4月28日。

 

10年前のこの日から、私にとっての全てが始まった。

 

事の発端は、とある場所で出会ったある事からだった。

 

 

10年前のこの日、私はいつものように学校を終えてどこかをぶらつく日々を送っていた。

当時は、特に行きたいと思える場所がなく、『一度踏み入った事がある場所』だけに行く事が多かった。

その時は、大学のある『水道橋』と、受験生時代に何度も行った事がある『御茶ノ水』が主流だった。

そうした中で、私が定期券の範囲内にある駅で唯一降りた事のある場所があった。

それが、墨田区にある『錦糸町』という場所だった。

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そこは、東京で言うなら、下町に相当する場所で、娯楽場所が多いのが特徴である。

最近では、ポケゴーの影響もあり、私がここに来ていた頃を遥かに越える規模でにぎわいを見せている。

錦糸町がこれからさらに著名になってほしいとゆかりを持った当時から思っていた私には身に余る光栄である。

 

そんな錦糸町に対してそういったゆかりを持ったのは、他でもない10年前のこの時に起きたとある出来事があったからだった。

当時はそれほど思ってはいなかったが、後にこの出来事がそれ以上の発展を遂げる事になっていったのである。

 

 

その舞台となったのは、錦糸町駅南口を出てすぐのところにある『テルミナ』という建物の入り口にある『ヨドバシカメラ』だった。

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当時、ここは私にとってただぶらつくだけでもいい気晴らしになる場所だった。

特に何か出来る事があるわけでもなく、ただその場を歩いてるだけだったのだが、それでも不思議と退屈しなかったのである。

こういった事は、私が再び錦糸町に気晴らしで行くようになった後も続いた。(ちなみに、今もである)

 

いつものように私がヨドバシカメラ内をぶらついていると、ふと私はある方を向いた。

そこにはデモムービーが公開されているモニターがあった。

私が見た時は、ちょうどポケモンのCMが放映されていた。

そして、これこそが私の全てが始まるきっかけになったのである。

 

 

 

放映されていたのは、当時発売されたばかりだった『ポケモン不思議のダンジョン 空の探検隊』のアニメムービーだった。

 

 

 

ポケダンのアニメムービーはこれの前の事も知っていたが、アニメである事以外は特に関心は持たなかった。

しかし、このCMだけはなぜか違った。

このCMは、この時初めて見たのを機に、自然と関心を持つようになったのである。(このCMを初めて見たのもここだった)

 

CMの内容は、まさしく前の内容のエピソードそのものだった。

一応、漫画を通してポケダンの展開は知っていたので(もちろん、あの名シーンも)、内容に対しては特に変わった印象は覚えなかった。

しかし、私がリオルと錦糸町にゆかりを持つ事を決定づけたきっかけはこのCMのラストだった。

 

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主人公のピカチュウに微笑みを見せながらこっちを向いているリオル。

 

これこそが全ての始まりだったのである。

 

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リオルの顔に合ったこの笑顔は、私の中でリオルへの関心を基本に、それにとどまらない何かを目覚めさせたのだった。

それは後に、ポケモンを本格的に始めようという決心へと通じ、そこからポケモンセンターへ足を運ぶ事へさらに通じ、やがてはポケモン仲間と直に会って交流するなど、まさしくリオルのこの笑顔がなければ起きなかったであろう多くの今に通じる様々な発展を遂げていったのである。

 

そして、全ての発展のきっかけであるこのCMを見かけた場所が錦糸町だったという事もあり、この発展のもとへと出会わせてくれた誼で、錦糸町の事にゆかりを持つようになったのである。

もし、他の場所でこのCMを見かけてしまっていたら今頃私は錦糸町に今ほどの関心やゆかりは持たなかったであろう。

リオルが持たせてくれた錦糸町へのゆかりも、今では当時を遥かに越える規模までに発展している。

 

 

 

 

ちなみに、私がその出来事に遭遇した日を明確に覚えていたのは、この事を記事に書き残していたからだった。

 

 

ここでさりげなくリオルの事を気に入った事を書き残していたので、私は4月28日を『リオルの日』にする事が出来たのである。

わざわざ『きっかけ』と書いてある事から、いかにあの時の影響が大きかったかがうかがわれる。

 

 

ポケダン空同様、私が錦糸町でリオルに出会ってからいつしか10年に月日が経過していた。

そんな中で、10年前と変わらず…いや、それ以上の事として持ち続けているものがある。

 

それが、『リオル』の事である。

リオルの日を毎年忘れずに書いている事。

そのつど、リオルが錦糸町で築いた事がどういうものだったか、そして今それがどう活かされているかといった事を私はこの日を通して追想している。

その時だけの事やコン年度もいつも通りの事で済ませず、常にリオルの日は新たな発展や気づきを得る機会として大事にしている。

今に通じている事は、リオルがいたからこそ築けたものもあるのだから…

 

 

今思えば、錦糸町へのゆかりのきっかけは、リオルがいたからこそ出来た事である。

リオルに錦糸町で出会わなければ錦糸町に対して気を向ける事自体なかったであろう。

リオルによって築かれた錦糸町へのゆかりは今ではそれ以上の規模になりつつある。

 

その規模は、ついに『錦糸町に住む』という考えを抱くまでに発展した。

今はまだ出来なくても、『将来的に出来ている』という確信のもと、私は錦糸町を通う場所から住む場所にしようと2年前から決心していた。

一からやり直しを受け入れる事が出来たのも、『そこから錦糸町に住む事に通じていくから』という確信があったからだった。

コン年度は、10周年の境を機に、必ず錦糸町に住む事を果たしてみせよう。

錦糸町を舞台にする事で、市川以上に私の世界を今まで以上に遥かに越える規模で広げる事が出来るだろう。

今こそ、リオルが築いたゆかりをあの時のように発展させる時である!

 

 

 

世代が変わっても、ポケダンの事がみんなから離れても、私はリオルの事は忘れてないよ。

錦糸町にいる事がリオルといる事でもあるからね。

リオルが築いてくれたゆかりを錦糸町と共に今まで以上に発展させていくから待っててね、リオル!

 

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『まだその時ではない』。

 

最近では、妖怪ウォッチの『万尾獅子』のこのセリフに共感を覚える。

アニメでは融通のきかなさゆえに、いい目で見れなかったのだが、これまでの私の事を踏まえると、万尾獅子のセリフに対してもっともな実感を持つようになったのだ。

 

 

人はみな、『本当にふさわしいタイミング』よりも、『出来る限りさっさとそうしたい』という理由を優先するせっかちな一面を持つものである。

しかしそういう時にこそ、気づきにくい形で『やりたい気持ちはわかるが、今のままでやるのは(後で後悔する結果になる意味で)時期尚早だぞ』といった感じで、万尾獅子のような展開になる事は普通にあるのだ。

そして、そういう時は当時の私もそうだったように、多くの人はそれを押しのけて真っ先にそれをやろうとする事に走るものなのである。

 

 

子供時代は、誰もがみな色んなものを欲しがったり求めたりする事は普通にある事である。

そのために、一念発起して目標を果たしてそれを手に入れる事は子供時代は誰もが経験した事があるであろう。

ちなみに、私は12歳の時にマラソン大会で『ポケモン銀を買ってもらう』というのをした事がある。

ただ、その時は実質参加賞に等しい形でどんな結果であろうと(極端に言えば、『そのために頑張ってなくても』と言っていい)どっちみち手に入る条件のもとだった。

 

当時の私は、『今やるべき事をきっちりどころか、最低限もやらない』中で、欲しいものを求めている事が大部分な在り方だった。

その『当時』というのは、小学生や中学生の頃にとどまらず、『コン日に至るまで』と言っていいほど今にも表れている事と言っていいようなものだった。

 

 

私としては、当時色々求めているものはあったが、その反面『そのために今やるべき事』

はやろうとしなかった。

それでも、ある時偶然手に入ったのをいい事に『このままでもいいんだ』と決めつけてしまい、結局これを機にやるべき事を積極的に取り組む事はせず、それによりそれ以降はまともに手に入れる事は出来ずに終わったのがほとんどだった。

その中には、『本心から求めていたもの』も多く含まれていた。

 

 

 

今あらためて思うのは、こういう結果になったのは他でもない『今やるべき事をやらずに、ただそれだけを手に入れる事だけしか考えていなかったから』である事と、何よりも『本当の目的のためにコン回だけ特別に叶えてあげた事を、とんだ勘違いによる過信によって活かさなかったから』だとあらためて痛感する。

 

特に、一番痛感したのは、私がそれを叶えるのにふさわしい在り方になっていなくてもそれをコン回は叶えてくれた事の『本当の意味』に気づこうともしなかった事である。

まだその時じゃなくても手に入れさせてくれたのは、『これを機に、やるべき事を積極的にやってほしい』という意味が込められていたのだろうと今になってあらためて痛感した。

しかし、私は小さい頃に限らず、成人年代になった後もそれを引きずって、懲りずに今までのままでそれを手に入れようとし続けていたのである。

しかも、当時はそれについて今のような考えは一切持たず、手に入れられない事への不満ばかりを依存手段として利用していただけだったのだとあらためて痛感した。

子供時代はともかくとして、成人年代になった後も懲りずに偶然どうにかなってる事に依存して私自身の在り方を変えるどころか、それを考えすらしなかったというのは今の私からすれば、どれだけ私は怠けていて、しかもそれに納得していたんだと思う。

 

 

本当に求めてるものさえ手に入らなかったのは、私の在り方を変えようとせず、『(少なくともまだその時ではない)今の在り方』のままで手に入れようとしていたからこそなのであろう。

そしてそれはひそかにコン日まで表れていた。

今思えば、2015年に『本当の生き方』に気づいてから、私はようやく、というか初めて『これまでの全てを軌道修正する事』を意識するようになったのだが、そうした中でもコン日まで一方的にい続けた事は深く根付いており、昨年度に1からやり直しの境遇に身を置き、それから半年以上経つまでは結局『今まで通りの在り方でどうにかしよう』という本末転倒な事をしていたのだった。

 

そしてそうした中で、『(少なくともまだその時ではない)今の在り方』で本当に求めてる事をやろうとして知らず知らずのうちに『本当の生き方』から離れるように、『今まで通りの在り方』になってる以外の何ものでもない状態で届くはずもない事をちゃっかり求めていたのである。

 

その事と、コン回の述懐を語る内容を実感したのは、ひそかに昨年の後半だった。

それまでの私は、あくまで今までの在り方のままでどうにかしようとして『今の在り方そのものを見直す』という事を一切思いつきすらしない中にいたと、昨年の10月中旬になって『初めて』気づいたのである。

 

 

 


今の私は、『本当のふさわしい在り方』になるまでは本当にやりたい事はお預けされている状態にいる。

 

…むしろこれが普通なのだろう。

 

当時はそうでなくても『今はまだ出来ている事』があるのをいい事に、『これでも出来てるからこれでいいんだ』という浅はかな考えで、『今の在り方でもそうしてくれている本当の意味』に気づこうともせず、結局そこから変わろうとせずにこのままで適当にやっていたのだ。

 

『現実にそれが今は出来ない』からこそ、それに甘んじず、あらためて『そのために本当にやるべき事』をやるべきなのであり、何よりそれこそが唯一の答えなのだ。

 

そしてようやく、私はその『唯一の答え』に気づき、それを選ぶ事が出来たのである。

 

 

述懐を通してあらためて心からそれに気づき、そのために今すべき事が明確にわかっているならば、だいぶ遅れはとったが、気づいた以上は今からでも遅くはない。

 

今私がすべき事は、ただ一つ。

今この時も、『時が満ちる』のに向けた事に取り組んでいく事である。

 

 

その時を待つというのは、ただそうなるのを待つのではなく、『その時が来るためにすべき事を進めていく』という事なのである。

 

万尾獅子が言う『その時』に意味、そして『時が満ちるの待つ』という事の意味も今なら真剣な意味で実感できる。

 

 

『ついに…時は、満ちた!!』

 

万尾獅子が言う『時が満ちた時』と『その時』。

 

それは、『それが起きる時』なのではなく、『私自身がその在り方になった時』なのである。

 

全てがそれをやるにふさわしい、全てを最高の在り方に出来る。

私がまだ気づいていない『本当の在り方』という…

 

 

満を持し、時が満ちるのは、きっともうすぐである。

レフ・トルストイ。

 

 

ロシアの文豪で、ドストエフスキーに並ぶ著名な作家である。

 

 

 

 

彼は、貴族出身でありながら常に市民の視点に立って、社会に訴えを伝える形で様々な名作を生み出した人でもある。

 

ちなみに、私自身は人物そのものと、作品自体は知っているが読んだ事はない。

 

ひとまずコン回は、トルストイの名言に合わせた事を話すという事で…(弁解)

 

トルストイは作品を通して人々に色んな事を伝えた。

 

一つのエピソードの内容を通して直に何かを伝えというというのは書き手としては基本である。

 

もちろん、書き手の中には『とあるエピソードを、読み手に色んな事を伝える芸術性を兼ねて描く』(言わば、『エピソードの内容をとらえやすくする』や、『気を向けやすくする』)というのもあるが、トルストイはそれと『そのエピソードを通して何かを伝える』事も意識している。

 

何かを書く際には、ただそれを思いついたからだけでなく、『それを伝えた側はどういう反応を示すか』といった事もトルストイは意識していた事だろう。

 

例え書く事そのもは出来たとしても、肝心の『書いた内容を伝える側』の事も考えなければ意味はない。

 

『その書いた内容に気を向けてくれるか』や、『これを通して伝えたい事に気づいてくれるか』というのが、『気を向けてもらう事を前提に書く』うえでは大事なのである。

 

 

 

そんなトルストイの名言の中に、こんな言葉がある。

 

 

 

 

『言うべきときのほかは言うな。書かざるをえないときのほかは書くな』

 

 

これは、現代においては今まで以上に刺さる事ではないだろうか。

 

昨今のご時世では、書き手じゃなくても手軽かつ速攻で不特定多数の存在に自身が書いたものを知らしめる事が出来、それによって良かれ悪かれ誰かしらにひそかな影響を及ぼす事が出来るようになっている。(本人はそれに気づいていない事が多い)

 

幅広い規模までには至らなくても、『自分が関わりを持つ範囲』において、『多大なる影響を気づかないところで及ぼしている』事は、私達全てに当てはまる事なのである。

 

誰もがみな、『それを言った当初』はその時だけの事で終わったように思えるものだが、それは大きな勘違いである。

 

終わったように思えるその中では、気づかないところを基本にその影響は『後に起きる事』に及ぶ形で、常に必然的に起きているのである。

 

それが起きるまでの間というのは、『今、心を(それを言った時の気持ちを基本に)改めればどうにか出来る』という、言わば『この後を変えられるモラトリアムを与えられている期間』なのだが、その時を多くの人は『今実際どうにかなってるから特に何もする必要はない』と勘違いしてみすみすその後の事を引き起こしてしまうのである。

 

『これが(自分としては)普通な事』であっても、日頃から『気分に乗せて言う事』には気をつけなければならない。

 

さもなくば、最終的にそうなるという形で、必然的にその時には想像すらできない規模のカタストロフィに通じてしまう事になる。

 

今の時代、言った事がその場にとどまらない規模で広まるのがむしろ普通になっている以上、そういう背景からしてもなおさらであろう。

 

私達が普段発している事というのは、単に内容そのものを伝えるだけにとどまらず、こういうように『それとは別の、そういう思いを抱くような出来事を招く遠因』にもなっている。

 

こういった事は、単にツイッターやブログなどに投稿する事だけでなく、『私達が日頃実際に話している事(もしくは、『自然と思いつく規模で考えている事』)』においても表れている。

 

例えバズったりした事じゃなくても、『(『今の気分に乗せる』といった形で)心から発した言葉』はどこかでそれに相当する事を後に引き起こす影響を及ぼしているのである。

 

そうである以上、バズる規模の事はこれをさらに超越するような影響を私自身の普段の気の持ち方を基本に、それにとどまらない様々な事に及ぼす事になる。

 

ただ今の気分に合わせて言っただけでもそうなる以上、それが実際の言葉として具体的に表されている事ならば、単に『それをこの人が言っていた』という事を基本に、それにとどまらない様々な事を引き起こす引き金になるのだ。

 

当初は『単に言った(もしくは、それに相当する行いをその時だけの事のつもりでしただけ)』の事でも、それは決してその時だけの事では終わらない。

 

それは結果として、その場でそれを引き金に止めようのない事が起きるか、例え『その時』だけは特に何もなくても、『その後』にそれとは別の、『あの時に言った事の影響に相当する事』が引き起こされるかのどちらかになるのだ。

 

 

(主に『今の気分に乗せる形で』)心から発した言葉は、必然的にそれに合わせた他の事を招く事に通じる。

 

現代は、それが著しく表れやすい世の中となっているのである。

 

そういう事を踏まえれば、あらためてこの名言は、現代において幅広く当てはまり、何より突き刺さると言っていいであろう。

 

先人達は、ことわざを基本に、全てに当てはまると言ってもいいほどの名言を言うものだとあらためて思う。

 

『本当にいい事を言うなぁ…』と実感できるのは、それが論理的にもっともだから以上に、『時代を問わず、時には後にその意味がわかるような時代になる規模で広く当てはまる事だから』なのかもしれない。

 

当時以上にすぐに、かつ幅広く言った事や書いた事を広める事が出来る世の中である以上、言う事や書く事には今まで以上の意識を持たなければならない。

 

そして、何より『言葉を選ぶ』という事も忘れてはならない。

 

『本当に伝えたい内容』は同じでも、言い方によっては『本当に伝えたい内容』よりも、『そういう言い方をした事による気分の表れ』の方が伝わってしまい、場合によっては『本当に伝えたい内容』から大きく逸脱した事として伝わってしまう事だってあるからだ。

 

 

現代は、今まで以上にそれが表れやすい世の中になっているからこそ、浅はかな気持ちで言わず、安易な気持ちで言う事を選ばないようにするのだ。

 

もちろん、ただそれをみんなに言うだけにとどめず、私もそれを伝えられるようになってみせますよ、トルストイさん。

 

2月23日。

おそらく来年度からは、国民全てにとっての記念日になるであろう。

そんな2月23日が私にとっての記念日になったのは今からちょうど10年前。

 

…いつの間にかそんなに、しかも区切りを迎える数の年になっていたのか…

それなりに意識していても、あらためてその時になったら『いつの間に』とその時に実感するのが不思議なところである。

 

 

10年前の2009年は、私にとってブログ開設にとどまらず、今に通じるのを含めて色んな事が幅広くあった年だった。

錦糸町の存在を認識したのも、そしてそこにゆかりを持つようになったきっかけに出会ったのもまさしくこの年だった。

他にも、初めてオフ会に参加したり、東京が今まで以上に身近な場所になったりと、10年前はブログを始めた当時は考えられないほどの発展ぶりだった。

 

今思えば、私にとっての本当のスタートは2009年にあった錦糸町でのある出来事もそうだが、それさえもこれがあったからこそ通じたように、『ブログそのものを始めた事』にあるのかもしれない。

 

2009年当時、私は新たな舞台である市川に住み始め、そこから錦糸町を始め、後にポケセンに行くために浜松町に足を運び、さらにそこからお台場に足を運んだりと、今までにない規模で行動範囲や行動そのものを広げていった。

10年前の当時は、通学のために市川から水道橋に行く事しか眼中になかったが、その後に『定期券の範囲内ならば、目的地できっちり降りなくてもそこまでの停車駅なら好きに乗り降りできる』という事に気づき(THE 田舎者)、そこから錦糸町や御茶ノ水に寄り道する事をするようになり、いつしか他のところにも足を運んでみようかな…と思い始めるようになった。

 

その後、ゴールデンウイークの時にふとポケセンに行ってみようかと思いつき、そこでポケセンが浜松町にある事を知った。

あらためて調べてみると、『市川から普通に行ける距離じゃん…』と初めて気づき、後日あらためて足を運んだ。

 

当時、私はブログを以前リアルで書いていた日記として利用していたが(ブログそのものを始めた目的は当初はコメントを投稿したい相手が『コメントは会員限定』という設定にしていたので、どうしても投稿したいと思い、それに乗じる形で始めようかなと思っていた程度で、『どのようにブログを活用するか』までは考えてなかった)、この時にブログの真の活用法に気づき始めた。

 

単に私のプライベートを公開出来る範囲で投稿していても到底誰も食いつかないだろう。(ただでさえ、当時リアルでも日記を書いていた以上、あえて言うなら蛇足である)

しかし、こういった楽しめる場所に訪問した事を投稿すれば食いつくかもしれない…

 

そういうわけで、私はそれ以降少しずつ範囲を広げていく形で、食いつく内容を書けるように積極的に色んな場所に足を運ぶようになった。

 

当時は遠出をするならば、スタリバ(立川の事)しか眼中になく、他の新たなところに行く事は考えにさえなかった。

そんな中で、市川に住み始めた事、そしてブログを始めてそれに食いついてもらいたいと思った事が後の私に大きな発展を遂げる事へと通じていった。

 

その後、秋になって『ブログを通して知り合った人と直に会う』という、まさしくスタートの象徴と言う事ができる発展を遂げた。

これこそが私にとって2009年がスタートの年だった事を一番実感させる出来事であり、まさしくこれもブログを始めたからこそ出来た事と言えよう。

 

 

ブログと共に全てが始まった年からコン年度で10年。

当時の面影はわずかな存在を残して多くは消え、そして今私はその始まりとなった舞台から離れ、再び1からやり直しに等しい中にいる。

 

この10年は激動の年だった。

平穏に過ごせた日々もあれば、それどころではないような時もあった。

もちろん、その全てが激動というわけではなかった。

 

しかし、『激動』を幅広く解した意味で少なくとも言えるのは…

 

 

 

『1年1年は、全てが違う年だった』という事だった。

 

 

 

2009年は『全てが始まった年』

 

2010年は『交流の全盛期だった年』

 

2011年は『壮大なリセットが起きた年』

 

2012年は『再スタートの年』

 

2013年は『今までにない地獄を見た年』

 

2014年は『軌道修正の年』

 

2015年は『本当の生き方に目覚めた年』

 

2016年は『本当のこれからに向けた年』

 

2017年は『過去に振り回された年』

 

2018年は『1からやり直した年』

 

 

そして2019年…

この年はまだ始まったばかりという事もあり、どういう年だったか言うのは早いだろう。

 

あらためて思い起こすと、私がこれまで過ごした年は1年1年が違う中で過ごした年だった。

当時は常にいつもの過ごし方を機械のようにしていた事もあり、毎日が同じようにしか思えなかった。

しかし、広い視野で見直すと『どういう1年を過ごしたか』でひそかに私は常に違う1年を過ごしていたとあらためて気づかされた。

 

この10年、私は色々な日々を過ごしつつ、何を築けただろうか。

本当の意味からすると、築けたとは言い切れないであろう。

2015年にきつねさんへの目覚めと共にようやく『本当の生き方』に目覚める事は出来たが、それは単にそうなったに過ぎず、それ以降は結局それに向けた進展はせず、今までの在り方に振り回されていたに過ぎなかったと今となってあらためて気づいた。

ようやくそれに乗りつつある状態になったのは、ひそかに昨年辺りからだった。

本当のこれからに向けたスタートが本当の意味で出来たのはおそらくこの時が初めてだったと言えるだろう。

築く事を始められたのは、まさしくつい最近と言っていいであろう。

しかし、それはようやく本当の意味で前に進み始めた…いや、それ以前に『進む事そのものを始めた』という事でもある。

 

築く事においては、時の長さだけでなく、『その時の中でどういう進展に通じる事をしたか』というのも大事な事。

私は昨年後半になってようやくそれを始められたのだ。

そして今もその中にいる。

 

それはやがて、この10年の間にきつねさんへの目覚めのように『ひそかに拾っていた事』を今までにない新たな事に活かしていける事にやがて辿り着くと私は確信している。

今もそれに辿り着くために歩き続ける事をしていくだけである。

 

 

コン年度は、さきどりして言うならば『本当の全てが始まった年』にしてみせる。

 

ブログと共に一つの節目を迎えたこの年は、私にとっての本当の新たな年にしてみせよう。

 

これからへと通じる新たな10周年を迎えられるように…

 

PCで投稿が出来るようになってからこれまでの端末はいかに狭い中で無理してやっていたかが痛感されるほど、これまで見れなかった色んなものが新たに幅広く見れるようになった。

投稿しやすいだけでなく、PCからだからこそ初めて出来る機能がこんなにあったなんてと私は改めて痛感した。

どんだけ私は狭い世界にいたんだ…

 

PCから見る事が出来る機能の一つに『アクセス解析』というのがある。

その日、私のブログにアクセスした数はいくつあるかというのが基本なのだが、PCでは『どの記事にアクセスがあるか』といった事もわかるようだ。

 

アクセスされている記事にはだいぶ昔の記事にアクセスしているのもあった。

その規模は、これを機に知るまで書いていた事さえ忘れていた規模のものもあった。

 

その中で、必ずといっていいほど頻繁にアクセスされていた記事があった。

それがこれである。

 

最後に描いたのがおそらく6年前かと思われる懐かしのシリーズ、『ポケモンキャンパス』である。

自由帳に色鉛筆とシャーペンでポケモンのイラストを描いてそれを投稿している時期が当時あった。

意を決してイーブイを描いた時にうまく描けたと実感して、それを機に『ポケモンキャンパス』というタイトルで色んなイラストを投稿したのである。

 

その中でもこの『ポケモンキャンパス 青いポケモン』というのが特にアクセスが頻繁にあり、アクセスがあると大部分はこの記事のアクセスがあるほどのものだった。

 

他にも色んなポケモンキャンパスやそれ以外の記事がある中で、何ゆえこの記事が頻繁にアクセスされているのだろうか…

単純に考えるなら、ルカルカのキャンパスが投稿されてるからなのだろうか?

 

いずれにせよ、一つだけわかるのは『今でもアーカイブにまで及ぶほど私のブログとその記事の存在が知られている』という事だ。

 

どこかで会員に限らない存在が見てくれてるならば、新たな記事もなおさら投稿しないとね。

 

PCからの新たな視点と共に新たな実感を得たとある日の思いだった。