最初にひと言断っておくと、私は今までの人生において「東大なんか入らなきゃよかった」と思ったことは一度もない。なぜなら…東大に入ったことがないから。(笑) 「入ったことがない」どころか東大を受験したことすらない。いや、もっと言うと、東大構内に足を踏み入れたことさえない。要するに私は東大とはまったく無関係な人生を送ってきたのだが、先日、図書館に行って書棚をいろいろと見て回っていたときに、そのタイトルが目について借りてみたのが本書である。

 

 本書の構成は「第1部 あなたの知らない東大」と「第2部 東大に人生を狂わされた人たち」から成っている。第1部では東大生のタイプと東大入学後の東大に特有な履修システムなどについて述べられていて、それによると、東大生には天才型、秀才型、要領型という3つのタイプが存在するとのこと。天才型というのは集中力と頭の回転が桁外れで、何をやっても圧倒的にスピードが速い人たちだが、このタイプはそれほど多くはなく、東大生全体の1割かそれ以下だろうとのこと。医学部医学科に進学する理科三類(理三)の学生の大半はこのタイプらしい。秀才型は天才型ほど頭の回転は速くはないが、並の人よりははるかに優秀でコツコツと物事を成し遂げるタイプで、著者の感覚では東大生の半数以上がこのタイプだそうである。要領型は東大入試をテクニックでクリアしてきた人たちで、東大生の3割ぐらいはこのタイプとのことで、著者もこのタイプに属するらしい。要するに「東大生」と言っても、私たちが想像する以上にその頭脳格差は大きいようである。それだけではなく、経済格差、情報格差などにもかなりの開きがあるとのことである。

 学部・学科の所属に関して言えば、これは東大に特有なシステムだが、東大生は入学した時点では進学する学部・学科は決まっておらず(一応、入学試験は文科一類(文一)、文二、文三、理一、理二、理三に分かれて実施されるが)、3年生の専門課程に進学するときにはじめて学部・学科が決まる。これを進学振り分け(通称・進振り)と言うらしいのだが、人気のある学部・学科の場合、2年生前期までの成績次第では自分の希望する学部・学科に進学できないこともよくあるそうだ。要するに、東大生は東大に入学したあとも競争をしなければならないのであって、今度は東大生同士での競争なので、ある意味入試よりも厳しい争いになるとのこと。

 第2部は東大に入った「にもかかわらず」その後の人生において苦労した人たちへのインタビューで構成されている。これが本書のテーマであるが、例えば、法学部を出てメガバンクに就職したものの行内でいじめに遭い鬱病を発症した人や大学院の修士課程を修了してキャリア官僚になったものの安い給料、1日16時間以上の長時間労働、議員によるパワハラなどで「東大に入らなければこんなつらい仕事に就くこともなかったかな」と言っている人たちである。また、法学部を卒業して家庭の事情により地方の市役所職員になったものの高学歴をネタにいじめに遇い、一年半で退職して地方国立大学の医学部に入学して医師を目指している人。さらに、大学院の博士課程で博士号を取得したものの大学教員になれなかった人。これはいわゆる「高学歴ワーキングプア」と称される人たちの一人だが、まあ、苦労して博士号を取得したところで大学教授になれるのは10人に1人もいない世界ではあるようだが…。最後に頸椎椎間板ヘルニアの治療を受けるため健康保険に加入する必要があり、そのために東大卒でありながら高卒と偽って派遣の警備員をしている人が紹介される。年収は230万円で手取り180万円だそうだが、本とネコで生活は満たされているそうだ。しかし、インタビューの最後に「親が死んで、飼っているネコも死んだら、俺に心残りはないし、川に流れてもいいかな」と考えているらしい。

 最後に著者は東大を出た人が幸せに生きるための提言として、「東大を出たことを忘れる」、「環境が合わなければ速やかに脱出する」、「自分と他者を比べない」という3点を挙げているが、どうなんだろう…。

 タイトルに惹かれて読んでみたが、本書の中心的テーマである第2部で述べられていることに関しては、「まあ、そういう人たちもいるだろうな」という感想で、地方の市役所職員になった人を除いては、特に東大に入ったことの後悔でもないように思うのだが…。実際、本書193ページに掲載されている「オープンワーク株式会社」が2019年に公表した「出身大学別30歳年収ランキング」を見ると、東大卒は810.9万円で2位の一橋大学(739.6万円)、3位の京大(727.6万円)を大きく引き離して1位なので、本書に登場する人たちはどちらかというと東大生の中でも圧倒的少数派ではないかと思われる。著者は本書を通じて、東大生には頭は良いが対人スキルが低い人たちが目立つと述べているが、本当にそうなんだろうか?個人的な経験で言えば、私が働いていた業界にも東大卒の人たちは何人もいたし、よく一緒に飲みに行ったりしたこともあるが、特に対人スキルが低いとか、風変わりな人たちだと感じたことはなかったので、著者が本書を書いた意図はイマイチ理解しづらいところがある。もっとも、私が仕事をしていた業界には、「東大なんか入らなきゃよかった」と思っている人たちや著者による3類型のうちの「天才型」に属している人たちはおそらく存在しないだろうということは言えそうではあるが…。

  本日は中山競馬場で第70回有馬記念(芝2500m 15時40分)が開催される。私の場合、ダービーと有馬記念だけは馬券を買うことに決めているので、例によって素人の予想を試みることにする。以前、毎週末になると馬券を買っていた頃に比べると、今はJRAがネットで過去のレースの映像も含めていろいろなデータを提供してくれているので、私のような一夜漬けでも予想ができるようになった。このサービスには感謝したい。

 

 そこで、まずはステップとなるレースの検討から始める。取り上げるのは天皇賞(秋)、ジャパンカップ、エリザベス女王杯の3レースである。

 

1. 天皇賞(秋) 芝2000m  14頭

 このレースの出走馬のうち有馬記念出走馬は③ジャスティンパレス、④ミュージアムマイル、⑥メイショウタバル、⑩コスモキュランダ、⑯タスティエーラの5頭。

  着順は以下の通り。

2着  ④ミュージアムマイル

3着  ③ジャスティンパレス

6着  ⑥メイショウタバル

8着  ⑯タスティエーラ

12着 ⑩コスモキュランダ

*○の中の数字は有馬記念の馬番。

 レースはメイショウタバルが5F62.0秒という超スローペースで逃げる展開で、直線での瞬発力勝負になった。

 2着のミュージアムマイルだが、中団外から1着馬と同じ3F32.3秒で上がっているが、0.1秒差の2着。着順差は位置取りと直線で外に出す時間のロスがあったためで、1着馬との能力差は感じられない。3着のジャスティンパレスは直線で外に出すのに苦労した分、仕掛けが遅れた。この馬は瞬発力勝負よりジワジワ伸びるタイプのように思われる。5着以内に入った馬のうち4頭が後方からの競馬だったのに対し、この馬だけが好位で粘り、ミュージアムマイルとクビ差の3着だったのは立派。6着のメイショウタバルは宝塚記念を逃げ切った馬でここでも逃げ切りを試みるが、超スローに持ち込んだのが結果的にマイナスだったように思われる。8着のタスティエーラは好位からG前400mからスパートし、一旦先頭に立つが、G前200mで力尽きる。仕掛けが早すぎた。騎乗ミス。12着のコスモキュランダは能力不足。

 以上より、まず注目するべきは2着のミュージアムマイルで、この馬は他の4頭よりやや上位だと思われるが、瞬発力勝負になったので、3歳馬で斤量に恵まれたという点は差し引いて考えるべき。また、皐月賞優勝馬でありながらダービーで6着に沈んだ点から考えて距離適性にやや疑問が残るか?3着のジャスティンパレスと6着のメイショウタバルはペースと展開次第で逆転はあり得る。8着のタスティエーラは中山のほうが合うかもしれない。

 

2. ジャパンカップ  芝2400m  17頭

 このレースの出走馬のうち有馬記念出走馬は②シンエンペラー、③ジャスティンパレス、⑨ダノンデサイル、⑩コスモキュランダ、⑬アドマイヤテラ、⑯タスティエーラの6頭だが、⑬アドマイヤテラは発想直後落馬・競走中止。

 着順は以下の通り。

3着  ⑨ダノンデサイル

5着  ③ジャスティンパレス

7着  ⑯タスティエーラ

8着  ②シンエンペラー

9着  ⑩コスモキュランダ

*○の中の数字は有馬記念の馬番。

  高速馬場の5F57.6秒というハイペースの競馬で、後方待機馬に有利なレース。

3着のダノンデサイルだが、中団からの競馬になったが、最初のコーナーでややカカってしまい、それが最後の直線で響いた。直線で1,2着馬にあっさり差されたが、有馬記念出走馬の中では能力上位か。5着のジャスティンパレスは最初のコーナーでロスがあり、中団後方からの競馬になり、最後はジワジワ伸びるが、一瞬の切れはない。7着のタスティエーラは好位からの競馬だが、この馬にとってスピード決着は不利。8着のシンエンペラーは有馬記念出走馬の中では最も前で競馬をしたが、能力的にやや劣る感は否めない。9着のコスモキュランダは能力不足。以上より、JC出走馬の中ではダノンデサイルを上位に取りたい。

 

3. エリザベス女王杯  牝馬限定戦 芝2200m  16頭

  このレースの出走馬のうち有馬記念出走馬は⑤レガレイラのみ

 

 レガレイラは中団後方から直線で一気に差しきった。快勝。ここでは他馬との能力の違いを見せつけた。

 

【展開予想】

 逃げるのは⑪ミステリーウェイか⑥メイショウタバルだろうが、ミステリーウェイは前に行く以外に活路が見いだせないので、先頭争いに巻き込まれたくないメイショウタバルは2番手に控えるだろう。⑪はハイペースで逃げるだろうが、⑥はそこまで速いペースにはならないだろう。Mペースかそれよりもやや速いペースになるのではないか。有力馬の位置取りは中団~後方になりそうである。この展開から考えると、3~4コーナー中間辺りからのロングスパートになりそうだが、⑪は4コーナーを過ぎた辺りで後方馬群にのみ込まれ、⑥が抜け出すところを有力馬が追いかけるという展開になり、ほぼ実力通りの決着になると思われる。

 

【結論】

 天皇賞、JCの最先着馬である④ミュージアムマイルと⑨ダノンデサイル、それにエリザベス女王杯を快勝した⑤レガレイラを上位に取りたい。この3頭の比較だが、レガレイラは昨年の有馬記念を勝っているものの、当時は3歳牝馬ということで斤量が54キロとかなり有利であった上に、展開もこの馬に向いたということもあり、また、今回の相手はエリザベス女王杯の相手よりもはるかに強いので、この馬は3着までという位置づけにする。④ミュージアムマイルと⑨ダノンデサイルの2頭についてはあれこれ考えたが、結局結論が出なかったので、馬券はこの2頭からにする。3着馬としては⑤レガレイラ以外に、ロングスパートのきく③ジャスティンパレス、2番手追走からの粘り込みが考えられる⑥メイショウタバルまで。⑯タスティエーラは一発逆転があっても不思議ではないが、中山2500mは最初のコーナーで大外の馬はロスが発生する可能性があるので、今回は思い切って切ることにした。

 

馬券は以下の通り。  

・馬連  4―9 (6.7)

 *枠連2-5は12:03現在で6.8倍なので、様子を見てこちらにするかも。

・3連複  4、9軸の3、5、6への流し。

 3-4-9 (28.9)

  4-5-9 (7.9)

  4-6-9 (17.2)

   *4-5-9は押さえ。

 

 JRAさん、年末のプレゼントを!!!

 

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 この年末、サントリーの「響」をプレゼントしてくださる方がいて、ありがたい限り。今年の3月、手術をしてその後も医師から酒はまだ控えるようにと言われていたのだが、3ヶ月ほど前にやっと解禁になったと言ったところ、その方がお正月に飲んでくださいと言って送ってくださった。感謝。

 

 

 「響」は品薄になる以前、清水の舞台から飛び降りたつもりで自腹で買ったことがあるが、そのときでも1万円だった。その後、品薄が続いていてなかなか手に入らなくなったのでおそらく価格も跳ね上がっていると思われる、と野暮なことを考えてしまうのは貧乏人の性なのだろうか。

 2025年も残すところ一週間を切ったが、とりあえず今年読んだ本の中からベスト10を選んでみた。取り上げた書物のうち、何冊かについてはいずれまとまった書評を書くことにしたい。

 まず、今回はベスト1~5を取り上げる。

 

1. 中島岳志『縄文』(太田出版)

 タイトルにつられて縄文時代の人びとの生活様式やその歴史的意義などを解明している本だと思うと期待外れに終わる。ひと言で言って、この本は序章のタイトルにあるように「戦後日本が『縄文』に見ようとしたもの」を論じた書物である。要するに戦後日本人の精神史を扱った本である。

 岡本太郎、民芸運動の柳宗悦、ヤポネシア論の島尾敏雄、共同幻想論の吉本隆明、オカルトとヒッピー、左翼から右翼へと転向した太田竜、新京都学派の上山春平や梅原猛など、扱われている人物・現象は多岐にわたるが、それがまさに「縄文」を特徴づけていると言えるのである。そもそも、著者自身が「あとがき」で述べているように、本書の構想のきっかけになったのは安倍晋三元首相の妻・昭恵さんが森友学園の右派的な教育方針に賛同する一方で左派的な脱原発や無農薬栽培にも共感する姿勢がどのように繋がっているのかということである。昭恵さんは大麻の有用性と神秘性をも訴えており、そこに著者は自然志向に基づくスピリチュアリティとナショナリズムの結びつきを見るのであるが、調べていくうちに両者の間には大きな断絶があることも分かってきて、それが「縄文」についてのスタンスであるということになる。

 

2. 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中公新書)

 歴史学や社会科学では「主体か構造か」という問題がよく議論される。本書によれば「『ユダヤ人の歴史』の見どころは、ユダヤ人が構造と格闘したり、構造を前提にしてそれを活かす道を考えたり、複数の構造を組み合わせて第三のものを作り出したりするような、『主体と構造』が織りなす局面だ」(p.9)ということになる。本書はこの観点から『聖書』の時代からつい最近のイスラエルのネタニヤフの時代までのユダヤ人の歴史を「古代」、「古代末期・中世」、「近世」、「近代」、「現代」の各局面における「主体と構造」の組み合わせを軸として展開した書物である。

なお、シオニズムによって建国されたイスラエルを正統的なユダヤ国家ではないとして批判しているヤコブ・M・ラプキン著『イスラエルとは何か』(平凡社新書 管野賢治訳)も興味深い書物である。

 

3. 西田正規『人類史のなかの定住革命』(講談社学術文庫)

 人類が定住生活を始めたのは今から約1万年前のことだが、従来、その原因は食料生産(農耕)が始まったことであるとされてきた。本書の著者はこの通説を正面から批判する。著者の疑問は、定住生活を始めるにはゴミや排泄物の処理、死体を埋葬するための墓地の設置といった問題、さらには不和が生じたときに容易に別の場所に移動できないといったことなど、遊動生活では問題にならなかった様々なことを処理しなければならないが、数百万年ものあいだ狩猟採集を行いながら遊動生活を送ってきた人類が定住に伴うそんな面倒なことをわざわざ行おうと思っただろうかということである。つまり、人類が定住生活に入っていったのは自ら進んで行ったことではなく、そうせざるを得ない事情が約1万年前に生じたのだということである。それは何か…。ひと言で言うと、氷河期が終わったことに伴う地球温暖化であり、農耕が始まったということなのではない。むしろ、農耕は定住生活をするようになったあとで始まったというのが著者の主張である。素人の私には著者の主張が正しいかどうかの判断はつかないが、興味深い議論で説得力があるようには思われた。

 

4. 上山春平『埋もれた巨像』(岩波書店 同時代ライブラリー)

 日本の歴史において8世紀初頭は律令(大宝律令)、正史(日本書紀)、都城(平城京)といった最高度に重要なモニュメントが姿をあらわした時代であるが、そのすべてに中心的な存在として関わったのは藤原不比等であるというのが著者の主張である。つまり、その後の日本という国家のグランドデザインを描いたのは藤原不比等であるということなのだ。不比等って、あの藤原鎌足の息子の…ということで、まず、この点に驚かされるのであるが、それを仕掛けたのは持統天皇であるという点に二度びっくりさせられる。だって、藤原不比等は壬申の乱において天武天皇の敵であった大友皇子の側に属していたからである。つまり、持統天皇の敵だったはずなのだが…。著者は資料をじっくり読み解きながらこういった疑問を一つ一つ解明していくのであるが、そのプロセスもじつに興味深い書物である。

 

5. 朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞出版)

 

 今年読んだ小説の中で最も面白かった小説。「推し活」という言葉が一般的になった現代。主な登場人物は3人。「推し活」に夢中になる人たち、それを仕掛ける人たち、かつて推し活にのめり込んでいた人たち。彼らの姿を通じて現代社会の病理とも言える側面を見事に剔抉した小説であるというのが私の感想。

推し活を仕掛けるチームのリーダー的存在である国見の発言。

「このチームの本来の目的は、彼らの物語を人が最も没入しやすい形に整えて差し出すこと、なんです。その上で、最も共感力が高く、自他の境界が曖昧で、視野を狭めやすい気質のファンをあぶり出し、より先鋭化させることなんです。」(p.169)

 

監督:トーマス・ステューバー

キャスト

 フランツ・ロゴフスキ(クリスティアン)

 サンドラ・ヒュラー(マリオン)

 ペーター・クルト(ブルーノ)

 アンドレアス・レオポルト(ルディ)

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旧東ドイツの巨大スーパーを舞台に、社会の片隅で助け合う人々の日常を穏やかにつづったヒューマンドラマ。旧東ドイツ生まれの作家クレメンス・マイヤーの短編小説「通路にて」を、同じく旧東ドイツ出身のトーマス・ステューバー監督が映画化した。ライプツィヒ近郊の田舎町に建つ巨大スーパー。在庫管理係として働きはじめた無口な青年クリスティアンは、一緒に働く年上の女性マリオンに恋心を抱く。仕事を教えてくれるブルーノは、そんなクリスティアンを静かに見守っている。少し風変わりだが素朴で心優しい従業員たち。それぞれ心の痛みを抱えているからこそ、互いに立ち入りすぎない節度を保っていたが…。「未来を乗り換えた男」のフランツ・ロゴフスキが主演を務め、ドイツアカデミー賞で主演男優賞を受賞。マリオン役に「ありがとう、トニ・エルドマン」のサンドラ・ヒュラー。2018年・第68回ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品。(「映画.com」より)

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 映画のストーリーは「映画.com」で紹介されているとおりである。ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが再統一されたあとのドイツ。映画は巨大スーパーで働く人たちの姿を淡々と描いていく。再統一前は東ドイツであったこの地にはトラック運送会社があった。それを再統一後に旧西ドイツのスーパーマーケット企業が買い取ったのであろう。ブルーノやルディなど年配の従業員は再統一前はそのトラック運送会社で働いていた人たちである。

 映画はクリスティアン、マリオン、ブルーノという登場人物の姿を描いているのだが、何か特別な出来事が起きるわけではない。登場人物たちは誰も多くを語らないが、冷たく突き放しているわけではない。逆だ。必要以上に立ち入らないが、心優しい人たちなのだ。新入りで在庫管理係に配属されたクリスティアンがフォークリフトの免許を取ったとき、巡業員たちが拍手をして祝ってあげるシーンがある。家族のようでもあるのだ。

 この映画のポイントはスーパーの従業員たちは旧東ドイツに属していた人たちだというところにある。彼らが旧東ドイツの政治体制についてどのように思っているのかは描かれてはいないが、必ずしも再統一後の体制を心から歓迎しているわけではないのだろう。映画の終盤。ブルーノがクリスティアンに言う。「トラックの時代。いつもツルんでた。楽しい時代だった。そして、再統一。」これは社会主義という政治体制への郷愁ではないだろう。貧しかったけれど、仲間たちと一緒に楽しく働いていた時代への郷愁なのだ。「長距離トラックが懐かしい。…今はフォークリフトの運転だ」ブルーノのこの言葉は再統一後の東西格差によって旧東ドイツの人たちが二級市民として扱われていることへの無念さのつぶやきなのだ。東西分裂時代のドイツを知らない若いクリスティアンがブルーノのこの言葉をどのように受け取ったのかは分からないが…。

 ラストシーン。ルディがクリスティアンに言う。「何があろうと前に進まないとな。…試用期間は終わりだ。飲料部の新しい責任者だ。」タイトルの『希望の灯り』は日本の配給会社による命名だが、監督は若いクリスティアンに「希望の灯り」を託しているのだろうか。

 マリオン役を演じたサンドラ・ヒュラーについてひと言。サンドラ・ヒュラーが出演している作品を観るのは『落下の解剖学』、『関心領域』に次いで本作が三本目だが、どの役柄を演じても嵌まる女優で、『ありがとう、トニ・エルドマン』など他の作品も観てみたくなったという感想を持った。

 社会主義か資本主義かのどちらかの体制を選べと言われれば、躊躇なく私は後者を選ぶし、この映画が社会主義のプロパガンダでないことは明らかだが、同時に、私は半年前に観た『ラスト・マイル』を思い出していた。利益がすべて、タイパがすべてという巨大物流センターを描いた作品なのだが、この映画についてはこのブログで取り上げたことがある。

 

https://ameblo.jp/traininglong/entry-12910935627.html

11月に観た映画・寸評4

 

『うなぎ』(1997年 日本)

 監督:今村昌平

 キャスト:役所広司 / 清水美沙

 

 

 浮気した妻を殺害して服役した男(山下拓郎)が刑務所を出所したあとも他人に対して閉ざしていた心を一人の女性との出会いによって心を開くまでの過程を描いた作品。冒頭の妻を殺害するシーンが非常に凄惨な描き方なのでかなりシリアスな展開になるだろうと思ったが、意外にもコミカルな描写をも含むヒューマンストーリーだった。冒頭の妻を殺害するシーン。山下は包丁で何度も何度も執拗に妻の体を突き刺す。心の底から愛していた妻に裏切られた絶望感が伝わってくる。出所するシーン。刑務官が大きなビニール袋に入れた一匹のうなぎを山下に手渡す。服役中に山下が飼っていたうなぎだ。奇妙に思う保護観察官に山下は言う。「私の話をよく聞いてくれるんです。それに、余計なことは言わないし。」山下にとって唯一心を開くことができる相棒なのだ。出所後の山下は服役中に取得した理髪師の免許を活かして廃屋寸前の理髪店を改装して床屋を開く。山下にとって水槽に入れたうなぎだけが唯一心を開くことができる相手だ。そして、ある日、自殺を図ったひとりの女性を助けることから徐々に山下の心が開かれていく。

 水槽のうなぎは山下の心象風景の象徴だ。近所に住む船大工が川で獲ったうなぎを分けてあげるという申し出を断るシーンがある。彼にとってうなぎは食用ではないのだ。その山下が終盤で飼っていたウナギを川に戻してあげる。狭い水槽に閉じ込められていた山下の心は広い川で自由に泳ぎ出したのだ。心を開くことができる相手にめぐりあえたことによって。

 今村監督の映画と言えば、人間の心の深淵に潜むどろどろとした部分をえぐり出す作品が多いがこの映画はそれらとは少しテイストが異なる。山下を取り巻く人々の描き方などは寅さん映画を彷彿させるものがあるが、それも一興と思わせる作品であった。