『まだその時ではない』。
最近では、妖怪ウォッチの『万尾獅子』のこのセリフに共感を覚える。
アニメでは融通のきかなさゆえに、いい目で見れなかったのだが、これまでの私の事を踏まえると、万尾獅子のセリフに対してもっともな実感を持つようになったのだ。
人はみな、『本当にふさわしいタイミング』よりも、『出来る限りさっさとそうしたい』という理由を優先するせっかちな一面を持つものである。
しかしそういう時にこそ、気づきにくい形で『やりたい気持ちはわかるが、今のままでやるのは(後で後悔する結果になる意味で)時期尚早だぞ』といった感じで、万尾獅子のような展開になる事は普通にあるのだ。
そして、そういう時は当時の私もそうだったように、多くの人はそれを押しのけて真っ先にそれをやろうとする事に走るものなのである。
子供時代は、誰もがみな色んなものを欲しがったり求めたりする事は普通にある事である。
そのために、一念発起して目標を果たしてそれを手に入れる事は子供時代は誰もが経験した事があるであろう。
ちなみに、私は12歳の時にマラソン大会で『ポケモン銀を買ってもらう』というのをした事がある。
ただ、その時は実質参加賞に等しい形でどんな結果であろうと(極端に言えば、『そのために頑張ってなくても』と言っていい)どっちみち手に入る条件のもとだった。
当時の私は、『今やるべき事をきっちりどころか、最低限もやらない』中で、欲しいものを求めている事が大部分な在り方だった。
その『当時』というのは、小学生や中学生の頃にとどまらず、『コン日に至るまで』と言っていいほど今にも表れている事と言っていいようなものだった。
私としては、当時色々求めているものはあったが、その反面『そのために今やるべき事』
はやろうとしなかった。
それでも、ある時偶然手に入ったのをいい事に『このままでもいいんだ』と決めつけてしまい、結局これを機にやるべき事を積極的に取り組む事はせず、それによりそれ以降はまともに手に入れる事は出来ずに終わったのがほとんどだった。
その中には、『本心から求めていたもの』も多く含まれていた。
今あらためて思うのは、こういう結果になったのは他でもない『今やるべき事をやらずに、ただそれだけを手に入れる事だけしか考えていなかったから』である事と、何よりも『本当の目的のためにコン回だけ特別に叶えてあげた事を、とんだ勘違いによる過信によって活かさなかったから』だとあらためて痛感する。
特に、一番痛感したのは、私がそれを叶えるのにふさわしい在り方になっていなくてもそれをコン回は叶えてくれた事の『本当の意味』に気づこうともしなかった事である。
まだその時じゃなくても手に入れさせてくれたのは、『これを機に、やるべき事を積極的にやってほしい』という意味が込められていたのだろうと今になってあらためて痛感した。
しかし、私は小さい頃に限らず、成人年代になった後もそれを引きずって、懲りずに今までのままでそれを手に入れようとし続けていたのである。
しかも、当時はそれについて今のような考えは一切持たず、手に入れられない事への不満ばかりを依存手段として利用していただけだったのだとあらためて痛感した。
子供時代はともかくとして、成人年代になった後も懲りずに偶然どうにかなってる事に依存して私自身の在り方を変えるどころか、それを考えすらしなかったというのは今の私からすれば、どれだけ私は怠けていて、しかもそれに納得していたんだと思う。
本当に求めてるものさえ手に入らなかったのは、私の在り方を変えようとせず、『(少なくともまだその時ではない)今の在り方』のままで手に入れようとしていたからこそなのであろう。
そしてそれはひそかにコン日まで表れていた。
今思えば、2015年に『本当の生き方』に気づいてから、私はようやく、というか初めて『これまでの全てを軌道修正する事』を意識するようになったのだが、そうした中でもコン日まで一方的にい続けた事は深く根付いており、昨年度に1からやり直しの境遇に身を置き、それから半年以上経つまでは結局『今まで通りの在り方でどうにかしよう』という本末転倒な事をしていたのだった。
そしてそうした中で、『(少なくともまだその時ではない)今の在り方』で本当に求めてる事をやろうとして知らず知らずのうちに『本当の生き方』から離れるように、『今まで通りの在り方』になってる以外の何ものでもない状態で届くはずもない事をちゃっかり求めていたのである。
その事と、コン回の述懐を語る内容を実感したのは、ひそかに昨年の後半だった。
それまでの私は、あくまで今までの在り方のままでどうにかしようとして『今の在り方そのものを見直す』という事を一切思いつきすらしない中にいたと、昨年の10月中旬になって『初めて』気づいたのである。
今の私は、『本当のふさわしい在り方』になるまでは本当にやりたい事はお預けされている状態にいる。
…むしろこれが普通なのだろう。
当時はそうでなくても『今はまだ出来ている事』があるのをいい事に、『これでも出来てるからこれでいいんだ』という浅はかな考えで、『今の在り方でもそうしてくれている本当の意味』に気づこうともせず、結局そこから変わろうとせずにこのままで適当にやっていたのだ。
『現実にそれが今は出来ない』からこそ、それに甘んじず、あらためて『そのために本当にやるべき事』をやるべきなのであり、何よりそれこそが唯一の答えなのだ。
そしてようやく、私はその『唯一の答え』に気づき、それを選ぶ事が出来たのである。
述懐を通してあらためて心からそれに気づき、そのために今すべき事が明確にわかっているならば、だいぶ遅れはとったが、気づいた以上は今からでも遅くはない。
今私がすべき事は、ただ一つ。
今この時も、『時が満ちる』のに向けた事に取り組んでいく事である。
その時を待つというのは、ただそうなるのを待つのではなく、『その時が来るためにすべき事を進めていく』という事なのである。
万尾獅子が言う『その時』に意味、そして『時が満ちるの待つ』という事の意味も今なら真剣な意味で実感できる。
『ついに…時は、満ちた!!』
万尾獅子が言う『時が満ちた時』と『その時』。
それは、『それが起きる時』なのではなく、『私自身がその在り方になった時』なのである。
全てがそれをやるにふさわしい、全てを最高の在り方に出来る。
私がまだ気づいていない『本当の在り方』という…
満を持し、時が満ちるのは、きっともうすぐである。