監督:チャールズ・チャップリン

キャスト

 チャールズ・チャップリン(浮浪者)

 バージニア・チェリル(盲目の花売り娘)

 フローレンス・リー(花売り娘の祖母)

 ハリー・マイアーズ(大金持ちの男)

 

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喜劇王チャールズ・チャップリンが監督・脚本・主演を務め,目の不自由な花売り娘に恋をした男の奮闘を,ユーモアとペーソスを織り交ぜながら描いた不朽の名作。トーキー化の波に逆らい,あえてセリフ無しのサウンド版で製作された。

 

家も仕事もない放浪者チャーリーは,街角で花を売る盲目の娘に恋をする。その娘に金持ちの紳士だと勘違いされたチャーリーは,清掃員として働いたりボクシングの試合に出たりして金を稼ごうとするが,なかなか上手くいかない。そんな中,酔っ払いの富豪の男と親しくなったチャーリーは,彼から大金を譲り受けるが…。(「映画.com」より)

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 実はチャップリンの映画の中でも最高傑作との評判の高いこの映画を観るのは今回が初めてである。なぜ今まで観なかったのかと言われても特に理由はないのだが,今回観てみようという気になったのにははっきりとした理由がある。ただ,それを書き出すと長くなるので,あえてその部分は書かないでおく。

 

 鑑賞して最も印象に残ったのは映画の全編を通じて流れている独特な「毒」である。批判しているのではない。逆だ。私にはスラプスティック・コメディというスタイルの中にさりげなく隠されているその「毒」の故にこの映画は不朽の名作となったのではないかと思われるのである。それは人間と時代状況に対するチャップリンの観察の鋭さから生まれたものだと言ってよいだろう。映画の冒頭とラストを取り上げてその点について考えてみた。

 

 冒頭のシーン。大勢の人が見守る中「平和と繁栄の記念碑」の除幕式が行われている。幕が取られると一人の浮浪者が記念碑の像の膝の上で寝ており,そこからその男が像から降りるシーンがスラプスティックに描かれるのだが,これが実に面白い。特に,その浮浪者のズボンに像の剣が刺さっているところでアメリカ国歌が流れたりして,思わず笑ってしまうのだ。

 しかし,このシーンにはしっかりとチャップリン流の「毒」が仕込まれていて,当時のアメリカの平和と繁栄がいかにウソっぽいものであるかを象徴しているように思われるのだ。また,冒頭で主催者の男と来賓の女が挨拶をするシーンがあるのだが,まるで雑音であるかのように何をしゃべっているのかがさっぱり分からないという演出が施されているのである。そもそも,「平和と繁栄の記念碑」の像に浮浪者が寝ているなんて痛烈な皮肉ではないか。

 

 物語はチャップリン演じる浮浪者と盲目の花売り娘の交流を中心に展開されるのだが,そのラストシーン。ここにもチャップリンの「毒」がそっと忍び込むのだ。浮浪者が用立てたお金のおかげで手術を受けて目が見えるようになった花売り娘が花屋で働いているところに偶然その浮浪者が通りがかる。そして,花売り娘は自分をじっと見ているみすぼらしい姿のその男が自分を支えてくれていた人物だということを知る。それは自分が思い描いていた人物像とはかけ離れた姿の男だった。花売り娘は明らかに落胆の表情を見せ,You?「あなたでしたの?」と問い,そして思い直したように握っていた浮浪者の手をさらに強く握りしめたところでカメラは浮浪者の表情をアップで映しThe Endとなるのである。

 このシーンについてはいろいろな解釈が可能であろうが,私には花売り娘は目の前にいる人物に感謝の気持ちはあるものの,自分を救ってくれた人物のあまりのみすぼらしさに失望感のほうが勝ったのだと思われた。私にはそれはチャップリンがこの映画に忍ばせた「毒」のように思われたのである。凡庸な作品であれば花売り娘は目の前の男に感謝の言葉を述べハッピーエンドとなったであろうが,チャップリンはそうはしなかった。おそらくチャップリンは,娘の中に浮浪者に対する感謝の気持ちが湧いてくるのはもっと後になってからだと言いたかったのではないだろうか。それが自然な心情というものだろう。その点に私はこの映画の優れた一面を見たのである。

 

 ところで,この映画の展開を貫いているスラプスティック・コメディというスタイルだが,特にボクシングのシーンなど実に巧みで大いに笑わせてもらった。実は私はスラプスティック・コメディはあまり好みではなかったのだが,「食わず嫌い」であったことを認識した次第である。