上毛三山は信仰の山!妙義山に続いて榛名山と伊香保温泉ドライブ | サラリーマンおやじのさえずり小鳥っぷ(小旅行)

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赤城・榛名・妙義の「上毛三山」は信仰の山でそれぞれ壮大な縁起を秘め、神秘的な雰囲気に包まれたワースポットです。榛名山の中腹に位置し、927年に完成した「延喜式神名帳」にも記されている格式の高い神社である「榛名神社」は、創建が6世紀後半、第31代用明天皇の時代(585~587年)といわれ、1400年を越える歴史を持ちます。主祭神として火の神「火産霊神」と土の神「埴山毘売神」を祀り、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。

 

 

巌山という一宇15万㎡の敷地内に鎮座する榛名神社の参道は、神社の入り口より約700mを清流に沿い、老杉が空を覆い、巨岩巨石に心打たれる修験道の霊場で、その清浄な雰囲気からパワースポットとして関心を集めています。

 

随神門」は弘化4年(1847)の建立で、入母屋造、瓦棒銅板葺きの八脚門です。もともとは榛名山巌殿寺と称されたお寺の仁王門でしたが、神仏分離令が出されてから随神門と呼ぶようになりました。

 

 

随神門をくぐると右手に七福神のひとり、長寿延命・富貴長寿の神「寿老人」像があります。境内にはいたるところに七福神像があるのでパワーがいただけそうです。榛名川に架かる赤い橋が「禊橋」で榛名川の水のエネルギーで心身を清めます。

 

 

奥へ続く参道は本殿まで約700mほどあり、樹齢100年から400年の杉の木が千本余りもあるという木立の中を先へと進みます。瑞々しい緑が溢れ、榛名川のマイナスイオンの力で心も体も癒されます。途中には笑門来福、夫婦円満の神「布袋尊」像が見守ってくれています。

 

 

 

明治2年(1869)に再建された三重塔で元は慶長5年(1600)の建立でしたが、改築したそうです。

 

 

さらに左から岩が張り出していて岩が崩れ落ちないようにトンネル状に補強された洞門を抜け朱色の「神橋」を渡ります。

 

 

神橋が架かる左手にある「行者渓」は強大なエネルギーが通り抜けていくパワースポットです。その昔、役行者が修業をしていたという霊場だったそうで、目には見えない大きな力を感じます。

 

 

御水屋で心身を清めれば、ゆっくり石段を登っていきいよいよ本殿に近づいてきます。

 

 

神門をくぐり、社務所を越えると石段の上には大地のエネルギーを直接受け取っているという「鉾岩」という巨石と「双龍門」とが並んで聳え立っています。

 

 

重要文化財にひとつ「双龍門」は安政2年(1855)の建立で、入母屋造、銅版葺きの四脚門です。龍の彫刻や水墨画が施されていることから双龍門と呼ばれるようになりました。4枚の扉にはそれぞれ丸く文様化された龍の彫刻が施されています。

 

 

双龍門にはたくさんの龍がいるので、くぐる時にはぜひチェックしてみてください。立体的な龍の彫刻の見事さには溜息がでてしまいます。透かし彫りは三国志にちなんだものとか。

 

 

双龍門を抜けると本殿・神楽殿・国祖社・額殿が四方を囲むようにあります。榛名神社は「万能神社」とも呼ばれます。祭神に火産霊神・埴山毘売神の2柱と榛名山に生い茂る太古からの木々、榛名山と榛名川からの水と金のエネルギーという風に火・土・木・水・金のエネルギーがすべてそろい「天」のエネルギーが最も強まる場所ともいわれ、また榛名神社の鎮座する場所も龍穴でもあるからです。

 

 

本殿は文化3年(1806)に建てられ、背後の「御姿岩」とつながっていますが前から見ると普通の神社の本殿のように見えます。

 

 

朱色と黒が基調になっていて強い色彩の組合わせが独特な強い印象を与えています。柱や壁には、馬。花。龍。狛犬、亀など様々な彫刻が施され、拝殿の真ん中には鷲の彫刻や司馬温候の甕割りの図もあるます。

 

 

本殿の裏側に回って見ると本殿と御姿岩が寄り添うように接しているというか、建物が岩にくいこんでいる、いや岩が建物を呑み込んでいるようにも見えるユニークで神秘的な光景を見ることができます。御姿岩の洞窟を神聖な本殿として御神体が祭られているそうです。岩を見上げると、上部がくびれてキノコ型になっていて、いまにも落ちそうですが、1400年前から落ちてこないので大丈夫でしょう。

 

 

本殿を参拝した後来た参道を戻るのですが、双龍門から先、渓流まで降りる途中、大きな「矢立杉」とその向こうに「瓶子(みすず)の滝」が目に飛び込んできます。武田信玄が箕輪城攻略の際、戦勝祈願として、境内の木に矢立神事を行った矢立杉は、樹高55m、周囲9.4mの立派な杉で、その大きさに圧倒されます。

 

 

木々の間に見える瓶子の滝は、滝が流れている両脇の岩を神に捧げる神酒を入れる器の瓶子に見立てて名付けられました。高低差があるので見応えがあります。

 

 

境内に沿って流れる榛名川の沢沿いには榛名湖へち続く遊歩道が整備されていて1時間くらいで行けるそうですが、小生は車に戻り、榛名湖を目指します。

 

榛名山は狭い範囲で噴火を繰り返した四重式の火山でその外輪山の中央にポツンと生まれた湖が榛名湖です。湖面の標高は1084mで南北方向に長計約1.3km、東西方向の短径約1km、周囲4.8kmの勾玉形をしています。万葉集の時代から上野国を象徴する歌題「伊香保の沼」として知られていました。

 

写真は少し湖面が揺らいでいますが逆さ榛名富士です。右後方に相馬山、湖畔左隅に榛名湖温泉、四の背後に小高く蛇ヶ岳です。

 

 

湖畔通りを走り、榛名山ロープウェイに乗って榛名山山頂を目指します。榛名湖畔と標高1391mの榛名富士を約3分で結ぶ榛名山ロープウェイは日本で初めての15人乗りゴンドラ2両連結式です。

 

 

標高1097mの榛名高原駅から標高1136mの榛名富士山頂駅まで一気に登ります。山頂に上がっていくにつれ榛名湖が見え、まるで空中散歩のようです。

 

 

ロープウェイを降りて、榛名富士山頂にある富士山神社を目指して山道を登っていきます。

 

 

榛名富士山神社は、昔から自然石を御神体とする一宇の祠があり、木花開耶姫命が祀られ、縁結びの神として崇敬を集め、明治42年に榛名神社の末社となりました。その後昭和39年(1964)赤と白を基調とした社殿が建立されました。

 

 

水澤観音の参拝客向けを起源とする。讃岐・稲庭と並ぶ日本三大うどんのひとつといわれる「水沢うどん」は、門前下、県道15号線の両脇に、約1kmにわたって14軒のうどん屋(水沢うどん組合加盟店)が軒を連ねています。なかでも「大澤屋」は水沢随一の客席数を誇るということでメディアにもよく出ているので選びました。きんさんぎんさんの写真と手形がありました。

 

 

大広間には長テーブルが所狭しと置かれ、お客さんがひしめくあう観光地の大型店舗ですが、お店自体はとてもきれいです。

 

 

水沢うどんは竹ざるに盛った冷たいうどんを、つけ汁につけて食べる「ざるうどん」がおいしい食べ方ということで注文したのはざるうどんと舞茸天ぷら2ヶがついた「楓」1375円です。やや太めで弾力が強くコシがあるツルツル麺が特徴です。地元の契約農家さんが栽培した「天ぷら専用舞茸」の大きいことにびっくりしたのですが、噛めばじゅわっとひろがる舞茸の風味がうれしいです。

 

 

お腹も満たされ、通り過ぎていた「水澤観世音」に向かいます。人気の温泉街・伊香保温泉から近い水沢山の麓に建ち、1300余年の昔、推古天皇・持統天皇の勅願により高麗の高僧・恵灌によって開かれた由緒ある名刹。坂東十六番札所 五徳山水澤寺の名称は推古天皇の御宸筆の額名によるもので、「水澤観世音」の名で親しまれています。

 

 

参道を登っていき幽玄な仁王門をくぐり本堂に向かいます。仁王門は元禄年間に建立されたもので、間口三間・奥行き二間の「平板銅板葺き重層入り母屋造り」で、仁王尊と風神・雷神が祀られ、極彩色の楼門の上には、釈迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)が安置されています。

 

 

国司高野辺家成公の三女伊香保姫のご持仏であったと伝わる「十一面千手観世音菩薩(秘仏)」をご本尊としてお祀りする本堂は宝暦から天命に至る三十三ヶ年の大改築によって完成しました。古来より融通観音として知られ、衆生の一切の願を融通し、救いの手をさしのべてくださる霊験あらたかで、特に七難即滅七福即生のご利益が顕著といいます。

 

 

正面向拝、軒唐破風は近世建築特有の華麗さを表し、全体的には中世の建築様式を残す五間堂として重要な遺構です。すべての彫刻は彫り抜きとなっていて透かし彫りや丸彫りを駆使しさまざまな装飾が見てとれます。

 

 

我が国の地蔵尊信仰の代表的建造物である「六角堂」は、元禄年間に建立された銅版瓦棒葺の造りで「六地蔵尊」を安置しています。六地蔵尊とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界(放光王地蔵尊)、天人界の六道を守る地蔵尊で六道輪廻の相を表しています。二階には大日如来をお祀りしています。

 

 

地蔵尊を安置した内部の非常に珍しい回転する台座を左に3回廻しながら祈願すると自身の真心の供養になるといいます。

 

 

六角堂の右手には十二支の守り本尊が並んでいます。れ十二の方位には、そこを守る8体の守護仏がいるとされ、その方位と同じ生まれ年(干支)の守護仏になるとされている守り本尊は、古来より開運・厄除けの守護仏として人々に親しまれています。

 

 

金運アップの霊泉「龍王辨財天」や

 

 

古くから当山を鎮守する「飯縄大権現」

 

 

山に響く鐘の音は、仏様の声とも言われていて、志納金100円で鐘をつける「鐘楼堂」、

 

 

など境内におは開運スポットが点在していて散策が楽しめます。

 

発見は1900年前とも1300年前ともいわれ、西暦600年前後におきた榛名山の外輪山の一つ、二ッ岳の噴火によって湧出が始まったと伝えられ、万葉集や古今集に収められている歌にも登場する400年以上の歴史を持つ榛名山の中腹に広がる風情あふれる温泉街が「伊香保温泉」。上毛かるたにも「伊香保温泉日本の名湯」と詠まれています。鉄分豊富で空気に触れて茶褐色になる子宝の湯としても知られる黄金の湯と平成8年に新たに掘られた源泉からの無色透明の白銀の湯2種類の源泉を持つ日本が誇る名湯です。ドライブの〆は温泉です

 

 

南北朝時代には温泉場は「伊香保露天風呂」付近の狭い谷間にあったものを現在のように谷の斜面に湯を引いて温泉街に移転したのが天正4年(1576)、石段街は長篠の合戦で敗れた武田勝頼が負傷した兵士たちを広い場所で療養させるために当時上州を支配していた真田真幸に命じ造らせたものだといいます。真幸は山を切り拓いて街区を整備、その際、裾野部分が広く山上に向かって狭くなっていくという遠近法的な構造としました。

 

そして湯治宿の主、伊香保神社の神宮など郷士7氏を新たに拓いた街区に移住させ、同時に石段を整備し、さらに石段中央に大堰(湯樋)を通して湯元から温泉を引き石段左右に屋敷を配置してクリの生木で作った樋(小間口)で湯を分配したのです。戦国の世も終わり寛永16年(1639)、古くから続く伊香保の源泉を守るため引湯権に関する規定が定められ、その際14名の大屋が小間口を持ち各小間口の大きさ(湯量)も決められたのです。それぞれの大屋には門屋と呼ばれる家来筋が土地と洗い場を預けられ石段に面した場所で湯治宿を営んでいました。ですので大屋の広大な屋敷は石段に面しておらず湯治宿の背後に建っていました。

 

さらに大屋と門屋以外の者は店借と呼ばれ、酒屋や髪結いなどの商売を営んでいました。こうして石段を中心に雛段のように湯治宿や商店がひづめきあう、風情豊かな温泉街が形成されたのです。

 

 

温泉街を含む村の行政は大屋による合議で決まられ、その中から12軒の家が1年交替で名主職を務めていました。その12軒には十二支の名称が与えられ、各家の干支が家紋のように割り振られ、今でもそれらの旅館が建っていた場所の石段に、割り当てられた十二支のプレートが埋め込まれています。

 

12軒の大屋のうち現在残っているのは、子年の小暮武太夫「ホテル小暮」、辰年の岸権左ヱ門「岸権旅館」、酉年の千明三右ヱ門「千明仁泉亭」の3軒のみで、いずれも創業400年を越える老舗温泉旅館で伊香保の顔です。。

 

 

レトロな雰囲気を醸し出す「石段街」の前にたち伊香保神社に至る約300m、360段の石段を登ります。平成12年(2010)4月石段は大通りまで延伸され、5段増えて365段になりました。御影石の石段は「1年365日にぎわうように」という思いが込められた何とも縁起の良い温泉街のシンボルです。

 

 

程なく右手、石段94段目の西側に瓦屋根の共同浴場「石段の湯」が現れます。男女とも内湯のみですが御影石の浴槽に加温はされていますが黄金の湯が掛け流されています。

 

 

前橋出身の詩人・萩原朔太郎のエッセイに『伊香保の町は、全部石垣で出来ていると言っても好い。その石段の両側には、土産物の寄木細工を売る店や・・・中庭に廻廊のある二層三層の温泉旅館が、軒と軒とを重ね合わせて・・・』(石段上りの街)とあるように両側に旅館やお土産店、温泉旅行の気分を盛り上げる遊技場などが並んでいます。365段の石段は散策するのにちょうど良い長さで、いろんな店が軒を連ね、まったく飽きさせません。

 

途中、岸権旅館前で伊香保をこよなく愛した文人・与謝野晶子の『伊香保の街』の詩が刻まれた石段に出会います。狭い石段に温泉宿がある風景が描写されています。、あた岸権旅館前には足湯があり、伊香保の黄金の湯g味わえます。

 

 

石段のなかほどまで行くと息がきれてきたので立ち止まって振り返ると青空の下に小野子山や子持山など神々しい山々の風景が広がっています。

 

 

伊香保神社のそばにガラス越しにまんじゅう作りが見学できる「湯乃花饅頭」の看板があるお店があります。伊香保といえば明治43年(1910)創業から同じ製法で作られている「勝月堂」です。

 

 

伊香保温泉の茶褐色の湯の色をイメージし発案したもので、黒糖を使った皮のもちもちとした食感とぎゅっと詰まったあんことのバランスが絶妙です。北海道産の小豆をたっぷり使い、隠し味に塩が効いたあんこの上品な甘さが、黒糖のほのかに漂う香りとともに口いっぱいに広がり、もう1個、もう1個と何個も食べられる飽きない味です。全国の温泉まんじゅう発祥の店と知られるこの店の味は、毎日ひとつひとう手作りされ、ひとつとして同じ形のものがない伊香保の定番で、出来たてのおいしさは格別です。因みに「清芳亭」の湯乃花まんじゅうもいただきましたが皮のもともち感がまったく違います。

 

 

石段街の最上段にあるのが延喜式にも記された由緒ある「伊香保神社」です。もともとは榛名山に対する山岳信仰の社であり、縁結びの神でもあります。

 

 

かつて湯客は寺社に参詣するのが習わしだったことから、上野国三ノ宮として昔から信仰を集めました。江戸期の伊香保の温泉絵図にも伊香保神社を中心に石段街が描かれていて、境内から温泉街が一望できます。

 

 

伊香保神社に手を合わせ、湯元通りを共同湯「伊香保露天風呂」に向かいます。途中「河鹿橋」付近は榛名山系の豊かな自然に恵まれ、もみじ、かえで、くぬぎ、うるしなどが自生してこれらの樹々の紅葉が11月上旬ピークを迎えます。(今年は少し遅いようです)かつてはカジカガエルの鳴き声がよく聞こえたことから命名され、下を流れる湯沢川は鉄分が多く、川床は茶褐色に変色しています。

 

 

石段街最上段の伊香保神社から徒歩約10分にあり、第二号源泉に一番近い露天風呂が「伊香保露天風呂」です。森に囲まれた静かで開放的な佇まいが人気です。古湯の風情豊かな共同浴場で昔は混浴でしたが今は男女別です。

 

 

伝統あるかけ流しの黄金の湯と岩や樹木が配置されて伊香保の四季を体感できる趣ある情を堪能できます。湯温が少し違う二つの湯船にわかれていて、鉄分が豊富な黄金色の湯は、入浴するとじんわりと体が温まりはじめ、それから一気に身体が熱くなるほどの温熱効果があります。5月上~中旬には中央のツツジが見事です。

 

 

近くにある自噴する源泉湧出口や飲泉所も見どころです。黄金の湯と普通の水を飲み比べることができ、黄金の湯は飲むと独特の苦みがあります。

 

 

真ん中の半円は8つある黄金の湯の源泉のひとつである第二号源泉の覗き杭です。

 

 

帰りに少しカフェで寛ごうと思い千明仁泉亭の敷地内にあるCAFE AND BA「楽水楽山」を訪れます。千明仁泉亭は、伊香保を愛した明治の文豪徳富蘆花が常宿とし最後をここの離れで迎えた老舗旅館です。明治31年(1898)5月、蘆花は新婚5年を記念して愛子夫人と伊香保を訪れ3週間滞在します。同年11月から「国民新聞」紙上で伊香保を舞台に悲劇の名作『不如帰』の連載を開始します。『上州伊香保千明の三階の障子開きて、夕景色をながむる婦人。年は十八九・・・』と冒頭を飾るのが千明仁泉亭です。

 

 

店名の「楽水楽山」は孔子の『智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ』の言葉に因んで名付けられました。言葉の意味は智者が円滑に物事を処理する様子は水が一箇所にとどまることなく流れることにたとえ、仁者が欲に動かされず天命に案ずる様子を不動の山にたとえたといいます。カウンター6席、テーブル25席の寛げるスペースです。ここで本格的なコーヒーをいただきます。

 

因みにこの日は石段に面した敷地内に水沢うどんの大澤屋の支店が開店していた。

こころも身体もリラックスして長野に帰ります。