2月4日。

今日は立春。

季節はまだ冬であるが、旧暦では今日からが春になる日である。

 

この日から春へと通じる流れになり、この日から少しずつ寒さは収まっていき、気が付けば暖かい春を迎えていた…

 

これが立春を序章にする普通の流れである。

 

ところが…

 

 

…今って2月ですよね?

普通にまだ冬真っ只中である2月始めのこの日…

まるで春を先取りしたかのように、コン年度の立春はお世辞にも寒いとは言えないほど暖かい気候だった。

夜になれば冬に戻るのであろうが、そうであってもこの異例の気温は正直、空前絶後の事と言う他ないであろう。(今後ともある可能性からすれば、『前代未聞』の方がいいかもしれないかな…)

 

そして、それに合わせるように今日は春一番が吹いた。

春一番自体は何度か経験しているのだが、コン回ほど春一番を実感した事はおそらくないであろう。

 

その日は春一番の特徴とは別に、立春どころか春そのものが訪れたような異例の暖かさだった。

寒さが当たり前のように続いた中でのという事もあるが、『一足早く春そのものが訪れたに等しい状態』という事を踏まえると、その異例の規模はそれこそ、『気温、半端ないってー!』と言っても過言ではないだろう。

 

2月始めっていうまだ普通に寒い時期に、今がそもそも冬なのかって疑うほどめっちゃ暖かいやもん!

そんなんあらへんやん、普通ー!

 

気温差や…!

明日はなおさら気温差響くでこれ…!

立春の規模遥かに越えてるで、ほんまに…

 

春そのものを春一番と共に『先取り』したと言えるコン年度の立春。

この異例の半端ない立春は、一体何を意味しているのだろう。

 

少なくとも、後にわかる普通じゃない意味があるはずだ。

 

明日から気温は再び冬に戻るが、本当の春はもうすぐである。

投稿しないままでいるのもどうかと思うので、これからに向けた勢いづけをする意味も込めて投稿する。

 

今日はホットケーキの日。

ホットケーキといえば、当時本格的にホットケーキを焼いた頃があったのを思い出した。

とある番組を通して、パッケージにある調理例のような厚みは再現できる事を知り、この際だからという事も踏まえて挑戦してみる事にした。

 

ホットケーキといえば、調理例と比較すると歴然とも言えるほどペラペラの厚みで焼いている事が目立っている。

普通に焼いてみてこうなるならば、あのパッケージの写真みたいに焼けるのはプロでもない限り出来ないのだろうと多くの人は思っているようである。

 

ホットケーキは、フライパンで作る際は『ある事』をしなくては必然的にペラペラになってしまうのだが、その『ある事』をどのようにやるのかを多くの人は知らないのである。

というのも、その『ある事』というのは、シンプルながらもかなり厳重な形でやる必要のあるものだからだ。

 

 

 

私は早速初のホットケーキ作りでそれを実行した。

記念すべき最初のホットケーキがこちら。

 

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まだパッケージの厚みには程遠いが、十分な厚みがある焼き加減である。

初めてにしては、それ予想以上に出来た方だと当時は思った。

 

これを機に私は積極的にホットケーキ作りをするようになった。

しかし、始めたばかりという事もあり、なかなか最初の厚みに辿り着けない状態がしばらく続いた。

 

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多くの人は、ホットケーキを作る際は大概これくらいの厚みになるであろう。

マクドのホットケーキもおそらくこれを若干厚くしたもののはずである。

 

 

こういう厚みになってしまう原因は、先程も述べた通り『ある事』が関係している。

むしろ、その『ある事』をどのようにしたかでホットケーキの厚みが決まるとも言っていいほどそれは重要なものなのである。

 

その『ある事』というのは、作り方にもひそかに記されている『フライパンを一旦冷ます』という事である。

一見『そんだけ?』と思うかもしれないが、実はこれこそがホットケーキの厚みを決定づけていると言っていいほど必須な事なのである。

 

 

ではどのようにやればいいか。

 

まず最初に、強火で1分余熱する。

そして重要なのはこの後である。

ここでその『フライパンを一旦冷ます』というのをするわけなのだが、こここそが全てを決する時なのである。

 

その冷まし方は…

 

濡れ布巾に『きっかり1秒』乗せて冷ます

 

 

これだけである。

ここで重要なのは、『きっかり1秒』であり、それより遅くても早すぎてもいけないという事だ。

 

 

そしてその後は、『高い位置からタネを落とす』形でフライパンに生地を載乗せて、弱火で3分、その後はひっくり返して2分焼く。

 

これがホットケーキの理想の作り方である。

 

 

とある番組のこの内容を参考にして私はホットケーキを作り続けた。

 

そして…

 

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ついにパッケージにあった通りの厚みにたどり着いた。

フォトにもあるように、それ以上になってるのもあるが…マァ、結果オーライという事で。

 

 

その後も私は機会があれば作るようなペースでホットケーキを作った。

 

 

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焼き方によっては、分度器みたいな形になったり、厚みがない焼き方になったりと、こういうやり方をすれば必然的に理想の厚みに焼けるとは限らないようだ。

調理は専門職としてあるだけに、それなりの技術が必要だという事があらためてわかる。

 

ちなみに、何かとこげ茶っぽく見えるのは、私なりのアレンジとしてココアを加えたからである。

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ホットケーキは故郷でも焼いてみた。

故郷では、ホットケーキはホットプレートで焼いていたので、こういう厚みになるのは普通の事なので特に気にしてはいなかった。

 

というわけで…

 

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早速そのホットケーキを披露した。

平たさにおいては多少の事はあったが、見事理想の厚みで焼く事が出来た。

 

 

 

 

焼き方においてもそうだが、生地にスペシャルファイヤー(隠し味と言え隠し味と)を加える事によって、宇宙の広がりのような厚みとふっくら感を持ったホットケーキが出来るとの事である。

ちなみにそのスペシャルファイヤーとは、『マヨネーズを少し加える』との事だそうだ。

それを組み合わせて焼けば…

 

お~豪快シェフ!な展開になる事間違いなしである。

 

ちなみにまだそれは試した事はないのだが。(うおい)←それを知った頃は、様々な諸事情もあり、いつの間にかホットケーキを焼かなくなっていた

 

私の好きなホットケーキのトッピングは、『メープルシロップ』である。

はちみつというイメージが強いかもしれないが、ホットケーキは基本、カエデの樹液がシロップの代表との事である。

 

他にも、ホイップクリームを乗せるというのもあるが、あえて代表的で誰もが共感できそうな方を選んでおく事にする。

 

大部分述懐内容を書いて、終盤になってようやく突き詰めた本編に答えるって…

 

…というもっともなツッコミは大目に見てくださいませ。

 

好きなホットケーキのトッピングは?

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除夜の鐘と共に、時計の表示が0をそろえた時刻を迎えた。

若かりし頃、出来る限り起きてその時を普通に迎えていた時もあったが、やはりこの時ほどその実感がわく時はないであろう。

それは、いくつになろうとも続いていく実感なのである。

 

 

というわけで、あらためて2019年である。

 

コン年度は既にその時を無事迎えられるように心して待つ中で、新たな時代の幕開けの年。

コン年度の春は、今まで以上に季節に限らない春を実感させてくれる時期になる事であろう。

先の話ではあれど、今から楽しみである。

今私達がすべき事は、それを無事迎えられるように日々努めるという事。

そのためにも、コン年度は今まで以上に猪突猛進の気持ちと勢いで新たなこれからを築いていけるようにしていこう。

もちろん、言っている私もだけどね(切実)

 

コン年度の元日は、新たな時代の幕開けを示すように出し抜けに明るい晴天日だった。

新年の実感のためのルーティンとして忘れずにしている初日の出ご来光を出迎える事は、コン年度も無事行えた。

初日の出のご来光は、コン日に至るまで何度も見ていたが、コン回のご来光は今まで以上に特別なご来光のように思えた。

これも、新たなこれからを実感しつつあるからなのかもしれない。

きつねさんは夜行性だけど、この時間帯はまだ起きてるのかな…

新たな年を迎えても、私の中のきつねさんの存在はなおも健在である。

 

コン年度、時代と共に新たな節目を迎える事と共に、私も昨年の再スタートを活かして、本当の新たなこれからの幕開けと真のスタートを果たしてみせよう。

昨年度が再スタートに向けた年であったならば、コン年度はあらためてそれを本当の意味でスタートする年。

その思いと確信のもと、私もコン年度の干支のごとく、猪突猛進に新たなこれからへと突き進んでいく。

今もそれに通じる時である。

 

あらためて、コン年度もよろしくお願いします!

年末を実感して過ごした中、今日ついに大晦日を迎えた。

コン年度は、干支の実感を今まで以上に身近に覚え(主に、ルガさんがきっかけ)、今までにない多くの実感を持った一年であった。

その背景はやはり、『明確なビジョンのもと、出来る限り意識的に過ごしていた』からであろう。

 

故郷に戻って再スタートを切った後、私は今まで以上に『過ごす』という事の実感を持った。

その表れは、『一日に出来る事が限られている』という実感だった。

当時の私は、特にやろうと思う事がない中で適当に過ごしていた事もあってか、そういった一日に有限性という事への実感がなかった。

『起きれているうちにやればいい』という若気の至りをそれが通用しなくたった後も引きずっていたがために、実際は満足に、それどころか最低限もやれてないにもかかわらず、『少なくともやる事だけはしている』という理屈だけで、実際は今まで通りの事を適当にしてる以外の何ものでもない中に決まってい続けてる過ごし方にしてしまっていたのだった。

そして、それはいつしかそれどころではない事態になっても、あくまでまだどうにかなってる事に気を向けて、それを変えないままそこにしがみつく状況に身を置くまでになってしまったのである。

時の進みや、時の有限性を実感出来ないのは、紛れもなく『無自覚に適当な過ごし方をして、日々を棒に振る過ごし方をしている』からなのだと故郷に戻り、やるべき事を忠実にやる過ごし方をしていく中で、私は初めて気づかされた。

ひそかに、こういった実感は学生時代にも持っていなかった。

過ごす内容がいつも通りだからというのもあったかもしれないが、それ以前に私は『何の明確なビジョンもなく、ただ何となく適当に過ごす』日々を送っていたからそうだったのだとあらためて思う。

故郷に戻り、私は今の状態で出来る手伝いなどを意識的に行っているうちに、私は『一日に出来る事は、どんなやり方をしても限られている』と実感し、それは私に対してコン日まで考えた事すらなかった新たな意識を持たせる事となった。

適当に過ごしている事が、ただ時を浪費するだけにとどまらず、日頃の基本的な行いの在り方をいかに間違った事にするかを私はあらためて痛感した。

 

私は今までずっとこんな適当な過ごし方をしていたのか…

 

その事を心から実感したのは、コン日に至るまでにおいても、まさしくコン年度が初めてだった。

 

 

市川にいた頃だけじゃなく、それは私が2015年に『本当の生き方』に目覚めるまでの、学生時代全てがそれに当てはまる規模の『コン日に至るまでの今までの私全て』がまさしくそうだったのだ。

主観的に普通に思い、それに疑いなく納得していた事を、私はコン年度ようやく気付く事となったのだった。

 

 

とある占いにおいて、2018年は私にとって『変化を受け入れ、生まれ変わる年』だと言われていた。

当時は、私が前提としていた事に期待していたが、今になってわかったのは、その変わる事とは『それを実現するために、まず今までの私から完全に脱却する』という意味での事だったという事だった。

確かに、あらためて思えば、今までの私では例え期待していた事になっても、結局無自覚のうちにそれを活かせず、いつの間にか元の木阿弥になっていたと実感できる。

そういう事になりたければ、まずは今の状況の中で、今の状況を通して表れている『今までの私』から脱却する事をしなくてはならない。

そういう事もあって、あえて『本当の新たなこれから』は保留して、今は私自身を一新する事に邁進させていたのだ。

多少は焦りもあったが、後にそれに自然に納得して私自身を変える事を心置きなく行えるようになり、こうして私は今に至っている。

 

そして、今そういった事を自然に思い、納得出来ているのは、紛れもなく私が今までとは違う、新たな私に変わりつつあるからである。

ここまで進めたと実感出来ているならば、立ち止まらず引き続き、邁進していくだけである。

新たなこれからは、きっとすぐそこまで来ているはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

コン年度は、干支の動物の身近さと共に、今までとは違う新たな事に通じていく事を身近に覚えた年だった。

コン年度、私はようやく『今までの私』という古い殻を脱ぎ捨てる事が出来たのかもしれない。

 

 

コン年度の私は、きつねさんで言うならばきっとこうなったと思う。

 

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ここでの『脱皮』は、『コン日に至るまでの今までの私の全てから脱却する』という事。

ずっとしがみついていた中から離れ、そこから紆余曲折の様々な過程と試練を経て、私は今までとは全てが違う新たな私へと近づく事が出来た。

もちろん、まだその真っ只中なので油断をせずに新年も心新たに邁進していく。

 

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そのもうひと頑張りは、やがて本当のゴールと新たなこれからへとたどり着くはずだから。

 

 

 

新たな年は、新たな元号にとどまらない『本当の新たな事』が幅広く起きる事であろう。

 

それは私も同じである。

 

きつねさん、来年度から必ずきつねさんに会いに行くからね。

 

 

それでは、きつねさんとルガさんと共に…

 

BETTER YEAR!

より良いお年を!

戌年である2018年ももうすぐ終盤。

コン年度は干支の実感がその干支生まれじゃなくても幅広く実感できる年だったとあらためて実感できる。

コン年度、戌年の誼で投稿したバニラの記事も戌年を象徴する事と言えよう。

 

というわけで、戌年終盤を飾る記事としてコン年度最後のバニラの記事を投稿する。

 

 

 

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まずはどアップフォトから。

 

やはり、わんこ系統の動物はこういったどアップフォトが似合うと言っていいだろう。

もちろん、イヌ科の動物の魅力の基準の一つである『マズル』や『鼻先』を意識して撮影している。

 

 

 

 

 

 

 

 

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続いては、バニラのごろ寝シーン。

小さい頃からバニラはこうやってごろ寝してる事が多かった。

それは大きくなった後も表れており、むしろ小さい頃よりも目立つようになるほどだった。

 

その理由は…

 

 

 

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この(メスだけに)妊婦のようにぼてっとした腹である。

ビーグル犬は、猟犬ゆえに『出されたものは無理してでも全部食べる』という習性があるため、それもあってかバニラのお腹はかなり出ているのだ。

そのため、長い間座ったままでいる事が出来ず、基本は横になっているのである。

 

 

 

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そのぼて腹ぶりは、タヌキのようにボディーパーカッションが出来るほどのものである。

 

フォトでもひそかに見えてると思うが、バニラはお腹をそういう風にされると『ちょっとやめてよ』と振り返ってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

バニラの様子を在り来たりじゃない形で撮影する事も、ここに投稿する意識のもとで前提にしている。

 

 

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これは、バニラが毛づくろいをしてる様子を遠くからズームで撮影したものである。

 

バニラは私が近づくと、何かをしてる(基本は横になってるけど)途中であっても真っ先に近づいてくる。

そのため、個人的に毛づくろいをしている時は、多少写りの質が下がっても遠くから撮影しなくてはならない。

これは今までからしても一番いい撮れ方になったフォトと言える。

 

 

 

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にゃんこが毛づくろいをするのは、日常茶飯事規模で見かけるが、わんこが毛づくろいをするのはひそかに見た事がない。

 

こういった事は、他のわんこにも見られるものなのだろうか。

ちなみに、こういう事をしてるバニラだが、なぜかわんこの典型例な仕草である『顔ペロ』はしてこない。

 

 

撮影といえば、『瞬間』を撮るのが基本。

 

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シャッターを切った瞬間にバニラがあくびをしたのでこの瞬間が撮影出来た。

バニラのあくびの瞬間は以前もあったが、それも偶然撮影出来た瞬間だった。

私が撮影しているカメラは、ボタンを押したらピントを合わせる事もあってか、少しタイムラグがある。

そしてそのタイムラグが起きている時に、こういった事が急遽起きてこのようになるのだ。

スマートフォンならば、まさしくそのタイムラグなしにすぐに瞬間を撮影できるが、ガラパゴスはそうもいかない。

そういった下位互換と言える特徴が、今出来る形で瞬間を撮影する事をこうした奇妙な形で叶えてくれるとは皮肉なものである。

 

 

他にも、写りのいいバニラのフォトは出来る限り撮影して載せている。

 

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撮影する度に実感されるのは、どれも以前撮ったのと似ているような写りであっても、決してピッタリ同じではなく、何かが違ってる写りであるという事だ。

こういった一つ一つがひそかに違う写りだと実感するのも、その時だけしかない『瞬間』を写しているからなのかもしれない。

 

 

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時にはこういったほけ~っとした瞬間もあったりするのがバニラである。

しかし、基本はビーグル犬の特徴ゆえなのか、とても活発であり、こういった瞬間はそういった意味も込めて貴重なものと言えるかもしれない。

 

 

 

ただ撮影するだけでなく、思い切って大胆な撮影にも挑戦してみる事にした。

 

 

 

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むに~

 

 

 

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ぶに~

 

 

 

以前からひそかに撮影してみたいと思っていた私がバニラに対して頻繁にやる『顔ぶに』である。

見ての通り、両手はふさがっているので、どうやって撮影したかと思うであろう。

 

方法は単純な事である。

当てずっぽうに、カメラを顎に挟んで持ち、セルフタイマーを使って一か八か形式で撮影したのである。

多少のズレはあったが、どうにか撮影出来たのでよしとしよう。

 

 

 

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ビーグル犬のたれ耳をめくるのにも挑戦したが、頬っぺたよりも嫌がっていたので片手での撮影にとどまった。

時々、耳をめくって頭に乗せる事もあれば、耳で目隠しをしたり、耳の穴に息を吹きかけたりする事もある。

顔ぶにと同じような事が出来れば、ダンボみたいなシーンが撮影できるのだが…

それは、もう少しやりやすくなるまで保留しておくとしよう。(一応やろうとは思ってんのね)

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バニラのその時を撮影したフォトは、以前撮影したのと似ているようでひそかに何かが違う事を自然に気づかせる新鮮さを実感させてくれる。

同じような様子でも、その時その時が常に違うからこそ、そういった事を実感させてくれるのが今に表れている『瞬間』なのかもしれない。

バニラの撮影を通して私はあらためてその事に気づかされたのだった。

 

 

 

 

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コン年度は今まで以上にバニラの事を色々実感した一年だった。

それは単にコン年度が戌年だったからにとどまらず、こうして私が故郷に戻り、今まで以上にバニラと直に触れあえたからというのもあるのだろう。

 

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わんこと直に触れあう事は、私が市川に一方的にい続けている時にひそかに抱いていた願望だった。

そこにいる間は、わんこどころか他の動物と触れ合う機会さえなかっただけに、色々あったとはいえ、こうして再び直にわんこと触れ合う事が出来るようになったのは、私にとってもいい機会だったとあらためて思う。

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バニラ自身も、こうして散歩以外の事で直に関わってくれる存在がひそかに私以外いなかった事もあってか、活発にはしゃぐ事を基本に、時にこうした表情を浮かべるほど、それを嬉しく喜ばしいように思ってるように私には思えた。

 

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コン年度は、干支やそれに関する動物への誼が広かったからとは別の意味で、戌年だという事を実感した年だったと言えよう。

 

 

今まで以上にわんこと直に触れ合えた事。

バニラとの交流を通して、わんこへの思い入れを今まで以上に持った事。

それを通して7年前のひそかに忘れ去られていた漫画を見つけた事。

 

バニラとの交流は、私にわんこに対する今までにない大きな事をもたらしてくれた。

コン年度の戌年は、まさしくバニラの年だったと言えよう。

 

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その戌年ももうすぐフィナーレである。

あっという間と思う事もあれば、やっとと思う事もある、そんな12年ぶりの戌年だった。

 

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戌年は終われど、バニ年は続いていく。

 

今日も。

 

明日も。

 

明後日も。

 

そして…

 

これからも…

 

 

 

 

ね、バニラ。

 

 

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