今年の秋はどこに行こうか、京都はどうなのかと妻と相談するも、今年の紅葉時期は遅く京都で一番早い高尾三山が今とのことだし、そこは妻は興味なく、宿泊場所も難しいとのことで探していると、サンルート彦根ツイン、朝食(1200円)と彦根城玄宮園夜間入場券(700円)付きで一泊8100円を発見!ということで今年の紅葉は「日本の紅葉の名所百選」の湖東三山と日本遺産・永源寺を目指すことにしたのです。
「日本紅葉の名所百選」に選定されている滋賀県「湖東三山」とは、琵琶湖の東、鈴鹿山の麓、湖東平野の山裾に佇む百済寺・金剛輪寺・西明寺の3っのお寺総称です。直線距離にしてわずか7kmの間に天台宗の3っの寺院が並んでいるためそう呼ばれているのですが、貴重な仏像や四季折々の花で彩られた庭園を有する名刹です。特にいずれも秋には燃えるようなカエデに包まれm関西屈指の名所です。
朝4時いつもの夜討ち朝駆けで出発し名神湖東三山スマートICを出て目指すは愛荘町にある「松峯山 金剛輪寺」です。8:30開門とのことですが少し早目に入れていただきました。今から1200年以上の昔、聖武天皇と行基菩薩により天平13年(741)に開山された天台の巨刹です。 秋はヤマモミジやイロハカエデを中心に全山が色鮮やかに紅葉し「血染めのもみじ」と呼ばれるほどに深紅に染まります。
黒門とも呼ばれる江戸時代建立の総門をくぐってすぐの境内の右手にあるお食事処「華楽坊」では精進料理がいただけますが、今日は朝一番ですので左に白門から本坊の明寿院を覗きつつ、本堂までの300mの参道を駆け上がっていきます。
途中には参道沿いに1800体のかわいらしいお地蔵さん「千体地蔵」が安置されています。
参道を上った先に二天門があります。向かって右に増長天、左に持国天をまつっています。本堂まで上ると、待っているのは真っ赤に色づく「血染めのもみじ」。心地よい風に吹かれて眺める景色は、長い参道を上ってきたご褒美のようで、心にしみます。
国宝の本堂は「大悲閣」と呼ばれ簡素で飾り気のない鎌倉時代の代表的な建築様式を伝えていて、元寇の戦勝記念として近江守護佐々木頼綱(六角頼綱)によって建立された天平大悲閣と呼ばれるものです。本尊の聖観世音菩薩像(秘仏)をはじめ多くの仏像や寺宝が残っています。
「血染めのもみじ」の言い伝えは、行基が一刀三礼で観音像を彫っていたところ、ある日、観音様の木肌から一筋の赤い血が流れ出し、彫るのをやめたということから「生身の観音」と称され、境内の紅葉はその血で染められたように紅く染まったとのことです。
この時期は日本最古の大黒天が特別公開されています。平安時代の作で頭上に冠を戴き、甲を着けて憤怒の相をしておられます。古式の大黒天で伝教大師のご請来とつたわります。もちろん金運の神様ということで妻はお守りを買っていました。
名勝 明寿院庭園へは白門をくぐります。
書院を中心に三つの池庭が連続する池泉回遊式庭園で南庭は桃山時代、主庭をなす東庭は江戸時代初期、北庭は江戸時代中期の作と推定される三庭からなります。作者不詳ですが老杉蒼松の自然を背景に、灯籠泉石樹木の配置が素晴らしく紅葉がこの時期映えます。
続いて最も北に位置する甲良町の「龍應山 西明寺」へ。惣門をくぐり参道に入ると境内には350年以上の樹齢を誇る古木もある、約1000本ものカエデが豪華絢爛な秋の装いを見せてくれますし、360度背の高いモミジに覆われた、苔生す大地の絶景が目に入ります。上を見あげると赤や黄色に染められた空、下を見下ろすと緑の絨毯で美しい日本の秋を感じるのです。2015年5月米CNNのWeb特集で「日本の美しい風景31選」に選ばれたのもうなずけます。
平安時代初期の承和元年(834)三修上人が仁明天皇の勅願により開創され、 「日本100の古寺」の中に選ばれた天台宗の古刹です。織田信長によって焼討ちされましたが、国宝第一号指定の本堂や総檜造りの三重塔、 室町時代初期建立の二天門が火難を逃れ現存していて、歴史を今に伝える貴重な建築物と、紅葉が織り成す絶景はじっくり見ておきたいものです。
本堂内には頭に干支の動物の顔を乗せた十二神将はユーモラスな親しみやすさが特徴で「えと寺」としても有名です。しかし写真んを撮れないのが残念です。
西明寺の紅葉を楽しむなら国指定の名勝にも指定されている「西明寺本坊庭園」別名「蓬莱庭」がおすすめです。山の傾斜を利用した池泉観賞式庭園は、江戸時代中期に望月越中守友閑によって造られたものです。折り鶴の鶴島と亀島がある心字池を囲む美しく刈り込まれた木々は雲を表し、薬師の浄瑠璃浄土を具現化し、本堂に祀る仏像を立石群で表した庭園に紅葉の美しさが加わった景色を楽しむことができます。秋、冬、春と咲き続ける樹齢250年の不断桜と一緒に紅葉が楽しめます。
湖東三山で一番南、東近江市にあるのが近江最古級の古刹「釈迦山 百済寺」です。今から1410年程前の推古14年(606)に聖徳太子が「近江の仏教拠点」のひとつとして百済人の為に創建され、重厚な石垣に覆われた山城の趣きが漂う天台宗の寺院です。本尊「植木観音」は、韓国龍雲寺本尊と同木二体であったと伝わり、御堂は古代の朝鮮半島南西部にあった国家「百済国」の凡閣龍雲寺を模して造られています。
かつては「天台別院」と称されるほど中核部の僧坊が300余坊あったとも言われ、またルイス・フロイスが「地上の天国一千坊」と賞するほどの大寺院で、琵琶湖対岸の比叡山になぞられ「湖東の小叡山」と称されました。「赤門」と呼ばれる朱塗りの山門をくぐると旧本堂跡へと一直線に長い石段の参道が続きます。
やがて仁王門が見えてきます。仁王門正面には、約2.5mの大迫力の大草履が掛けられています。願いを込めて触れると身体健康、無病長寿のご利益があるとのこと。
「百寺巡礼」の作家・五木寛之氏が命名した「石垣にそびえる空中楼閣」の本堂で如意輪観音半跏思惟像と聖観音坐像は美仏の代表なので是非拝んでみたい仏さまです。傍らには織田信長の焼討時の猛火にも耐え、見事に蘇った強運厄除の樹「千年菩提樹」が佇んでいます。
参道脇の上に残された平らな土地はかつての「僧坊」跡です。天正元年(1573)4月11日の信長の焼討ちに遭い往時の姿は「石垣参道」、棚田のような 「坊跡遺構」からしか偲ぶことができませんが幾度もの兵火や火災をくぐり抜けてきた寺の境内を1300本のカエデが美しく彩ります。(今年はまだ早かった)
百済寺の紅葉でまず見るべきところは、「天下遠望の名庭」と言われ、「日本の名庭100選」にも選ばれている池泉回遊式庭園「庭園本坊」です。東側の山腹を利用して造られ自然に谷川の水が注ぐ池に巨岩を配した豪華な造りです。
本坊喜見院の展望台からは、遠く琵琶湖や比叡山が一望できます。
昼食は、琵琶湖の南東に広がる東近江一帯は、田園地帯や近江商人の歴史を色濃く残す古い街並みがあり、どこかおおらかでのどか、心をゆるりとほぐしてくれる空気が流れていています。そんなことを感じながら車を走らせて矢先に現れる存在感のある一軒家「そば処 藤村」です。
暖簾をくぐり京都の町家を思わせる長いアプローチを抜けると窓の外に映える鮮やかな木々が見事な借景となって目に飛び込んできます。
テーブルは杉の一枚板、椅子は飛騨高山製とモダンと自然が融合した居心地のいい空間である。
長野で修業したという店主の打つそばは、シンプルイズベスト。関東風のやや濃い目のつゆと中細の弾力のあるほどよいコシのある蕎麦は、ひさびさに美味い蕎麦です。蟻巣石の石臼で挽いて香りと甘みを引き出したそば粉を井戸水を使って打っていて、清涼感のあるつるりとのご越しのよいなめらかな食感です。そば湯もトロリ系で最高!
やはり食後はカフェとばかりにバームクーヘンでお馴染みのたねや「クラブハリエ 八日市の社」に向かう。森のように木が茂る「若松天神社」の境内にあり、木に覆われているので見落としてしまいそうです。お店の入口もウッディな感じで、村の鎮守の社の境内に包まれ、静かで清らかな空気が漂っています。
この店だけのショコラバームは外せないと店内のカフェへ。カウンターで先に注文して会計をすませてしまいます。入口には炎のオブジェ、カフェはシックで落ち着いた雰囲気になっていて中央に大きなテーブル、その周りに一人~二人用のソファ席や四人掛けや六人掛けのテーブル席など幅広くそろっています。
小生が頼んだのは八日市の社限定のショコラバームとドリンクがセットになった「焼き立てショコラバームセット1100円」。お皿にチョコレートソースがたっぷりと敷かれその上に焼き立てショコラバームと生クリームが載っています。生クリームとチョコレートソースをたっぷりつけていただきます。ショコラバームが焼き立てなのでふんわりとしてオイシイ。
妻は席で仕上げてくれるスペシャルなデザート「デセールショコラバーム1800円」とコーヒー500円、うーん
窓から見える木々を見ながら休日の昼さがり静かな時間を落ち着いてのんびりとすごせます。
因みに予約制ですが「シェフズカウンター」といってチョコレートシェフのデザートコースが目の前でいただけます。
さてゆったり寛いだのでそろそろ今夜の宿泊地彦根に八日市ICから彦根ICに向かいます。宿泊ホテル「サンルート彦根」に車を停めてまずは夕食まで「彦根城」を見学する。何度も来ているが妻は忘れているのが悲しい。江戸時代以前に築かれた天守閣が現存するのは全国に12しかなく、滋賀県彦根市の彦根城は国宝5天守のその一つです。2007年の築城400年祭で、ゆるキャラの先駆けとなる「ひこにゃん」が登場し注目度が高まっているのです。
「彦根城」は彦根藩・井伊家35万石の居城で、徳川四天王の一人だった井伊直政が1602年に亡くなった後、家老の木俣守勝が遺志を継いで築城し、元和8年(1622)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。建物が近隣の城から移築されたのが大きな特徴で、天守は大津城から太鼓門櫓などは佐和山城から、天秤櫓は長浜城から、西の丸三重櫓は小谷城からとそれぞれ移され、近江に残る豊臣色を一掃するのが目的であったと言われています。保存状態が良く
、破風と呼ばれる軒の装飾に施された金の橘など美しい意匠を随所に見ることが出来る、美デザインの宝庫である天守は1952年、国宝に指定されている。特に元々大津城の多彩な破風を組み合わせた変化に富んだデザインの天守は、関ヶ原の戦いで西軍の猛攻にも落城しなかった”めでたい”天守として移築されたのである。天守から琵琶湖など近隣の一帯を見渡すことが出来、佐和山城も近くに見える。
交通の要衛に位置し、西国の外様大名を監視する役割を担っていた彦根城は難攻不落と呼ぶにふさわしい造りで中堀と内堀に囲まれ、京橋口、佐和口など4箇所の入口が設けられています。佐和口に向かって左翼に伸びる白壁の櫓、佐和口多聞櫓から内堀に入ります。築城当時の二の丸佐和口多聞櫓は佐和山城から運ばれてきました。
佐和口に向かう「いろは松」という松並木は47本あったのでこの名が付けられました。現在は33本ですが当時の面影が偲ばれつ通りです。そのかたわらにあるのが幕末の大老井伊直弼が青春時代を過ごした館「埋木舎」です。開国の父となった才能の礎はこの館で暮らした時代に培われたと思うと感慨深いものがあります。お土産に埋木舎にちなんで名付けられた」。いと重菓子舗の「埋れ木」を買います。
平野の中に築かれた平山城ですが、本丸や西の丸などの中心部は山の地形を利用して設置され、大堀切やつづら折りの登城路など、近世城郭でありながら山城の要素も併せもちます。高低差は50Mあり、表門橋を渡ると結構急な石段を登ることになります。
彦根城の特徴の一つに5箇所に築かれた「登り石垣」があり、急斜面を登るように作られた石垣で、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、朝鮮半島に築いた倭城で防御を固めるために採用された手法で国内では松山城などわずかしか残っていないとのこと。
表門山道を上がると大堀切にかかる廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央にして建てられているのが左右対象の形をした天秤櫓です。まるで天秤のような形をしていることから呼ばれているのですが、日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。かつては屋根があったといわれ、これも長浜城大手門を移築されたものです。石垣は右側が築城当時の牛蒡積み、左側が江戸後期の改修による落とし積みになっています。
左手に「時報鐘」を見ながらさらに上ります。城全体に響くようにと鐘の丸から移されたもので、今も定時につかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。
上った先が登城合図用の太鼓を響かせたといわれる本丸への最後の関門である太鼓門櫓です。登城合図用太鼓の音を響かせるように東側の壁がなく、柱の間に高欄をつけ廊下にしています。幾重にも折れ曲がる難攻不落な登城路を経て天守のある本丸にたどり着きます。
彦根城最大の見どころは、国宝の天守です。奥行きのある胴長石を利用したどっしりとした牛蒡積みの天守台に、いくつもの破風を巧みに立体的に組み合わせ、美しい曲線の調和をみせる三階三重の天守が鎮座しています。京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607)頃に完成しました。
当時は18万石の時代で高さは約21mとコンパクトなつくりも古式で漆喰の白壁のせいかシンプルな印象ですが、粋な雰囲気があります。その秘密は壁面を所狭しと飾る「破風」です。丸みをおびた唐破風や千鳥破風、切妻破風をバランスよく絶妙に配されています。また寺社建築に用いられる「花頭窓」が二重目、三重目に連続するもの彦根城だけです。
梁行に対して桁行の長い長方形のため、南・北面はどっしりと、東・西面はきりりと端正に見えるのも特徴でお気に入りの写真アングルを探してみるのもよい。
西の丸から山崎山道を下り、黒門橋を渡って「玄宮園」に入ります。城の北東にある大名庭園で中国の瀟湘八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられた縮景園。第4代藩主井伊直興が延宝5年(1677)に造営した天守が借景となった池泉回遊式庭園です。
中央に掘られた池泉には4つの中島が築かれ、さまざまな形式の橋が架けられて自由な回遊性を確保するとともに庭園内の景観にもなっています。静かに流れる時間が旅の疲れを癒してくれます。
隣接する楽々園は彦根藩の下屋敷(槻御殿)の建物部分で井伊直弼はここで生まれました。
ホテルにチェックインして彦根城玄宮園ライトアップ(18時~21時)に開園時間を待ちます。この期間は彦根城界隈での「城あかり」も開催されていて、いろは松から望む佐和口多聞櫓に映る井伊家の橘の紋は圧巻です。
夜間入場は18時からなので入口に向かいます。
ひこにゃんは彦根藩2代目藩主井伊直孝公をお寺の門前で手招きして落雷から救ったと伝えられる招き猫と井伊家のシンボルである赤備えの兜を合体させたキャラクターで登場時間が決まっいます。今回は6時の開門に合わせて提灯をもってお出向かいしてくれていました。
錦秋の玄宮園ライトアップは、紅葉が彩る幻想的な空間。昼間とは違う異空間でゆったりとした時間を過ごせます。