風俗に勤務したものは、その世界やぬるま湯に浸かってしまい

気づけば抜け出せなくなる。


よくそう言われますよね。


肉体労働とはいえ、時間の縛りに相対して対価が良いという金銭的な理由はもちろん、

他に生きていく術(働ける術や能力)がないという面も大きな事実。


年齢を重ねれば重ねるほど尚更。



ニューハーフの世界においては、

それらとは別に、同じ性の先輩達と触れあう事で学ぶことがあるといった面や、

一連の女性化のための近道という部分もあります。


最近はそういう理由は少なくなってきていますけれどね。

むしろそれなら水商売の世界だけでも充分ですし、一般職に就いていて性転換を済ませたトランスジェンダーが多いという点でも、関係なくなってきている証拠になります。

よって最初に挙げた理由の方が大きいのかもしれません。


最近はこのような事も感じるようになってきました。


少なくとも懇意にしてもらってるお客さんだけには、

「可愛い可愛い」「綺麗綺麗」と言ってもらえる。


服を着た外面でなく、決して女らしいという訳ではない裸の状態ですら。


もちろんそれが社交辞令だとしても、NHが好きというアイデンティティを抱いたお客さんだからこそなんだという事を理解していても・・・。


裸になっても女性らしい体つきで美しいボディラインの方は、

性器と本来の性という以外はそのようなコンプレックスは持っていないのかもしれません。


しかし、裸になればぶっちゃけあまり女性らしくない体型だったり、

クビレもない、胸もないような悩みを抱えた者は、

誤魔化せる服を着用した上で綺麗と言われても、

「裸体を見れば幻滅するだろう」という悩みを少なからず抱いている。


一般女性とは異なり、痩せているか太っているかの問題だけでなく、

根本的な骨格や肉付も関係している。

胸も、性ホルモンだけで充分に発達する一部のトランスジェンダーを除いては、

それこそ豊胸といった外科的手術をしなければ大きなコンプレックスになりうる。


豊胸だけでなく、外科的手術を行わない限り改善できない部分も多々ある。

性器も例に漏れず。


ならばさっさと満足行くまで全身に渡る外科的手術をすればいいじゃないかという事にもなりますが、

もちろんその理由で手術に望む者もいるが、

いくら医学が発達した現代といえ、誰しもが安全安心で確実な良い変貌を遂げられるわけではない。

未だ失敗例も存在する。

その上、必要とする資金も馬鹿にはならない。

そのために水商売や風俗を選ぶという理由も冒頭で書いたが、この不景気の昨今、

それでも充分に資金を稼げない子だって大勢いる。



風俗という場所は、そのありのままの裸を見てもらった上で、

綺麗だの可愛いだの言ってもらえる事が多い。


その事が自信に繋がるし、自身の性アイデンティティを維持できる繋がりにもなる。


その事が気づけば心地よくなってしまっているのではないだろうか。


そう思うようにもなってきたのです。




もちろん、そういうNH特有の体型だからこそ、

それが好きなお客さん中心だという事は理解している。


特に性器においては、未手術だからこそ好まれる事も理解している。

(性転換してしまったら、それらのお客さんの眼中にはなくなるという面で大きな葛藤ではありますけれども)



一般職の性同一性障害の方のように、確固たる性自認があるわけでもなく

先天的に女性らしい骨格や体型を持つため性器以外にコンプレックスの少ないトランスジェンダーとも異なり、

揺れ動くギリギリのアイデンティティや感情を維持したいがために風俗産業にしがみついてしまう理由を持った人も多いのではないでしょうか。


当然、風俗産業を嫌悪する層から見れば、そんな事はただの言い訳にしかなりませんけれどね。



誤解のないよう言っておきますが、

これらの事により、物事を肯定する気持ちもありませんし、否定する気持ちもない。


ただ、ありのまま感じた私見を書き連ねてみました。


実はここ数年間、職場である風俗以外ではセクシャルマイノリティの世界とは無縁でした。

というより、ある種のトラウマで自ら断ち切っていました。


MtFである私が見てきたこの世界」というタイトルを掲げているのにです・・・。


昔とは異なり職場にもどっぷり浸からず距離を置いてきたので、

今は職場でのニューハーフを通して知る事すら多くない。


ここずっと記事に書いてきた元ネタはほとんどがインターネット上のニュース記事などが元。



実は最近、インターネットを通して1人のジェンダフリー傾向のセクシャルマイノリティさんと知り合いました。

ちょっと前までの私の思考からでは、新しくセクシャルマイノリティの知人を探すという事はありえない事でした。



でも結果的には、「とても良い出会いだった」という事です。


知り合った経緯は割愛しますが、

彼女は私らのようなニューハーフというわけではなく、

性ホルモン等を投与している性同一性障害というわけでもなく、

見た目は女性らしいがアイデンティティはジェンダーフリー(性別に捕らわれない)の方です。


とても賢く聡明な方でもあり、私の知らなかった男の娘の世界にも造詣の深い方で、

我々のNHの世界に関しても詳しく親交のある方です。



彼女と話す中で、私自身が勉強になる事も多々あり、

誤解していた考え方もいろいろ改めるきっかけになりました。



例えば、現実世界の"男の娘"の世界。


私はてっきり、一昔前の女装子と呼ばれていた分野の方達の

新たな用語なのかと思っていましたが、

実際はそうでなく、女装子もGIDの方もニューハーフの方も総括した世界(実状)なんだそうです。


男の娘カフェというサービス店が一部では最近話題になっていますが、

これも私は、もともとの男の娘という定義通り、「女性のような見た目をした普段は一般男性」の方が専門で働いている店だと思っていたのですが、実際はそうでなく、もちろん職場のみで男の娘を演じている一般男性もいるが、性自認が女性で性ホルモンを投与しているMtFさんも働いているし、ニューハーフとして水商売や性風俗で働いている傍ら副業として勤めている方もいるようで、業種は違うものの、そこで働くスタッフのアイデンティティや生き方は、私たちと何も変わらないのだという事を知ることができました。


つまり現在ニューハーフである私も、そういったお店に勤めれば立派な"男の娘"であるし、

一般職の性同一性障害MtFさんも、男の娘に該当しうるという事を知る事ができ、少し驚きで目から鱗でした。


ただし性転換&戸籍変更をした人だけは別で、

未性転換者である以上は、性ホルモン投与の有無、性自認、性嗜好など関係なく、

垣根なく"男の娘"と定義されうる存在なのだという事を知ったのです。

男→女に限定されるが、そこには真のジェンダフリーという概念が存在するわけです。



しかし実状としては、ニューハーフはジェンダフリーな立場の者を嫌う傾向にあるし、

ジェンダフリーの人達はニューハーフの独自な凝り固まった思想を嫌うという傾向は未だ存在します。

一般職の性同一性障害者は、思想的にはジェンダフリー傾向ですが、同じくニューハーフ業界を嫌悪しているように思えます。


その枠組みには収まらず、ニューハーフだけどジェンダフリー思考、

中性的立場だけれどニューハーフも同じ仲間。


そう手を取り合あったコミュニティが「男の娘」であり、

その窓口の1つが男の娘カフェなんだということなんですね。



裏を返せば、ニューハーフの中にも性同一性障害を抱えた方はいますし、

趣味として女装をした上でゲイバーに勤める方もいます。



ですので、業種は違えど、男の娘カフェでもニューハーフの水商売/風俗に関わらずそこに在籍する者のアイデンティティに明確な差異はないという事が立証されるのです。



私の中の、男の娘という定義とその用いられ方に対するイメージや偏見が解かれた瞬間でした。



それでもやっぱり、「男の娘」という言葉には、「男」という言葉が入っている以上、

性自認や、本来の性別を自ら男だと誇張しているような気がしてやまないので、

私はトランスジェンダーですといった方がしっくりきます。


まぁ、聞き慣れない横文字を使ってボカしているだけなんですけれどね^^;



性転換してないし戸籍変更もしてない以上、はっきりと女ですとか元男ですとは言えないと理解しているし、

かといって自らをオカマだとも女装者だとも思っていない。


「アイデンティティは女で、元は男だけれど女として生きている者」

この概念を上手く伝える時は、今はまだ"ニューハーフ"という言葉が上手く認知されているのかもしれません。


職業的にもニューハーフでありますしね。


ただし人によってはニューハーフという言葉にも否定的なイメージを持っている人もいるようで、

「オカマのイメージと同じまま、それを横文字にしたのがニューハーフ」と考えている方も少なくないのでしょう。


性同一性障害という言葉も少しずつ広まってきましたが、

障害という言葉がついている以上、物凄く重く受け止めてしまわれる風潮もある。



オカマやホモという否定的なイメージを含まず、

嗜好として女装を嗜んでいるわけでもなく、

性同一性障害という重病的な言葉のイメージも含まず、

男の娘という男を誇張した表現も含まれず、

ニューハーフやオネエといったメディア的・職業的なイメージも含まない、


他に何か良い言葉はないものでしょうか?



そうなると、MtFトランスジェンダーが一番しっくりくるわけです。


でもそれは日本には広まっていない。


どうしても自称する際は、前述したように

「元は男性ですが女性として生きてます」と言った上で、

「世間で言う所のニューハーフってやつです」と予防線を張るしかないのです。



それでも、セクシャルマイノリティに否定的な人、

もしくは深く知らない方々からは、

「オカマ?」「性同一なんとかってやつ?」「オネエな人?」

としか言われないのです。


意味を知っていて故意に呼ばれる事は仕方ないが、

何も知らないが故に平気で「オカマ?」「オネエ?」と言ってしまうような風潮は早くなくなってほしいです。




余談ですが、日本で使われるオカマという言葉は、

欧米ではよくゲイという使われ方がしますよね。


少しでも女性的だったり、または男らしくない時に

何にでも「やつはゲイ」とレッテル貼り。


日本以上に向こうでは蔑称を込めた差別意識が強いのです。

日本では少ないですが、やはり同じように、

少しでも女性的な男性に「オカマかよ」といった使われ方がされる。


車の玉突き事故も、オカマを掘られるといった表現。


最近のネット上では、少しでも男性同士の密接な関係を匂わす内容に対し、

「ウホ」だとか「アッー」といったはた迷惑な表現がされる。

(対象者がセクシャルマイノリティでなくてもです)


そのように蔑称を含んだ表現が言葉遊びのように使われ蔓延している。

いかんともしがたい現状です。













男らしさってなんだろう。


女らしさってなんだろう。



昔のステレオタイプな考え方は、


男は強く逞しく、女は健気で優しく弱い・・・。


男は積極的、女は受動的。



そんなものは現代には当てはまらない。


男は見た目に無頓着、女は見た目に気を遣う。


それも今じゃ当てはまらないでしょう。




私は小さい頃から男女の違いに関する資料が大好きでした。

学校の保健室や図書室にあった男女の体の違いの本も愛読していたし、

NHKスペシャルの、「女と男」というものも面白かった。


また、とある本に性を科学した内容のものがあります。

そこにはアンケートや脳科学を元にした男女の違いの例が幾つも記されている。


そういった様々な資料を元に、共通して表現されていた男女の違いについての一部を、

私自身の場合も交えながら書いていってみます。


※違いといえど、「平均値による違い」ということです。




男性

・論理的

・推理力や空間認知力、数学的な計算力に長けている

・一点集中型

・解明・探求力


女性

・直感的で感情的。

・言語力、視覚的情報吸収力、単純な計算力などに長けている

・同時に複数の情報を得る



わたしの場合


(論理的or直感的)

→ 完全に感情的です。

むしろ感情的な気持ちを必死に論理的に覆おうとしてるんだと最近気づきました。

経験による論理よりも、直感に頼る事も多い。


直感による推理は好きですが、論理的な推理はできない。



(空間認知力)

→ よく地図などが例に挙げられますね。

これはたぶん、ある方です。

現実世界でもゲームの世界でも、どこをどう行けばどこに辿り着く・・ってのは

慣れさえすれば把握できるようになります。

屋内にいて東西南北が分からなくなる事がありますが、それはただの経験不足だと思います。

部屋の模様替えも結構得意です。

ただ、ここにこの家具を置くってなった時、今はメジャーがないと失敗する。

記憶だけじゃ失敗する事もあります。



(視覚的情報)

→ 空間認知力とは少し違うようですね。

ただの風景として記憶に残せるかとか、人の顔を記憶できるかとか

色に関して強いかどうかですね。

これらはどうなのかうまく判断できません。

だけど、人の顔については忘れてしまう事もあります・・・・

(仕事でも数ヶ月以上ぶりの2回目のお客さんの顔を忘れてしまう事があり、

話してる中でオーラというか雰囲気で思い出してくる)



(計算力)

→ 計算は全て苦手。算数も数学も苦手です。

数の計算だけじゃなく、時間の計算も苦手。

とにかく計算とつくものが嫌い。

ただし相手を計算するといったような使い方の計算では、

知らずにやっているかもしれません。



(言語能力)

→ 男は論理的な会話や1つの議題に冠した議論が得意で、女はコミュニケーションとしての会話やおしゃべりが得意だと言いますよね。

私も後者です。いや半々くらいかな。ただし、気持ちとしては議論も好きなのに、感情的なおしゃべりが好きなせいもあって、それらが混同して会話が破綻したり矛盾したり・・ってのはよくあるし、男の人に指摘されます・・・。

これはここ数年内で気づいたことです。

もともと、男友達とじっくり深い話をしたりする事は好きだったけれど、環境や性ホルモンの影響もあってかいつしか"おしゃべりしたいだけ"というものが上回ってしまいました。



(一点集中or同時集中)

→ これは残念ながら、一点集中型です。


よく、女は雑誌を読みながらTVもつけていて、かつ電話もしていて

全ての内容を覚えているという例えがありますが、

素直に凄いと憧れてしまいます。

私は一点集中型なので、何かに集中している際は他の情報は頭に入らない。

中断でもしない限り、他に気を回せない。



(解明・探求力)

→ これも残念ながら持っています。

もともと職人気質ってのもあってか、1つの物や機器などに集中しながら調べたりイジる事が得意です。

これだけは、よく男っぽいねなんて言われちゃいますが、好きなものは好きなのですからしょうがありません・・・。




以上、性科学的に見た男女の違い。


男女の違いって、嗜好品にも見られますよね。

これもあくまで平均点による違いなだけですが、例えば



男性

・格闘技

・釣り

・玩具収集

・ゴルフ

・パソコン/AV機器/家電機器

・時計


女性

・化粧品

・ファッション品(洋服・アクセサリー・ネイルなど)

・料理関連

・人形(ぬいぐるみやキャラクターフィギュア等)


などなどありますが、

私は正直、時計以外は一通りハマったことあります。

小さい頃は姉や女友達とママゴト遊びしたりシルバニアファミリーで遊んだり、

化粧にも憧れた。かといって、男性側で挙げた嗜好品も一通り嗜んだ。

私自身が幼い頃は性差を感じてなかったので、全てにおいて半々でした。


しかし、自分を棚に上げるわけじゃないですが、

実際の世間も、今はこれらの嗜好品に性差はないのじゃないかって思う。


格闘技好きな女性だって大勢知ってるし、

釣りやゴルフを嗜んでる女性もいればプロもいる。

パソコンやAV・家電機器だって今は女も好きでしょう。

時計はよく分かりません。

料理に関してはそれこそ性差はない。

ぬいぐるみ好きな一般男性も大勢いる。

ファッションに命をかけてる男性も今は大勢いる。


でも、あくまで「割合」として見れば圧倒的に男性の世界なのかもしれませんね・・・。



以前、あるニュースにて

今の日本は男と女が逆転してる」と海外の人に言われた事があるそうです。


嗜好品に性差が無くなった面を見ればそう思っても不思議じゃないのかもしれません。


それに、考え方や言動だって今は性差がない。


冒頭に書いたように、女でも無頓着だったり、強く逞しい心の人も増えたし

乱暴な言葉遣いの人も増えた。

男でも華奢で、優しくか弱く見た目に気を遣う人も増えた。(普通の男性でも)



原因は、単純に時代の変化もあるだろうし、

宗教的な一面もあれば、突き詰めれば環境ホルモン等の影響もあるかもしれない。


理由なんて幾つもあげられる。



しかしいったい、

生来、妊娠できるという機能が備わっている以外に性差ってなんだろう?

そう思うのです。


社会上の性差では、男女の体力的な平均値の違いにより区分があるけれど、

思想や嗜好品には性差はなくなってきている。


男らしさってなんだろう、


女らしさってなんだろう。



遺伝子と生理・妊娠云々以外では、


最終的に、「性自認」と「見た目」だけが男女の違いになっちゃうんでしょうか?




余談ですが、


先日、あるニュースで


「某国で、女性同性愛者カップルが逮捕され公開処刑になると決まった」


というあまりに無情で可哀想なニュースを見ました。


国によっては、性のアイデンティティが犯罪になる。

恐ろしい。

私はこの国に生まれてきて本当によかったと思う。


この国でも、セクシャルマイノリティに理解がなく、

心から嫌悪している人の中には、同じようにこの国もそうあるべきだという思想を持っている人もいる。


理解がない事については、どうすることもできない。


だが、実際にその人達の意見が通る世の中にならないよう願うばかりである。




このご時世、


何を私はセクシャルマイノリティのあり方に苦悩しているのだろう


そう思った。



あからさまな差別を受けているわけでもない、


受け入れてくれる人も付き合ってくれる人も大勢いる。


法関連も改善してきている。

(法に関しては私はこれまでもこれからも主張するつもりはないが)




そして、このご時世。


今や世間は不景気やら増税やら原発に被災地復興にと、最も重大で大きな関心事がそちらにある。


それは世間に限らず、

私も、他のセクシャルマイノリティ者も同じくして重大な関心事。



他の国は知らないが、少なくともこの国で現在は、


セクシャルマイノリティの権利や認知を主張するような時代ではない。




そんな中で何が私を掻き立てるのか・・・。




インターネット



そう、インターネットで目につく話題である。



インターネットも、もちろん現実を反映している部分もあるかもしれない。



インターネットにも様々なサイトや場所があるが、

間違ってはならないのが、一部のインターネットサイトに書かれている内容が国民の多数派の総意ではないということ。



ある事柄について否定的な意見が交わされていても、

それはほんの一部。



もしもニュースや現実での行動に発展するくらいの事柄であれば、

それはたかが一部ではなく多数派の意見だという面もあるでしょう。

しかしそうではなく、そこのネットサイトだけで交わされて終わるような内容であれば、そこでの意見というものはほんの一部だけのものである。



私は、これはわたしの悪い癖なのですが、


そんなほんの一部での意見でしか過ぎないのに、


「これが世間の多数派の意見?」と勘違いしてしまうのである。



再度言うように、現実世界において、

少なくとも私自身が触れている現実の周りでは、

あからさまに差別する人などはいない。


恋愛もできる、就職もできる。


(そもそも恋愛や就職においては、セクシャルマイノリティ云々は言い訳にはならない。

特に現在は、就職に関しては尚更セクシャルマイノリティだから・・と言い訳はできない。

それとは別の個人個人の問題である)



そのように性別に関しては、何も大きな支障がない。



なのに、ふと一部のインターネットサイトでのセクシャルマイノリティに関する記事に目が止まり、そこを閲覧してしまい、そこに書かれている否定的な意見が目についてしまって、

「これが世間全体の本心?」だなんて勘違いをしてしまい、感情がくすぶってしまう。



その後、現実世界での対応のされ方において、その感情のわだかまりは解れる。


なのにまた、一部のインターネットの内容を見て頭を悩ませて・・・の繰り返し。


なんてバカなのだろう。


明らかに病気。



これは友人らにも何度も指摘された。


そんな場所、見なければ済む話なのに・・・と。



それなのに、見てしまう。


見てしまうというより、


現実の身の周りの人達の対応やリアクションだけじゃ物足りず、


より多くの一般人の対応を知りたいという動機もある。



叶うならば、セクシャルマイノリティに無知である相手なら良いイメージを持つように努めたいし、

悪い先入観を持った相手ならば、できるだけ良いイメージに変わるように努めたい。

そこまでしても尚受け入れてもらえなかった際に初めて、

「この相手に受け入れてもらうのは無理なんだ」と諦めが付く。



とまぁ、そんな野望(?)を少なからず抱いているのですが、

実際にはそんな事をせずとも、自分が交流する身の周りの人たちにだけでも

受け入れてもらっていれば、何も支障はなく生きていける。



一時期は、インターネットでそういう部分(否定的)には触れないようにして

一切セクシャルマイノリティとは関係のないサイトや記事だけを見るようにしていた時期もあった。


最近、目についたら閲覧してしまう癖が戻ってきた。

なんでだろう。気になるのかな。


また、これは当ブログの理念も覆すくらいのことなのですが、


当ブログを立ち上げた当初は、

現実世界で実際に多くのセクシャルマイノリティの人たちと交流してきた体験を元に、

セクシャルマイノリティとは何なのか?を考察してきた。


しかし、今となっては記事を書く原動になるよう話ネタは、

ほとんどインターネット上の記事やそこでのやり取りが主である。



だからこそ当ブログの記事投稿が不定期になったり、書いても似たような内容ばかりになってきた面もある。



なぜこうなったのかというと、


今現在わたしは、現実では極力セクシャルマイノリティの人達とは関わらない生き方をしている。


仕事の時は嫌でも関わるけれど、プライベート時間になると

一般男性か一般女性相手としか関わっていない。


よって今現在は、セクシャルマイノリティに関しては自分以外の人の事はよくわからないという状態。


仕事以外で触れることができるのはインターネットの記事やメディアでのみ。


そもそも今更、プライベートまで率先して交流していこうとも思わないのですが・・・。


ですので、当ブログの理念を覆してしまうくらいの現状ということなのです・・・。


(もしかしたらそれだからこそ、インターネットを頼りにしてる面もあるのかもしれませんね)


もう1つだけ言わせてもらえば、

今まで綴ってきた記事にて、あらかた主張したい事や疑問などを書き尽くしてしまったという面もあるのですけれどね・・・あせる



今回、このように改まってこの現状と実態を見つめ直してみましたが、

また忘れた頃になればインターネットの記事か何かが発端で、

感情に火が付き、記事に起こしてしまう・・・という事態になるのかもしれませんね・・・

困ったものです(恥)




「書を捨て街へ出よ」 



今の私にぴったりの言葉です。



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この記事をお借りして、

過去に書いた記事の内容の訂正を行いたいのですが、


・トランスジェンダー

・トランスセクシャル


この2つの言葉ですが、

私は、

トランスジェンダーは性転換手術はしてないが女性化中の者、

トランスセクシャルは性転換手術も済んだ者という説明をしましたが、


そうではない という事らしいです。

勘違いをしておりました。


改めてお詫び申しあげます。


(wikipediaの内容が事実とは限りませんが)

wikipediaの説明によると、


トランスセクシャルとは、性転換症という語訳で、

意味としては現在の性同一性障害と同じような以下の意味を持っているそうです。


「出生時の外性器身体)の性別とは反対の性自認を持つ現象」


つまり性転換の有無は関係ありませんね。

現象名や病名に近い言葉です。


性同一性障害も同じような概念で、

「身体上の性別と、自己意識(心)の性別が不一致により、身体を心の性に近づけたいと願う者」

という意味の症状名です。


しかし性同一性障害を英訳すればトランスセクシャルになるのではなく、

Gender Identity Disorder, (GID)という正式な英訳が存在します。


概念は同じなのに二通りの言葉があるなんて混乱しますね・・・。



ではトランスジェンダーとは何なのかと言いますと、

トランスセクシャルに置き換わる、現在での呼び方です。


トランスセクシャルという呼び名だと、

「身体の性別と心の性別が不一致」という意味を含んでいます。


しかし、実際にはそんな事はないけれど、

女性化する事を求めてトランス(性移行)する人達も大勢います。


その人達の事も指せる用語として、

厳密な定義がなく、"大まかにとにかく性移行した者/する者"という意味を持つ、

新たな用語として使われるようになったそうです。


ちなみにセクシャルマイノリティを指すLGBTという概念の

T」にある意味は、トランスジェンダー(心の性に限らず性移行した者)、

トランスセクシャル(言わば性同一性障害)、トランスヴェスタイト(服装倒錯者)すべてを含む「T」なんだそうです。

トランスヴェスタイトというものは、性別の少数派ではなく異性装したいだけの趣味やファッション、性的嗜好だと思っていたので、これもLGBTに含まれているというのは目から鱗です。



過去に記事に遡り、その勘違いして説明していた部分は訂正しておきたいと思います。


何度も取り上げている、「男の娘」という言葉。



今や現実世界でもメディアでも取り上げられ

アングラ用語ではなくなってきている。



今やネットでもメディアでも、

ニューハーフや性同一性障害という言葉はあまり出てこなくなった。



トランスジェンダーという言葉はそもそも日本じゃあまり使われない。



今は、オネエ、または男の娘という言葉だけが、

とにかくよく目につく。



なのに男の娘という定義は未だ曖昧なまま。



たくさん情報収集をしてみても、

やはり各場所、各人で定義が異なる。



明確な定義なんていらないんじゃ?



否、そんなことはない。




現実で男の娘と呼ばれている人達が

セクシャルマイノリティ者も含んでいる以上、

うやむやにはできない。




実在人物に対して男の娘という言葉を使っている人たちには

それぞれこのような意味で認識している。



「男なのに見た目が女にしか見えないような人」


「若い男で女装してる人」


「性同一性障害で女として生きてるトランスジェンダー」


「昔でいう所のニューハーフって人たち」


「男なのにナヨナヨしてて女みたいな人」


「現代版のオカマ」


実際にはまだ様々な意味合いが各自にあると思うが、

大まかに分けるとこれらのような意見を耳にした。



肯定的な意味も、否定的な意味も含まれている。



このように各自で違う認識なのに、

一括して男の娘と呼んでいるということは、



昔で言う「オカマ」という言葉と意味を、ただ言い方を変えただけじゃないかと感じてしまうのである。



今になっては、オカマは当事者が使う事は別として

他者が使う事は差別用語や侮辱言葉として認識されている。



しかし、このオカマという言葉も元々は否定的な意味ではなく、

上で挙げたようにそれぞれで意味合いが異なった。



もともとニューハーフやトランスジェンダー、性同一性障害という言葉も無かったから、

そういう言葉が使われていただけで、その名残で今も別に否定的な気持ちもなく

使ってる人もいることでしょう。

中には当然、否定的な気持ちを持って意図して使ってる人もいるでしょうが。



しかし時代は経て、今や多数がオカマを否定的な意味を含む言葉だとやんわりと認識するようになった。




私にとっては男の娘も同義で、明確な定義がなく

女性っぽい姿の一般男性だけじゃなく、セクシャルマイノリティ者も含む大まかな呼び方という時点で、

本来の「オカマ」という意味と変わらないのでは?と思ってしまう。

だから「男の娘」という呼び名と現実への使われ方が好きになれない。




他には、当事者間の認識や受け止め方にも関わってくる。



トランスジェンダーも女装が好きなだけの男性も、

ニューハーフも同一視して「男の娘」だと呼ぶことにより、

それぞれの当事者が「一緒にされたくない」と思う面もあるからだ。



例えば、ただファッションで女装をしてる男性の場合、

ニューハーフや性同一性障害だとは思われたくないかもしれない


性同一性障害のトランスジェンダーも、女装者だと言われたくないし

ニューハーフとも呼ばれたくない。


ニューハーフの中にも性同一性障害者はいるが、そうでないニューハーフなら

性同一性障害と呼ばれる事を嫌う。



一括りに男の娘と呼ぶということは、

言った本人が意図していなくても、

各自で定義が異なる以上、

自動的に同列に語っているという事になる。



もちろん、男の娘という言葉を使う人の中には、

ニューハーフや性同一性障害は別だと認識している人もいることでしょう。



しかし、冒頭で述べたように、「戸籍上は男性だけど女性の姿をしている人全般」を指す言葉だと思ってる人も多い。


戸籍上は男性だけど女っぽい姿をしている人なんて大まかな定義。


それこそ、普段は男性だけど女装が上手で綺麗に見える人も、

性同一性障害で女服を着ることが当然だと思っていて女として生きている人も、

一部のニューハーフも全て同義となってしまう。



男の娘は女装もセクシャルマイノリティも同一だと認識している人が男の娘について語れば、

何も知らなかった人も「いっしょなのか」と認識して、それが広まっていく。



また、男の娘と使う人の中には

「この言葉は、あくまで見た目だけを指す言葉だから、当人の性自認やアイデンティティ、生き方は関係ない」

と言う人もいる。


自分が当事者でないから、そのような事がいえるのだろう。





また、ある人にとっては、

「セクシャルマイノリティという言葉も嫌いだし、そもそも男とか女とかいう区分けも嫌だし、

男も女も女装もニューハーフも性同一性障害もゲイもレズビアンもバイセクシャルも言葉による区分けしたくない」

と思う当事者もいることでしょう。


そういう人達にとっては、男の娘という言葉は区分けのないボーダレスな言葉で便利なのかもしれませんね。



本当に難しい問題です。





なぜ私はこんなにも毎回、「男の娘」という言葉に敏感で、悩まされてしまうのだろう・・・




もしかしたら、ただの嫉妬心なのかもしれない。




女として生きるために性ホルモン投与し、玉抜きをし

様々な苦難もあって覚悟をもってトランスジェンダーになった。


そしてようやく、男とは呼ばれなくなって

女として見られたり扱われるようになった。



しかし、男の娘というボーダレスな言葉ができて、

トランスジェンダーであろうが、一時的に女装している男性であろうが、

「見た目が女の子っぽければそれでよし」と思われる風潮も生まれた。



「なんだ、ということは女として扱われる分には女装だけでもいいの?」

だなんて思う事もある。

もちろん、見られ方だけじゃなく自分自身の肉体が男性なのが嫌だから

ホルモン投与をしているのだが、

それでも、見た目が女っぽさえいれば、

「本人が性ホルモンしてようがなかろうが、性同一性障害であろうがなかろうが関係ない」

と、一般の世間に見られていると思うと、どこか虚しくてやるせなくなってしまうのである。




本音を吐いて、少し自分が男の娘という言葉を嫌う意味が見えてきたように思う。




ジェンダーフリーという言葉が、セクシャルマイノリティという言葉と共に扱われることがある。


ジェンダーフリーとは前述したように、性に区分をつけたくないと思う事である。



しかし、性同一性障害はジェンダーフリーではない。



性同一性障害は、世の中に男と女という2つの性に分けられている事を知っていて、

その上で、どちらかの性に属したいと強く願うからである。



私もそう。



職業や立場的に仕方なくトランスジェンダーのニューハーフだと呼称しているが、

叶うならば、女。ただの女でありたい。



男の娘という言葉は、性同一性障害者の理念には合わず、

ニューハーフやトランスジェンダーなどと同じ、

男と女の中間というグレーゾーンの言葉であるように思える。


むしろ、性自認や性ホルモンの有無、アイデンティティを問わないとなると、

よりジェンダーフリー感が強い言葉であるように思う。



男と女。


できれば限りなく女側に属していたいと思うのに、

仕方なくニューハーフのトランスジェンダーという立場と名称を受け止めている。


そんな中で自分が男の娘だと呼ばれるのであれば、

一気に男側の区分へ押し戻されるような気がしてしまうという不安もある。


それも、私が男の娘という言葉を毛嫌いする理由なのかもしれません。






最後に。


もしかしたら私も男の娘なの?と思うこともしばしばある。



私は自分を立場的にトランスジェンダーのニューハーフだと思っている。

(ニューハーフというのは現在はニューハーフ職に就いているため)

アイデンティティが男側に近い男の娘だとは思っていない。



見た目は美人とまではいかなくても、

一応「さすがに男には見えない」「普通の女に見える」とよく言われる。



なら私も男の娘なんでしょうか?



ニューハーフ業界にも、言葉さえ出さなければ

綺麗な女性にしか見えないような人が大勢いる。


もちろん、声含めて女性らしい人も大勢いる。


彼女らは、決して自分を男の娘だとは呼ばないでしょう。


しかし、では彼女らも本当は男の娘なの?



という疑問が付きまとってしまうのである。




一時期は頻繁に記事を綴っていましたが、

書きたい内容も打ち止めしたので、またまた離れていました。


久々に書きたい内容ができたので綴りたいと思います。



あるサイトにて、またまた「男の娘とは何?定義は?」といった不毛な主旨の議論が繰り広げられていました。



その中で、性別とは「4つの性の組合せ」だと書いた方がいて

なるほどなと感銘を受けたので記事を綴る経緯に至りました。

内容を整理してご紹介いたします。




4つの性別



-身体の性別-

見た目だけでなく性染色体も含むカラダの性別。

男性・女性・半陰陽(インターセックス)などが該当します。



-脳(心)の性別-

臓器としての脳の性別というわけでなく、

言わば心や性自認(自身をどの性だと思うか)での性別ということです。


-行動・態度的性別-

服装や話し方、仕草行動における性別。


-性指向-

恋愛として好きになる相手の性別。恋愛対象。

異性愛、同性愛、両性愛など様々です




これらの組合せで、性別(アイデンティティ)は異なります



最も重要なのは身体の性別ですが、

現代社会においては脳(心)の性別も重要視されています。


性同一性障害における診断も、

この心の性別によって判断されます。


行動・態度的性別性指向

身体の性別や脳の性別と必ずしも一致しているわけでなく、

十人十色、それぞれに違いがある副次的な性別です。

性別というよりも性格といったほうが妥当でしょう。




これらに当てはめて考えてみると、

身体の性別も脳の性別(性自認)も男性の方がいたとします。

これは医学上でも精神医学上でも""と診断されます。

言わば世間一般での"男性"ですね。


しかし人それぞれ仕草も話し方も服装も異なる

性指向(恋愛対象)も人それぞれ異なります。



・恋愛対象は常に女性ですが、

ファッション(おしゃれ)の一環で女装を嗜む者や、

フェチシズム(性的嗜好)の一環で女装を嗜む者など様々。


同性愛でも性同一性障害でもなく、

"ただ女装を楽しむ男性"という事になります。


※教育や文化、宗教上の理由などにより

異性装を求められる者は除きます。



・恋愛対象は女性で、服装は男性的ですが

喋り方や仕草だけは女性的という方もいます。


もちろんこの場合も同性愛でも性同一性障害でもなく

仕草言動が女性的なだけの男性です。

こういう場合の方でも、「オカマ」だと差別的に言われたりすることはしばしばあります。


・服装や仕草言動に関わらず、

恋愛対象が男性である


この場合においてのみ、

”同性愛者(ゲイ)の男性”という区分になります。

(恋愛対象が両性ならば、両性愛者の男性になります)


ここで重要な点は、前述した前提の通り

>>身体の性別も脳の性別(性自認)も男性の方

の場合です。


恋愛対象が男性という同性愛ではありますが、

他の男性パターンと同じく、

ファッションやフェチシズムの一環で女装を嗜む方もいますし

仕草や言動が女性的な方もいます。


そういう面でよく誤解が生じがちですが、

恋愛対象が男性の同性愛で、行動・態度的性別が女性的でも、

脳(心)の性別が男性なので、性同一性障害ではなく"同性愛者の男性"に属します。



・そして、身体の性別が男性でも、脳(心)の性別が女性の方に限り

性同一性障害と診断されます。

(逆の場合は、身体が女性だが心が男性の方も性同一性障害)


この場合の方でも、前述したように

行動・態度的性別や、性指向(恋愛対象)は様々です。


ですがそこはあくまで"実態"なだけであり、

医学面での性同一性障害の診断項目としては、

行動・態度的性別も女性的である


といった厳密な診断項目が存在したりします。

性指向(恋愛対象)が男か女かは医者によって判断基準が異なるかもしれません。



以上を元に簡単に一覧表で振り分けをするとこのようになります。


左から、

身体的性別 / 脳・心の性別 / 言動・態度的性別 / 性指向(恋愛対象)



(異性愛者の男性)


男 / 男 / 問わず / 女


(同性愛者の男性)


男 / 男 / 問わず / 男


(両性愛者の男性)


男 / 男 / 問わず / 問わず


(性同一性障害の男性)


(実態) 男 / 女 / 問わず / 問わず


(理念上) 男 / 女 / 女 / 問わず




(異性愛者の女性)



女 / 女 / 問わず / 男



(同性愛者の女性)



女 / 女 / 問わず / 女



(両性愛者の女性)



女 / 女 / 問わず / 問わず



(性同一性障害の女性)



(実態) 女 / 男 / 問わず / 問わず



(理念上) 女 / 男 / 男 / 問わず



これらのように、性別を決める重要な点は

身体の性別だけでなく、脳・心の性別で変わるという所ですね。


性同一性障害の方は、身体の性別を脳・心の性別に合わせるために

ホルモン療法外科的手術によって近づけるのです。


もちろん、ホルモン療法や外科的手術を行っていない、またはその途中においても

脳・心の性別が男性または女性と診断されていれば

性同一性障害と診断されるのです。

(前述したように、診断においては脳・心の性別だけでなく

行動・態度的性別も少なからず判断材料となる)




戸籍上の性別はまた別の話になってきますし、

日本においては性同一性障害である上で身体の性別(外見)が手術済であれば

手続きに時間はかかりますが戸籍の性別の変更も可能となっています。




また、今回は身体の性別が男性と女性に限定して記載しましたが、

クラインフェルター症候群や、その他先天的な遺伝子異常において

生まれつき半陰陽/両性具有(インターセックス)として生まれてくる性別の方々もいます。


この場合は、外見的な身体的特徴や内性器の性特徴、性染色体(遺伝子)での性別などが

両性の特徴を併せ持っているので(どちらの特徴も持たない場合もある)

成長した当事者の脳・心の性別によって外科手術を行ったりします。


一見、性同一性障害と混同されがちですが、

性同一性障害者は生まれつき、身体上の性別が男性か女性かどちらかに決まっておりますので、

インターセックス者とは全く異なります


ちょうどTVドラマで、六花チヨさん原作の「IS~男でも女でもない性~」という番組を

取り扱っていますが、この主人公に該当する性別が、インターセックスに該当します。




さて、先ほど記載した性別の一覧表の中でセクシャルマイノリティと呼ばれる方は、

男性・女性それぞれの同性愛者/両性愛者/性同一性障害者などが該当します。


セクシャル=性別の 

マイノリティ=少数派


という意味です。


一般的な男性や女性はセクシャルマジョリティ(多数派)という位置づけになりますが、

こういう言葉はあまり使われません。


これらのセクシャルマイノリティは国際的に

LGBT と呼ばれます。


L・・・レズビアン (女性同性愛者)

G・・・ゲイ (男性同性愛者)

B・・・バイセクシュアル (両性愛者)

T・・・トランスジェンダー/トランスセクシュアル (性別移行者)



性同一性障害は海外では「GID」と略されます。

GIDである男性または女性がホルモン療法や外科手術(SRS)により、

トランスジェンダーになる といった概念です。


トランスジェンダーとは、

生まれもっての肉体と逆の性へ移行しようとする者の事です。

同じ性移行者でも、性同一性障害の方も含まれるし、そうでない方も含んだ大まかな呼び名です。


トランスセクシャルという呼び名には、

生まれ持った肉体の性と、心の性別が不一致している者という意味が含まれています。

性同一性障害の方で性移行する者には、こちらの呼び名に属しますが、

実際にはトランスジェンダーと一括りにされて呼ばれる節があります。



また、セクシャルマイノリティにはLGBTという区別があるにも関わらず、

海外ではセクシャルマイノリティに関係なく一括してゲイと括ったりする大雑把な一面もあります。


これは日本においても、セクシャルマイノリティでなくても

服装、仕草や言動だけ見て一括してオカマやオナベといった差別的発言をするのと似たようなものなので

あまり好まれた括り方ではありません。


なるべく、LGBTの違いを認識するべきなのです。



そして日本においては更に特別な呼び名が存在しますよね。


それがいわゆる、ニューハーフや男の娘、オネエなどです。


ニューハーフや男の娘についての個人的な定義や意見は

過去の記事でも何度か触れているので、

是非ご参照ください。



はじめに ~各セクシャルマイノリティの言葉の定義~

http://ameblo.jp/trans-mind/entry-10106809700.html


男の娘 ブーム(?)

http://ameblo.jp/trans-mind/entry-10937031305.html



各々が容認し受け入れるという事は不可能ですが、

せめて知識としてだけは今後も1人でも多くの人が

LGBTの違いを知ってほしいと思うばかりです。




男の娘について触れるのは3回目



過去の記事はこちら



タイトル: 男の娘

http://ameblo.jp/trans-mind/entry-10711942459.html


タイトル: 女性化に憧れる男たち

http://ameblo.jp/trans-mind/entry-10619743515.html





そもそもブーム(流行)にはなってなく、

あくまで一部によるブームでしょう。




むしろ行為そのものじゃなく、

「男の娘」という言葉が流行ってるのでしょうね。




ところで、1つお詫びと訂正がございます。

以前の記事 で、私の見解における男の娘の定義は



>>趣味またはファッションの1つとして、性自認は男性であり、

>>女性として一生生きるつもりもなく、身体にも手を加えていなく

>>女装をする一過性の楽しみの1つ


だと述べました。




最近、詳しく調べて見たところ

本来の定義は違ったようです。



もともとは創作物の世界から派生した用語のようで



「性別も心も普通の男性なのだが、

見た目がまるで女性のように美しく可愛い男の子」


という意味だったそうです。

つまりショタ(華奢で可愛い男の子)の最上位語みたいなものでしょうか。

なので、

化粧や女性物の服装をさせたら、尚更可愛いけどそれをしないままでも

女の子並に可愛い という意味なので、

「女装も化粧もしなかったら見た目は普通の男性」の場合には、

本来の意味だと「男の娘」とは呼ばないそうです。


当然、女性ホルモン摂取をしてる方も含まれない言葉ですね。


※wikipediaの説明によると、上手く説明されているのですが、

男の娘のタレント例に、性同一性障害やニューハーフのタレントが例に挙げられていました。

なのでその部分は間違っています。




しかし最近は、この「男の娘」という言葉だけが飛び周り、

ファッションで女装を嗜んでいる者も、

性同一性障害でホルモン投与している者も、

その中で女性に見えて綺麗な人に限定して、

「男の娘」という言葉を当てはめるようになった傾向があるようです。



女装者という言葉は今はネガティブな意味になり、

趣味やファッションで女装してる者の中でも、手入れが行き届いておらず

一発で男性の女装とわかるような人だけに使われるような言葉になっているのかもしれません。



セクシャル/ジェンダーマイノリティの名称の違いは、

当ブログの最初の記事にあります。ご参照ください。

(一部改訂)


タイトル: はじめに ~各セクシャルマイノリティの言葉の定義~

http://ameblo.jp/trans-mind/entry-10106809700.html




さてこの男の娘。


便利な言葉とはいえ、

>>ファッションで女装を嗜んでいる者も、

>>性同一性障害でホルモン投与している者も

一緒に扱うのは乱暴では・・・?と思います。



優劣があるというわけではないですが、



例えば、好きでファッションとして化粧や女装してる方が



「あなたは性同一性障害なの?やがては性転換するの?子供はいらないの?」

と思われるのは迷惑でしょうし、



性同一性障害者やトランスジェンダーの方々が、



「今男の娘ってのが流行ってるもんね。普段は男なの?ファッションでやってるのなら普段は女性が好きなの?」

と思われるのも迷惑だと思うのです。



1つの言葉でいっしょに扱うということは、そういう懸念も含んでいるのです。




性同一性障害でもなく、ニューハーフでもなく、

ゲイでもなく、オネエ系でもなく、

あくまで「ファッションとして女装を楽しむ男の子」たちという

ジャンルなのでしょうが、詳しい説明もないまま、

言葉だけが巷をまわっている状態。



(注:以下より、何度適所を改行しても改行がカットされて

反映されてしまいます・・・なんでだあせる

読みづらくなってますが申し訳ございません)


それに前回の記事 でも記したように、

性同一性障害ではないけれど、趣味嗜好で女装をはじめた結果、

より綺麗になりたくてついには女性ホルモンに手を染めた

という方もいますし、

逆に、性同一性障害やニューハーフの方達でも、

「男の娘」という気軽な言葉に乗っかって、この言葉を自称する方もいます。

これでは世間の認知度が誤解されたり混同されたままでもしょうがありませんね・・・

また、性同一性障害の方の中にも、

「性同一性障害」という言葉を使いたくない人もいます。

ニューハーフでも同じく、ニューハーフ業に携わっているのに、

「ニューハーフ」という言葉が嫌いだという人もいたりします。

更には、男だとか女だとか性同一性障害だとか

性別自体に捕らわれたくない!という方もいたりします。

そういう方は、男性的な面も女性的な面も嫌うか、

または両性的な面を持ち合わせた「中性」だと主張します。

肉体的な事じゃなく、精神(考え方)の面の話ですよ。

生まれ持っての性別では大きくわけて2つ(男か女)、

詳しくは3つ(生まれ持って半陰陽/両性具有のインターセックス者)

しかありません。

その上で、精神的な性別に、男性か女性か

と分けられます。

(精神がどちらにも属さない中性という方もいるのでしょうが

まだ一般的には認可はされていませんね)

このように、肉体的な性別だけじゃなく

精神的な性別も考慮すると、実に多くの性ができるというわけです。

精神的な性別を尊重するか、

あくまで肉体的な性別を尊重して縛るかのどちらかしかありません。

今はその二者が混同している状態だと思います。

この世の中は、様々な事を性別で"区別"することは避けられないので

男性か女性か、そうではないのならばインターセックス者かまたは

性同一性障害者か・・・と区別しているような状態です。

実際には、更にいろんな心の性別があるので

更に多くの区別用語をちゃんと明確に設けるのは必要でしょう。

区別用語はあっても、心の性別はたくさんあるという事を分かってもらう事が前提です。

昔の時代は、

男性が女性っぽい言動をしたり、女の真似したり

女性の服装を着用することなどは全てまとめて「オカマ」と呼ばれていました。

(歌舞伎の女形は別です)

かつて美輪明宏さんがTVでこのような事を申しておりました。

(記憶にある言葉をまとめたものなので、一字一句同じとは限りません)

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「昔はおかまおかまと全ての男性のセクシャルマイノリティ者に対し一括して差別的に

使われていたが、頑張ってそれらの言葉を撤廃してセクシャルマイノリティに対するイメージも払拭してきた。

けれども近年はTVでセクシャルマイノリティの当事者が自分でオカマだと自傷して使用している。

またオカマという言葉を流行らせセクシャルマイノリティ者のイメージを低減させる気なのだろうか・・・」と。

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近年、ようやくニューハーフ、性同一性障害、トランスジェンダー、

女装者、男の娘などの言葉が出てくるようになりましたが、

それでもまだまだ、これらの言葉の意味の違いを知る者は多くありません。

嫌悪感を持っている方や、興味のない方にとっては、

どれも同じようなものだと思ってるんでしょうけれどね。




オカマという言葉よりは、意味も軽く蔑称的な意味も含んでいないのですが、

本来の男の娘という定義からかけ離れて、

性同一性障害者もニューハーフもMtFトランスジェンダーも一括して

扱うのは、いささか早計ではないでしょうか。









さて、小難しいタイトルをつけましたが

まずは関係ない小話でも。



私は昔(MtFの道を歩みはじめた頃)、

美や女らしさを追い求めるために、

化粧品や美容アイテム、ファッション、ブランド品などを買い集める事に無我夢中でした口紅サンダルワンピース


それはもう、それ以前(完全に男時代)に嗜んでた趣味や

嗜好品などを全て投げ出してでも、女らしさを磨くために研究・投資したものです。


それから数年、化粧品の新製品には目もくれず、

ファッションにも無頓着になってしまっていたドクロ


それもそのはず。結局、過去の自分の趣味や嗜好品などに対して

再び愛着や好奇心が沸いてきたので、そちらに全力投資をしていたら

気づけばファッションやおしゃれ等に興味がなくなっていたのである・・・爆弾


(ここは自分の悪い癖なんですね。バランスよく追い求めて(取り入れて)いけば良いのに、

何か1つ興味ある物があれば、一方的にそれ"だけ"をとことん追い求めてしまう)


しかし、ここ1~2年はその趣味嗜好品にすら自由に出費できないほど

切羽詰まって来てるんですけれどねあせる



実は最近、ネット通販で夏に向けての服を買うためにチェックしてたんです。

珍しく。ここ1~2年は、どのシーズンも「前年と同じ服装パターン」というまでに服装に関して無頓着だったので、

さすがにそろそろ新調しなきゃマズイなと思ってショック!


しかしですね、意外にも意外。

結構、欲しい気持ちが強く現れたんですよクラッカー


アレも欲しいコレも欲しい・・と。昔のように。

だけど昔のようには行かず、結局2着程度しか買えませんでしたが・・・ダウン

(また余裕できたら、もう数着ほど欲しい。もちろん安い服ですよ)



そこで気づいたんです。

今は貧乏で盲目になっていたけれど、

実は今も化粧品やいろんな服が欲しい自分がいたんだなと。

(ブランド品はさすがに興味は薄れちゃいましたが)


そうです。数年前に投資先が化粧品ファッションから

趣味嗜好品に変わったのは、それは完全にファッション関連に興味が無くなったのではなく、

限りある資金の優先順位が、趣味嗜好品になっていただけなんです!!


もちろん今も趣味嗜好品への欲求力は高い。

だが、必要だったので一時的に優先順位がファッションになったということ。


つまり、もし、もっともっと自由に使える資金があるならば、

趣味嗜好品だけでなく、ファッションや化粧品などにも今も投資しまくっていたんだろうなと思った。


自分の中で完全に興味無くなったわけじゃなかったのだと、少し嬉しくなったドキドキ



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さて、本題へ入りましょう。



「歩む人生は変われど過去の自分は存在する」



これは先述した昔の趣味嗜好品に興味が沸き出したというのと

共通している部分もあります。


人生観というか、自分自身というか。



MtFへの人生を歩み出した当初、

周りから「全てを捨てる覚悟はあるの?」と言われていた。


当時は、半ば「なるようになれ、自分のしたいように生きる」という勢いもありましたから、

特にそれらの言葉には何の重みもありませんでした。



あれから数年。


自分自身というものが段々と分かってきた。

(とはいえ大目に見ればまだまだ若輩者ではあるが)


しかし、最近(というよりここ2~3年)になって、

自分自身が自分の原点を求めるようになってきたのだ。



なるがままに流れに身をまかせMtFの道へ飛び出したあの頃。


当時は、その頃の自分自身や過去、環境からとにかく逃げ出したかった。


女として生きたいという願望はもちろん昔からあったとはいえ、

当時はそれよりも、新しい自分になりたくて、自分という殻を破りたくて、

がむしゃらだった。

10代の頃の微妙だった自身を反省し、とにかくそこから変わりたかった。


一応、あくまでそれらはMtFとなるきっかけに過ぎませんよ。

それがなかったら、その頃はMtFにはなってなかっただろうけど、

恐らくずっと男のまま悶々と苦悩して過ごしていたに違いない。

けど遅かれ早かれMtFとして歩んでいただろうけど、たまたまその時期に、

新しい自分になりたい&変わりたいという気持ちがあって、

それがキッカケになっただけということ。


結果、最初のうちは行動力もあって

いろいろな事に挑戦したり、出会ってこれた。


ところがここ最近、原点回帰欲求心が強く出てきたということである。


原点、それが何なのかと言うと、

1つは交友関係


今わたしは、今の自分として出会った人としか

深い付き合いがない。

もちろんそれらも大事な関係だ。


だが、時たま思う。


同じ地域、同じ学校、同じ世代で育った

かつての学友たち。(その中でも友達~親友たち)


以前の記事でも触れたが、

大人になって出会った人と、

学生時代から仲良かった人とでは、

やはり大きく異なるものがある。


例えば、「昔ああだったよね」「ああいうのが流行ったよね」

「ああいうので遊んだよね」といった内容の会話においては、

詰まるところ、同じ体験をした者とでなきゃ通じ合えない。


現在出会った人とでは、現在の話や未来の話は語れる。

しかし、根から共感し合える過去の話は難しい。


ネットの発達により、同じ趣味や似た体験をした者同士が

気軽に集えるようになり、そういった事を語らえるようになったとはいえ、

それでもやはり、学生時代の話に共感しあえる者は、

同じ体験をした学友しかいないのだ。



過去は過去。

今は今。今の付き合いを優先・大事にしつつ

未来を見ることが大切だ と唱える人は多い。


もちろん理解はできる。

それにこれは性は関係なく誰にでも落ちうる現象だ。


無謀に過去を切り捨て飛び出した自分自身に責任はあるのだろうが、

それでも時折、今の交遊関係だけでは物足りずに

ポッカリと胸に穴が空いたように思う事もある。


とはいえ、旧友と全く交流が取れなくなったというわけではないが、

今は、ひたすら困難な状態ではある・・・とでも言おうか。

 

地元に帰ることは資金難のために常に延期。


年に1度だけでもいいから旧友に連絡取りたくても、

何人かは音信不通になってしまったしょぼん


地元を離れる前はMtFになった自分を受け入れてくれたし、

応援もしてくれた(もしかして表面上だけだったってこと?)


地元を離れた後、最初の1~2年は連絡もついた。

いつのまにか連絡先も変わっていて(それを知らされていない)

気づけば連絡の取りようがなくなった旧友が多いこと多いこと。


それって、実は当たり前のことだったりするのかな。

知人程度ならまだしも、成人迎えても地元離れるまで

物凄く親しい仲だった友達~親友らでも、

住む場所離れて、少しでも連絡取らなくなったら

音信不通になるの当たり前なのかな・・・ガーン


少なくとも自分はそう思っていたい。

まがりなりにも故意に距離を置かれただとかは思いたくはない。


まぁ、なにはともあれ

たまに「旧友らと、昔の学生時代の談義で盛り上がりたいな」という欲求が1つ。



他には、冒頭で触れたような

趣味嗜好品

それについては深くは触れないが、

そういえばああいった物やああいう事が好きだったなーと

ふと思い出す。


そして可能なものであれば、

今改めてそれらに触れてみたり再体験してみたりもする。


例を挙げれば、昔好きだった漫画や本を改めて読みあさってみたり、

記憶の片隅にあるものを一生懸命思い出し、

それが何だったのか、なんていう名前だったのか、

どんな色彩だったのかなどを、ネットで画像検索をしたりして発見し、

ぼんやりと残っていた記憶を呼び覚ます。


(実はこういうのって、人によってはあまり"しない方がいい"と言う人もいるそうですね。

なんでも、忘れ去った不要な記憶を無理矢理掘り起こす事で、人としての成長や進化を阻害するだとか・・・)


他には思い出話も1つだ。

私の多くの思い出は、男時代としての記憶なので、

MtFになって以降はあまり触れようとしなかった。

でも最近はなんとも思わなくなってきましたけどね。

その現れが当ブログの記事のネタにもなってますしにひひ



こういった原点回帰への欲求心を、

私自身は前向きにこう捉えている。



今の私自身として過去の記憶と向き合ったり、

再度取り入れることで、

過去の男時代の記憶を、今の私(MtF=女という生き方)の記憶として処理するための作業。



面白いものですよ。


昔に触れたり見たものを、今の自分として見て触れることにより、

新たな感情が生まれる。


まぁそれって性別は関係なく、成長したということにより

誰にでも起こりうる事なんですが、

それプラス、昔は男としての価値観で感じたものと、

今の女としての目線での感じ方にも違いがあるんです。


成長によって捉え方は変わりますが、

その感じ方の差が倍になるという事ですね。


もちろん中には今も昔も、感じ方が変わらぬ対象もあるのでおもしろいです。



そうやって、過去の記憶を、今現在に再び取り入れることで、

昔の男としての記憶でなく、今の自分の記憶として統合していってるんです。


とはいえ、それでも過去の自分も、他ならぬ自分自身であるということは

変わりません。


私なんかは極端だったので、

MtFとして歩み始めた当初は、過去の自分は死んで今新しく自分が生まれたんだなんて思って

生きてましたからね汗

勝手に、男時代までの記憶と、MtF以降の記憶を分けて考えてきたんです。

それらを統合するために・・という所でしょうか。



旧友と交流を取りたいのも、少なからずそれも1つです。

昔話で盛り上がりたいという面もあるけれど、

今の私として旧友と付き合うことにより、

男同士として交流した記憶を少しでも上書きしたい・・とね。


もちろん過去そのものは変えられませんし、

相手がそう感じてくれる保証もありませんが、

せめて自分自身の過去と折り合いをつけたい・・・とね。


ただの我が侭ですあせる


許してくださいにひひ


私の友人観。


(※非常に長文です。ご注意ください。長文苦手な方はスルー推奨)

少しでも読みやすい用、無駄に線で区切ってありますメモ


知人、友人、親友・・・


人によって定義はさまざま。
ネットで調べてみると多くの回答はこのような感じ。


-------------------------------


知人・・・顔見知り程度。プライベートを通して深く付き合わない。


友人・・・プライベートを通して深く交流する。が、心の底から互いを認め合えるものではない


親友・・・喧嘩をしてもいずれ仲直りをする。お互いの良い面悪い面を理解し合い許し合える仲。
     (またはお互いの心情を気軽に語り合える仲)


------------------------------


いずれも会う頻度は関係ない。 ・・・だそうです。


私もそう思います。


いや、むしろ私の場合は上記の親友レベルが友人(友達)で、
親友レベルは更に「多くの時間を共有しあう仲」ぐらいに思っていました。
上の分け方で当てはめると、それは"大親友"という事にしましょう。


-------------------------


さて、以前も書いた事がありますが
私は現実での親友~大親友が欲しいと思っている。


"親友なんてそう簡単にできるものじゃない"とはよく言われますけれどねショック!


皆さんも同じだとは思いますが、
学生時代ってのは容易に友人ができるチャンスも多いし、
そこから親友レベルに発展する場合(きっかけ)も多くあった。


私自身も、学生時代は大勢とまでは言わないが、
小学生の頃からの付き合いの友人~親友が何名か身近にいましたし、
大親友も若干1~2名ほどいた。


それぞれ違う学校に行っても卒業後、同じ地元に住んでいる限り、
最終的には地元に残った者同士という事での交流が多く、付き合いが深かった音譜


定期的に近所のカラオケに行ったり、宅飲みを開いたりしていたのもいい思い出桜


それが私自身も地元を離れてから、当然のごとく疎遠になってしまったしょぼん


はじめのうちはたまに連絡も取り合っていたが、年々それも減り、
久々に連絡をとっても環境や生活の違いにより価値観が大きく異なりだして、
お互いに心の溝そのものが深まっていくのを実感できた雨


大親友に関しては、昔から心の奥底をさらけ出し合っていた仲なので
きっと今でもすぐに分かち合えると思っていますが、残念なことに当人はある事情で行方知れずで
連絡をとることができない(行き先も連絡先も不明になった)ことがネックであるしょぼん



------------------------


さて、これらのことは仕方がない。
社会人なら多くの者が経験することだ。


大人になることにで、人々は新しい環境や
職場などの付き合いの方が重要になっていく。


更に言えば友達を優先することよりも、
恋人を優先していき、やがて結婚し家庭を築いていくベル


私は地元に帰郷(移住)するという手段がとれないために、
この東京に身を埋めて、友人もこちらで作るしかないといった状況東京タワー
(地元が遠いだけに、お互いに頻繁に行き来するのも困難なため)


旧友で東京に来た者は?

残念ながら特に仲良かった者は多くが地元に残ったか、

他の地方都市に散らばった。

(私も数年間地元に残っていたので更に旧友との絆が深くなっていたという面もある)


先述したが、多くの人々が職場などで新たな交流を見いだしていくパターンが多いのでしょうが、
私は風俗勤めということもあって、その選択を絶ってしまった。
(昔ちょっとしたトラブルがあったため、今は仕事とプライベートを分けている。
更に我が侭を言えば、同じジェンダー(ニューハーフ)ではなく、
昔のように男性の親友か、または女性の親友を欲している)


学校のような同じコミュニティ空間でもない、
職場の繋がりも切っていて、外で習い事をしているわけでも
行きつけのお店や交流場があるわけでもない。
新しい友達ができるのが困難なのも当然ですね・・・汗


そして性別の問題もある。
性の特性上、どちらの性とでも親しくなりやすいのだが、

逆にいえば、両性とも心底分かち合えるわけではなくなってしまったという見方もできる。


対男性 →エロ会話や下ネタについていけなくなった。
(下ネタOKだけど男性目線の下ネタとは異なる。これは男vs女間でも同じことですね)


対女性 →月経や妊娠・出産等の生理的な会話は心から共感できやしない。


それらの性特有の身体的な面を抜きにした話題のみで
学生時代のように時間を問わず熱く語り合える仲が理想晴れ


(それでも性的な悩みを相談されたら真剣に答えたり親身になろうとは心がけてますが、

はたしてそれが心底共感してると思えるのかもわからない)


さらに、時間的な面でも社会人には壁があります。
仕事は大事なので、時間や体調に気を遣いますものね。


(単純に私は今、仕事の時間都合上で深夜や午前がプライベート。
それもリアル友人を作れない1つの壁になってるのでしょう・・・あせる)


このブログに記事を書く事も、こういう時間帯が多いですしね(苦笑)にひひ


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それらを踏まえ、

プライベートでの人との交流を見出した先が、
「インターネット」パソコン


ネットフレンドともいいますね。
(多くの方が似たようなケースだと思います)



SNSやゲーム等を通じ、同じ趣味の人と知り合い、
更にその中から馬が合う人らと個人メールでのやりとりや
連日に及ぶボイスチャットにまで発展。


機会があればオフとして実際に会う事も。


ここまで来れば、ネットフレンドの域を超えて
充分、「友達である」と私は勝手に思っておりますチョキ


メールやプライベートチャットで特定の相手とは、
日々様々な事を報告し合ったり、過去の話や
深い身の上話をするまでに発展することも多々あります。


そういった面では、冒頭で書いた「親友」レベルに当てはまるのですが、
実際に会ってプライベートを共に過ごす」という事が極端に少ない


オフは顔見せ程度で1~2回ほど。会うまでは親しくやりとりしていても、
実際に会った際はお互い初めて出会ったような空気なので(実際そうですが)、
その面では
知人」レベル。


ネットフレンドって不思議な関係です。
実際に会った経験は知人レベル止まりで、ネット上での交流は友達~親友並。


ネット上でそこまで深く交流したのだから
それをそのまま現実に反映させたいと望むのだけれど、
それも簡単にはいかない。


私だけの都合じゃ駄目ですしね。


・基本的に遠く離れた地域の人が多いので元より頻繁に会えない(地元友人と同じ)


・人によっては「ネットと現実は分けたい。別物だ」と思う人もいる。

(どんなにネットで親しく交流しても実際に会うのは嫌)


・頻繁に会える距離であっても、結局は仕事や現実の友人を優先してしまう



つまりネットでの交流が深いだけでなく、
お互いが近い距離に住んでいて、
かつ、お互いに「その仲を現実にまで反映させたい」
と思っていなければ、なかなか難しい事なのです。


ネットで深く交流していてお互いの素性も知っていて、
1度だけ会った事もあり、それでもよく「楽に会える距離ならいいのにね」

と話し合うフレンドの場合は、
遠場でなかなか簡単に会う事ができない。


少~しだけ遠場だけど、かなり気が合うフレンドもの場合は、

顔だけは見られたくないそう。逆に私はいっぱい画像とかも見せてますけどね(笑)


近場だけど会った事はないが、お互いの顔や職場を知っていて、

いろんな身の上話や相談をしあえたフレンド(女友達)の場合は、

「いくら写真やブログ、通話、長きに渡るチャットなどでお互いを知っていても、

やはり現実は別。私はネットフレンドど会ってトラブル起こした事あるから、

この関係を崩さないためにも会わない方がいい」と言われました。



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総括すると、こういうパターンが多いかなと思います。


遠場のネットフレンドだと「会って遊びたいよねー」と思う方が多いのに対し、
近い人ほどさほどそれを望んでいないか、
または実際に会った以降は疎遠になる(←実際に会って幻滅されたんでしょうかね・・・笑)



地域の問題もあるかもしれません。


私にとって近い=東京在住。

相手も東京住みなのでネットを利用してまで交流を求めない。
その反面、地方の人ほどネット上の交流を現実に求めたくなる・・といった部分も大きいのかもしれません。

(もちろんそれが全てじゃありません。地方のネット利用者でも現実とネットを分けてる方もいますしね)


私は地元時代、

ネットフレンドらと現実に交流しやすいように、

それを求めて(性や職の理由もある)東京に来ました。


ですが東京に移り住んでも結局、

ネットフレンドに交流を見出す生活になるとは
夢にも思ってませんでした・・・ガーン


また、上京したての頃は連日のように、

ネットフレンドら(多くがネットでも知人止まり)と
オフなどで実際に会う交流を繰り返していました。


されど互いに近場に住んでいても、

思っていたよりは実際に気軽に頻繁に遊ぶまでの仲には発展しませんでした汗


そこには、お互いに異なる仕事や生活時間がある以外に「金銭的」な理由もありました。


そうです。金銭面も大きいのです¥


地元時代は友人と遊ぶ=宅飲みなどが多く、

週末でも平日でも気軽に車や自転車(かなり近い人は徒歩)で友人宅に向かい、

たまには酒やおつまみも持参して盛り上がる。


帰りは飲酒をしていない者が車でそれぞれを自宅に運んだり、代行業を利用したり。
(泊まりがけで翌日にいったん自宅に戻って出勤するという友人も多くいました)


つまり、お金はそこまでかからなかったという事です。
ごくたま~に、「都市部に遊びに行こう」という時はまとまった金銭も必要でしたが・・・。


東京の場合は既に都市部ですし、都外に行くにしても
ある程度の金銭は必要になりますしね。


とはいえ、東京でも宅飲み交流はあるでしょうが、
1人暮らしが多い以上、
部屋が狭いなどの理由でなるべく外で遊びたいと思う人が多い。
(外のほうがお店も娯楽店も充実してますしね)


考えてみれば、既に友人~親友レベルであるならば外遊びをしない事もありますが、
知人の段階ですと結局はじめは外で会うのが基本になりますね・・・。
ならば地方でも同じことか・・・。


だがしかし、地元などでは学生時代(学校)というコミュニティの中で
仲を育み知人レベルを超えてしまったので、

社会人になってからも躊躇なく互いの家に行ったりして無料で遊べる(会える)。


上京社会人組は結局、知人レベル→友人に発展させるのにも
常にまとまった金銭が必要になるということですね・・・汗
(職場繋がりなら軽減されますが、職場繋がりを省くとしたら尚更)



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さて、そこでインターネットがあるわけです。


ネットである程度交流して、知人レベルを超える。
そしたらオフなどで、いきなり宅飲みオフなどが容易になる。

交通費やほんの少しの出費などは必要ですが
外で交遊するよりは安上がり。


(※宅飲み宅飲みと、別に飲みにこだわっているわけじゃなく、
互いに気軽に自宅を訪問し、だらだら世間話をしたりご飯食べたり・・・
といった状態の事を、ここでは宅飲みという言葉で書いています)


それでも結局、なかなか近場の人でそういった人とは出会えず
友人→親友に発展させることも難しい。


職種や生活の違いによる面もありますが、
親しいネットフレンドは、一般の仕事をしていても深夜~朝をメインにネットを楽しんでる事が多い。
お互いが次の日が休日ともなれば、そこはクリアできるはず・・・星



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また、経験上こういう事はよくありました。


ネットで知り合った人で、

かつ近場の人で、小まめに連絡をくれて
会おう会おうとしてくれた人は、

実は「性的/肉体的な出会い目的」。


もちろん事前に私の性を知っているので、

ニューハーフ好きまたは興味あるというパターンですね。


私はそういった出会いを求めているのではなく、

純粋な友人関係を求めているので結局は長続きしません。

(むしろそういう場合は会うのは一回こっきりが多い)



ニューハーフといえど
男性にとっても女性にとっても「異性 (同性的な面を兼ね備えた)」に近いかもしれないので、
性的な関わりのない友人を作る事自体が難しいことなんでしょうかね・・・しょぼん


人には必ず恋愛感情はありますし。


とはいえ、私らも私らで対男性の友人を持てたとしても、
完全に同性(男)扱いされるのも辛いという面はありますが、
絶対に恋愛感情を持つなというわけじゃなく
最初からそれ目的でなく、はじめは普通の友人として親しく交流したいという気持ちが強いのですチューリップピンク


反面、対女性女の子だと恋愛感情も生まれにくいので
男性よりは純粋な友人として成り立ちやすいかもしれませんね。


生理的な面で共感できないので、

はたして女性とニューハーフが親友にまで発展できるのかは
定かではありませんが、そういう仲の人もいるというのは耳にしたことはあります。


(むしろ親友というのは冒頭で書いた通り、性や身体的な違いなどの垣根を越えて仲良くなれることでしょう)



与太話ですが、地元の学生時代からの男友達とは気楽な交流ができますが、
それでも男時代の本名で呼ばれたり、完全に男として扱われるので、
そういう面はネックですショック!


今の自分として知り合った関係で、旧友並な楽な関係が欲しいということですね音譜


もちろん旧友が今の私として見てくれるのなら手っ取り早いですが、
友達側の視点で考えれば大変なのでしょうあせる


とはいえ、そこをクリアできても結局は住まいが離れているという所がネックになってますけどね。



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そして、これも以前書いたことありますが、
私はリアルで深い交流ができる「女友達」がほしいと・・・が、
改めて言うと、ネットフレンドでも親しくなる人の多くが「男性」・・・男の子



下ネタなどは隔たりがありますが、
学生時代~地元時代は男友達ばかりだったということと、
嗜好の多くが男性的という面。
(嗜好品に性別はないとも言えますけどねFREE)



え~それじゃあ中身は女じゃないじゃん!男じゃん!
とツッコまれるかもしれませんが、あながち否定はできないかも・・・(!?)あせる



いや、むしろ私はハイブリッドだと思ってますてんびん座


幼少時から男とだけでなく、

女友達らと女遊びで楽しんでた事も頻繁にありましたし、
今も、化粧品やファッション、対男性の恋ネタを持ち合わせてますしねワンピース口紅女の子
(しかし正直なところ、最近は化粧品やブランド品などの興味なども薄れてきたあせる)



おっと、話のネタ=どちらかの性寄りで語ってしまいましたが、
実際はユニセックス(性別関係無い)な話題の方が多いと思います。現在はね。


普段の出来事とか、世間話とか、趣味の話とか。
だから恋愛は別で、友人だけなら性は関係ないとも思えるのですが、
それでも一般の方にとってはセクシャルマイノリティは、異性よりも更に遠くの存在として
見られているのかもしれませんね目



いくら恋愛感情や性的な関係抜きにしても、
親しくなるなら異性とセクシャルマイノリティはどちらが気楽(容易)ですか?


もちろん中には率先してセクシャルマイノリティと知り合ってみたいという方もいますけど合格


単純に私自身に問題があるのか、性的目的抜きでそういう方と出会ったり、
深い関係にまで発展することがあまり多くありません。



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そういえばこういった事例もありました。


ネットフレンドで性的/肉体的な願望抜きでニューハーフ(MtF)に興味ある男性と知り合い、
長い期間やり取りをしていたのですが、

ひょんなことで喧嘩になったことがあり、
その時に、

俺は昔にもお前みたいなそっち系の人と知り合った事あるけど、結局考え方や思考は同じなのな。
これだからニューハーフは云々・・・
」と。


喧嘩で癪に触ったのなら仕方ありませんが、私自身にキレたというより
セクシャルマイノリティを一括してそういう目で見た(見ていた)ということがショックでした・・・ダウン


まぁそんな事もあったけど、なんだかんだ今でもネット上で交流は続けてますけどね(笑)
それでも、知り合った頃のようにお互いを深く干渉することもなくなり、お互いにどこか一歩下がった関係になりました。



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ネットをきっかけにして人と知り合いたいというのは、
私のこういう考え方もあります。


生で人と初対面で会うと、見た目の第一印象が大きい。


最近は私も見た目への自信喪失が大きいので、


ネットで知り合い、

お互いに中身をさらけ出し合って分かち合い、
画像などを多く見せ合って
お互いにワンクッション置きたい砂時計


実際に出会った時の、想像や写真との見た目の違いによるショックも両者にありますが、
恋愛目的の出会いじゃないし、いきなり実際に出会う見た目第一印象よりも衝撃が小さいと思うからです。


(こんなこと思ってる限り、たぶん現実で知り合う勇気はこれからも生まれないんだろうなと思います汗)




長くなりましたが、私の友人観に関しては以上です。


長文にお付き合い頂き、ありがとうございましたラブラブo(_ _*)o




以前も書いた事あるかもしれませんが、

私は最近(というか、既に半年近く)、

「まとめブログ」なるものを毎日見るのが日課になっています。


いわば、2ちゃんねるの特定板で話題に挙がったスレッドや、

まとめブログサイト主がチョイスしたスレッドをまとめて読みやすくして

ブログに記事として掲載しているサイトです。


(10年程前はコテコテの2ちゃんねらーでしたが、

今はまとめブログで充分といった感じです)


さて、まとめブログを見ていると、

定期的?というか稀にニューハーフや、

性同一性障害、そしてトランスジェンダータレントの記事が

取り上げられる事もあります。


当然、嫌悪したり否定するコメントも溢れておりますが、

そういったものはしょうがないし、

気にもなりません。


しかし、"知識"として勘違いしていたり、

偏見による勘違いをしているコメント、

または質問的なコメントなどを見ると

つい、体験談や実態を交えて書き込んでしまいます。

ただの自己満足ではあるんですがね・・・(苦笑)



よくある事が、

「ニューハーフ」という言葉の誤解・・・

性転換をしてるか否かでそう呼ぶ といった勘違いや

トランスジェンダーとインターセックス(半陰陽)の混同などでしょうか。


他にも多々ありますが割愛します。


当ブログでも匿名で様々な体験談などを綴ってきましたが、

正直な話、「誤解や先入観による勘違いを持った人で読む人」

はどれくらいいるんだろうと思うのです。

嫌悪してる方は当然読んでないでしょうが、

好奇心はあるけど誤解をしてる方など・・です。


ぶっちゃけ、まとめブログの該当記事などのほうが

もっとストレートに疑問や質問を持ってる人に回答できたり、

多くの人に伝えられるかなという気持ちがあるのです。


えぇ、ただの自己満足に過ぎないんですけれども・・・。



また、私はニューハーフの事に関して

人から訊ねられることは大好きなのです。


私がこの世界に精通してるとは言えませんが、

自分が知る限りの範囲で、なるべく中立に答えようとは思っています。

時折主観も混じってしまうのは否定できませんが。


そして、知り合いなどには平然とそれを公言していますし、

嫌悪もされてはいませんが、

思っていたよりも、誰も深くは訊ねてこないんです。


みんな気を遣ってるのか、

それとも既に各自調べたりして知っているのか、

はたまた本心は触れたくない世界なのか。


知人らに聞くと、

「わざわざ聞かなくても、普通に会話したり行動見たりしてるだけで

なんとなく理解してしまうから、いちいち訊ねるまでもない」

「嫌悪はしてないけど、特に興味があるわけでもないから気にならない」

という答えが返ってきます。


ここは、私個人の偏見や先入観によるショックが大きかったですね(笑)


元から嫌悪してる人は別で、初対面やあまり親しくない関係、

本人がそういう事に触れられるのは嫌と公言してる場合も別ですけど、

本人が気軽に何聞いてもいいと公言してるなら、

親しい間柄なら、もっと好奇心で「どうなの?どうなの?」

と根掘り葉掘り聞かれると思っていたのですが、

多くの人と関わってきて、それに当てはまった人はほんの僅かでした。


まあ、逆に私が世間に対する誤解・勘違いなのかもしれませんね(汗)

そして、言われた通り私自身も、知らない分野でも興味なかったら気にならないので

なるほど確かになと納得できました。



さて、


ニューハーフ、性同一性障害、トランスジェンダー、

ゲイ、ただの女装癖 それぞれ全く異なるんですが、

一般人はそういう事は知らないというのも当たり前でしょうね。


かくいう私も、幼い頃は

ニューハーフ=男に生まれた人が女の恰好して女として生きていて、

時には体も手術して、そしてもれなく今でいうオネエ言葉を使う人達。

と思っていました。


あながち間違ってはないんですけどね(笑)

しかしニューハーフは水商売や風俗業に従事している人の事を指す言葉でも

あるので、一般職や学生に従事している人達はこれには含まれません。

また、ニューハーフ職に就いていても、誰もがオネエ言葉を使うなんてこともありません。

(メディアでオネエ言葉を使う人ばかり目立って活動している、あの広報活動は好きじゃありません)


そして、ニューハーフと呼ばれる人の中でも

ニューハーフと呼ばれる事を嫌悪する当事者もいます。

そこらへんはどうなんでしょうか・・・


私自身も、実はトランスジェンダーとして歩み始めた頃、

「ニューハーフと呼ばれたくない、そういう世界には行きたくない。」

と思っていたし、幼い頃はそういう世界は異世界(悪い意味でなく、外国に対する意識に近い)だと

思っていましたが、トランスジェンダーになり、やがては水商売にも風俗業にも従事したので

紛れもないニューハーフになりました。

ですから、胸は張れないけど、自分はニューハーフであると言えます。


しかし自分が思い描いていたニューハーフ像とは異なってますがね。


例えば、日夜煌びやかなドレスを着てるわけでもない、

派手なメイクをしているわけでもない、女性以上の美の努力をしているわけでもない。


ニューハーフ職には従事しているけど、

プライベートでは地味な生活、地味な服装、地味なメイクで

対人においてもノーマル。


しかしそれは私だけでなく、時代かもしれませんね。

多くのニューハーフ職従事者も、それが普通になってきてるのかもしれません。


これらも、昔の私の偏見に過ぎなかったのかもしれません。

私自身の偏見と、実際その道を歩んだ自身の実態が大きく異なったために、

「あぁ、こんなもんなのか。普通だ(性と職以外)」と自分でカルチャーショックを受けたようなものです。




また、当ブログは私が見てきたこの世界に関する事や

感じた事を、ひたすら述べるブログですが、

当然私の思想が全てだとは言いませんし、正解でもありません。

下手すると、私の思想がトランスジェンダーの中でも極少数派かもしれません。



幸い、アメブロでも個人サイトでも

多くのセクシャルマイノリティの方々がブログを綴っているので、

いろいろ目を通すと、自ずと「セクシャルマイノリティでも十人十色なんだ」

ということが分かると思います。


とはいえ、心から好奇心のある人以外は

率先して調べないでしょうね^^;


嫌いではないが、興味のない人でも

メディアなどによって知らず知らずにマイナス思想へ刷り込まれて行く事もあるでしょう。


”それがあるからこそ”、


そういう人達にこそ、セクシャルマイノリティでも十人十色だと知ってほしい。