俯くや社の脇の水仙花

「方円」2009年3月号雑詠掲載。

水仙は冬の季語。淡路島の黒岩水仙峡など、海岸近くに群生したり、切り花用に栽培されたりしているのをよく見かける、ごくありふれた花。とある神社の脇の花壇に、この水仙が植えられている。冬になり、一斉に白い可憐な花を咲かせているが、軒並み下向きに咲いている。場所は折しも神社の脇。本殿に傅いているようにも、敷地の脇でいじけているようにも見えて、「俯く」という表現を用いた句。

今の結社は、「あまり擬人を多用しない方がいい」というコンセプトだ。「絶対にダメ」と言っている訳ではない。この句でも「水仙が俯く」という表現を用いているが、水仙は水仙で堂々と生き、堂々と咲いている訳で、「ほっといてくれ」という心境かもしれない。そう見えるからそう表現するというのは、人間が見た目で判断するいわば「決めつけ」と言えなくもない。SNSが発達したこのご時世、決めつけが暴走する様子をよく見る。そう考えると、擬人も決めつけではないかという、やや乱暴な考えも、一方向から見た決めつけであり、絶対正当化させるべきものとは限らない。言論でも詩歌でも、あらゆる「決めつけ」というタガを外して、多方向から見てこそ、いい表現が生まれる場合がある。私も、擬人にばかり頼るという昔からの癖から、そろそろ脱却したいとは思う。

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山二つ先の海原冬ぬくし

「方円」2012年3月号清象集掲載。

冬のさなかでも暖かい日がある。厳しい寒さを予想して、頑なっていた身体がほぐれる瞬間。そうした雰囲気を表すのが「冬暖か」という季語。「三寒四温」と違って、暖かいという感覚を重視した季語と言える。この句を詠んだ場所は南海本線・大阪府から和歌山県に至る車窓か。山深い景色を抜けると、パッと視界が広がり、紀伊水道が見えてくる。外に出なければ、冬の日差しは暖かい。思わずほっとする。そんな光景と心情を詠んだ句。

こんな風にもっともらしく句の背景を振り返っているが、実はいつも必死に思い出そうとしている。私は整理が悪く、いつどこへ行ってどんな写真を撮った。どんな句を詠んだという記録を残していない。大作曲家が自作に「作品何番」と通し番号を打っているが、昔からそんな事をしなかった。加えて、出来る限り句中に固有名詞や地名を入れなかったため、景色や印象だけが文字として残るだけ。なので、後で句を読み返したら、どんな解釈もできる。読み手に想像してもらうと言えばもっともらしいが、何故この句を詠んだのかと言われたときに、答えに窮する。たった17文字だからこそ、その背景をきちんと説明できるようにするためには、何事においても整理整頓という事だろうか。私の最も苦手とするところでもある。

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鴨泳ぐ時に流れに逆らひて

「雲の峰」2024年3月号青葉集掲載。

ため池や用水路、お城のお堀などで、優雅に浮かんでいる鴨をよく見かける。流れのない池にいる者もいれば、川を泳いでいる者もいる。川には当然流れがある。川に数羽浮かぶ鴨の向かう方向は様々。流れに沿って泳いだかと思えば、不意に方向転換して、流れに逆らって泳ぎだす者もいる。そんな鴨は、きっと人に見えない水中では、必死に足をばたつかせているのだろう。見た目の優雅さとは裏腹に、必死に泳いでいるであろう鴨を想像して詠んだ句。

10年以上前、「鴨泳ぐ足裏(あうら)懸命に見えてをり」という句を詠んだことがある。必死に泳ぐ鴨の、人には見えない足の部分をクローズアップしている。たいていの人は、そんな必死な足の部分より、水に浮かんでいる本体ばかり見る。当の本人も、「自分は必死に泳いでいるんだ」という様子を見せず、ただ行きたい方向へ動く。「こんなに頑張ったのに報われない」と嘆く人間もいるが、そうではなく結果をきちんと残している人間もいる。確かに、社会はプロセスより現状と結果。頑張ったから何なんだという風潮が大半を占めているように思う。仰る通り。しかし、見えないところで色々頑張っているという事実は、自分の心の中には残る。誰に誇るわけでもないが、その部分は大切に心にしまっておきたいものだ。

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短日や切妻屋根の田舎駅

「方円」2009年3月号雑詠掲載。

「短日」とは「日短し」「暮早し」という傍題の通り、冬の日の短い事を指す。旅先、どこかは忘れてしまったが、歩いているうちに、もう日が暮れかけている。そんな中、ローカル線の無人駅が見えてきた。昼間ののどかな風景も絵になるが、暮れかけて大きな影絵のように見える、切妻屋根の駅舎も実に景色がいい。そんな冬の日暮の田舎の風景を素直に詠んだ句。

改めて、この「短日」という季語について調べてみた。出先でよく使う、角川合本俳句歳時記のスマホアプリには、こう書いてあった。

「冬は日の暮れが早い。秋分を過ぎると、すこしずつ昼の時間が短くなり、冬至の頃には極限に達する。一日がたちまち過ぎてしまう気ぜわしさがある。」

さらに、角川俳句大歳時記(冬)で詳しく調べてみると、こう書いてあった。

「秋の季語『夜長』と意味の上では同じになるが、人の心が寄るところの微妙な違いによる区別である。春の『日永』・夏の『短夜』とも対比すると、季節のあらわれ方はより鮮明になる。」

「短日」を季語に使う時期は、実際いつ頃がいいのか。今回紹介した句を詠んだのは12月から1月にかけて。冬至も過ぎてからなので、どちらかというとピークに比べて夜が徐々に短くなっていく。やはり立冬から冬至にかけて、[暮れが早くなる」というのが肌感覚でわかる時期に使うのが、一番いいのかもしれない。何の気なしに使っている季語だが、使う時期を考えれば、もっと効果が上がるということだ。

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寒鴉山へ短き声放つ

「方円」2020年3月号円象集掲載。

「寒鴉」(かんがらす・かんあ)は冬の季語。文字通り冬のカラスの事。冬のカラスが電線や木の枝でじっとしている荒涼とした様子を表すことが多い。そして時々鳴く。いかにも冬らしい寂しさだ。そんな冬のカラスが散歩道に一羽いた。刈り終えた田んぼの真ん中で、じっとして動かない。不意に思い出したように、山に向けてたった一声放つ。遠くにいる仲間への合図なのか、単なる呟きなのか、聞いているだけではわからないが、「寒鴉」という季語にぴったり当てはまる、何とも言えない寂しさを感じて詠んだ句。

カラスは高い知能と社会性を持つことはよく知られている。当然「感情」というものも持っている。カラスは主に行動で感情を表現するとされるが、人は表情や言葉で喜怒哀楽を表現する。1月11日、第58回京都府アンサンブルコンテスト、職場一般の部に、トロンボーン4重奏で出場。14年ぶりに金賞を頂いた。心の底から喜びが沸き上がる。泣いているメンバーもいた。私はこんなに嬉しいのに、表情が変わらない。あとで冷静になり、もしかしたらと思って調べてみると、自閉スペクトラムの特性の一つとして、「表情の乏しさ」というものが紹介されていた。発達障害は、私から喜怒哀楽の顔や涙を奪ったのかと考えると、非常に悲しくなった。これは私の障害特性というより、「ポーカーフェイス」という個性の一つなのだと、ポジティブに考えるしかないのかも知れない。そして、感情表現を顔ではなく他の方法で表す手段として、俳句や作編曲、はたまた演奏と、様々な趣味をフル活用していくのが、私の生き方だと、考えを改めようと思う。

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