監督:ジョディ・フォスター

キャスト

 ジョージ・クルーニー(リー・ゲイツ)

 ジュリア・ロバーツ(パティ・フェン)

 ジャック・オコンネル(カイル・バドウェル)

 カトリーナ・バルフ(ダイアン)

 

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ジョディ・フォスターの4作目となる映画監督作で,ジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツが「オーシャンズ12」以来11年ぶりに共演を果たしたリアルタイムサスペンス。司会者リー・ゲイツの軽快なトークと財テク情報で高視聴率を稼ぐ人気テレビ番組「マネーモンスター」の生放送中,ディレクターのパティは,スタジオ内に見慣れない男がいることに気付く。すると男は突然拳銃を振りかざし,リーを人質に番組をジャック。テレビを通じ,意図的な株の情報操作によって全財産を失ったと訴える。男の言う情報は,番組が数日前に放送したもので,リーは無自覚に誤った情報を発信していたことに気付き,カイルと名乗る男とともにウォール街の闇を暴くために動き始める。クルーニーが「マネーモンスター」司会者のリーに,ロバーツが番組ディレクターのパティに扮し,番組をジャックする男カイル役を,アンジェリーナ・ジョリー監督作「不屈の男 アンブロークン」に主演した若手俳優のジャック・オコンネルが演じる。(「映画.com」より)

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 ごく大雑把なストーリーは「映画.com」の紹介にあるとおりだが,ネタバレにならない程度にもう少し詳しくストーリーを紹介すると以下のようである。

 

 「マネーモンスター」は株式投資などのアドバイスをする生放送のTV番組のタイトルで,リー・ゲイツがその番組のMCだ。リーはアドリブのセンスが抜群でなかなかの人気者だが台本通りに進行したためしがない。そのためプロデューサーのパティ・フェンはいつも少々ハラハラさせられている。

 さて,3月6日の株式情報でリーが強く推薦したアイビスの株が暴落,一瞬のうちに8億ドルの損失を出したためにCEOのキャビンがこの番組に出演して損失を出した原因について説明することになっている。ところが,どこに行ったのか番組が始まる時間になってもキャビンがテレビ局に姿を現さない。仕方なく広報担当のダイアンがその説明をするためにスタンバイをしているのである。リーの軽快な語りから番組が始まり,アイビスの株の値下がりについての話をしているとき一人の男がスタジオに現れ天井に向かって銃を一発ぶっ放す。そのためにスタジオの雰囲気がガラッと変わる。あとで分かるのだが,男の名はカイル・バドウェル。アイリスの株で6万ドルの損失を出したために,株が下がった原因を説明しろと言うのである。カイルはリーに爆弾のついたベストを着るように命令する。ベストには無線受信機がついており,その爆破装置のスイッチをカイルが握っていて,手を離すと爆発する仕組みになっているのだ。リーは,アイビス株の下落の原因はアルゴリズムが暴走したためだと言うのだが,そんな説明でカイルが納得するはずがない。このあたりから,カイル,リー,それにテレビのモニターを見ながらリーに指示を出したりしているパティの攻防が始まる。このプロセスはなかなか面白いのだが,カイルはひたすら「CEOのキャビンに説明させろ」と言うだけなのだ。しかし,そのキャビンが行方不明で連絡がつかない。ダイアンが説明するが,アルゴリズムのバグが原因だと言うだけでカイルを納得させることができないだけでなく,反対に逆上させてしまう始末だ。警察の狙撃班もやってくるのだが,爆破装置のスイッチをカイルが握っているために手が出せない。この様子は全米に中継され,何百万,何千万の人たちが見ることになる。やがて,アルゴリズムを設計した金融工学者が,そのアルゴリズムが勝手に暴走することなどあり得ないといった情報を送ってきたりして,なかなか興味深い展開になっていくのだが,ここから先はネタバレになるので紹介はこの辺りで止めておく。

 構成がしっかりとした映画でエンタメ作品としてかなり楽しめる作品に仕上がっているが,その中にウォール街を中心として繰り広げられるマネーゲームに対する批判的な観点を読み取ることは十分可能だ。

 まず,カイルのような人間を登場させるところがこの映画の真骨頂で,ピリッと皮肉が効いている。彼は株式投資はギャンブルだということを理解していないのだ。投資?…,いやいやバクチでしょ。そうである以上,結果に対して責任を負うのは自分しかいないのだが,彼は株で損をした責任を投資アドバイザーに押しつけて,その責任を取れと言っているのだ。話は横道に逸れるが,今年の春頃,MLBの大谷選手の通訳が大谷の約27億円の大金をスポーツ賭博で溶かしてしまうという事件があり,その頃TVでギャンブル依存症について専門家と称する人たちがあれこれ講釈を垂れていたのだが,彼らがギャンブルの例として挙げるのがパチンコ,競馬,競輪,宝くじ,違法カジノなどであって,株式の購入は別の範疇として考えているようであった。まあ,政府も「貯蓄から投資へ」などと言って,一定枠までの利益が非課税になる新NISAなども始まって日経平均株価4万円越えなどとも報じられているが,バクチであることに変わりがないのであって,バクチの原則は「自己責任」なのだ。

 さて,映画に戻ろう。リーがカイルの気持ちを静めようとして,アイビスの株価を上げるための手を打つシーンがある。

 リーはテレビ中継を見ている何百万,何千万の視聴者に対し,今すぐアイリス株を買って欲しいと訴えるのである。彼は言う。「儲かるから言うんじゃない。俺を救ってくれ。我々は人間,良心がある。人間は本能的に助け合う。数式が命じるからじゃない。ハートで正義を行うんだ。」今さらよく言うよと思うが,パティがつぶやく。「番組で相場を作るということね。」アイリス株は徐々に上がり出し8.49ドルまで上がる。そして,3.37ドルまで急落するのである。株価が上がったところで売りに出た株主も大勢いたのである。株式を買う人間の最大の関心は株価が上がるか下がるかだけだ。他人の命を救うために買ったり売ったりするのではないのだ。これはなかなか示唆的なシーンではあった。

 こういった展開を挿みながらリーの感情が徐々に変化していくところもなかなかの見所で,映画は一種のストックホルム症候群のような状況を呈しながらクライマックスを迎える。全体としてはよくまとまっている作品だと言えるだろう。

 

監督:是枝裕和

キャスト

 ソン・ガンホ(ハ・サンヒョン)

 カン・ドンウォン(ユン・ドンス)

 ペ・ドゥナ(アン・スジン)

 イ・ジウン(ムン・ソヨン)

 イ・ジュヨン(イ刑事)

 

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「万引き家族」の是枝裕和監督が,「パラサイト 半地下の家族」の名優ソン・ガンホを主演に初めて手がけた韓国映画。子どもを育てられない人が匿名で赤ちゃんを置いていく「赤ちゃんポスト(ベイビー・ボックス)」を介して出会った人々が織り成す物語を,オリジナル脚本で描く。古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと,赤ちゃんポストのある施設で働く児童養護施設出身のドンスには,「ベイビー・ブローカー」という裏稼業があった。ある土砂降りの雨の晩,2人は若い女ソヨンが赤ちゃんポストに預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。しかし,翌日思い直して戻ってきたソヨンが,赤ん坊が居ないことに気づいて警察に通報しようとしたため,2人は仕方なく赤ちゃんを連れ出したことを白状する。「赤ちゃんを育ててくれる家族を見つけようとしていた」という言い訳にあきれるソヨンだが,成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。一方,サンヒョンとドンスを検挙するため尾行を続けていた刑事のスジンとイは,決定的な証拠をつかもうと彼らの後を追うが…。ソン・ガンホのほか,「義兄弟 SECRET REUNION」でもソンと共演したカン・ドンウォン,2009年に是枝監督の「空気人形」に主演したペ・ドゥナら韓国の実力派キャストが集結。2022年・第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され,主演のソン・ガンホが韓国人俳優初の男優賞を受賞。また,人間の内面を豊かに描いた作品に贈られるエキュメニカル審査員賞も受賞した。(「映画.com」より)

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(ネタバレ)

 刑事のスジンがつぶやく「捨てるなら産むなよ」から始まり,ソヨンが疑似家族の一人一人に語りかける「生まれてくれてありがとう」で終わる物語だ。問われているのは「生まれてこない方がよかった命など存在するのか?」だ。ソヨンはヤクザの愛人の子供を身ごもり,中絶を迫られながらも男の子を産みウソンと名付ける。男は「生まれてこなければよかったのだ」と言ってソヨンからウソンを取りあげようとしたために,ソヨンは男を殺す。ウソンは生まれた瞬間から殺人者の子供になったのだ。「殺人者の子供に生まれてくるぐらいなら生まれてこない方がよかった」。これが映画の冒頭でソヨンがベイビー・ボックスの前にウソンを置き去りにする経緯だ。

 映画は「生まれてこない方がよかった命など存在するのか?」を執拗に問い続ける。「必ず迎えに来ます」という書き置きを残して子供を置き去りにする母親のうち実際に引き取りにくるのは40人に1人だ。ドンスは母親に捨てられ児童養護施設で育ち成人した今でも心のどこかで自分の母親が40分の1であると思っており,その養護施設で働いているある人は「ここにいる子のほとんどが一度存在を否定されているのだ」と言う。そして,刑事のスジンは子供を捨てる母親を必要以上に憎んでいるのだ。彼女に何があったのかは語られないが,ひょっとしたら彼女も母親に捨てられた過去があるのかもしれない。ソヨンとスジンの印象的なシーンがある。

 

ソヨン「堕ろせばよかった?」

スジン「子供のためにそんな選択肢も…」

ソヨン「産んで捨てるより産む前に殺す方が罪は軽いの?」

スジン「望まれずに生まれる方が不幸なんじゃない?」

 スジンにつかみかかるソヨン。

 

 映画の全編を通じて是枝裕和監督は「生まれてこない方がよかった命など存在するのか?」を問い続ける。この問いはとても重い問いなのだが,映画は,裏稼業としてベイビー・ブローカーをしているサンヒョンとドンス,それにソヨン,そして養護施設の子供のヘジンの5人がウソンの買い手を見つけるためにオンボロのワゴン車で「旅をする」ロードムービーに仕上がっており,旅をしながら彼らは疑似家族のような関係になっていくのである。そして,いつの間にかウソンの買い手を見つけるという目的は徐々に希薄になっていき,ついにソヨンの「生まれてくれてありがとう」という語りになるのである。映画のテイストとしてはユルい作りになっており,その点でこの映画に対する評価が分かれるかもしれないが,私は映画そのものがユルい内容になっているワケではないという評価である。

 考えてみれば,この問いは映画『三度目の殺人』で提起されている問いでもある。あの映画で,役所広司演じる三隅は「社長も自分も生まれてきてはいけなかった人間だ」と言う。つまりクズ人間だということだ。その一方で,三隅は「人は器だ」とも言う。つまり,人は生まれたときは空っぽの「器」で成長する過程でその中にどんなものでも詰め込むことができるということだろう。

 「生まれてこない方がよかった命など存在するのか?」という問いについて,是枝監督は『ベイビー・ブローカー』では産んだ側の問題として,『三度目の殺人』では生まれた側の問題として問いかけているのだ。前者については一応の答えは示された。では,後者についてはどうか。私は少なくとも『三度目の殺人』においてはその点は曖昧なままのような気がする。今後の作品に期待したい。

1. 悪魔は誰だ(2014年 韓国)

 

 

監督:チョン・グンソプ

キャスト

 オム・ジョンファ(ハギョン)

 キム・サンギョン(チョンホ)

 

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時効を迎えた幼女誘拐殺人事件がたどる結末を,「私のちいさなピアニスト」のオム・ジョンファと「殺人の追憶」のキム・サンギョン共演で描いた骨太サスペンス。15年前,娘を何者かに誘拐され殺されてしまった母親ハギョンは,犯人逮捕を願って自ら情報を集め続けていた。そんな彼女のもとを担当刑事チョンホが訪ね,事件が間もなく公訴時効を迎えることを告げる。時効まで残り5日に迫るなか,事件現場に一輪の花が置かれているのを見つけたチョンホは,これを手がかりに捜査を再開。犯人を確保寸前にまで追いつめたものの取り逃がし,事件は時効を迎えてしまう。それから数日後,15年前と全く同じ手口の事件が発生し…。オム・ジョンファが愛する娘を失った母親役を熱演し,韓国のアカデミー賞と言われる大鐘賞で最優秀主演女優賞を受賞した。(「映画.com」より)

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 この映画はなかなか面白かった。邦題の通り,「悪魔」=犯人を捜す映画である。終盤まで「悪魔」がよく分からず,分かったときには「エ~,お前だったの!」という驚きで終わるのだが,ひねりのきいたドンデン返しである。若干無理な箇所はあるが,それはミステリー作品にはつき物。構成がしっかりしているので,あまり気にはならなかった。

 

ストーリー展開 ★★★★

どんでん返しのインパクト ★★★★☆

伏線の回収 ★★★★

サスペンスとしての満足度 ★★★★

 

★1つが1点。☆は0.5点。5点満点。

 

 

2.  search #サーチ2(2023年 アメリカ)

 

 

監督:ウィル・メリック&ニック・ジョンソン

キャスト

 ストーム・リード(ジューン)

 ヨアキム・デ・アルメイダ(ハビ)

 ケン・レオン(ケヴィン)

 エイミー・ランデッカー(ヘザー・ダモア)

 ニア・ロング(グレイス)

 

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パソコンの画面上で物語が展開していくという斬新なアイデアと巧みなストーリーテリングでスマッシュヒットを記録したサスペンススリラー「search サーチ」のシリーズ第2弾。

 

ロサンゼルスから遠く離れた南米・コロンビアを旅行中に突然消息を絶った母。デジタルネイティブ世代である高校生の娘ジューンは,検索サイトや代行サービス,SNSなど使い慣れたサイトやアプリを駆使して母の捜索を試みる。スマホの位置情報や監視カメラ,銀行の出入金記録など,人々の行動・生活がデジタル上で記録されている現代,母を見つけることは簡単と思われたが,一向に行方をつかむことができない。そればかりか,不可解な出来事はすぐさまSNSで拡散され,憶測ばかりが広がっていく。不確かな情報に翻弄されながらも,真相をつかもうとするジューンだったが…。

 

前作の監督・脚本を手がけたアニーシュ・チャガンティが今作では原案・製作を務め,前作の編集を担当したウィル・メリックとニック・ジョンソンが共同で監督を務めた。ジューン役は「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党,集結」「透明人間」などに出演してきたストーム・リード。(「映画.com」より)

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 ロサンゼルスに住む少女がコロンビアに行って行方不明になった母を探す話から始まる。一昔前の映画なら自分もコロンビアに行って,母が泊まっていたホテルの従業員に母についての情報を聞いて…となるのだが,それがすべて自分の部屋にあるPC上で行われ,その他の情報も現場に行くことなくPCのキーを押すことで物語がドンドン進んでいく。その分,展開は速いのだが,ITに不慣れなジジイにはついていくのがチトきつい。「オイオイ,待て待て」と思っている間に「エ~,この人死んじゃうの」となって話が急展開。まあ,最後は「そうなんだ…」でオシマイ。

 前作の「サーチ」の評判が良くて第2作目の公開となったわけだが,大抵のケースと同様,PART1には及ばなかった。PART1よりPART2の方がよかったのは私の知る限りでは『ゴッドファーザー』ぐらいか…。

 

ストーリー展開 ★★★

どんでん返しのインパクト ★★

伏線の回収 ★★★☆

サスペンスとしての満足度 ★★★

 

★1つが1点。☆は0.5点。5点満点。

 この一週間ほどデヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』(酒井隆史訳 光文社)を読んでいた。上下二段組みの翻訳本なのだが,ほぼ600ページの本文と50ページほどの「訳者あと書きにかえて」の浩瀚な書物で,なかなか読み進めなかったのだが,やっとのことで読了した。それにしても実に刺激的な書物で,この数十年の考古学上の諸発見に基づく資料や人類学の知見を駆使して従来の社会進化論的な人類史観(それはルソーやホッブズの啓蒙思想に始まる)に真っ向から挑んでいるのである。本来ならこの本の読後感を書きたいところなのだが,実は「いまこそ人類史の流れを変えるとき」と題された「訳者あと書きにかえて」のなかの次の文章を読んで,その視点を欠いたままペダンティックな関心だけでこの本を読み進めたことに若干の忸怩たる思いにとらわれるとともに,その文章に感動をも覚えたので,とりあえず今回はその箇所を引用したい。(本書の内容についての書評はいずれ行うことにする。)

 

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 以下はウェングロウが『万物の黎明』についてのある講演会に招かれたとき,聴衆の一人が語った言葉である。

 

「本当に希望に満ちた本です…わたしたちはなにごとも変わらない。このままネオリベラリズム,国家資本主義が永遠につづくだけだ,という心理につい陥りがちです。でも,この本には『いや,わたしたちは変われる』という記述がたくさんある。人類は存在しはじめてからずっとそうしてきたのですから。」

 

デヴィッド・グレーバーが最も聞きたかったのも,このような声であっただろう。

                           (翻訳639ページ上段)

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 本書で紹介されている事例の中から一例を挙げれば,17世紀のフランス人たちが出会い,ヨーロッパ社会に対する批判,つまりその社会に対する一貫した道徳的・知的な攻撃を加えてヨーロッパ思想に衝撃を与えたアメリカの先住民たち,その中でも啓蒙時代のヨーロッパに大きな影響を及ぼした哲学者=政治家であったカンディアロンクたちは,厳しいヒエラルキーによって構築された国家であるカホキアが解体した後のオーセージ族に見られるような反権威主義的哲学を発展させた人たちの末裔であった。彼らはヨーロッパ人が想像していたような「未開人」であるどころか,「すでにヨーロッパ人たちのごとき富と暴力に支配された『文明』を熟知し,そのうえでそれを拒絶し,別の文明を構築しようとした,成熟した人々だったのである。」(p.631)

 

 私たちが今まで信じてきた人類史観,つまり平等な人々による狩猟採集社会から農耕革命によって人々が定住生活を送るようになり,剰余が生まれ,それによって貧富の差が発生し,階級が成立し,国家が生まれるという社会進化論は神話だったのかもしれないと思わせるだけの説得力がこの本にはある。私たちが知らなかっただけなのかもしれない。何を?人類は変わることができるということを。だって,本書を読めばその歴史的エビデンスが随所に紹介されているのだから…。

                                      

 

 

監督:クリストファー・ノーラン

キャスト

 ジェレミー・セオボルド(ビル)

 アレックス・ハウ(コッブ)

 ルーシー・ラッセル(金髪の女性)

 ジョン・ノーラン(警官)

 

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クリストファー・ノーラン監督が1998年に発表した長編デビュー作。他人の尾行を繰り返す男が思わぬ事件に巻き込まれていく姿を,時間軸を交錯させた複雑な構成で描き出す。

 

作家志望のビルは創作のヒントを得るため,街で目に止まった人々を尾行する日々を送っていた。そんなある日,ビルは尾行していることをターゲットの男に気づかれてしまう。その男コッブもまた,他人のアパートに不法侵入して私生活を覗き見る行為を繰り返しており,ビルはそんなコッブに次第に感化されていく。数日後,コッブとともにアパートに侵入したビルは,そこで見た写真の女性に興味を抱き,その女性の尾行を始めるが…。

 

1999年・第28回ロッテルダム映画祭で最高賞にあたるタイガーアワードを受賞するなど高く評価され,鬼才ノーランの名を一躍世界に知らしめた。2024年4月,デジタルリマスター版にてリバイバル公開。(「映画.com」より)

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 「映画.com」の紹介にあるようにクリストファー・ノーラン監督の長編デビュー作であるが,ある意味衝撃的な作品だ。クリストファー・ノーランは『ダンケルク』のようなフツーの映画も撮っているが,本作のような作品においてこそ才能の高さがうかがわれるように思われる。

 サスペンス映画なので詳しい内容に触れるわけにはいかないが,上の「映画.com」のストーリー紹介にもう少しつけ加えると,ビルはコッブが仕掛けたワナにドンドンはまっていき,写真の女性も絡んでとんでもない事件に巻き込まれるのである。

 映画は小箱からいろいろと雑多な物を取り出し,またその中のいくつかを元に戻しフタをするという示唆的なシーンから始まる。このシーンは後で意味を持ってくるのであるが,これに続いて時系列をバラバラにしながら物語が展開されていく。これは後の「メメント」や「テネット」で本格的に用いられる手法であるが,本作の場合はビルの服装の違いや顔に暴力を受けた痕があるシーンとそれがないシーンで時系列の前後がほぼ分かるようになっており,それを考えながら観ているとなぜかワクワクしてしまうのである。

 ストーリーはバラバラに描かれていたシーンが終盤において見事につながるのだが,実はビルが巻き込まれた事件の最終目的が観客の想像を裏切るような展開になっており,「エッ,目的はそこだったの?」という驚きでもって終わるのである。

 モノクロームの作品はどこか重厚な雰囲気があり,本作も何か哲学的なメッセージがあるかのように思わせながら,まったくのサスペンスに徹しているところなど,一筋縄ではいかない映像作家である。