ロードでのフルマラソンのPBが4時間ちょうど。トレイルでもほどほど。山岳ウルトラでの最高走行距離71Kという、どこにでもいる市民ランナーな私が偉そうに講釈垂れるのは気が引けるが.....自分自身、「ベアフット系履き物」の魅力に、ここ4ヶ月ほどはまっている。
近年のランニング界において、ベアフット、またはベアフット的履き物(足袋であるとかサンダル等、シューズの形態から外れた者まで含め)を「良し」とするか/否か?は、まるでマルチンルターの宗教改革的ランニングイデオロギー。または、歴史的宗教 vs 新興宗教的センシティブさを感じさせる。ビブラムファイブフィンガーの効能に対する訴訟問題が発展する米国など、もう、端から見ていて「病気ですか?」という感じ。クリストファー・マクドゥーガルのベストセラー Born to Run へのアンチテーゼ臭がする。ま、あの本事態、米国的センセーショナリズム断定に充ち満ちていて、心にじーんとしみいるストーリーと「コイツ何様?」ならせん二重構造であったけれど。
自分の周りでも、自分個人として「ベアフット系」を履いて楽しむ分には問題ないが、ラン友に「いいわよぉ~」と漏らしてしまうと突然、友が半歩後ろに引く感じ。いやはや、異端者となりつつある自分を感じる。信仰するのは個人の勝手だが、布教(と思われる行動は)するべからず!
私の場合、「ベアフット系」を日々のランニングに取り入れて以来、長年の悩みであった股関節の痛みと、昨年末から出た座骨神経痛から解放された。だから、効果、というか、ご利益あったから、ベアフットに転んでしまった訳だ。ベアフット系とシューズ、履く頻度は半々。長距離を走る日は、今でもシューズを履いている。履き物変えたから痛みが治まったとは思っていない。走り方を変えたことが、根本的変化の元だと確信している。
単なる思い込みだが、着地がフォアフットか?かかとか?なんて問題ではない(シューズ履くとかかとの厚みで、自然にかかとが先に地面に触れるし)。シューズを履いていた時は身体の重心より前で着地していたものが、ベアフット系で走って、重心の真下で着地する感覚を自覚出来たことが一番大きい。いろいろな書物や雑誌で「重心の真下着地」について知識を得ていたが、シューズを履いている限りそれを試みても出来ているか/いないかを実感出来なかった。一方ベアフット系履き物は自分の走り方がシビアに感じられ、重心の前着地と真下着地の違いがハッキリと身体で体感出来る。
ベアフット系履き物は、自分の走り方をより直接的に感じられるところが優秀なのだと思う。
ま、布教すると友だちをなくしかねないので自粛しよう。自分自身にとって、痛みや故障から解放されたのだから、それで充分ではないか。
ところで、ミニマリストという言葉も最近よく見かける。ミニマムランニング。ハイテク機材やギア、シューズやサプリ、トレーニング計画から自由になる。最小限のものだけ身につけて、心のしがらみも軽く軽くして走る。ということだろう。ミニマリストの多くはベアフット系であるようだが、その逆、ベアフット系がすなわちミニマリストかどうか?そうじゃない場合があるし、自分自身、ベアフット系だけどミニマリストにはなれない。
元々、ランニングに限らずギアやガジェット大好き!駆使してはいないけど、何を買ってもある程度まで使いこなすことを是とするポリシー。サプリも愛用している。新しいもの大好き。であるからして、ベアフット系履き物というのも自分にとっては、使いこなしたいギアのひとつなのだ。
いや、これは危ないぞ。ヘタをすると穏健派のお友だちから見ると「尖ったベアフット」で、ミニマリスト/ベアフットのみなさんの目には「堕落した走資派」と映るかも。うむむむむ。どこにも居場所がなくなるって。むむむむむむむ。
近年のランニング界において、ベアフット、またはベアフット的履き物(足袋であるとかサンダル等、シューズの形態から外れた者まで含め)を「良し」とするか/否か?は、まるでマルチンルターの宗教改革的ランニングイデオロギー。または、歴史的宗教 vs 新興宗教的センシティブさを感じさせる。ビブラムファイブフィンガーの効能に対する訴訟問題が発展する米国など、もう、端から見ていて「病気ですか?」という感じ。クリストファー・マクドゥーガルのベストセラー Born to Run へのアンチテーゼ臭がする。ま、あの本事態、米国的センセーショナリズム断定に充ち満ちていて、心にじーんとしみいるストーリーと「コイツ何様?」ならせん二重構造であったけれど。
自分の周りでも、自分個人として「ベアフット系」を履いて楽しむ分には問題ないが、ラン友に「いいわよぉ~」と漏らしてしまうと突然、友が半歩後ろに引く感じ。いやはや、異端者となりつつある自分を感じる。信仰するのは個人の勝手だが、布教(と思われる行動は)するべからず!
私の場合、「ベアフット系」を日々のランニングに取り入れて以来、長年の悩みであった股関節の痛みと、昨年末から出た座骨神経痛から解放された。だから、効果、というか、ご利益あったから、ベアフットに転んでしまった訳だ。ベアフット系とシューズ、履く頻度は半々。長距離を走る日は、今でもシューズを履いている。履き物変えたから痛みが治まったとは思っていない。走り方を変えたことが、根本的変化の元だと確信している。
単なる思い込みだが、着地がフォアフットか?かかとか?なんて問題ではない(シューズ履くとかかとの厚みで、自然にかかとが先に地面に触れるし)。シューズを履いていた時は身体の重心より前で着地していたものが、ベアフット系で走って、重心の真下で着地する感覚を自覚出来たことが一番大きい。いろいろな書物や雑誌で「重心の真下着地」について知識を得ていたが、シューズを履いている限りそれを試みても出来ているか/いないかを実感出来なかった。一方ベアフット系履き物は自分の走り方がシビアに感じられ、重心の前着地と真下着地の違いがハッキリと身体で体感出来る。
ベアフット系履き物は、自分の走り方をより直接的に感じられるところが優秀なのだと思う。
ま、布教すると友だちをなくしかねないので自粛しよう。自分自身にとって、痛みや故障から解放されたのだから、それで充分ではないか。
ところで、ミニマリストという言葉も最近よく見かける。ミニマムランニング。ハイテク機材やギア、シューズやサプリ、トレーニング計画から自由になる。最小限のものだけ身につけて、心のしがらみも軽く軽くして走る。ということだろう。ミニマリストの多くはベアフット系であるようだが、その逆、ベアフット系がすなわちミニマリストかどうか?そうじゃない場合があるし、自分自身、ベアフット系だけどミニマリストにはなれない。
元々、ランニングに限らずギアやガジェット大好き!駆使してはいないけど、何を買ってもある程度まで使いこなすことを是とするポリシー。サプリも愛用している。新しいもの大好き。であるからして、ベアフット系履き物というのも自分にとっては、使いこなしたいギアのひとつなのだ。
いや、これは危ないぞ。ヘタをすると穏健派のお友だちから見ると「尖ったベアフット」で、ミニマリスト/ベアフットのみなさんの目には「堕落した走資派」と映るかも。うむむむむ。どこにも居場所がなくなるって。むむむむむむむ。