「没後30年 向田邦子ふたたび」という文庫本が平積みされています。いつの時代も人気が衰えない方ですね。つい最近もNHKのBSプレミアムで猫を愛した作家の一人として、夏目漱石や内田百聞などと一緒に取り上げられてましたっけ。僕も猫を飼ってますし、すごく良く分かるんですよ~。
「向田邦子ふたたび」の最初に向田さんが飼われていた猫のマハシャイ・マミオくんのことが書かれています。マハシャイはタイ語で伯爵のことだそうです。向田さんが亡くなった後、マミオくんは3カ月間一歩も自分の部屋から出ず食事もあまり受け付けなかったそうです。それから妹の和子さんに引き取られ4年後に亡くなったそうです。こういう話を聞くたびに、猫好きとしてはつらい気持ちになりますね。でも和子さんが向田さんに代わって、一生懸命に世話をして見送ってあげたのだから幸せな一生だったと思いますね。
マミオくんは。
僕の飼っているトロンも、いつも食事をあげている父が旅行とかで留守をすると一日中キョロキョロと家中をうろうろと探し回るんですよ。僕が側にいるのに、「なんだよ~、お前は僕より父の方が好きなのかあ~。」と淋しくなったりする僕って変ですね(笑)
僕は向田さんが書かれた今も名作と呼ばれているドラマの数々は年齢的にタイムリーには見ていないんです。すべて後で再放送かDVDやCS放送のTBSチャンネルで見た世代です。
僕の向田ドラマの初体験は向田さんが亡くなった後に再放送で見た「寺内貫太郎一家」でした。これは子どもが見ても楽しくて、大好きな西城秀樹さんが出ているし、樹木希林さん演じるおばあちゃんが自分の部屋に貼ってあるジュリーのポスターの前で「ジュリー~」と身悶えするシーンをいつかいつかと待っていたのを憶えてます。貫太郎のキャラクターは、向田さんのお父様が投影されているそうですね。久世光彦さんの演出も斬新で、向田さんの思うように書かれた作品だそうです。
向田さんが亡くなった後、1985年から久世光彦さん演出で「向田邦子新春シリーズ」が
始まります。これは向田さんが生前に書かれたエッセイなどからドラマになりそうなエピソードを集め、向田さんと親交のあった脚本家の方が一つのストーリーにまとめて2時間のスペシャルドラマとして毎年お正月に放送されていました。久世さんが亡くなるまで続いたんでしょうか。
このシリーズはとても丁寧な作りで久世さんの長年の親友(戦友)であった向田さんに対する愛情があふれているようなドラマで、毎年、お正月に見るのが楽しみでした。僕がこのシリーズで印象深い作品は「麗子の足」、「わが母の教えたまいし」「いとこ同士」などあるのですが一番心に残っているのは大好きないしだあゆみさんが主演された「夜中の薔薇」という作品です。見た当時はまだ子どもだったので記憶が曖昧だったのですが心に引っかかっていた作品だったのです。それが何年か前にCSのTBSチャンネルでこのシリーズが一挙に放送されてあらためて見てみたら、とても深く胸をえぐられるようなドラマでした。心の奥に潜む、おさえきれない熱情に押しつぶされた一人の女性の悲しさが見事に描きだされていました。いしだあゆみさんがまたこの役にびったりなんです!DVD化されてますから興味のある方は是非見て欲しいドラマの一つです。
あと向田さんが書いたドラマで好きなのは1981年桃井かおりさん、浅丘ルリ子さん、根津甚八さん主演で制作された「隣りの女」。向田作品初の海外ロケ作品です。去年、原作の小説が文春文庫から新装版で出たので原作も読んだんですけど、うまいですよね~。向田さんの書かれたものを読むといつもうまいなあ~と心の中でつぶやいてしまいます。
桃井さんは鉄で出来た階段をカンカンと音を立てて上る2階建てのアバートに住んでいて、結婚はしているけれど、内職でミシン掛けをしている平凡な主婦なんです。隣に住んでいるのが浅丘さん演じるスナックのママ。昼間から若い男が部屋に来ていて、この男が根津さん。二人の会話が壁の向こうから聞こえるんです。桃井さんはこれを聞くのが密かな楽しみなんですよ。僕がうまいなあと思うのは根津さんが浅丘さんの耳元で上越線の駅の名前を上野から順に囁く声が壁づたいに聞こえてやがて壁が揺れ始めるというシーンです。ベッドシーンを見せなくてもエロティックな表現が出来るというお手本ですね。その方がどれだけセクシャルか知れないと思います。向田さんが書いたドラマには絶対ないですもんね。ベットシーン。僕はそういうところも好きなんです。
「向田邦子ふたたび」の中に吉行淳之介さんとの対談がのってるのですが、「隣りの女」が放送されたすぐ後らしく吉行さんもドラマを見たそうなんですね。で、吉行さんにはあるシーンに不満があったらしいのです。ドラマの中で根津さんが桃井さんの口に甘栗をほおりこむシーンがあるのですがその前の設定と甘栗をほおりこんだ数について書かれていて、吉行さんの言うこともすご~く分かるんですよね~。吉行さんは男と女の性愛を追求された作家だからでしょうね。「向田邦子は男女の機微にやや疎いな、と思った」と言われてるんです。僕もちょっとそれは分かる気がするんですよ~。僕、吉行さんの小説も大好きなので。
女を描く時は「阿修羅のごとく」のように辛辣に容赦なく徹底的に描き切るのに、男に関してはちょっと甘いところがありますよね。男性の作家が女性を描くとどうしても男にとって理想的な女性像になってしまうような感じなのかなあ。
向田さんはこう言われてます。
「女は普通の顔に菩薩の笑みを浮かべ、普通の顔そして心に鬼を棲まわせる。だから女は可愛いし、だから女は嫌らしい。」と。辛辣でしょう?
なんだか長くなってしまいましたね。もっと書きたいことはあるんですけど…「冬の運動会」や「家族熱」、ジュリーが光源氏を演じた「源氏物語」のこととか。「阿修羅のごとく」のことも。松本清張さんの「駅路」という作品を脚色した「最後の自画像」も素晴らしいドラマでした。
向田さんが生きていれば、今どんな作品を書いてくれたでしょう。そんなこと考えても仕方のないことですけどね。
最後に向田さんの言葉で印象的だったものを書きますね。
「友達との間にも男と女だってそう。何もかも理解し許し合っているはずの家族の間にだって不運は平気で入り込んでくる。誰かのちょっとした気の弛みのせいであることもあれば、誰のせいでもないように思われることだってよくある。でもきっと不運には何かしら
理由があるのだ。」
「優しい気持ちだけではいられない。いろんなことが絶えず私たちのまわりにあり、そんな中をいつも私たちは泳いでいるのだ。」
「生きるということを大切にしなければ。」
「卑しい人間にはなりたくない。」
ほんとうに何気ない普通のことを言われているのに読むとハッとさせられる文章の名人だと思います。向田さんの書かれているものを読むと日本語の優しさや暖かさにいつも気づかされます。
僕にとって向田邦子という作家は、「人は誠実でなければ」と教えてくれる、大好きな作家の一人です。
今回は、僕の大好きな作家の一人向田邦子さんのことを書いてみたいと思います。
今年で没後30年だそうです。1981年8月、台湾旅行中に飛行機事故で亡くなられたんですよね。当時、僕はまだ子どもでしたけど衝撃的な出来事として憶えています。
今、本屋さんへ行くと、「没後30年 向田邦子ふたたび」という文庫本が平積みされています。いつの時代も人気が衰えない方ですね。つい最近もNHKのBSプレミアムで猫を愛した作家の一人として、夏目漱石や内田百聞などと一緒に取り上げられてましたっけ。僕も猫を飼ってますし、すごく良く分かるんですよ~。
「向田邦子ふたたび」の最初に向田さんが飼われていた猫のマハシャイ・マミオくんのことが書かれています。マハシャイはタイ語で伯爵のことだそうです。向田さんが亡くなった後、マミオくんは3カ月間一歩も自分の部屋から出ず食事もあまり受け付けなかったそうです。それから妹の和子さんに引き取られ4年後に亡くなったそうです。こういう話を聞くたびに、猫好きとしてはつらい気持ちになりますね。でも和子さんが向田さんに代わって、一生懸命に世話をして見送ってあげたのだから幸せな一生だったと思いますね。
マミオくんは。
僕の飼っているトロンも、いつも食事をあげている父が旅行とかで留守をすると一日中キョロキョロと家中をうろうろと探し回るんですよ。僕が側にいるのに、「なんだよ~、お前は僕より父の方が好きなのかあ~。」と淋しくなったりする僕って変ですね(笑)
僕は向田さんが書かれた今も名作と呼ばれているドラマの数々は年齢的にタイムリーには見ていないんです。すべて後で再放送かDVDやCS放送のTBSチャンネルで見た世代です。
僕の向田ドラマの初体験は向田さんが亡くなった後に再放送で見た「寺内貫太郎一家」でした。これは子どもが見ても楽しくて、大好きな西城秀樹さんが出ているし、樹木希林さん演じるおばあちゃんが自分の部屋に貼ってあるジュリーのポスターの前で「ジュリー~」と身悶えするシーンをいつかいつかと待っていたのを憶えてます。貫太郎のキャラクターは、向田さんのお父様が投影されているそうですね。久世光彦さんの演出も斬新で、向田さんの思うように書かれた作品だそうです。
向田さんが亡くなった後、1985年から久世光彦さん演出で「向田邦子新春シリーズ」が
始まります。これは向田さんが生前に書かれたエッセイなどからドラマになりそうなエピソードを集め、向田さんと親交のあった脚本家の方が一つのストーリーにまとめて2時間のスペシャルドラマとして毎年お正月に放送されていました。久世さんが亡くなるまで続いたんでしょうか。
このシリーズはとても丁寧な作りで久世さんの長年の親友(戦友)であった向田さんに対する愛情があふれているようなドラマで、毎年、お正月に見るのが楽しみでした。僕がこのシリーズで印象深い作品は「麗子の足」、「わが母の教えたまいし」「いとこ同士」などあるのですが一番心に残っているのは大好きないしだあゆみさんが主演された「夜中の薔薇」という作品です。見た当時はまだ子どもだったので記憶が曖昧だったのですが心に引っかかっていた作品だったのです。それが何年か前にCSのTBSチャンネルでこのシリーズが一挙に放送されてあらためて見てみたら、とても深く胸をえぐられるようなドラマでした。心の奥に潜む、おさえきれない熱情に押しつぶされた一人の女性の悲しさが見事に描きだされていました。いしだあゆみさんがまたこの役にびったりなんです!DVD化されてますから興味のある方は是非見て欲しいドラマの一つです。
あと向田さんが書いたドラマで好きなのは1981年桃井かおりさん、浅丘ルリ子さん、根津甚八さん主演で制作された「隣りの女」。向田作品初の海外ロケ作品です。去年、原作の小説が文春文庫から新装版で出たので原作も読んだんですけど、うまいですよね~。向田さんの書かれたものを読むといつもうまいなあ~と心の中でつぶやいてしまいます。
桃井さんは鉄で出来た階段をカンカンと音を立てて上る2階建てのアバートに住んでいて、結婚はしているけれど、内職でミシン掛けをしている平凡な主婦なんです。隣に住んでいるのが浅丘さん演じるスナックのママ。昼間から若い男が部屋に来ていて、この男が根津さん。二人の会話が壁の向こうから聞こえるんです。桃井さんはこれを聞くのが密かな楽しみなんですよ。僕がうまいなあと思うのは根津さんが浅丘さんの耳元で上越線の駅の名前を上野から順に囁く声が壁づたいに聞こえてやがて壁が揺れ始めるというシーンです。ベッドシーンを見せなくてもエロティックな表現が出来るというお手本ですね。その方がどれだけセクシャルか知れないと思います。向田さんが書いたドラマには絶対ないですもんね。ベットシーン。僕はそういうところも好きなんです。
「向田邦子ふたたび」の中に吉行淳之介さんとの対談がのってるのですが、「隣りの女」が放送されたすぐ後らしく吉行さんもドラマを見たそうなんですね。で、吉行さんにはあるシーンに不満があったらしいのです。ドラマの中で根津さんが桃井さんの口に甘栗をほおりこむシーンがあるのですがその前の設定と甘栗をほおりこんだ数について書かれていて、吉行さんの言うこともすご~く分かるんですよね~。吉行さんは男と女の性愛を追求された作家だからでしょうね。「向田邦子は男女の機微にやや疎いな、と思った」と言われてるんです。僕もちょっとそれは分かる気がするんですよ~。僕、吉行さんの小説も大好きなので。
女を描く時は「阿修羅のごとく」のように辛辣に容赦なく徹底的に描き切るのに、男に関してはちょっと甘いところがありますよね。男性の作家が女性を描くとどうしても男にとって理想的な女性像になってしまうような感じなのかなあ。
向田さんはこう言われてます。
「女は普通の顔に菩薩の笑みを浮かべ、普通の顔そして心に鬼を棲まわせる。だから女は可愛いし、だから女は嫌らしい。」と。辛辣でしょう?
なんだか長くなってしまいましたね。もっと書きたいことはあるんですけど…「冬の運動会」や「家族熱」、ジュリーが光源氏を演じた「源氏物語」のこととか。「阿修羅のごとく」のことも。松本清張さんの「駅路」という作品を脚色した「最後の自画像」も素晴らしいドラマでした。
向田さんが生きていれば、今どんな作品を書いてくれたでしょう。そんなこと考えても仕方のないことですけどね。
最後に向田さんの言葉で印象的だったものを書きますね。
「友達との間にも男と女だってそう。何もかも理解し許し合っているはずの家族の間にだって不運は平気で入り込んでくる。誰かのちょっとした気の弛みのせいであることもあれば、誰のせいでもないように思われることだってよくある。でもきっと不運には何かしら
理由があるのだ。」
「優しい気持ちだけではいられない。いろんなことが絶えず私たちのまわりにあり、そんな中をいつも私たちは泳いでいるのだ。」
「生きるということを大切にしなければ。」
「卑しい人間にはなりたくない。」
ほんとうに何気ない普通のことを言われているのに読むとハッとさせられる文章の名人だと思います。向田さんの書かれているものを読むと日本語の優しさや暖かさにいつも気づかされます。
僕にとって向田邦子という作家は、「人は誠実でなければ」と教えてくれる、大好きな作家の一人です。