SF映画。


夢や希望がたくさん詰まっている印象ですよね。



さて、私は映画を見ることが大好き。

といっても映画館ではなく、いつもレンタルで見ています。


たま~にコンビニで新作映画DVD置いてると衝動買いしてしまうこともあります。



今日は、SF映画に対し1つだけ思う疑問(憧れ)をお話ししましょう。



ストーリーや矛盾点などは、他サイトのレビュー関連を参考にしていただくとして、

今回は、私のブログに相応しい疑問。



まずは有名な映画を例にとりましょう。


「AVATAR」


大ヒットした映画ですね。

私も大好きです。


この映画を見ていつも思う事がある。


AVATARは地球の人間が、他の星の部族「ナヴィ族」の体を脳波でコントロールして

ナヴィ族を研究・共生するお話です。


人間の女性はナヴィ族の女性体ナヴィに、男性は男性体のナヴィに。


ここまで書けば、もうお分かりでしょう。


私が気になる事は、ナヴィを操作する人間が異性体のナヴィをコントロールする事は

可能なのだろうか?ということ。


感覚(五感)も体感できるのだろうか。

映画を見ている限りは、体感できているようだ。


映画では、さも普通に男は男性体、女は女性体のナヴィを選んでいるが

人間にセクシャルマイノリティ者が存在する以上、それだけではないはず。

まあセクシャルマイノリティ者はナヴィ操作適任者として選ばれないから関係ないと

言われれば元も子もないのだが・・・


たかがSF(空想物語)と言われてもしょうがないが、

それでも疑問に感じたり、妄想などをしてしまう。



続いての映画


「サロゲート」


実はさっき見終わったばかり。

なので、今回記事を書こうと思った。

この作品もAVATARに一部共通したSF作品。


こちらの作品は、人間が人間型のロボット(見た目は完全に人間)を

操作して生活している世界という設定。

対人においては、自身の老いも美容も気にすることなく、

屋外での死を恐れる必要もないという触れ込みで、

大多数の人間が自宅にいながらマシーンを介して

理想の見た目のロボットを意識(脳波)で操作して仕事や生活を営んでいるのだ。


こちらの映画は、映画を見る限り

「痛み」はない。ロボットなので食事や睡眠、排泄、性行為の必要もない。

あくまで対人交流(会話)と移動/行動が中心のよう。

痛みがない以上、リアルな触覚もないのかもしれない。


しかし、ロボット体でおしゃれをしたり、クラブで踊ったりなどの

文化的な行動も見られる。

人間らしい性行為はなさそうだが、ロボ体同士での恋愛はありそう。

内容の1シーンでロボ体の独自の性的行為の描写はあった。


それは自身のロボ体に、専用の製品を用いて電流を流すといった行為。

恐らくこれが、ロボ体でいる時の性的行為だと思う。


とはいえ、実際に子作りをするとなると

お互い操作している人間同士でなければ意味もない。



見た目は完全な人間といえ、感覚は視覚聴覚しか感じないのであれば

極端にいえば、リアルな人間の姿じゃなくもっとロボロボしい姿でもいいのではと思うが、

その点においてはネットサービスのアバターやキャラのように個性を出したいと思うのと同じなのかもしれない。


さて、とはいえども、このサロゲートにおいても

人が異性体のロボットを操作(乗り移ったかのような視点で)すると、どのように感じるのだろうと不思議に思った。

(物語では異性の体を操作する事も可能であり、そういうシーンも出てくるが

違和感などはない)




もう1つ例をあげましょう。

古い映画ですが

「ストレンジデイズ」


これはもっと性的な意味でもストレートな映画です。

サングラスのようなものを装着すると、

メモリーに記録されている誰かの体験を、五感全体を使って

リアルに体感できるという機器が出てくる物語。


ストレートだというのは、そのまんまでエロ目的で使用する人もいる

シーンも多くあるということ。

異性の記憶で性行為をしている体感をすると、

異性の感覚を体験できるといった代物。


これは素直に羨ましいと思った。

エロ的な目線じゃなく、私らトランスジェンダーは手術しようとも、

本当の女体としての性行為体感ができるわけでもないので、

そういう意味で体感できる世界は羨ましいと思った。



他にはマトリックスなども近いものがありますが、

あれは現実世界の姿が仮想空間に反映されているので、

微妙ですね。


これらのSF映画の疑問や憧れを通して、

1つ思うことがある。


もしこれらの事が実現化し、一般的になれば

トランスジェンダーというものも少なくなるというか、

五感を通して異性を仮想体験しながら生活できるのなら、

生身の自分を苦労して変えていく必要性も薄くなるのでは・・・と。


とはいえ、仮想体験から覚め現実に戻った際、

そこに男らしい自分の肉体が存在するのは結局嫌だから

完全に無くなるということはないのかもしれませんね。


ところで、男性も女性も、誰にでも少しは異性化願望はあると言いますが、

トランスジェンダーと一般の男性女性の違いってなんなんでしょうね。


一時的にそうなってみたい という憧れと、

酸いも甘いも受け入れた上で一生そうでありたい・・・といった違いなのでしょうか。




今回例に挙げたようなSF映画を見ると、

トランスジェンダーの立場として、このような感想を抱く事がある


というお話でした。




東北関東大震災・・・


あまりにも甚大で最悪な災害でした。


今もまだ、被災者や作業員、警察消防救急自衛隊の方々など

必至に戦っています。


震災で大切な方を亡くされた方、

家や財産を失った方、

あまりにも過酷な現状で、

どういう言葉をかけていいのかすらわかりません・・・



東京住まいの私も、3.11では大きく揺れ、

とても驚きましたが、まさかここまで大きな災害になるとは

思ってもみませんでした。


今も売り切れ問題や余震、インフラ問題、計画停電、原発問題なども続いていて

企業も家庭も個人も疲弊しています。


うちの職場(風俗)は、12日から営業再開はしていますが、

当然の如くお客さんはいません。

当たり前というか、仕方ないと理解してますけどね。



買い占め問題については、私は普段から食料等は備蓄していたので、

災害が起こってから買い占める・・・という事はしませんでした。

その事について、各家庭も普段から消耗品などを充分に備蓄しておけばいいのになと感じました。


今回の一連の出来事で、

都内から西へ避難する方々、買い占めに走る方々、

必至で貯めた貯金を崩して募金に充てる方、

お金は出せない変わりに、応援の言葉を贈る方、

パニックになり、デマ的な内容を広める方。

様々な方がいます。


私は貧乏ですが、物凄く僅かながら募金いたしました。


今回は、非被災地域の国民の様々な行動について

それぞれの行動が是非を問われたりもしてますね。


私は誰も否定もしませんし、肯定もできません。

とはいえ、公式の場で不謹慎的な発言をする方や、どさくさに紛れて

犯罪を犯す者に関してはとても胸が痛みましたが・・・


買い占めや西日本、または海外へ避難した方々については、

被災者が一番の被害者であることは重々承知していますが、

最終的に、人は自身と家族だけが大事かもしれませんので、

一種の防衛反応といいますか。


他には、経済的な影響などもあり

本当に多くの事柄か複雑に絡まっているので

一概に物事の是非は語れませんね。


非被災地域の経済は変わらずに動いているので、

中には自粛でき兼ねない企業もある。

複雑な問題ですね。


それでも日本のみならず、世界の人々からの

支援や暖かな言葉が贈られたので、

それだけでも日本は充分愛されていると思う。



いずれにせよ、

今回の大震災で感じる事ができたのは、


「人間」 というもの。



人の強さ、弱さ、虚しさ、暖かさ、

そして愛。



かくいう私自身も、己自身の心や、立場などを

改めて痛感することができた。



このような状況が続いてる中で、

自分の話をするのは身勝手で不謹慎かもしれないけれど、


メディアを通して、見る惨状。


そして現実で身近で起こっている事実。



とても辛い出来事で、胸を痛めたのだけれど、

改めて、自分は孤独であり、

もしも自分も巻き込まれたら逞しく生き延びることはできるだろうか。


経済への影響で更にデフレが進み、

今以上に収入もなくなって、

自分自身も路頭に迷うのではないか。


といったことなど。


もちろん被災者への思いもありますが、

心のどこかではそういう漠然とした不安が襲ったのは否定できません。


同じような人は他にも多くいらっしゃるかもしれませんね。


直接的に被災しなかったという、幸運。

日本に大きな災害が起こったという最悪な不幸の中に、

自分は被災しなかったという幸運。


しかし、経済等の影響により

今後、直接打撃を受ける確率の高さ。

被災しなかったという幸運はあったが、今度は経済的に、

社会的に淘汰されてしまう不運。


もちろん、全てを失った被災者に比べれば・・・

というのは分かります。


けれど、私も弱者的な立場で

ギリギリで生きてきて、なんとか収入を得て

ギリギリの所にしがみついて生きてきたけれど、


「被災者」という、現在、本当に大変な方々が現れて

非被災地の弱者はあっさりと切り捨てられるのではないでしょうかね。


まぁ、それもそれで仕方はないかもしれませんね。

なるようにしかなりません。


そういった形で、震災を通し、

己自身の弱さや立場も再確認できた という事です。




もう1つ気づいたこと。



これだけITや通信等が発達しても

直接被災すれば一時的にそれらは無意味になってしまう。


最終的には、現実的な地域とのコミュニティが大事であることに気づいた。


もしも首都圏に災害が起きたら・・・



私の所もそうですが、

1人暮らし向けの賃貸マンションとかは

多くが、近隣との繋がりが皆無であること。


両隣部屋の住人の名前も顔も知りませんし、

マンションそのものに、引っ越しの際の挨拶などの慣例も存在しない。

知らない間に、どこかの部屋が引っ越しをし、気づいたら新たな違う住人が入っている。


そんなマンションは多いと思う。


家庭向けの団地等は、近隣住民との連携もハッキリしてそうですけどね。



最低限、管理人や大家などとの面識や会話はあっても、

近隣住民との関係性が皆無。


そしてこんなにも人が多い都会なのに、

職種も人種も多いのに、

「近隣」という枠組では関係性が薄い。

(1人暮らしの住居とかに限定ですよ)


コミュニティが存在するとしたら、

勤めている会社、行きつけのお店、

住んでいる地域が離れた友人・・・などでしょうか。


逆に通信や、交通の便が良すぎるからこそ、


近隣とは触れあわなくても、

バラバラに散っている者同士でコミュニティが組めているといった所でしょうか。


しかしそれは、大災害が起きて

交通網や通信がシャットアウトしてしまったらどうしようもないという諸刃の剣である。


というのも感じた。


これを期に、東京も近隣住民との繋がりやすくなる風潮ができればいいかもしれないけど、

近隣とのコミュニティよりも、犯罪や苦情等が多い首都圏では

難しいだろうなとも思った。



まぁ本当にいろんな人がいますしね。

同じマンションに住んでるという事以外、何の繋がりもない

近隣住民がいきなり部屋に訪ねてきたら怖いですもの。


逆も然り。


いきなり、ニューハーフで風俗嬢で・・みたいな私が知らない人の部屋を訪ねたら

物凄く恐がれると思う。



いずれにせよ、首都圏に大災害が直撃したら

被害はもちろんのこと、そういった現代の社会問題的な面も

顕著に浮き彫りになると感じています。



ところで、相変わらず余震は落ち着きません。


ある場所では、近々ある地域でも連動して大きな地震が起きる可能性が高いとも

噂されています。


余震が落ち着いてきたと思ったら、

気が抜けた瞬間にまた余震が起きるという現状。


気は休まりませんね・・・
























最近、まとめブログなるものが流行っています。

2ちゃんねるや質問サイト、掲示板サイトなどから

興味深い話題や内容ががピックアップされまとめられた転載ブログです。

多くのそういったサイトは、転載元サイトの本文やレス(やり取り)を、

第三者として閲覧し、それに対してコメントを綴っていくといった形式が多いです。



そして、TVなどのメディアに「オカマタレント」という枠が増えるに従い、

当然、そういった内容の話題が挙がることも定期的に見られるようになってきました。



1つ紹介しますが、例えばこれ。


http://blog.livedoor.jp/yumemigachi_salon/archives/51678855.html?1298269766




もともとこういう場所は「吐き溜め」と揶揄されてるように、

誹謗中傷は当たり前の世界です。


どんなターゲットであれ、必ず誹謗する人がいて、

むしろ誰からも中傷されないターゲットを探す方が難しいくらいでしょう。


しかしそれをいえば現実も同じですね。

ただ、中傷しても自分には害はないという半匿名インターネットの利点があるために

現実以上にそういったコメントが目立つのはありますね。



まぁ、そういった前置きは置いといて、

このようなサイトのコメントから考察できる

「セクシャルマイノリティ」の受け取られ方について紐解いていきたいと思います。





最近は、確かにセクシャルマイノリティを売りにした芸人や芸能人が増えています。

それはそれで喜ばしいことですが、それでも「そういう人らの枠」と括られ、

オネエタレント、オカマタレントとして扱われています。


セクシャルマイノリティにも多くのパターンがあるが、

上で挙げたサイトでも一括りされてるように、

一括して「○○タレント」として見られている(扱われている)のは大きいのでしょう。


これはメディア側にも責任はありますね。

とはいえメディア側も所詮は商売。

どうすることもできないでしょう。


また上記サイトのコメントの中にも、

当然嫌悪してる方も見受けられます。


これまでも何度か話しましたが、

個人個人で価値観が異なる以上、これもどうすることもできないです。


けれど、いろいろ知った上で嫌悪するのは仕方ないとしても、

深く知らないまま、メディア上での印象だけによる先入観で

嫌悪してる場合は、「そういう人らばかりじゃないよ。」ということも知ってもらいたく

活動、広報していきたい。


その上で改めて「やっぱり嫌い」となれば仕方ありませんけれどね。




個人個人の価値観が違うといえど、

悪い印象ばかりが目立ち、「個を見て全体を知る」のように、

セクシャルマイノリティ全てに否定的なレッテルを貼られ、

堂々と弾圧・迫害されるような世の中になってほしくないですしね。


とはいえ、かくいう私自身も、

メディアタレントには応援してる人もいれば、

正直、あまり好めないマイノリティタレントもいます。


だからといってインターネット上であえて実名(芸名)を出して

堂々と中傷しようとも思わないし、たぶんご本人を目の前にすれば、

意外と打ち解けて好きになる可能性もありますしね。



私の予想では、今後もメディアだけでなく、

様々な職種でも堂々とセクシャルマイノリティが活躍してくると思ってます。

(現在でも既にそういう傾向にありますね)


私の知り合いでも、実にいろいろな職についている方達も大勢います。

もちろん会社側に認知された上で。



この国限定の話になりますが、

セクシャルマイノリティの経営者や社長という会社もあるし、

政治や公共の場でもカミングアウトして活躍してる方々も多くいます。


中にはそれもよく思わない人達もいるけど、

全体の風潮として迫害されず活躍できるのは、

本当に良い国だと思います。


もちろん宗教的な面も大きいのでしょうが、

それをいえば宗教上、セクシャルマイノリティを遮断するような国でさえ、

セクシャルマイノリティの方々は多く存在します。

ただ、堂々と表舞台に出てきにくいだけで・・・


それと同じで、「存在するのは構わないが、表舞台に出てくるな、陰でひっそり生きろ」と

思う方もいるのですね。

実に悲しいです。


個人の価値観で、「自分が目にして嫌だから消えろ」という感情。

もちろんそう思うのは個人の自由ですし、

多数派意見が尊重される世の中の仕組み。

そう思う方が多く増えて多数派になってしまわないようにしたいですね。


また、そういう迫害的な個人の価値観が認められるのなら、

私としても「インターネットでの心無き誹謗中傷を目にするのは嫌だから消えろ」

と同じことになる。

でもこれを言っても、恐らく「じゃあインターネットをしなければよい、そういうサイトを見なければよい」

と言われるのがオチですからね。



しかし、実は私としても、

過剰にセクシャルマイノリティだけを売りにするようなメディアでの扱いは

少し懸念がある。


男性芸能人、女性芸能人はたくさんいます。

その中には、いろんな性格や、見た目の方がいる。

身体的な特徴として、例えばハゲている傾向の芸能人がいたとして、

別に「ハゲ系カテゴリ」という括りでは扱われていない。

(芸人自身が自分でネタにすることはあっても)


一芸能人として、中にはそういう特徴の人もいるというだけ。


これと同じように、セクシャルマイノリティも、

多くいる芸能人の中で、たまたまそういう特徴があるだけ という扱い方をしてほしい。



キャラとして、異性の服装や仕草をしてるだけの人、

ファッションで異性装をするだけの人、

見た目は普通の男性だが、同性を愛する人、

見た目は女性で男性を愛する人。


これ以外にも多種多様なパターンがありますが、

一括して「○○タレント」として括られる。


メディア側は、どんな有名人でも何かにつけてカテゴリ分類して名詞をつける傾向があるので

仕方ない面もあるのかもしれませんね。


でも、電波上に出演する人自身が、自分でそれを売りにしているなら、

そう扱われるのも仕方ないのかもしれませんね。



しかし、例えば自分ではそれを売りにしてなく、

純粋に活動したいとします。

そういった場合でも、そう括られたら許せませんね。


例えば、実力のある監督、画家、音楽家、役者、料理人などの

メディアに出る確率のある職種の方で、たまたまセクシャルマイノリティだったとします。


自身がそれを公言して売りにしてるならしょうがありませんが、

もしそうでなかったのなら、それでも「オネエ系」とかに分類するのでしょうかね。


うーん、もしかしたらメディア側は、実はそんなことはもうしない流れにあるのかもしれない。


むしろ受け取る側の判断次第ですね。



いろいろ感じましたが、


上記サイトなど(それ以外も)を見て思った意外な点としては、


セクシャルマイノリティは、ネット上の中傷の多いような場所では、

もっともっと大多数に叩かれるのかなと思ってたが、


意外とそうでもなく、理解している方も多く見受けられ、

好意を持っている方もいる。


オカマと性同一性障害は違う と理解してる方も多くいるようで、

名前をまとめ上げて一括りにするのはいけない と思ってる方もいる。


また、嫌いだとしても「セクシャルマイノリティ全て」が嫌いなわけじゃなく、

ちゃんと「誰々が嫌い」と、個人個人を区別できている人もいる。


この流れは意外でしたし、正直嬉しい。


「個を見て全体の好き嫌いに繋げないで」

という考え方は、多くの人が分かっているんだなって思った。










他県に住んでいる高校時代の友達が、連休ということで

東京に遊びにきた。

そのついでにうちにも訪問してくれた。



上京してはや数年。

これまでにメールや電話、ネットを通しての関わり合いはあったが、

直接会うのは5~6年ぶり。



この友達は高校時代にいつも連んでた私含めた3人組の1人。

私とも仲良かったけど、それ以上に彼はもう1人の奴と仲が深く、

高校卒業後もちょくちょく会って遊んでるそうです。


当時から3人組は仲がよかったが、

私だけ若干浮き気味という存在ではあった。


女として生きる事を選んでからも、当然理解はしてくれたけれど、

異性として見てくれるとかはまた別の問題。


冴えない男3人衆という友情だったから仕方ないしね(笑)



久々に会って、というか私が最後に友達と顔合わせした時よりも、

今の方が歳もとってるし、あの頃よりも女っぽさが増してる。

それもあってか、久々だけど、どうも馴染めないというか、

気を遣ってしまう。


とはいえ、問題なく喋る事もできるし、

私の精神的な性別が変わったという事以外は何も変わらない。

異性として意識なんて当然お互いに存在しないので悪しからず。



けれど、それはそれで、なかなかキツイものもありますよ。

別に性対象として扱えなんて思わないけれど、

昔のまま「いや、おまえ男だし、俺は男には興味ないし」

と言われるのは気持ち的にも、もどかしいのである。


男だからとか女だからとかでなく、

例えば異性であっても、全く性対象や恋愛対象として見てない異性友人もいるはず。

いちいち何かにつけて「おまえは男だろ」とツッコまれるのは微妙なのです(苦笑)

とはいえ、元の自分を知ってる以上、性格と見た目が少し変わっただけで

認識的には昔と同じまま というのは覆せないのは仕方ないのかもしれませんね。



それでもやはり「周りにいる普通の男の1人」としてしか扱われないのは微妙でもありますね。

こちらが「女側の立場から言わせてもらえば、どういう風に思うよ」と助言してみても、

「いや男だろ」というツッコミ。

正直笑えたものではありません。

性対象の意味で身体上で「女ではないから」拒否するというのは仕方がないが、

性格とか生き方考え方の上でも「男」と見られるのは、自分自身に変に違和感を感じるようになったという感じです。





前置きはさておき、本題へ。



20代半ばになったといっても、

友達はまだ「若い男」


うちに来ても、終始「溜まってる・・・どっかいい女いない?すぐヤラせてくれるような・・・」

と私に聞いてきます。

「もう風俗でもいい。どっかさー、いい風俗知らない?普通の女の風俗限定だよ。」


・・・


「いやー私が知るわけないじゃない、利用するわけないし(笑)」


風俗嬢だとしても、私が普通の風俗店に精通してるわけではない。



彼はここ最近、ずっと抜いて無くて相当溜まってるらしい。

男性諸君は分かるかもしれない。


悔しいが、その点においては私も気持ち的には理解できる。

まだ性欲に支配されてた昔に経験してるしね・・・(苦笑)




そして彼はほぼ一日中、ケータイやインターネットを見ながら

風俗情報や、出会い系サイトを漁っていた。



ここで、ニューハーフには興味がないが欲求不満の男と、

その友達であるニューハーフの私という奇妙な関係の会話の1部をどうぞ。



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私 「大変だねー男は。でも君のような男の方がいるから、私らの職業も成り立ってるわけだけど・・・」


そうつぶやいてみた。



友 「仕方ないんだ。その点はおまえも分かるでしょ」



私 「うん・・・あれ、でも君って彼女いなかった?」



友 「いるけど、彼女以外でも女ほしいんだ。あーどっかにタダでやらせてくれる都合のいい女いないかなー」



私 「最悪じゃんw勝手すぎるぞ~。女の敵め(笑)」



友 「いやお前女じゃないし」



私 「ぐぬぬ・・・。ってか右手でよくない?ささっと抜いてスッキリすれば解決でしょ」



友 「それじゃ虚しいんだ。かといって風俗でも当たりがないと金ももったいない。とはいえ安く抑えたい」



私 「大変だね~。確かに昔は私も性欲に支配されてたけど、こうやって客観的に見れば大変でありながら滑稽にも見えるわ」



友 「お前はもう性欲ないの?」


私 「全く無いわけじゃないけど、そこまで性欲どうのこうの溜まらないし1人でやっても1ヶ月数回程度でも問題ない。気持ちよさも落ちたしね。そもそも溜まるってことがないわ(笑)」


友 「それって玉取ったから?言うならば”去勢”だもんね。ってかそうなると何が楽しいんだ??」


私 「その分、別の事への欲求が深まるんだわ。睡眠欲とか、食欲とか、他には個人個人で持ち合わせてた欲とかね。私の場合は買い物欲とかもかな。ここずっといつも眠い。寝ても寝ても眠気がある感じもするしね。あとは悪い方向に行けばアルコール依存になる人もいるし、でも肝臓弱くなるけどね。玉取ると。他には、昔は性欲に縛られてた分、今じゃ心や性格ってのを見れるようになった。そっちを重視するっていうか、求めるようになったというか。恋愛とかも性的なものじゃなく内面の繋がりに依存してしまうしね。そういう意味でも、男立場での異性関心、女立場での感情ってのも両方理解できるから面白い。根本的に男女はわかり合えないって分かってもどかしくもなるけどさ。あ、でも女の全てが分かるようになったわけではないけどね。それこそ妊娠や生理面での感情は知りたくても知れないし。」


友 「大変だな。でもそれもそれで嫌だなー。確かに溜まるのは面倒だけど、でもやっぱヤリたいじゃん」


私 「知らないよ(笑) だから、体とかはまだ男でも、内面や内分泌的にはもう男じゃないんだってば。といってもそれが”女”なのかは分からないけどね。だから女じゃない=男っていうのも辞めなよ(汗)」


友 「まぁどうでもいいよ」



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とまぁ、こういった会話を少ししました(笑)



他にも喋りの中でこういった事にも気づいた。



「男女が、同じ出会い系やSNSに固執するにも、

多くの男の目的の先にあるのは、”付き合いたい””ヤリたい”。女の目的は、構ってほしい=内面の繋がりを欲する」


もちろん、そういった男女ばかりじゃないし、

女性でも性欲目的の人もいるかもしれないし、

男性でも性欲より内面の繋がりを求める人も大勢いる。



表面化してる割合としては顕著なんじゃないかなと思う。



それにしても、せっかくうちに訪問してくれたのに、

欲求不満になった性欲に捕らわれて、長時間ケータイを操り会話よりも出会い系を吟味する。

なんだか寂しいと感じた反面、楽しませてあげられない自分の不甲斐なさも感じた。



そういえば高校時代も、また別の友達が自宅に泊まりにきていた時

ず~っとケータイをイジりながらメールや出会い系に夢中になってた。


その頃から私は、いっしょにいる時くらいいっぱいお喋りしたい、2人だけの時間でいたい

って思ってた。別にそこに恋愛感情があったわけじゃないんだけどね。


とはいえ、私自身も彼女がいた頃は、男友達と遊ぶよりも彼女に会いたいと思ってたなぁ。

それはそれで性欲的なものじゃなく、彼女との方が心の底から楽しくお喋りできてたっていうのがあったから。

もちろん性欲的なものも否定できないが。

でも本当に仲のいい男友達でも、性欲的なもどかしさが邪魔だったけど

2人の時間を楽しく共有してお喋りしたいという心もいっぱいだった。


男同士の友情ってのは、サッパリはしてるんだけれど、

どちらかに「性欲」が邪魔していっしょにいても気持ちが他に向いてしまう傾向がある。


仲の良い女同士がすごくベタベタしてるのは、

性欲が邪魔せずに純粋にいっしょに遊ぶ事を満喫でき、同じ時間を共有できるからなのかもしれない。

そこに男が絡むような状態だと、陰湿的なものが発生するのは否めないでしょう(笑)


といっても、男同士の交流でも、1つの話題をじっくり語り合ったり議論したり、

互いにお酒が入れば、楽な気持ちで「女いないかなー」とお互いに気持ちが一致して

夜の街に繰り出してみたり・・・という友情もある。



同性愛が深い愛情だと見られるのは、

同性同士の友情と、性的な愛情がお互いに補完しあえるからなのかもしれない。



異性に積極的でない男同士の友情。

(BLではなく、異性愛の男子)


これを実にうまく描いた漫画がある。


「アフロ田中」シリーズ。


高校アフロ田中から始まり、

中退アフロ、上京アフロと続き、現行は「さすらいアフロ田中」

タイトル通り高校時代から始まり、現行の社会人までの変化が描かれている。

学生時代の非モテ男性の男の友情が特に、この漫画の初期シリーズ内にうまく描かれている。


ただヤリタイだけという、女性にはあまり嬉しくないリアリティがありますが、

男性だけじゃなく女性にもお薦めしたい漫画です。

(共感はしづらいが、男性読者は共感しやすいかもしれない)




何はともあれ、男時代の友人が訪ねてきただけで、

様々な男女の感覚の違いを再発見できるのであった。



そして友人が帰る際に発した言葉。


「とりあえず帰って1人でするわ・・・。」






モラル・・・


便利で良い言葉でありながら都合の良い言葉でもありますよね。



ちなみにルールとマナーとモラルは違います。


ルールは定められた規則。

国単位では法律、会社での規則、学校の校則、グループ単位で取り決めた約束事など。


マナーは、礼儀。


モラルは道徳。価値観もこれに近いことでしょう。マナーに性質が似ていますが

少し異なります。


本来は、共通のモラル意識がマナーとなり、罰則を設けてでも遵守させたいマナーがルールとなる。

しかし、1権力者の損得判断でルールが作られることもあるのが難点。



ルールは違反すれば罰せられる。

マナーやモラルは違反すれば世間からつまみ出される。


しかしマナー・モラルの違反といっても厳密に基準が制定されていないので

何をもって違反なのかという事は問えない。


それこそ、「場の空気」や「暗黙の了解」といった口にせずとも

分かる事というのは今や通用しないのは当たり前。


昔は、ある程度地域や親族、グループ間などで協力し、

共通する意識を作っていた。

異端な者は排除したり、徹底的に教育することで、

半ば強制的に共通する意識を作り上げ、いつしかそれが各集合体での暗黙の了解となっていった。



国レベルで見たら多数の国民の意識を共通させるための政略としても、

こういった手法が用いられてきた。

その手段として国の方針だったり報道の利用であったり。




ルールやマナーに繋がる基本のモラルというもの。

道徳観。


もちろんこれは、言い換えれば個人個人の教育や文化の中で育まれる。

それに善悪は付けにくいものだが、強いて言えば各集合体の中での基準にて、

良いか悪いか決められる。



これも悪い風習ではないが、非常に怖いことでもある。

ある集合体で立派なモラルを持った者が、違うマナーの存在する集合体にいけば

そこで悪の烙印を押されかねない事もある。



日本には、「郷に入りては郷に従え」といった言葉が存在する。

この「郷」が集合体である。

国であったり、地方であったり、更にその中の集落であったり。


同じ国内での共通規則を設けるために、法律ができあがる。

しかしモラルやマナーなどは、いくつかの共通点はあっても、

若干地域ごとで違ってくる。


ましてや国単位で言えば文化も歴史も異なるので

大きく異なってくる。





現在日本では、交通網の発達により

地域ごとの閉塞感が大昔に比べれば激減してきた。

(地域政治や土地での風習は残っていても)


分かりやすく言えば、同じ国内ならどこに行くのも困難ではなくなった。

地域ごとに風習は残っていても、その風習や文化を持った者が全国に散らばり、

どの地域においても、様々な地域の人間が住むようになった。



それでも他所より参入してきた者を

原住民で協力し合い、その地域に合うように教育してきたのかもしれない。



しかし今では国のトップである政府のモラルが崩れ、

各地域ごとのモラルも変化し、家族間でのモラルも変化した。

すると、地域ごとの文化や風習は残っていても、そこ住む人々の意識がそれぞれ違ってくるのは当然だ。


それだけではない。

今はグローバル化の流れで、文化も人種も仕事も自由にこの国に入ってきた。


それだけでなく、電話やインターネットの発達により、世界中の人々が

体は地域にいながら、意思疎通を自由に交差できるようになった。



もはや郷に入りては郷に従えとった慣習が適用できる程のスピードではない。

つまり多文化や様々な価値観をうまく分かち合い折半するしか選択肢はない。


(それこそ通信や交通などの物理的鎖国といった強制手段を行う以外は。これにおいては

一部の国を除き、一国の判断で行える事ではなくなったのも事実でしょう)




多文化といえど、法律だけはその国の方針に遵守しなければならない。

だが、モラルやマナーなどは今後も変化していくことは避けられない。


または法律そのものも、新しい文化に合わせて変化していくのでしょう。

文化が変わる最中の時代というのは、辛いものです。

被害を被る者もたくさんいます。


極端な例でいえば、サムライ時代から文明開国の明治時代への変化も

その1つだったことでしょう。


けれど、時代の変化に得する者もいれば、損する者もいる。

1人1人の価値観が違う人間が多く共生している世の中では、

本当に難しいことだ。



地球の資源が限られている以上、

万国の生活が平等になることも難しく、国単位で差ができるのも避けられない。

価値観でいえば文化や歴史、気候や風土でも変わる。


それでも大きな戦争が起こらぬように、

各国で協力連盟が作られた事は好ましいことだ。

それでも力の上下関係が存在しているのが悲しいところ。


極端に言えば、地球の資源が無くならず、更に宇宙側に全地球人共通の敵がいたとして、

宇宙側に全地球人を監視されてるとしたら、地球全体が上手く手を取り合うだろう。


でも、それもそれで怖いし、机上の空論でもある。





話は逸れたが、


ルールは存在しても、


モラルというのは変動制があり、とても曖昧で不確かな物であるということだ。



極論で言えば、モラルがどうのこうのと思うのは、

それは突き詰めれば、「自分の価値観に合う合わない」という事なのだ。

もちろんそれが悪いわけではない。

それが人間の性なのだ。


かといって100ある価値観を自由に野放しにしておけば、

衝突や争いは絶えない。


そのためにマナーが生まれ、やがてルールとなる。

あらゆる些細なモラル違反にも全て罰則をなんて言ったら、それこそ誰の、どの集合体のモラルを選べばいいかわからない。

ルールが現在の何倍も何十倍にも膨れあがり、

誰もがちょっとした発言や言動、行動くらいで罰せられるような恐ろしい世の中になるでしょう。


懲罰を設ける程ではないが、お互いに気持ちよくなれる程度に

集合体のマナーやモラルを遵守してもらいたいならば、

「本人に気づいてほしい」じゃなく、

集合体の中で多数が協力しあって話し合ったりルールを作っていくしかないでしょう。


一方的に守らせたいならば、相手の言い分無しに排除、もしくは半強制教育。

元の木阿弥です。




同時に、個人の価値観によるモラル云々については、

当然、私自身も感じることがあります。

自分の場合は敬語や感謝の言葉に気を付けたり等。

かといって、そんな自分が全てのモラルを遵守してるわけでもない。


性別においてもそう。

ある集合体のモラルでは、私の性別は大罪物かもしれない。

今の風潮でいえば喫煙行為だってそう。


探せば自分も批難されかねない非モラルがたくさんありそうなので、

逆にそれでモラルどうこうと口にできない。


それでも個人単位での価値観による好き嫌いは当然あるし、

それで苦悩することもある。



あぁ、人間って難しい。










あるサイトで、在日本の某国の方が、日本人の自国(某国)に対する感情や扱い方を
アンケートとして質問していました。


回答の中に、長年日本に在国している同じ在日本の方からの回答がありました。

その中の1節に非常に興味深い内容があり、


>日本人の思考の癖とも言えますが、「個人」をみて「団体」をイメージする


これはまさにその通りだと思った。
確か、これに似たことわざだったか慣用句もありますしね。


形は違えど、日本が好きな親日だが、先入観で拒否されやすく苦労している という面が、
うちらセクシャルマイノリティと共通するなと感じました。



元々、某国に対しては昔の歴史や、料理、映画(日本に入ってきて有名になったもの)などでしか
知らず、当然それらを通して、幼き頃は好きな国の1つでした。



やがてインターネットが発達し、現在の実態や、政治、半日感情などを知ることになりました。
ニュースなどでも政治経済、国際情勢に興味を持つようになってから知った情報でした。

いろいろショックでしたよ。
かつて自分が好きで、どこか憧れていた国が半日の方が多い(またはそのような教育がされている)事を知ってしまい・・・



一度はその国にまつわる全てが嫌になりました。
下手したらネトウヨと嫌悪される立場の考え方を抱いてた時もありました。



やがて導いた考えは、
「割合的に、日本人感覚で見れば合わない面も多く、半日の方も多いだろうが
それでも親日家の方が全くいないわけではない」ということ。


政治や環境問題、その他に対しては懸念を抱くことはあっても、
その国の民全員に対し先入観で見るのは良くないことだ・・と。

国のやり方や、経済、環境に疑問を抱くのは仕方ないにしても、
もし目の前に当事国の人間が現れても、
否定から入ってはいけない。



本人との交流の中で、あくまでその本人個人に対し、
合う合わないを見いだすことが大事であると。


それこそ私が常日頃から言っている少数のMtFやニューハーフを見て
全体として捉えないでもらいたい、個々を知ってほしい。
ということと同じだったのです。


(某国民は世界的に見れば少数派ではないでしょうがね。
別の国に行き、そこで暮らすとなればその国での少数派にはなると思います)



とはいえ日常の中で当事国の人と関わる事がないので、
(もしかしたら知らずに親しくしているかもしれない)
否定的な情報ばかりが入ってきて、
危うく全体を否定する人間になるところでした。



自分が、少数派である性を差別しないでと日々言っていても、
その自分がある国民に対し否定的な先入観で全体拒否していては筋が通りませんものね。



それでも、よく囁かれている陰謀論や、某国の半日家がやがて日本人を淘汰する・・という情報に対する恐怖や危機感はありますし、
政治や経済、環境、食料、理念問題を懸念する面もあります。



さて、これらの事柄から、セクシャルマイノリティである事の上で
話を進めていきたいと思います。



個人を見て団体(全体)をイメージする・・・


これはありがちですね。少数派の中の1人が何かをすれば、
そのイメージでもたれやすい。


ニューハーフもといMtF、性同一性障害にしてもそう。
(何度も言いますが、MtF/FtMは同性愛には含まれませんが、
性的少数派の話として、同列で扱っていきます)



男女で、例えば同じ男でも、身体の共通点や多少の傾向に共通点があっても
その他全て同じですか?同じ女同士の場合も然り。



男性の芸人が出てきました。
彼のネタが自分にはまったく合わなく嫌悪感をもった。
きっと男性ってのはみんなこういう感じなのだろう。
よって男は全て嫌い。



そんな風に思うことって滅多にありませんよね。


もちろん過去に男性からの暴力を受けてトラウマを持ち、
異性に対する恐怖症を持つケースもありますが・・・



メディア等だけの情報により先入観を持つ場合においては、
きっと、まだまだメディア露出するマイノリティのパターンが少ないから
仕方ないのだと思います。


もっと様々なジャンルに様々なタイプが登場すれば、
自分に合う合わない多く知ることができ、
「いろんな人がいるのか。なんだ男も女も関係ないんだ」って気づくとは思います。



現に様々な場所で少しずつ活躍する方も増えてきていますね。

そりゃ「恋愛や性的な意味での異性としての対象」として求める事は強要はできません。
我が侭を言えば異性として認識してもらいたいけれど、性的な対象云々を考えれば、
そう見られない事もあります。



それでも性差の対象感情を抜きにして、個性として見てもらいたい。

でも難しい問題なんですよね。やっぱり本能からか、
男性は女優や女性芸能人に対し、その方々の個性や能力以前に
性的な「異性」として優劣つけた上で、個人を見てしまう。
女性が男性芸能人に対する感情も同じでしょう。




しかし、同性の芸能人をみる場合は性的感情抜きにして
個人を見ることができますよね。
また、年老いた役者さんに対しても、自然と性的感情抜きにして
個性を見れますよね。そういうことなんです。
世代の近い異性芸能人を見て、恋愛対象は無理だけど、
人柄や個性として「好き」というパターンもあるだろうと思います。
それでも良いのです。


(そりゃ中には、どんな高齢俳優女優でも、
”高齢者だから”という理由だけで嫌悪する方もいるかもしれませんね・・・)



別に同性だと思ってもらっても構わないから、
個人を見てもらった上で、性格などで合う合わないを決めればよい。
その上で、異性として意識してもらえるか否かは、こちら当事者の努力次第になってくる。



生まれた時の身体の違いが問題で、
その上で恋愛対象や結婚対象として見てもらえない、
といった悩みもありますが、それは誰にも非はない。
そういう運命なだっただけで。



ただ、見慣れてない個を見て全体を決めつけ一括して拒否するという行為は
少し早計かもしれませんよ。



例を誇張すれば、
この国の今の時代に、「○○の都道府県の人間だから嫌悪する」
「○○が好きな人間は総じて嫌い」
こういう思考とも似ています。



別にそれが悪いわけじゃないし、個人の好き嫌いの目安なだけなんでしょうが、
対象が人間である以上、少しだけでも気をつけてもらいたいだけなんです。


もし、それが嫌いになった原因になった相手がいれば、
その相手だけを嫌えばよい。他の人間に罪はない。



仮に、あなたが新しい場所に行き、
そこで出会った人の中に、前触れもなく最初から自分を嫌ったとしましょう。


少し会話をした上で苦手と思われ避けられるくらいならしょうがないですが。
話してもいないのに、嫌われ、嫌われるだけならまだしも、
口に出して批難されたり暴言を吐かれたり。


実はその理由が、あなたが○○からの出身だったということです。
暴言を吐いた相手は、過去に○○出身者に酷い事をされた、または気が合わなかったため、
その地域出身の人間全てに偏見をもってしまったという感じです。


そんな時は腹割って親しくなり誤解を解くように務めようとしますね。
それでも偏見を変えてもらえなかったら、もう仕方ないです。
他の自分を受け入れてくれる人の輪に入っていくでしょう。

中には、そういった事が重なって、逆に嫌悪感を持たれ
対立することも考えられます。



個を見て全体を知る・・・でなく、
個を見て個を知る事が望ましいです。



生まれもっての国籍や性別などに大きな”区分”はあっても、
人間は皆個性が違う。国によって文化や教育、環境の違いで

大きな性格の土壌の枠組みはできるかもしれない。


しかし、セクシャルマイノリティは

「性別(身体)」面での枠組みが共通してるだけで、

同じマイノリティでも性格は多様。

普通の男性や女性と何も変わらない。

性的嗜好すら多様。


一括して嫌悪してたタイプの人間の中にも、
もしかしたら、自分に利益や有益をもたらす人間がいるかもしれない。


1つの事柄から全てを嫌うってのは、チャンスを棄てることにもなりかねません。

もちろんそれでも構わないから、嫌いなものは嫌いというなら仕方ありませんが。



これらの事は、あくまで”人間”に対することです。
物や商品、サービスにおいてはまた別になります。


ビジネスにおいては、個を見て全体を知る が適用されますしね。
むしろこの言葉って、そういった方面での言葉だったんじゃないでしょうかね。
あ、もしかして「1を見て10を知る」の勘違いだったでしょうか。



とまぁ、言ってはみましたが、
区分として一括して嫌悪するのでなく、
あくまで見た目が気持ち悪い=自分の美意識に反して 嫌悪するというパターンも多いのでしょう。



それも仕方ありませんが、それでも全員が全員そうではないかもしれませんよ。
確かに、今まで目にした事があった人全員がそうであったかもしれませんが、
実は街中を歩いていてスレ違ったけど、全く気づかなかったその相手が、
セクシャルマイノリティだったという事もあると思います。



やはり、こういう区分嫌悪感情ってのは、
実際に様々なタイプと出会った事がなく、
メディア等でしか目にしたことがなく、そのため
「○○な人=どういった姿や性格」という先入観ができてしまうのかもしれません。



厄介なのは、その先入観を長く持ちすぎて、より大きく嫌悪感が増してしまっては、
ちょっとやそっとの事では先入観が解けない って事もあるでしょうか。



国の異国民に対する嫌悪感情や、教えの中で育まれた感情もそれに当てはまるでしょう。
教えの中で培った感情というのは、誤解を解かれようとしても
自らがそれを認めると、自身の育ちを否定することにも繋がってしまいます。



凝り固まった先入観が変わるというのは、
自らがその世界を見て、知って、体験して、悲しみと喜びを覚えるくらいしなきゃ、
人間の感情というのは、そう易々と変わるものではありません。


そうだとすれば、セクシャルマイノリティに対する感情というのは
何十年何百年とかけて育まれた感情かもしれないので、
これを打破するのはなかなか難しいのかもしれませんね。



まぁ、多数の先入観を解くのは難しくても、
自分自身が出会った人々には1vs1で誠意をもって接し、
地道に理解を求めていくしかなさそうです。


「世間」とか「一般」とか言われている、会ったことも見た事もない群衆が嫌悪してるといっても、
自らが出会う人だけにでも受け入れてもらえれば、それでいいじゃないですか。



しかし、インターネットやメディアなど通信の発達により、
会った事も見た事もない「世間」や「一般」という群衆の「文字による声」を聞きやすくなったという点も、
批難されやすい少数派にとっては脅威なのかもしれません。



けれど、少数派にとっての武器にもなっています。
同じコミュニティの人を探しやすくなったという面もあります。
一長一短です。



ちなみに、私が経験した、直接面と向かって嫌悪されたり批難した相手は
「親」だけです。親曰く兄弟姉妹も嫌悪してるそうですが、
肝心の本人の口から直接は聞いてないんですよね(苦笑)


面と向かっては優しくするが、
裏で叩く というのも日本人の弱点でもありますが、
考えようによっては、面と言われないだけマシ。
裏で言われても、直接的な被害を被らなければマシなのかもしれませんね。



裏で悪評な風評を流され、発信源が誰かわからないまま
言われぬ被害を受ける  



こういう最悪なケースもありますね。
むしろ、日本ではこのケースが問題視されてるのかもしれません。


それで関係なかった人から批難されたら、
直接直訴しに行き、誤解を解き、味方に取り入れる!
それすらダメなら、こっちもこっちの味方を使い風評を流す情報戦へ突入!
ってそんなことしたら同じ穴の狢ですか(笑)



まぁそう上手くいくものでもありませんね。
風評の手段はもともと直談判できない弱い立場のための武器だったのかもしれませんが、
結果的にそれは更に弱い立場の被害者を生むことにもなる。


これが巡り巡って最終的に風評を流せる味方もいなくなった者が孤独となり、
心を病む一番の被害者となってしまう。


通信の発達により仲間を見つけやすくなった昨今、
また時代的にも、そろそろ少数派が、異端者を軽視し切り捨てるような社会と
本気で戦っていく時期なのかもしれません。



今回の話は、何もセクシャルマイノリティに限った話ではないと思います。
1つにオタク文化などもありますが、これも通信の発達により
市民権を得てきた成功例かもしれません。



ただし、日本は差別をなくすためというよりも、
商売のためにそこに目を付け掘り起こし、余計な付加情報を加え
同時期に集中して過剰に演出し売り出すという部分もあるので、
これがマイナスとなって嫌悪感持ってた人の嫌悪感をより多く増す・・・ということもあります。



ビジネスなら仕方ありませんが、
自然に一般化させるのが目的ならば
一度に過度にキャンペーンするのでなく、
徐々に徐々に増やしていって、気づいたら
自然に目にするようになってた という戦略が望ましいでしょう。

しかし、こういった手段は必要な事柄にでなく、
危険的な戦略に用いられているという事も脅威に感じます。




たまにはどうでもいいような些細なネタブログでも・・・


風俗嬢万人に共通するかはわかりませんが、

「風俗嬢あるある」



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*銭算段の際、金額でなく「1本2本・・・」と数えてしまう*



→風俗では、嬢へのギャラは1人のお客様との接客に対し1本として

数えられ、1本いくら(+オプション量)xその日の回数分として店側から受け取る


プライベートでの銭算段の際も、万単位での金額になると

「あと何万必要」とかでなく、つい「あと○本分必要か~」と考えてしまう。

その方が自身には分かりやすいし、気が遠くならない。

しかし諸刃の剣として、金銭感覚が鈍る。


数万必要な場合も、「あと○本=何人」という計算方法なので

本来は大変な金稼ぎも楽に思えてしまう。

実際には不景気も伴って1本の仕事を取るのに3日だったり

1週間だったりすることも少なくない。


逆算して週5出勤として日給で換算すれば

普通の販売や飲食店などのアルバイトと同じくらいだったり、

下手するとそれよりも下回ることになる。


金額と実労働時間の割合では分がいいのだが、

仕事が入らなくても職場で待機するという時間的拘束を考えると、

支出設計は非常に大事になる。


特に風俗という仕事1つに全ての生活を支えていれば尚のこと。



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*男性に対しての見方の変化*



→屋外で男性を見ると、性器の大きさがなんとな~く想像できるようになる。

また、風俗経験前はお金貰っても嫌というような年齢や容貌の方でも、

「お店を通しての仕事ならば・・・」という気持ちで許容できるようになる。

ただし、プライベートではそうではないのでご注意を。

仕事はあくまで仕事。極力プライベートには持ち込みたくない。

そういう職種だからといってプライベートでも淫乱だとは限りません。

中には内外問わず根っから淫乱な方もいるかもしれませんが、

多くの場合はプライベートでは恋人以外とでは性に関連する事柄から避けたい傾向が

際だってきます。(私もそうなってしまいました)


逆説的に、元々淫乱の毛があるからそういう職種に入ったのでは?とも言えますね。

それは否定できないかもしれません。

しかし、性=仕事 という認識に変わり今度はプライベートでは性的な事が苦手になる

パターンもあります。

(これはどの職でもありえますね。元々好きだったがそれを仕事にすることで

プライベートでは関わりたくなる現象)

もちろんそれに当てはまらない方もいらっしゃいます。


しかし、寂しい事ではありますね。

本来、性は人の喜びである行為であるにも関わらず、

それを生業とすることで嫌悪感が増してしまうという事。



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*性に関してのオープンな時期とクローズな時期*



→上の事柄にも関連してますが、

初の風俗経験により、簡単にチヤホヤされるという経験から、

当初は内外問わず性に関しての意識がオープンになる時期がある。

しかし時期を重ねていくと、次第にクローズになっていく。

そこに、やはり恥ずべき業種という心が芽生えるか、

開き直るかという二手に分かれるのでしょう。

立派でなくとも誇りにして頑張っているという意識を持つ方も少なくありません。

どれが良い悪いかというのはありません。個人個人の意識次第です。


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*年齢や見た目を必要以上に気にしてしまうようになる*



→職業柄仕方ありませんね。成就できるか落ちぶれてしまうかは別ですが、

自身の年齢や、新人の低年齢化など、自身の収入にも直接繋がっているので

余計に敏感になってしまうものです。

そこを意識して努力を重ねるか、僻んでやっかみになるかも別れどころですね。

私の場合は、僻みはしないものの、容姿の面では自分は諦める選択をとってしまいました。


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*職場内でのイジメなどは水商売などに比べれば少ない*


→水商売などは多くの嬢が同じ空間で同時に仕事を行いますが、

風俗の場合は、待機は同じ空間でも仕事は個別です。

なので足の引っ張り合いも必要ないのです。

お店によって違う点もあるかもしれません。

お店→お店側の教育方針や空気などです。


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*自己評価と世間評価での葛藤*



→一般的にこういった世界や業種は世間からは色眼鏡、

または嫌悪されています。

それはある意味仕方無いことですし、本来それらも覚悟して

嬢は務めなければなりません。

しかしそれでも自身が経験することにより、

自身の心の形成もするし、多くの人との交流の中で

感情も生まれてきます。(愛情や友情でなく、大事な顧客に対する企業側の感情のようなもの)

それにより周りから否定されれば、あたかも自分だけじゃなく自分に関わった人々や

お客さんの全てまでも否定されているような気分になり、いたたまれない気持ちになる。

お客さんに対して好き嫌いはあっても、大事なお客さんもいますしね。

(もちろんお客さんの層もピンキリで、一概にどんなタイプの人が多いとかはありません。

立派な地位がある方もいれば高学歴な方もいる。心温かな人などもいるので、

業者と顧客の立場だが、大切な知人友人、上司部下に似たような感情を抱く事もある。)

だとしても、非があるのは我々でお客さん側は否定しないという方もいらっしゃるだろうし、

まとめて否定する方も当然います。

悲しいことだが、これはどうしようもないですね。

それが嫌なら、なるべく経歴を隠しつつ、そういう方を避けて生きる道もあります。

(最初からそういう職につくなという言い分もありますがね^^;)


しかし、ビジネス社会では経歴詐称も難しいのかもしれませんね。

または結婚問題など。


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探せば他にも様々なあるあるネタがあると思いますが、

今回はこの変にて。



以下、あとがき。



私はもともとそういった類は全て諦めて、

アウトローな立場で生きているので

寂しくなることもあるが、自身に有利な交流を模索選択し生きているので

幸い、生きづらくはありません。


ただし、性別の件で

今後、表面化して堂々と迫害されるような国にはなってほしくないです。

そんなことになったら、今以上に陰に隠れてこっそり生きるよりも

命をかけて戦っていきたいとは思ってます。

昔は今以上に日陰の存在が当たり前だったようですね。

景気は悪いがそういう面では時代に感謝してます。



職業柄的には負い目を感じているものの、

性別や生き方などには後悔もしてないし、

むしろ今の方が「心」は充実してます。

10代に戻りたいかといえば、

今の性別と知識、私財がそのままなら戻りたいけれど、

過去と同じ自分には戻りたくはないです。



ちなみに、こう見えても私も10代の頃までは

「アウトローな世界」とは無縁だったんですよ。

高確率で、普通に異性と結婚し生活していた選択もありました。

それでも私はアウトローな人生のレールを選びました。

(実をいうと、マジメで地味コンプレックスというのもあったのです。

学歴は低いものの、ネガティブで酒タバコギャンブルも一切苦手で

至る事に先入観や嫌悪感があって生きていました。

そういう自分がどこか嫌で、ずっと脱却したかったという理由もあります。

もちろんそれだけではないですがね。)


というか、幼い頃から自身の性をどこか嫌悪してた時点で、

半分アウトロー的な世界に片足つっこんでたのかもしれませんね(笑)


とはいえ、表面上はチキンだが男男とした生き方を選んでたので

(環境と教育上、それを余儀なくされた)

性別のことでイジメられたことはありません。

性別とは別で、見た目や性格でイジメを経験したことはありますけどね。

ナヨナヨが原因じゃなく、ヘラヘラして脳天気が原因だったと思います。

自身の地味コンプレックスと交友拒否っていうのは、そういう所からも繋がってたのかもしれませんね。


学力や人生の生き方の面では成功を収めてないですが、

人との交友 という面ではだいぶ努力し、一時期は過剰といえるまで

交流/遊興に費やした時期もありました。

ですが、そのおかげでようやく、「頑張っても人間には合う人合わない人が存在する」ということも知れました。

それらを取捨選択しつつ合う人との交流は仲を深める事で、だいぶ気持ちも救われたように思えます。


それでも最近は、また昔のように交流が億劫という気持ちも戻ってきた感もあります^^;

昔と違うのは、他人が怖い、不安とかでなく、単純に金銭や環境上の都合から面倒 という事に変わった点ですね。

まぁ綺麗ごと述べてますが、これでも交流が失敗したり空回りすることも多々ありますよー!


成人になってから、「人と人は出会い別れて交差していく運命」という事を痛感するようになりました。

不思議ですよね。

学生時代の数年の友は一生の友といえるのに、

成人後に仕事以外で知り合った知人と数年仲が続いても、

喧嘩したわけでもないが交流しなくなると、それで終わりで人と人は流れていく。


そしてまた別の時期に、新たな人と新たな交流が始まる。


当たり前の世界。無情だがそれ故に儚い。


学生時代は、広く浅くの交流関係を望んでいましたが、

最近は狭く深くの仲に飢えています。


もどかしいなー・・・


学生時代は狭く深くの交流があったけどそれに満足できず、

いざ成人すると今度は逆のパターン。

完全にすれ違っています。


仕事などを通して広く浅くの関係は避けられなく入手できるので、

やはり狭く深くの関係を望むのは、自分も大人になったということなのでしょうね。






2月8月(にっぱち)・・・


何のことだかわかりますか?


限られた職種で2月8月は暇になるという意味です。


うちもまさにその真っ直中。


正月明けの1月は、”まだ”お客さんも足を運んでくれた。

けど2月に入った瞬間、仕事が入る量が激減。


本当にこの職業(風俗)は月ごとの予算や金銭予定も立てられない。


深刻な月なんて、月の手取り収入が下手すると10万以下の時もある。

手取りといっても風俗ですからね。税類差し引きの支給額ではないですよ。

総支給額です。


実家暮らしや、誰かの所(知人でも恋人でも)を住居にしてる場合は

まだ僅かながら安心感もある。

しかし東京にて賃貸1人暮らし。


収入減少は、食料の危機も感じる、住居問題(家賃)の危機、

電気代や携帯代の危機も感じる。

ましてや自分にゃ、住居や仕事を失った際の保証や受け入れ先(実家等)がないもので、

余計に不安がある。


その先に残されてるものはネットカフェ難民、もしくはホームレス等・・・

そりゃ這いつくばって職場泊まり込み生活で、別の風俗店や、または水商売などに流れて

転々とする手段もあるが。


まだ20代とはいえど年齢も上がってきたし、できれば今の場所でこういう業界は最後にしたいと思っていた

自分にとっては、頭の痛くなる問題。



性別も、職業も世間に偏見で見られるのは仕方ないです。

悔しいし憤りもあるけれど、仕方がない。


性別に関しては偏見を減らそうと思っていても、

職業だけは擁護できない。



学業もほっぽり出してきた人生。

まともな就職活動も経験していない。

(唯一日向職だったと思える職業は実家の職人企業に就いた期間だけだったが、今はその手段もない)


おまけに増税やTPP問題などデフレ拍車の情報ばかり入ってくる。

どんな職種が打撃を受けても、風俗のお客さん数の減少にも繋がるしね。



成功系ニューハーフ嬢の多く(一般職で身を固めたMtFの方々は別で)は、昔でいう「パトロン(パパ)」や

または経済力のある恋人を手に入れるという道を辿っているようですが、

職が職なだけにプライベートでは男性に媚びたくない、1人が好きといった

風俗嬢に似つかわしくない厄介な性格してるもので尚更。


もちろん上で挙げた成功を掴む嬢らは、当然それなりの努力をした結果で、

悪い事ではない。

美容や整形など頑張って美を磨いた結果だ。


言い訳がましいが、私はそれすら無頓着だ。

根本的に興味が薄い。

根っからの職人タイプなのか、好きな事や物作りなどにじっくり勤しむ事しかできない。

(ブログなど書き始めると長文になるのもその1つ)



自分で言うのも何ですが、本当に風俗嬢否ニューハーフたり得ぬニューハーフ嬢というのが自分。

仕事はそうだけど、実質はただのMtFといったところ。

でもそう考えると、不景気以前に仕事が少ないのも目に見えてるのでは・・・?と思えてきますね。



ではなぜその仕事を選んだ、またはまだ続けている?


そういう話。


「わかっちゃいるけどやめられない否やめない」

「頭じゃ理解していても、体が動かない否、動こうとしない」


住居も私財も失って、最悪のパターンに陥る事を回避する道は2つしかない。


「現状を受け入れ運命を受け入れ、周りの成功型嬢に倣って仕事スタイルや生活スタイルを改め

風俗嬢として根本から熱を注ぐ」


「収入が安定するまで仕事などを違う職と掛け持ちしながら徐々に移行してく」



これらしかないのでしょう。

現状はどっち着かず。停滞。思考停止。

ここ数年での体力の激減による限界や、

気持ちの上での堕情を自身の言い訳に、不安で不安定ながらも

ついつい現状に停滞してしまう。


余談ですが、言い訳にはならぬが

ここ数年での体力の衰えには己ながら驚いた。

昔は少なからずとも体力や力に自信があった。

玉抜きによる性ホルモンの不安定と、

運動せぬ日々が続いた結果もあるが、

少し動いただけで息切れしてしまうようになった。

握力なども昔のピークに比べると数値20くらいは減ったと思う。

それでも骨格のせいで「強そう」だとか弱さを見せても信じてもらえない事とかもあって

イライラするけれど(苦笑)

まぁ・・・女性の平均に比べれば、暴力的な力では上回ってるのかもしれないけどね。

体力面では女性よりも低くなったかもしれない。



さて、こうも自身の経済的に不安やピンチが続くと、

嫌々ながらもふと考えてしまうことがある。


・・・死



自殺です。

もちろん私はそんなの嫌だしやりたいこともいっぱい残ってる。

生きたい。


以前にも生死感について記事を書きましたが、

暗いニュースや、生死にまつわる情報ばかりを見ていると、

嫌でもそういうことを真剣に考えてしまうことがある。

危険だ。


しかし面白い事に、ちょっと羽振りが良くなったり

心的に落ち着いた期間になると元気になり

気持ちも軽くなる。体力は戻らなくても、動いても疲れ知らずになる。

しかし金銭的に不安な状況だと全てがマイナスに働く。

金銭だけじゃなく、もちろん出会う人々との交流の中にもそれはある。

建設的で心温かな交流をしているとその瞬間だけだが元気になれるけど、

交流が疎い期間は落ちてしまう。


人間って本当におもしろい。


特に昔と違い、今の自分はそういうバイオリズムがはっきりしてしまった。

ならば、金銭や交流が良い時に加速して良い状況へ持ち込むのが最良の選択でしょうが、

そういう期間をうまく利用できるかはまた別の問題。


とにかくこの2月8月期間を耐えつつ

良い気持ち(心)の薬になるような交流を求めてみたいと思う。



そうそう、私はよく言われるコミュ障になるんでしょうかね。

別にプライベートでの対人が苦手とかもなく、

楽しく会話することも可能ですが、

(仕事は別。リピーターさんとは会話もできるけど、初対面のお客さんとの会話が苦手)


なんというか、「億劫」なのはある。

リアルでの友人(交流の多い)ってのがいないっぽい。

そりゃリアルで会った事もあるし、今後不定期だけど

会う機会のあるような知人友人は多くいる。


しかしネットを通さず(ケータイメール&電話のみ)

3ヶ月に最低1度は会うようなリアルの友人ってのがいない。

いないというのは語弊があって、本当はいるし、そういう機会も設けられるけれど、

外出が面倒だからそれを行わない・・・

結果的にそれで自然消滅していくような仲も多々ありますが、

これもコミュ障に入るんですかね?





さて今回は、自身のマイナス面に更に切り込み露出してみました。

ご閲覧、ありがとうございました。








あけましておめでとうございます。

年が明けて既に3週間近く経ちましたが、今年最初の記事を書きたいと思います。


(長文で、まとまりもなく読みづらいです。申し訳ありません)

今回のブログネタは、政治・経済、時事問題などについて。


年が明けておめでたいどころか、ちっともおめでなくない。

むしろ年々悪化する一途。


中には「これ以上良くならない」という人もいるが、

否、「今以上に悪くなる可能性が高い」


と思っている。



開きすぎた格差。

少子高齢化による財源(税収)の低下や

雇用問題。



少子化については・・・・

もう子供を作ることができない(作る機能を棄てた)私にとっては

大きな発言ができない問題なんですけれどね・・・(汗)



叶うなら一昔前の国のモットーのように

一億総中流。つまり今以上に豊かで安心な暮らしがしたいわけですが、

これが難しく、希望もない。


ならばせめて現時点での現状維持を続けたいのが本心。


そう思ってる方も多いのでは?



世代の人口ピラミッドが、今の若者世代は40歳以上の人達の半分にも満たないほど。

この流れだと今後更に減っていくのは確実で、

消費も減り生産も減り、なおかつ1人の若者が平均2~3人の高齢者を支えるというシステムが

避けられないそうです。



雇用の悪化については・・・

一般的に会社の上部(雇用側)は年配の方が多い=人口が多く、

働き手の若者の人口が少ないならば、逆に働き手が足りないくらいでは?

と思うのですが、実際には雇用先がない、就職できないといった声が多いのです。


この件に関しては、企業側は昔以上に

「能力が基準以上あって、なおかつ不満を言わずに働く人手が欲しい。だけど休みは少なく残業も多く低賃金の条件で・・・」

というパターンが多いのでしょう。

(もちろんそういった企業ばかりではありませんが)



そして働く側の人間は、インターネットの浸透も伴ったことにより

経験する前に情報交換などをしやすくなったのもあって、

冷静に厳正な職場選び・職場判断をするようになったのもあるでしょう。


もちろん条件や賃金に拘らず仕事を欲していても、仕事が見つからない人も大勢いらっしゃいます。



これらは、どちらが悪いというわけではありません。



企業側としては景気や時代の流れもあって

低コストでありながら一定以上のサービスを供給しなければならくなった。

更に会社同士の競争が強まった面もあるでしょう。


一時期は

・完璧なサービスや品質を届けるため、社員は優秀揃い、対価として給与が高く社員育成や環境も良い。

・社員は適当、代わりに給与は安いし休みもある。しかし提供するサービスや品質も低い。


といった二極化が許されていて、安かろう悪かろう は当たり前のように存在した。

安全安心は高価な対価を払う事が当たり前とされていた。



しかし、企業側は安くてもより良いサービスと品質を求めるようになった。

その上企業側の競争相手が国内だけでなく海外企業も加わってきたことにより

更に熾烈な競争が生まれ、低価格高サービス&品質じゃなければ生き残れなくなってきた。


結果的にはその変化に乗れなかった企業は淘汰され、

残った企業は前述した経営をするために仕方なく、不条理な条件での働き手を求めるしかなくなった。


だが当然、若い世代全てがそういう人材なわけではない。

本当は働き手も多くいるので取り合いになるくらいなはずなのに、企業側も人選を慎重に行わなくてはならなくなった。



打って変わって若者や職を探す人たちの場合。



もしも日本が真の一億総低流となり、どんな職でも取り合いになるくらいの世の中になっていたら

どんな悪条件の職でも喜んで就職するのでしょう。


しかし現状は、中流もまだ大勢いれば、上流もちらほら存在する。

更に冒頭で述べたインターネットが浸透したことにより、

例え身の周りの人間が貧しくても、

インターネットを通して多くの良い境遇の人間を垣間見る事ができるようになり、

尚のこと不条理で無情な差を実感し、様々な物事に構えてしまう。



中には「人は人、自分は自分」「自分の身の丈にあった思考や行動をするべき」

と発言する方もいることでしょう。


だが、人は皆誰でも「自分は特別」「自分もこうでありたい」と願う。

これは悪いことではない。人間の本来の感情なのです。


そして昔の時代はインターネットなどはなく、

情報を得る相手は身の周りの人間かTV・新聞くらいしかなく、

自分自身の事を知るのも実際に世に出て経験してからでしか知れなかった。


国の空気や教育によっても国民の基本意識というものは変わる。

特にこの日本という国。

高度成長期、平和、バブルなどを経験して一生安泰、安心保証が約束されているのが当たり前という

時代があり、国内の空気や教育、環境もそういった中にあった。


もし20年30年前から今のように最先端のケータイ電話やインターネット、

パソコンが普及していたらどうだっただろうか。

こういう時代はもっと早く訪れていたかもしれない。


景気悪化が徐々にとはいっても、

世代の違いで環境や教育、基本思想・理念がこんなにも顕著に違うのは珍しいのではないでしょうか。

(どの国もどの時代にも世代の違いは存在しますし、特に先進国では大きいかもしれない)


思うに、今の18歳以下やこれから生まれてくる子供達は

物心を着く前から"不景気な世の中が普通"として育つ(育った)のでしょう。


団塊世代は年齢的にも仕事的にも成熟してきた40代~50代前後の時期にバブルを体験し


団塊Jrと呼ばれる世代は、社会に出て仕事真っ盛りな20代~30代前後の時期にバブルと繁栄と衰退を経験し、


その後のJrのJr世代は0~10代の頃に繁栄と衰退を経験。


そして今の平成生まれ世代は衰退しか経験してないのでしょう。



JrのJr世代は繁栄と活気溢れる社会や大人達を見て憧れ、

いざ社会に出た頃には既に衰退しか残っていなかった。



平成生まれの子たちはメディアやインターネットにより

どんなに繁栄時代が素晴らしかったかと過去物語を耳にはするものの、

衰退しか体験してない。



人口の多い団塊&団塊Jrの理念と食い違うのは仕方がないし、

その世代のやり方や思想を押しつけようとしてもうまく適応できないのでは・・・と思います。



度々インターネットが・・と取り上げましたが、

インターネットの浸透によりマイナスな面もあったでしょうが、

通信や発達面においては絶大な貢献をしている。


なので一概にインターネットを規制する・・・というのは的外れである。


インターネットにおける問題や犯罪などは、

もちろんそれに合った新法を作っていくことも大事ですが

ネットリテラシー・・・(死語でいうネチケット)の教育が重要だと思う。


ただインターネットやパソコンを扱う技術だけでなく

学校や家庭の中で道徳と同時にネットリテラシーに関わる教育も積極的に取り入れていくべきじゃないでしょうか。今の教育現場がどうなのかは知りませんが・・・。

とはいえネットリテラシー教育を受けていなく独学でネットやパソコンを覚えて

ネットの中でネット内のルールを覚えていったり、ルールを作ったりした人達も大勢いる現状。


これからの世代にネットリテラシー教育を施しても、

その教育を受けていない世代やネット住人たちと摩擦が生じるのは避けられないでしょう。

根本的なマナー教育は大事でしょうが、いざネットに繋げば無法地帯。

結局は自分で学び適応していくしかないのでしょう。

(とはいえ、昔ほどに無法地帯でもなくなり、年々しっかりと対策や法もできてきてはいますけどね)



さて、前置きとして今の日本の現状について「私感」を述べましたが、

こういった流れの対策の1つとして「移民」を受け入れるという案件が政府にはあります。


この移民問題については様々な分野で議論がなされています。


働き手や消費者が少なくなって空洞化している世代を移民でまかなおう(少子化対策含め) といった理念だそうですが、一見対策としては良さそうにも思える案。


しかし「移民」については実に多くの国々がこれまでに行い、

失敗してきたそうです。


国の文化を存続できるかの危険性、

宗教や思想、人種、慣習/文化などの違いから生まれる衝突、軋轢。


国籍や書類上は「日本人」になったとしても、

宗教や思想、慣習なども変えさせることはできない。

(そこは移民の方々が日本の文化に適応するか、母国を重んじるかによるでしょう)


もともと今の日本は、ある種、他宗教で多文化で緩い国ではありますが

それでも総合的な思想や慣習に共通点があります。

陰湿な性格というマイナス面も抱えてはいますが、

それでも日本の文化や風土、慣習などを国民は愛しています。

(もちろん全員とはいいませんが)



様々な文化を取り入れて、日本型として昇華させる事も上手な国ですが

同時に、集団で異文化を排除する・・という面も強いということも否定できません。


もちろん長きに渡るメディア戦略により、多文化を受け入れやすくするような

空気は作られてきましたが、それでも地域によっては今も地域独特の連帯感や

慣習、思想などもあります。


そんな中で移民を次々受け入れても、

衝突や事件、問題がもっともっと表面化してくると思うのです。


理想論としては

多文化とうまく共存しつつ日本独自の文化や技術を継承しつつ

育んでいく・・・といったところなのでしょうが、

各国の移民問題を見るとそれが難しい事だとわかるのです。


政府側はそれを考慮して「"日本型"移民制度」という対策を考案しているそうですが・・・・



仮にもしも、住民や人種間同士に多くの衝突や問題が発生しないように

システムや建造物、法案を変えたとしましょう。


それって、物凄くコストがかかりますよね。

国としても金銭負担を減らしつつ財源を求めたいのに、

矛盾してるのではと思います。


また、以前も記事にて触れましたが、

「人権擁護法案」。


これは「移民との衝突回避」をセットに考えると、なるほどなって思いませんか。


政府や国の本当の思惑なんてわかりませんが、

人種間が対立したり衝突しないよう、人種や文化・慣習に対して差別や否定をしたら

法律で罰しますよ。という法案。


しかし、もしそうであるなら、

移民して日本人になった瞬間に、移民側にも法律は適用される。

つまり移民側も日本側の文化や慣習、人種を否定できないという事にもなります。


つまり、「移民側も日本人側も、強制的に仲良くするよう法を用意しましたよ」

とも受け取れますね。


むろん人権擁護法案の目的が定かではありませんが。


もう1つ騒がれている「外国人参政権」

これも、移民した人も政治に参加できるためのセット法案なんじゃないでしょうかね。

移民して日本国籍になったとしても、確か参政権は生まれが日本国籍とかでなければ

参政権がなかったと思いますが、それを回避するためのものでもあるのでしょう。

移民側が「移民して日本国籍になったのに政治に参加できないのはおかしい」という意見の対策の1つなのだろうと思います。


こういった他の政策も含めた対策が

「"日本型"移民制度」の真意なのではないでしょうか。


表面上の理念としては素晴らしいです。


空洞化した世代を海外からの移民で穴埋めし、

消費も増え少子化対策にもなり税収も増える。

対立や不満の声が起きないように同権を与えるために法改正もした。



一見すると理にはかなってますね。


私も詳しいことはわからないのですが、

多くの人が懸念していることは、

・表面上は対立を防いでも文化的・慣習の違いで心の中では対立している

・いずれ、ある世代の人口が元々の国民より移民側の方が勝った時に、参政権の投票率も移民側が有利になる

・"もしも"その時にも対立心が残っていたのなら、政権を得た移民側の人々が移民に有利な法律やシステムを作っていく

・結果的に、もともとの日本国民は更に生きづらい世の中になっていく


といった懸念です。


実は、こういった結末を迎えた国も実際にあるそうです。

(人権擁護法案はそこにはなかったそうですが)


法律で対立を阻止することは表面上は行えても、

人間の気持ちを抑えることはできないんですよね。


国はそういった先見性も把握しているのでしょうか。



そりゃ理想としては法を用意しなくても、

互いに受け入れて歩み寄り、仲良く共存することですよ。


それに、悪いことを法で罰するのは当然ですし、

人種や文化が元で明らかな差別をするのも良くないことです。


その度合いとしては、かつて白人と黒人間であった差別のように。

しかし怖いのは、人権擁護法案が

どの程度の"差別"によって選定されるかということ。


この基準は慎重にならなくてはならない。

人間なんて同じ民族同士でも、知人同士でも、恋人や家族同士でさえも、

慣習や思想の違い、宗教の違いで衝突したりバッシングし合ったりもする。

これらを全て法によって裁こうとする世の中にもなりかねない。


仮にです。

例えば移民してきた方が、ある企業の面接で落とされたり、

または仕事上で不快な扱い方を受けたとします。

移民者には不備はなく、真面目だったとして、

企業側に不当に扱われた理由が「移民だから」といったものだとします。


たしかに、これは良くないことですね。

恐らくこういった事を法で罰すれるような法案だとは思うのですが、

別にそれは現存する法律でも訴えることはできるとは思うのですが・・・


そうなるとますます人権擁護法案の真意が見えない。


人によっては、街中や会話の中で

人種/慣習など関係なく相手をバッシングし、人権を踏みにじる発言をしただけで

法で罰せられることになる  という方もいます。


拡大解釈すれば、今も頻繁に目にするネット上での批難や悪口などでも

法が適応される という受け取り方にもなります。


様々な憶測を呼んでいるのは、人権擁護法案の真意が発表されないからです。

法案の名前だけはしきりに叫ばれているが、肝心な詳細や理念、システムなどが

一向に伏せられている。

国民が真意を知る前に法案成立してからでは遅いとも言われています。

一度法成立してからじゃ、簡単に撤廃するのが難しいからだそうです。



また、移民問題に対しては更に深い懸念理由もあるようです。


日本は近隣国の中で比べたら、犯罪を犯して入る刑務所も辛くはない。

(近隣国と比較してです)

故に、日本にやってきて犯罪を起こしやすい。

国民の防衛・防犯意識が薄いからというのもあるでしょう。


もう1つは、今も問題になりつつありますが、

「生活保護制度」。


聞くところによると、現在は日本国民よりも移民人の方が生活保護申請が通りやすく、

そのために全体の生活保護者も外国人の数が多いそうです。

生活保護の実態も、何かしらの理由さえあれば働かなくても一定の現金が支給される上、

様々な公共サービスを無料、または割引で受けられる。

そういった実態が浮き彫りになってきているので、中には汗水垂らしてたくさん働いても

生活保護者よりも収入が低い人もいるそうで、バカバカしくなってるそうです。

もちろん生活保護条件には、持ち家や車などを所有できない制約もありますし、

贅沢もできないという制約まであるそうですが、

最近ではパソコンや液晶TVなどは免除されている例もあるそうです。

(私もワーキングプアですが、持ち物制限されては困るものが多々あるので受給資格はありません)


なぜ外国人の方が通りやすいかというのは、

もしかしたら外国人という理由でなかなか働き口がないから・・とい理由もあるかもしれませんね。

もし人権保護法案みたいな、不当差別禁止のような法律ができたら、

外国人だから職場がない という理由も言えなくなるので、生活保護制度もしっかり見直さないといけませんよね。


もちろん、その法案ができなくても、現状で生活保護制度を見直すべきという声も多く挙がっています。

今の日本、本当に本当に弱い立場や、

今後を担う世代の声よりも、


ある程度権力や発言力を持った人らが"国民の声"として取り上げられているおかしな格差も存在してます。

こんな世の中に、危険を孕んだ法案を出したり、増税を決行する政治。


そして様々な権力ある団体が、おかしなデータや対策を挙げたりしてますが、

どれも的外れで先見性がないようなものばかり。


本当に、日本に未来はあるのでしょうか。。。



さて、今回も非常に長くなりました。

政治や人種などの話は非常にデリケートなので慎重に話さなければならない話題です。



個人的には、移民してくる方々が本当に日本や日本人が好きで、

友好的で、かつ日本文化にも前向きに馴染んでくれるような方でしたら

お受けしてもよいとは思います。


それでも、よく声に挙がるのが移民の中心は、特定アジアの人達・・・

という事。

ご存じのように、特定アジアの国民の多くは、半日感情を抱いています。

日本に対して物凄く嫌悪していて敵対心を持っています。


なのに、そういう人々を日本の移民させるというのは

議論しなくても危険性が高いし、本末転倒なのでは?と思うのです。


もちろん、特定アジアの方でも本当は日本も日本人も大好き!という方もいらっしゃるでしょう。

そういった方々を選定するのならばわかりますが、

どうやって選定するのかも難しいでしょうし、そもそも移民候補の人々を選定する事自体が

国際人権問題に関わってしまいます。



だけど、声高らかに「対立や問題が起こらぬように対策した"日本型"移民制度」と言うからには、

そういった懸念も考慮し、本当に、本当に慎重にならなければならないのだと思います。




最後に。



異質を排除しがちな風潮文化。


この面においてはセクシャルマイノリティである私も被害を受けている立場ではあります。


仮に人権擁護法案なんぞ出来たら、私たちもその恩恵を授かる事ができるというのでしょうかね。



現在でさえ、ネット上は別としても

目の前にて直接セクシャルマイノリティを非難したりする人々は減ってきています。(この国で)

むしろ少しづつ浸透していき、理解と許容はされていってます。


かといって、表面上だけは受け入れられても、

心の底から認められているわけではないし、認めさせる手立てもない。


変ちくりんな法案ができたところで、

表面上の批難発言を罰せたとしても、

結局は心の底では許容できない方にとっては

私たちは受け入れてもらえない。


男女間の慕情や好き嫌いになる判断材料は法などでは罰せられない。

例え、セクシャルマイノリティを許容できない方々が、

「もし君が普通の女だったら・・・または男だったら」という理由だけで

拒絶されてもどうしようもない。こちらも受け入れるしかないことなのだ。


感情でなく、あくまで人種や性別などが元で権利を与えない差別を罰する法案なら。


性別が理由で採用してくれない、性別が理由で権利を与えられない・・・等。

こういうのもたぶんあるはずでしょう。


でもそういうのって、例え法を制定したところで

人や企業が、「人種や出身、性別が理由で拒否しました」と素直に言うと思いますか?

否、今も基準になっている面接態度や経歴、見た目、勉学点数などが採用基準に満たさなかったと言えば流されてしまいます。


なのでいずれにしても人権擁護法案は危険であると同時に、欠点や穴だらけだと思う。




そして、今回の記事についての総合的な感想は、

性別的な面でもデメリットがあるし、今の職種の面でも後ろめたさはあります。


それでも私は日本に生まれ、日本の文化や風土が大好きな日本人。


性別的な面では今後はもっと受け入れられたいと思ってますし、

この日本という国も今後続いて欲しいし、何より景気が良くなって

今の職種を卒業していつかは真っ当な仕事につきたいし、手術を終えて戸籍も変えて

晴れてちゃんとした女になりたい



まぁ、冒頭でも触れたように、

この不景気じゃ他に働けそうな職種もないし、スキルも資格も技術もない^^;

性別抜きにしても人材として私は不十分だろうし、そこに更に性別問題も加わっている。


心では、はやく今の風俗という職種も上がりたいけれど、

それでもなんとか、かろうじて衣食住が出来ている現在。

稼げてないから貯金もないし貧乏だけどね・・・


今以上景気が悪くなって、衣食住さえままならなくなるよりは、

まだせめて現状維持できる事を望みたい。





今日は少しばかり、私自身の身の上話をします。


久々に親と電話しました。
親は仕方なく、私を受け入れてくれているみたいだけれども、
相変わらず私の兄弟姉妹は私に対してひどく嫌悪しているらしい。
しかも親戚や世間も同じように・・と。

全て親曰く・・・ですがね^^;
本当なのかはわかりません。

直接言われたわけじゃないけど、
コンタクトは親以外とは取っていないので、
親伝にしか兄弟姉妹、身内の意思は知ることができない。

親のいう事を信じるか流すかは、私の自由。

でもやっぱり親の発言というのは信じてしまいがち。

電話をするたび、

「あなたの兄弟姉妹が、あなたを嫌悪してる、気持ち悪がってる」

なんて、聞きたくはない。


でも、そうなってしまう事も受け入れて覚悟しなければ
セクシャルマイノリティ者としては堂々と生きていけない。


その点に関しては、親にも兄弟姉妹にも快く受け入れてもらっている
同じセクシャルマイノリティの方々は正直羨ましい。


私の家族や家系で性別に関して嫌悪されるのは、
家系が性別を重んじる宗教家でも、
大きな家柄というわけでもない。

いや、むしろ昔は少しは家柄があったのかもしれないが、
現時点では、それは崩壊している。

いずれいせよ”世間体”という価値観。


この世間体を重んじるという空気は、
まさに”日本らしい”とも言える。

私は日本が好き。
しかしその中に存在する"世間体"という暗部(?)。

実際に自分が少数派側になってみれば、
それこそ大きなネックな世間体。


世間体=文化や価値観という時代背景で変化していく日本。

セクシャルマイノリティも軽視されないという価値観がもっと根付いていけばいいのになと切に願うのみ。


あと、性別云々は関係なく、
親との電話の中で、

これほどにも環境と世代間で価値観が異なるんだなーという事も改めて痛感した。
もちろんどちらが正か悪かは無い。

しかし、この狭い同じ日本という国でも、
やっぱりまだ地域によって(特に田舎と都会)、価値観も考え方も大きく異なり、
そしてもちろん世代によっても大きく異なるのだなと、
改めてカルチャーショックを受けた。

私は、半端だった覚悟を持って地元を飛び出してきた。
しかし、今更どうすることもできない。
話を聞いてる中で、もう地元や家族を捨てるしかないことに、
今回も改めて気づかされた。

でも、しきりに親に
「あなたの生きる道は、一生孤独な道でしょ。
孤独な道を自分で選んだんでしょ」
という言葉を浴びせ続けられるのは痛手でもある。

老後のことを言ってるんだろうけど、
私はまだやはり若いのかな・・・
今の時代にセクシャルマイノリティ=絶対孤独だとは感じられない。

しかもこの先、価値観がどう変化するか、
国のあり方や世界のあり方がどうあるのかもわからない。

セクシャルマイノリティといえど、手術を済ませ戸籍変更をすれば結婚はできる。
養子を迎えて子供を持つことも可能である。
私の場合は既に無理だけれど、自身の血を分けた子供を作ることだってできる。
それ以前に、セクシャルマイノリティでなくても、
生涯結婚をしない人、子供を持てない人もいる。
逆に、将来的に家族を持ち、老後に孤独を感じない人はいるの?
家族を持っても、お年寄りの孤独死という実態もあるし、
老人介護施設に追いやられるケースもある。
それ以外にも、"孤独になる"というケースは多く存在する。
その逆も然りで、どんな形であれ幸せや暖かみを感じることもできる。
よってセクシャルマイノリティ=絶対孤独ではない

と自負している。

でもそれを親にぶつけることはできない。
喧嘩になってしまうしね^^;


そして、自分で言うのもあれですが、
私は温室(ぬるま湯)育ちでした。

しかし、成人してからは、
信じられないほどの家族や家系の実態を知ることになった。

その実態も、全て親伝による内容ばかりなのですが・・・(苦笑)

私が成人するまで、自信をもっていて、
信じていた家族や親類、親戚などの深い絆。

成人してからは、まるで手のひらを返されたかのごとく、
家族や親類の嫌な裏話を、いつもいつも親に聞かされた。

「あの人、この人らは、本当はこういう性格だ。過去にこういう身内事件があった。」
といったような内容ばかり。ちっともいい話を聞かない。
自分が20年間、この目で見て信じてきていた絆や縁はなんだったのだろう・・・

とはいえ、全て親伝の話。
自分が直接聞いた話でもないし、直接聞く勇気もない。

なぜなら、直接聞いたところで親に火の粉が飛べば、
また親に私を標的にされ、散々叱咤される。

でもいずれは自分から真実を知らないことには、
身内を信じることができないままになってしまう。


今はまだ親に言われるままの身の上だが、
いつしか何かを成し遂げて、
堂々と親に言い返せるようになりたい。


価値観の違い、世代間の違い、
そして親子問題。

突き詰めれば、ジェンダー問題を抜きにしても、
誰にでもありうる困難だ。