監督:和田誠

キャスト

 小泉今日子(加藤留美)

 真田広之(林徹)

 

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ある日DM発送会社に勤める林徹のマンションに女の子が引っ越してきた。彼女は加藤留美というフリーのスタイリストだが,本当はルビイという名の快盗だった。徹はさっそく相棒として犯罪を手伝わされる。まずは巧妙な手口で食料品屋の親父から売上げ金を盗んだが,中味は大金とは程遠くて経費を差し引くと赤字だった。頭の切れるルビイと頼りない徹だったが,二人は次に銀行襲撃を計画した。しかし,これも徹が脅迫の手紙と買物メモを間違えて失敗。ルビイは凝りずに宝石店詐欺を試みるが,あっさり店主に見抜かれてしまう。犯罪計画を楽しむような二人は豪華マンションに忍び込むが,管理が厳しくて脱出するのに精一杯で物を盗むどころではなかった。徹はルビイが好きだが,彼女には恋人がいた。ルビイが喧嘩した恋人に宛てた手紙を取り戻してほしいという。徹は気やすく引き受けるが,運悪く警察に捕まってしまう。気のいい刑事の計らいで徹はすぐに釈放されたが,ルビイはそんな自分のワガママを聞き入れてくれた彼を暖かく迎えた。そして今度は徹のほうが,新しい犯罪計画をルビイに持ちかけるのだった。(「映画.com」より)

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 Wikiによると,「原作はヘンリー・スレッサーの『快盗ルビイ・マーチンスン』。ただし原作ではルビイは男である」とのこと。原作は読んでいないが,ルビイを女,それも小泉今日子にした点で和田誠ワールド全開になった。このキュートでオシャレな小悪魔ルビイを演じられるアイドルは全盛期のキョンキョン以外にはちょっと見当たらないだろう。対照的にダサい眼鏡とぼさぼさ髪のさえないサラリーマンの徹を演じるのが真田広之。(初めて登場したときにはロンブーの淳と見間違えるほど。笑)。この人もまた好演。このコンビが実行するちょっと間抜けな犯罪のエピソードは上の「映画.com」で紹介されている通りだが,それとちょっと洒落た会話が映画のほぼ全編を占めていてニヤニヤしながら観ているうちに96分が瞬く間に過ぎていく。ルビイは計画した盗みにすべて失敗した上に,結局,徹に恋のハートまで盗まれましたとさ。

 脇を固めるのも水野久美,加藤和夫,伊佐山ひろ子,吉田日出子,天本英世,高見恭子,斉藤晴彦,奥村公延,岡田眞澄,木の実ナナ,陣内孝則,富士眞奈美,秋野太作,名古屋章など,多士済々。

 

ハンフリー・ボガートだ。

 

「ばい菌の名前はカンゲワチ。逆さに読むと?」

「チワゲンカ」

 

「買うのは安いのでいいわよ」

「宝石屋はどこにしようか?」

 

監督:ジュスティーヌ・トリエ

キャスト

 ザンドラ・ヒュラー(サンドラ)

 スワン・アルロー(ヴァンサン)

 ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル)

 アントワーヌ・レナルツ(検事)

 サミュエル・セイス(サミュエル)

 ジェニー・ベス(マージ)

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これが長編4作目となるフランスのジュスティーヌ・トリエ監督が手がけ,2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最高賞のパルムドールを受賞したヒューマンサスペンス。視覚障がいをもつ少年以外は誰も居合わせていなかった雪山の山荘で起きた転落事故を引き金に,死亡した夫と夫殺しの疑惑をかけられた妻のあいだの秘密や嘘が暴かれていき,登場人物の数だけ真実が表れていく様を描いた。

 

女性監督による史上3作目のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。脚本はフラー監督と,そのパートナーであるアルチュール・アラリ。主人公サンドラ役は「ありがとう,トニ・エルドマン」などで知られるドイツ出身のサンドラ・ヒュラー。第96回アカデミー賞でも作品賞,監督賞,脚本賞,主演女優賞,編集賞の5部門にノミネートされ,脚本賞を受賞した。(「映画.com」より)

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(完全ネタバレです。未鑑賞の方は閲覧に注意してください。)

 

 フランスの人里離れた雪山の山荘,視覚障害をもつ11歳の少年・ダニエルが雪の上で血を流して死亡している父親のサミュエルを発見する。山荘の3階から転落したようだ。サミュエルの死因は事故か自殺か,それとも殺害されたのか…。警察の検視によって事故死という線がまず消去され,サミュエルの妻であるサンドラが殺人の容疑で逮捕・起訴される。152分に及ぶ映画のほぼ3分の2が殺人か自殺かを巡って争われる法廷劇なのだが,この法廷でのやり取りがこの映画の見どころの一つであり,その迫力ある展開に引き込まれる。物的証拠は何もない。判断の材料になるのは証人たちの多分に主観的な「証言」だけだ。しかし,裁判が進むにつれてこの夫婦が抱えている確執が徐々に明らかになっていく。

 さて,判決は…?判決は出るのだが,はたしてそれが真相なのか。解釈は観客の一人一人にゆだねられる。そうなのだ,この映画は推理サスペンス風ではあるが,映画のポイントは別のところにある。

 

 映画の進行とともにサンドラ一家の状況が見えてくる。サンドラは売れっ子の作家だ。夫のサミュエルも作家なのだが,まだ一冊の本も書けないでいる。そのため,彼は不本意ながら大学の教員をしていたこともあったのだが,今ではそれもやめている。その原因は自分の不注意で息子のダニエルに視覚障害を負わせてしまったためである。

 サミュエルが死亡した前日,彼はサンドラと大げんかをする。その様子を録音した記録がサミュエルのパソコンに残っており,裁判の終盤でそれが公表される。サミュエルはおそらく自分に作家としての才能がないことに気づいていたのだろう。しかし,そのことを彼は認めたくない。また,彼はダニエルに対する後ろめたい気持ちからダニエルの世話をほぼ一人で引き受けている。サミュエルの目から見れば,サンドラは自分の欲望に忠実に執筆活動に専念することによって人気作家になったように見える。そのやりきれなさが怒りになり,サンドラに向けられる。彼は言う。自分には時間がない。きみが僕の時間を奪ったのだ。小説が書けないのはそのせいだ,と。よくある言い訳だ。本人は分かっているのだ,自分に才能がないことを。でも,それを認めたくないのだ。最初冷静に対応していたサンドラもあまりのサミュエルのしつこさに冷静さを失っていく。そして言う。「私を恨むけど書けないのは自分のせいよ。」

 このケンカをどのように評価するかは観客によって異なるだろう。サミュエルよ,甘ったれるな,と思う人もいるだろう。サミュエルを卑怯だと思う人もいるだろう。たしかにサミュエルは卑怯で甘ったれだ。しかし,「私を恨むけど書けないのは自分のせいよ」という彼女の言葉。う~ん,それを言うか…。寅さん風に言えば「それを言っちゃー,おしめいよ」というやつだ。自分と関わりのある人物に対して,その人物と決定的に決別する覚悟がない限り絶対に言ってはいけないことがあるのだ。彼女は言う。「夫婦の相互協力なんてバカげている。」では,なぜ離婚しなかったのだ。この夫婦はとっくの昔に破綻していた。彼らをつなぎ止めていたのはダニエルの存在だけだった。映画はダニエルの視点からこの夫婦の闇を暴露していく。ダニエルはある意味この愚かな夫婦の犠牲者なのだ。

 裁判中にダニエルの世話係をすることになるマージが言う。

 「何かを判断するのに材料が足りないと判断のしようがない。だから決めるしかない。たとえ疑いがあっても一方に決めるのよ。判断しかねる選択肢が2つある場合,1つを選ばないと。…心を決めるの」

 過酷にもダニエルはどちらかを選択しなくてはならない。そして,彼はサンドラを選択する。

 

 判決がでる。無罪。裁判所はサミュエルの自殺説を採用する。判決が出た日の夜,サンドラは自分の弁護をしてくれた学生時代の友人の弁護士・ヴァンサンに言う。「考えていたのと違う。ほっとすると思ったのに。…裁判に負けたら,負け。それは最悪だけど勝ったら何か見返りがあると期待していた。でも何もない。ただ単に終わっただけ。」そりゃーそうだろう。サンドラは裁判には勝った。しかし,人気作家の彼女はこれから夫を自殺に追い込んだ女というレッテルを背負って生きていくことになるのだから。この映画はサミュエルの復讐劇だったのだ。

 

 ところで, 裁判所はサミュエル自殺説を採用した。しかし,サンドラ殺害説を選択する余地はなかったのだろうか…。

 冒頭,サンドラはワインを飲みながらある女性のインタビューを受けており,とてもリラックスしている。ところが,その最中,急に大音量の音楽が流れてきてインタビューの続行が不可能になる。音楽を流しているのはサミュエルだ。サンドラはインタビューを中止して女性は車で帰っていく。女性が帰った後サンドラは山荘の階段を登っていく。そして,それから1時間ほどのちにサミュエルは死体となって発見されるのである。あとで分かってくることだが,その前日サミュエルとサンドラは大げんかをしている。大音量の音楽はもちろんサミュエルのいやがらせだ。この状況を考えると,サンドラによる殺害説が成立する可能性は否定できないのではないだろうか。いずれにしても,サミュエルによる復讐物語にかわりはないのだが。

 

 

この犬が名演技を披露します。

 

監督:大根仁

キャスト

綾野剛(辻本拓海)

豊川悦司(ハリソン山中)

ピエール瀧(後藤義雄)

小池栄子(稲葉 麗子)

北村一輝(竹下)

染谷将太(長井)

山本耕史(青柳隆史)

リリー・フランキー(下村辰夫)

池田エライザ(倉持玲)

 

 いろいろと話題のNetflix作成のドラマ『地面師たち』を観た。1~7のエピソードで構成されているドラマで,6時間以上の時間をかけて1~7を一気に観てしまった。

 

地面師とは他人の土地の所有者になりすまして売却を持ちかけ偽造書類を使って多額の金をだまし取り,不動産詐欺を行う集団のことである。…地面師詐欺はリーダー,交渉役,情報屋,法律担当,偽造書類作成者,なりすましのキャスティングなど複数人で行われ,緻密かつ高度な犯罪テクニックが必要とされる。(各エピソード冒頭のナレーションより)

 

 悪人が主人公の映画はやはり面白い。

 本作の詐欺師集団はハリソン山中(リーダー),辻本拓海(交渉役),竹下(情報屋),後藤義雄(法律担当),長井(偽造書類作成者),稲葉麗子(なりすましのキャスティング担当)からなるチームで,エピソード1で若手社長が経営する不動産会社「マイクホームズ」を標的としてこのチームの詐欺の手口が描かれる。これは騙し取った金額が10億円という比較的小規模な詐欺で,物語の本格的な展開はエピソ-ド2から始まる不動産最大手企業「石洋ハウス」を標的とした総額100億円を超える詐欺である。もちろん,詐欺の手口はエピソード1で描かれた手口と同じなのだが,地面師チームと石洋ハウスの駆け引きだけではなく,石洋ハウス内の派閥争い,取引対象として利用される東京港区高輪にある光庵寺の3200平米に及ぶ駐車場の所有者である住職の川井菜摘の私生活,さらには地面師グループを追う捜査二課の下村辰夫と倉持玲のコンビの姿などが描かれるとともに,綾野剛演じる辻本拓海の過去などが交差して,とても面白いドラマに仕上がっているのである。

 

 地面師チームのそれぞれには役割分担があり,その道に秀でたプロがその役割を果たすことになる。その中でも私が特に興味深いと思ったのは,例えば交渉に必要な文書やチップを埋め込んだ運転免許証は非常に巧妙に偽造されているのだが,最大の難関が土地の所有者の本人確認といういわばアナログ的な部分にあるということである。

 

 役者陣も豊川悦司,綾野剛,ピエール瀧,山本耕史,リリー・フランキーなど,それぞれが好演なのだが,企業の中で出世欲の強いサラーリーマンを演じた山本耕史の熱演が特に印象に残った。

 

 

 人物の性格設定について一つだけ違和感が残った点がある。「詐欺師は殺人事件を起こさない」とはよく言われることだが,それはおそらく彼らが逮捕された場合の量刑の違いをよく承知しているからであろう。ところが,このドラマではリーダーであるハリソン山中が殺人に対してまったく抵抗感がないサイコパスとして描かれており,その点で少し興味を削がれることになったのは残念である。

 

監督:ギャビン・フッド

キャスト

 ヘレン・ミレン(キャサリン・パウエル大佐)

 アーロン・ポール(スティーヴ・ワッツ中尉)

 アラン・リックマン(フランク・ベンソン中将)

 バーカッド・アブディ(ジャマ・ファラ 現地工作員)

 ジェレミー・ノーサム(ブライアン・ウッデール閣外大臣)

 イアン・グレン(ジェームズ・ウィレット英外相)

 モニカ・ドラン(アンジェラ・ノース政務次官)

 フィービー・フォックス(キャリー・ガーション上等航空兵)

 

(ネタバレかもしれないストーリー紹介)

 「戦争(戦闘)」という言葉から私たちが思い浮かべるのは,軍隊と軍隊が正面からぶつかり合い,銃撃戦やミサイルを撃ち合うというイメージだ。しかし,この映画で描かれているのはそれとはまったく異なる現代の戦争の姿である。

 

 戦闘の「直接の」舞台になるのはケニアのナイロビ。イギリスの諜報がそこにある民家にソマリアのイスラム武装勢力・アル・シャバブの主要メンバーが来るという情報を入手する。アル・シャバブは過去何度も自爆テロを繰り返してきた非常に過激な武装組織で,その主要メンバーの一人はスーザン・ダンフォードというイギリス人女性である。そして,アメリカ人のモハメド・アブディサラームとイギリス人のラシード・ハムードもナイロビに到着することになっている。彼らを逮捕するために英米合同軍事作戦が組まれる。ロンドンには常設統合司令部が置かれており,キャサリン・パウエル大佐が実際の軍事行動の指揮をとる。米国ネバダ州の空軍基地にはスティーヴ・ワッツ中尉とキャリー・ガーション上等航空兵が待機していて常設統合司令部からの指示に従って行動する。さらにハワイには画像解析班が置かれている。そして,ロンドンの内閣府作戦会議室には政府の高官が集まっていて,常設統合司令部に最終的な指示を送るのである。また,ナイロビのアル・シャバブの主要メンバーが集まっている民家の近くにはケニアの特殊部隊が待機していて彼らを逮捕するために突撃の準備をしているのだ。これらの組織は衛星通信によって繋がれており,人工衛星から送られてくる映像を共有しているのだ。

 さて,アル・シャバブの主要メンバーと思われるテロリストたちが車でその民家にやってきて中に入っていくのだが,女性はヒジャブのようなもので顔を覆っており,スーザン・ダンフォードであるかどうかが確認できない。そこで常設統合司令部の指示によって現地の工作員が昆虫の形をした小型のドローンを飛ばして室内の映像を撮影し,ハワイの画像解析班がスーザン・ダンフォードを特定する。いよいよケニアの特殊部隊の突入かと思われたとき,小型のドローンが驚くべきものを撮影する。それは,自爆テロ用に準備された爆弾とそれを体に装着している姿であった。彼らはこれから自爆テロを実行しようとしているのであって,容易に突入することはできないのだ。作戦を変更してその家にミサイルを撃ち込むことは可能なのか?ミサイルを撃ち込めば彼らは確実に死ぬだろう。スーザン・ダンフォードは英国人であり,仲間の米国人も死亡するだろう。それは法的に問題はないのだろうか?結局,問題はないとのことになり,ネバダ州の空軍基地からの遠隔操作によるドローンに搭載されたミサイルで殺害を実行しようとするのだが,そのときにケニアの少女アリヤがその民家の近くまで歩いてくる姿が映像に映し出されるのである。彼女はそこでパンを売ろうとしているのだ。ミサイルを撃ち込んだ場合,彼女の身に起こる致命的な予測は65~75%,市街地で自爆テロが行われた場合,推定80人の死傷者が出る。常設統合司令部はジレンマに陥る。

 

 

 英米合同軍事作戦を実行しようとしている登場人物たちが口々に発するcollateral damageという言葉。文字通りには「付随的損害」。映画の字幕でもそのように訳されていたが,要するに「軍事行動に伴って巻き添えを食う民間人死傷者」のことである。映画を通じて問われているのはまさにこのcollateral damageに関する問題なのだ。これは倫理学でよく問題になる「トロッコ問題」だと言った映画解説者がいるが,はたしてそうなのだろうか?似てはいるが,私には「似て非なるもの」に思われた。

 

 すべての決定はロンドンの内閣府作戦会議室で行われる。法務長官と政務次官はミサイルを発射することに反対。中将は攻撃に賛成する。彼らは外遊中の外務大臣に連絡を取る。

政務次官「私なら危険を承知で少女を救います。」

外務大臣「追求されるのはきみか?それとも私か?80人が殺されるテロを知りながら止めようとしなかったと。」

政務次官「あなたです。でも私なら政治的にも80人の殺害はアル・シャバブを糾弾します。少女を殺すドローン攻撃は弁護できません。」

法務長官「ジェームズ,アンジェラの指摘は正しい。アル・シャバブが80人を殺せば我々が“宣伝戦”に勝つ。我々が少女を殺せば彼らが勝つ。」

 外務大臣は首相の指示を仰ぐようにと言う。首相の指示は「“付随的損害”はできるだけ小さくしろ。」

 この会話で彼らが語っているのは倫理学上の問題ではない。どちらの選択肢を選べば自分たちが糾弾されなくてすむかということだ。そして,誰もが自分の責任を回避しようとしているのだ。

 世界は圧倒的な非対称によって成り立っているという分かりきった事実をこの映画はあらためて私たちに突きつける。会議室の中でクッキーとコーヒーで他人の命の軽重を議論する人たちがいる一方で,ただパンを売っているだけなのに生殺与奪の権を他人に握られている人が存在する。そしてそれを傍観する以外の術を持たない私たちの無力感…。ひょっとしてそれはギャビン・フッド監督の無力感でもあるのだろうか?

 映画の結末については話さないほうがよいだろう。いずれにしてもハッピーエンドにはならない話だが,現代の戦争の姿を通じての105分間の緊迫と緊張の連続,それにいろいろな意味で疲労感が残る作品であった(褒めています)。

 

監督:ジョン・カサベテス

キャスト

 ジーナ・ローランズ(グロリア)

 ジョン・アダムス(フィル)

 

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組織を裏切り、命を狙われていたジャックは同じアパートに住む女性グロリアに息子フィルを預ける。その後、ジャック一家は皆殺しに。一方、グロリアはフィルをつれてアパートを脱出。子供嫌いのグロリアは、一時はフィルを手放そうとするが、結局その子を連れて逃走を続けるハメに。やがて彼女は組織に乗り込む決意をするが…。タフなヒロインの活躍を描くハードボイルド・ドラマ。(「映画.com」より)

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 先日,新聞の死亡欄を見ていたらジーナ・ローランズの訃報が掲載されていた。以下,引用。

 

ジーナ・ローランズさん(米 俳優)

14日死去,94歳。米メディアが報じた。夫であり「インディペンデント映画の父」と呼ばれた故ジョン・カサベテス監督の作品に多く出演。「こわれゆく女」(74年),「グロリア」(80年)でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。15年にはアカデミー名誉賞を贈られた。(8月16日「朝日新聞」朝刊より)

 

 ジーナ・ローランズ出演作はおそらく2本しか観ていないと思う。『グロリア』と『きみに読む物語』(2004年)だ。ジーナ・ローランズは1930年生まれだから『グロリア』出演時は50歳。私は劇場公開時に観たのだが,一方ではギャング相手にバンバン銃をぶっ放すカッコいい女と,他方,預かった子供に対して母親のような感情が芽生えるという側面を見事に演じていて自分の中でも印象に残っている作品だ。今回,追悼の意味を込めてアマプラで再鑑賞したのだが,ネットでこの映画の批評を読んでいると,『リボルバー・リリー』を「『グロリア』のような映画」と評している記事を目にした。私はこの映画は観ていないが,映画の設定はよく似ている作品のようだ。ただ,綾瀬はるかではジーナ・ローランズのような味は出せないだろうとは思うが…。『きみに読む物語』は『グロリア』から24年後に公開されたラブストーリーで,私は公開時より10年ほど後にDVDで鑑賞した。ジーナ・ローランズ74歳の時の作品だが,認知症の老婆の役でラストはなかなか感動的な映画だった。

 

 ネットの情報によると,ジーナ・ローランズの晩年はアルツハイマー型の認知症を患っていたとのことだが,『きみに読む物語』の役回りを思い出してしまうのはやはり俳優という職業の故だろうか。合掌。