レフ・トルストイ。
ロシアの文豪で、ドストエフスキーに並ぶ著名な作家である。
彼は、貴族出身でありながら常に市民の視点に立って、社会に訴えを伝える形で様々な名作を生み出した人でもある。
ちなみに、私自身は人物そのものと、作品自体は知っているが読んだ事はない。
ひとまずコン回は、トルストイの名言に合わせた事を話すという事で…(弁解)
トルストイは作品を通して人々に色んな事を伝えた。
一つのエピソードの内容を通して直に何かを伝えというというのは書き手としては基本である。
もちろん、書き手の中には『とあるエピソードを、読み手に色んな事を伝える芸術性を兼ねて描く』(言わば、『エピソードの内容をとらえやすくする』や、『気を向けやすくする』)というのもあるが、トルストイはそれと『そのエピソードを通して何かを伝える』事も意識している。
何かを書く際には、ただそれを思いついたからだけでなく、『それを伝えた側はどういう反応を示すか』といった事もトルストイは意識していた事だろう。
例え書く事そのもは出来たとしても、肝心の『書いた内容を伝える側』の事も考えなければ意味はない。
『その書いた内容に気を向けてくれるか』や、『これを通して伝えたい事に気づいてくれるか』というのが、『気を向けてもらう事を前提に書く』うえでは大事なのである。
そんなトルストイの名言の中に、こんな言葉がある。
『言うべきときのほかは言うな。書かざるをえないときのほかは書くな』
これは、現代においては今まで以上に刺さる事ではないだろうか。
昨今のご時世では、書き手じゃなくても手軽かつ速攻で不特定多数の存在に自身が書いたものを知らしめる事が出来、それによって良かれ悪かれ誰かしらにひそかな影響を及ぼす事が出来るようになっている。(本人はそれに気づいていない事が多い)
幅広い規模までには至らなくても、『自分が関わりを持つ範囲』において、『多大なる影響を気づかないところで及ぼしている』事は、私達全てに当てはまる事なのである。
誰もがみな、『それを言った当初』はその時だけの事で終わったように思えるものだが、それは大きな勘違いである。
終わったように思えるその中では、気づかないところを基本にその影響は『後に起きる事』に及ぶ形で、常に必然的に起きているのである。
それが起きるまでの間というのは、『今、心を(それを言った時の気持ちを基本に)改めればどうにか出来る』という、言わば『この後を変えられるモラトリアムを与えられている期間』なのだが、その時を多くの人は『今実際どうにかなってるから特に何もする必要はない』と勘違いしてみすみすその後の事を引き起こしてしまうのである。
『これが(自分としては)普通な事』であっても、日頃から『気分に乗せて言う事』には気をつけなければならない。
さもなくば、最終的にそうなるという形で、必然的にその時には想像すらできない規模のカタストロフィに通じてしまう事になる。
今の時代、言った事がその場にとどまらない規模で広まるのがむしろ普通になっている以上、そういう背景からしてもなおさらであろう。
私達が普段発している事というのは、単に内容そのものを伝えるだけにとどまらず、こういうように『それとは別の、そういう思いを抱くような出来事を招く遠因』にもなっている。
こういった事は、単にツイッターやブログなどに投稿する事だけでなく、『私達が日頃実際に話している事(もしくは、『自然と思いつく規模で考えている事』)』においても表れている。
例えバズったりした事じゃなくても、『(『今の気分に乗せる』といった形で)心から発した言葉』はどこかでそれに相当する事を後に引き起こす影響を及ぼしているのである。
そうである以上、バズる規模の事はこれをさらに超越するような影響を私自身の普段の気の持ち方を基本に、それにとどまらない様々な事に及ぼす事になる。
ただ今の気分に合わせて言っただけでもそうなる以上、それが実際の言葉として具体的に表されている事ならば、単に『それをこの人が言っていた』という事を基本に、それにとどまらない様々な事を引き起こす引き金になるのだ。
当初は『単に言った(もしくは、それに相当する行いをその時だけの事のつもりでしただけ)』の事でも、それは決してその時だけの事では終わらない。
それは結果として、その場でそれを引き金に止めようのない事が起きるか、例え『その時』だけは特に何もなくても、『その後』にそれとは別の、『あの時に言った事の影響に相当する事』が引き起こされるかのどちらかになるのだ。
(主に『今の気分に乗せる形で』)心から発した言葉は、必然的にそれに合わせた他の事を招く事に通じる。
現代は、それが著しく表れやすい世の中となっているのである。
そういう事を踏まえれば、あらためてこの名言は、現代において幅広く当てはまり、何より突き刺さると言っていいであろう。
先人達は、ことわざを基本に、全てに当てはまると言ってもいいほどの名言を言うものだとあらためて思う。
『本当にいい事を言うなぁ…』と実感できるのは、それが論理的にもっともだから以上に、『時代を問わず、時には後にその意味がわかるような時代になる規模で広く当てはまる事だから』なのかもしれない。
当時以上にすぐに、かつ幅広く言った事や書いた事を広める事が出来る世の中である以上、言う事や書く事には今まで以上の意識を持たなければならない。
そして、何より『言葉を選ぶ』という事も忘れてはならない。
『本当に伝えたい内容』は同じでも、言い方によっては『本当に伝えたい内容』よりも、『そういう言い方をした事による気分の表れ』の方が伝わってしまい、場合によっては『本当に伝えたい内容』から大きく逸脱した事として伝わってしまう事だってあるからだ。
現代は、今まで以上にそれが表れやすい世の中になっているからこそ、浅はかな気持ちで言わず、安易な気持ちで言う事を選ばないようにするのだ。
もちろん、ただそれをみんなに言うだけにとどめず、私もそれを伝えられるようになってみせますよ、トルストイさん。