大木毅『独ソ戦』(岩波新書 2019年)
本書は2020年の「新書大賞」第1位に輝いた書物で,今回が再読になるが,何度も読み返すだけの価値のある書物だと言ってよいだろう。
1941年6月22日,ナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻し,1945年5月まで続いた「独ソ戦」は民間人も含めて数千万におよぶ死者を出した大惨禍で,第二次世界大戦の中でも最も悲惨な戦いであったが,著者の大木毅によれば,研究者を除く多くの人々にとっては必ずしもその実象が正確に伝えられてきたとは言えないものである。それは戦後におけるソ連,ドイツ両国のこの戦争に対する解釈がいろいろな事情のせいで歪められたためであり,その点を是正することが著者による本書執筆の主要な動機だということだ。したがって,著者の目的は「独ソ戦」に関して「史実として確定していることは何か,定説とされている解釈はどのようなものか,どこに議論の余地があるのかを伝える,いわば独ソ戦研究の現状報告を行うこと」(本書「はじめに」より)にある。
戦後,ソ連はこの戦争を「大祖国戦争」と名付け,ソ連邦を構成する諸国民がファシストの侵略を撃退し,輝かしい勝利によって共産主義イデオロギーに基づく体制の優位を示したものとし,そのことによって「対独戦の正当性」 (p.117)を主張した。しかし,著者によれば,そのような正当化によって「対独戦は,通常の戦争ではなく,イデオロギーに規定された,交渉による妥協など考えられぬものとなって」(pp.117-118)いったのであり,「捕虜に対する対応も,決して戦時国際法にかなう人道的なものではなかった。」(p.119)ということになる。
一方,戦後の西ドイツでは,ナチ犯罪・戦争犯罪という面でも,対ソ戦の責任はヒトラー一人に押しつけられ,国防軍の関与はなかったという歪められた独ソ戦像が描かれてきた。これについて,著者はナチズム運動がヒトラーの「プログラム」に沿って行われたとする「プログラム学派」を取り上げ,「それによれば,ナチズムの現実は,ただ一人の男の恣意と妄想の産物に帰せられてしまう」(p.83)としてこれを批判する。
ヒトラーは東方植民地帝国の建設を戦争目的に据えてはいたが,その実現のためには,官僚や国防軍の幹部,さらにはさまざまな専門家による政策立案が必要なことも確かであり,本書は戦争のいろいろな局面で彼らがどのような提言をし,またその役割を果たしたかということが史料に基づいて具体的に述べられていて著者の主張を裏付けている。要するに,著者の主張は「ヒトラーの『プログラム』だけでは,ナチズム体制を完全に説明することはできず,その社会的機能も分析しなければならない」(p.84)ということである。しかしながら,その一方で著者は「ヒトラーの理念を無視して,ただ機能的な面から,ナチス・ドイツの歴史を理解することも不可能である」(p.84)とも述べており,「ヒトラーの理念」についても多くのページ数を割いている。その理念こそがナチス・ドイツにとっての「独ソ戦」の性格を明らかにするものだからである。
著者によれば,ナチス・ドイツにとってはこの戦争は「通常戦争」,「収奪戦争」,「世界観戦争」という3つの側面から成り立っている。「通常戦争」とは,「軍事的合理性にもとづき,対手の継戦意志をくじくことによって,戦争終結をみちびこうとする」(p.78)性格の戦争であり,また,「捕虜取扱における戦時国際法の遵守や非戦闘員の保護」(p.89)に違反しない戦争である。「収奪戦争」とは,東方植民地帝国の建設という構想の実現のための「東部総合計画」と並んでソ連占領地域からの食料の収奪を目的とする戦争である。(pp.90-98) 「世界観戦争」とは,「絶滅戦争」であり,「軍事的勝利のみならず,彼らが敵とみなした者の絶滅を追求する戦争」(p.99)である。
著者によれば,フランスやイギリスとの戦争,さらには対ソ戦の初期には上の3つが並行する形で進められたが,ドイツにとって戦局が悪化するにつれて,「収奪戦争」と「絶滅戦争」の色彩が濃厚になり,「通常戦争」の基本にあった軍事的合理性が希薄になっていったのである。この点を典型的に表しているのが戦争末期におけるヒトラーと陸軍参謀総長ツァイツラーや南方軍集団司令官マンシュタインとの対立である。ツァイツラーやマンシュタインが軍事的合理性にしたがって敵に空間を差し出すことで体制立て直しや反攻準備のための時間をかせぎ,妥協による講和を導くために退却を進言したのに対し,ヒトラーは「世界観戦争」,「収奪戦争」を優先して断固それを拒否したのである。つまり,「ヒトラーは,敗北直前になってもなお,対ソ戦を交渉によって解決可能な通常戦争に…引き戻す努力をするつもりなどなかった。『世界観戦争』を妥協なく貫徹するというその企図は,まったく動揺していなかったのである。」(p.210)
さらに著者は戦局がこのような絶望的な状況になっているにもかかわらずドイツ国民がなぜ抗戦を続けたのかについて,ナチスが収奪戦争によって「高い生活水準の保証と社会的勢威の上昇の可能性」(p.211)を与えていたからだ,つまり,ドイツ国民はナチスの「共犯者」だったからであるとしている。これは従来の連合国による無条件降伏の要求に対する屈辱やナチスの秘密警察による統制がその理由であるとする理解を否定するものであるが,さらなる検証の余地があるのではないだろうか。
今回のレビューではあまり触れなかったが,本書は,軍事的な展開の叙述にもかなりのスペースを割いており戦局の推移も非常に分かりやすく説明されていて,新書の体裁を取ってはいるものの非常にレベルの高い論考なので,未曾有の惨禍をもたらしたこの戦争について考えるには恰好の書物であるとともに,現在進行しているウクライナ戦争について考えるための一つの手がかりをも与えてくれるのではないかという気もする。本書によると,ナチス・ドイツが開戦を決意したのは1940年12月18日である。もちろん,東方植民地帝国の建設という構想が背景にあったものの,直接の動機はソ連がフィンランドに侵攻してカレリア地方を割譲させたことであり,「ソ連が国境を西に動かそうと努めていたことは明白であった」(p.16)。つまり,ドイツにとってソ連が侵攻してくるのではないかという危機意識がソ連侵攻につながったと言えるだろう。一方のソ連はどうかと言えばスターリンの大粛清によって軍隊が弱体化していてドイツに侵攻する可能性は低く,スターリンが各国に潜伏させておいたスパイたちからの無数の警告にもかかわらずドイツの侵攻を信用しなかったために,開戦当初,ドイツが採用した「電撃戦」により驚異的な進撃を許す結果になった。もしこのことがロシアにとってのトラウマとして残り,プーチンがソ連崩壊後のNATO加盟国の拡大をドイツの侵攻に重ね合わせたことが国際法に照らして絶対に許されないウクライナ侵攻の一つの要因であったとすれば,歴史に学ぶことがいかに重要であるかを痛感せざるを得ないのである。






