暫くは人来ぬ郷や雉鳴けり

「方円」2012年5月号清象集掲載。

雉は日本の国鳥。春の繁殖期に己の縄張りを主張するため、「ケーンケーン」と高い声を出す。「人来ぬ郷」という表現をしているが、ここは奈良県明日香村。観光客がひっきりなしに来る場所でもある。しかし、観光エリアから外れると、普通の村であり、田園風景。普通の生活がある。そんな静かな明日香村に、雉が声を張り上げて鳴く。人の気配はないが、普通の生の営みがそこにはある。そんな光景を詠んだ句。

私の職場は京都市の南の方。通勤に近鉄京都線を利用している。奈良から京都までを走る路線で、電車には外国人観光客がよく乗っている。最近はその数が増えている気がする。こんな所にもいるのかという場所でもよく見かける。京都は一大観光都市。同時にそこで生活を営む人もいる。雉が鳴いていた明日香村は、観光エリアと生活エリアが明確に分かれているという印象が強かった。しかしオーバーツーリズムが叫ばれる昨今、人の営み、生の営みというものが脅かされるのではないかという懸念がある。どの地にも住民がいて、生活を営んでいる。それを忘れないように、土地の人たちに敬意を示すことが出来ればいいのだが、そう考える人ばかりでもなさそうだ。案じられる。

(絵はAIによる創作です)

 

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枯苔の貼り付く岩や冴返る

「方円」2008年5月号雑詠掲載。

「冴返る」は春の季語。「寒戻る」と同じ意味として使われる。暖かくなりかけた頃にまた寒さが戻る事を指す。一方「余寒」は寒明け後すぐの寒さの事。どちらかというと「まだ寒さが続く」という表現で、「冴返る」とは異なる時期を表している。寒さが戻ったとある場所の川辺。大きな石に染みのようなものが付いている。よく見ると、枯れた苔が岩に張り付いていた。いかにも寒々しい光景だが、苔の必死に生きようとする姿が、春の寒さの中で鮮明に目に焼き付いて詠んだ句。

読み返してみると、この句はあまり感心できない。まず「枯れる」と「冴返る」が季重なり。この場合は「冴返る」の方が季語としては強いが、「枯れる」という一見季語と見間違うものを入れるのはあまり良くない。しかし、実際見たものは枯れた苔が岩に張り付いている様子。それならば「枯苔」よりも、別の言い方をするべきではないか。今はどの季節喉の場面を詠もうとしているのかという事を、見る人にはっきり示すような言葉を選ばなければ伝わらない。そう考えたら、こんな風に校正できる。

冴返る巌に残る苔の跡

そうすると、今度は「冴返る」という季語が合っているのかと考える。校正は何度行っても良いと知ろう。

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薺咲く奥処は子等の秘密基地

「雲の峰」2025年5月号青葉集掲載。

薺は春の七草のひとつとされるため、単に「薺」なら新年の季語。「薺の花」や「薺咲く」など、花にフォーカスを当てると春の季語になる。どこにでも咲く白い花。アブラナ科というだけあって、小さな菜の花のような形をしている。母校の中学校にほど近い田園風景。引っ越し前はこの辺りを朝の散歩道としていた。その一角の畑に、薺の花が沢山群がっている。その後ろは竹藪になっていて、奥に何があるかは伺い知れない。子どもはこういう場所を「秘密基地」と称して遊ぶのだろう。そんな想像を巡らせて詠んだ句。

昔の子供たちは、自分たちで遊びやゲームを作り出し、自分たちでルールを決めて遊んだ。ものを考えだす想像力、実際に作り出す創造力は果てしないものがある。今の子供は、市販されているゲームで遊ぶ。ある程度の想像力は必要なのだろうが、大方のストーリーやルールは出来上がったもの。昔のような創造力はそこまで必要ない。子どもだけではなく大人も、巷に文字として溢れる種々雑多な情報を鵜吞みにして、自ら考えることなく妄信する危険性を孕んでいる。大宅壮一が述べた「一億総白雉化」という、私の大嫌いな言葉がある。曰く、テレビなどの低俗なメディアが人間の思考力を低下させると。そういう貴方はどれほどの知識と知恵を持っているのか。持たざる人間を下に見ているのかと、私はややひねくれた見方をする。しかし、そう言わせるほど、様々な情報がオードブルのように並べられているのも確か。かく言う私も、この言葉に怒っている段階で、巷に溢れる情報の虜になってしまっている。もう一度昔に戻って、想像力と創造力を高める事も大切だろう。何もない野原に秘密基地を作った子どもの時のように。

 

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晶子歌碑椿を添へてゐたりけり

「雲の峰」2024年5月号青葉集掲載。

京都・城南宮へ梅を見に行く。3月に入り、少しずつ暖かくなってきたが、梅満開とまではいかず。梅の次に有名なのが椿の花。その傍に、与謝野晶子の「五月雨に築土くづれし鳥羽殿のいぬゐの池におもだかさきぬ」という歌碑がある。城南宮近くにあった鳥羽殿を歌ったものと思われる。与謝野晶子の歌碑には、花がよく似合う。そんな春らしい光景を詠んだ句。

日曜朝に放送されているNHK短歌を、朝食を食べながらよく見ている。入選作はさすがに雰囲気がいい。しかし最近の短歌の傾向は口語短歌。文語体で詠まれたものはほとんどない。やはり短歌と俳句は大きく違うようだ。俳句講座を受講して以来、文語旧かなを叩き込まれた私にとっては、どことなく軽い感じがしてならない。これは私の偏見と思い込みかもしれないが、与謝野晶子の文語体の歌には、どことなく品格を感じる。口語が絶対ダメという事はない。詩歌は話し言葉で読む人の感動を呼ぶ。ただ、一見堅苦しく、取っつきにくい文語旧かなも、話し言葉とは違った魅力があることも確か。一度そちらの世界にも足を踏み入れて貰いたいものだ。

 

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鳶鳴くや耕人たちの長話

「方円」2007年4月号雑詠掲載。

「耕す」「耕人」は春の季語。「鳶」は季語にはならない。徐々に暖かくなり、冬ざれて寒々しい田園風景は様子を一変させる。畑には緑の下草が生い茂り、畑作業をする人々が増える。暫しの休憩時間、畑作業をしていた二人が何やら話をしている。天気の話から始まり、自分の身の回りの話、世相の話など、多岐に及ぶ。私は実際聞いたわけではないが、話の節々からそういう類の言葉が聞こえてきた。話し込んでいる場所の遥か真上では、鳶が輪を描き、高い声で鳴いている。春らしい、のどかな風景を切り取って、季節が変わったことを実感するような感覚を詠んだ句。

亡母は若い頃、茶摘みのアルバイトだったかボランティアだったかに出向いたことがあったそうだ。茶畑は、作業のために屈んでしまえば人に見られない。それをいい事に、オバサンたちが下世話な話や隣人の悪口、蔭口などを喋り合いながら作業しているのが、とても嫌だったと、母は話していた。母方の親戚は、どんな話題でも、最後にはご近所のうわさ話に持って行くので、母は「アンタはんコンタはん」と陰で呼んでいた。どうも長話や噂話、世間話の類が嫌い(もしくは興味がない)だったようだ。血を引いたのかどうかわからないが、私もそういう話はどちらかというと苦手。しかし、喋り合うという行為は、一つのコミュニケーションでもある。避けて通るわけにはいかない。過度に避けるのではなく、自分も話題の引き出しを持っておいた方がいいのではと、最近思う。但し人を傷つけないように。

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