ありがとう、RVR
諸事情により、愛車の三菱RVRを手放すことにした。
これが見納め、このあと、車屋さんに持っていった。
嫁からは「トンボみたい」と言われていた顔。
最後に手洗いで、きれいに洗車した。我ながらよく大事にしたもんだ。


82511km乗った。思い出がつまりすぎている(*v.v)。
富山へ移住する、ちょうど5年前、東京のディーラーで購入。
東京生活が長かったので、人生初の新車となった。
東京を発つまで、ディーラーの駐車場に置いてもらい、
引越し当日、残りの荷物を載せて、嫁と一緒に富山までいきなりのロングドライブ、慣れないクルマでドキドキもんだった。(((( ;°Д°))))。

【2010年5月、定休日の三菱自動車にて記念撮影】
新天地での生活と仕事開拓に、胸がいっぱいだったことを覚えている。
富山へ行くことは、人生において、最大級の決断だった。
そして、富山生活5年間の足として、大活躍してくれたわけだが、
思い出が詰まりすぎて、心が痛くなる。
僕は、乗り物を単なる「マシン」として割り切れないところがある。
エヴァのように、ドライバーの意識とシンクロしながら動いている気もしているし、話しかけてくるようにも感じる。
その筐体を変えながら、クルマの意思が乗り移っていくという感覚もある。
そこで、思い出に残すためにも、
三菱RVRの5年間のインプレッションをまとめてみた。
<外観デザイン>
○5年間、まったく飽きなかった。未だにカッコいいと思う。
○フロントから見ると大きく見えるが、うしろから見ると小さく見える。
○オプションのグラストップ、見た目は良いが、実用性はない。(夏暑い、冬寒い)
<インテリア・機能>
○最初は安っぽいと思ったが、飽きがこなかった。
○本革シートだが、どこか安っぽい。シートの形状のせいかも。
○クルマのサイズ以上に広い。足元のびのび。
○三菱純正のナビ、なかなか不親切だと思った。直前で案内終了。
○オプションのオーディオの音が良い。大音量で聞くのが楽しかった。
○パドルシフト、スポーツカーではないが、あると楽しい。
○メーターまわりが非常に見やすい。
○ハンズフリーの操作性に慣れず、電話機能は着信専用で使っていた。
○見た目以上にラッゲージが広いので、大きなものを運ぶのに便利。

【RVなのにパドルシフト、っていう設定が新鮮だった】
<操作性・燃費>
○嫁のミニクーパーと比べて、直進安定性が悪いと思った。
※国産車と輸入車の違いでよく言われること。
○ハンドル操作と、実際の曲がり方のダイレクト感がいまいち。
○高速を4WD設定で走ると安定していて、あまり疲れない。
○ロールは気になる。ハンドルの切り替えしはモッサリしている。
○ブレーキの効きが悪い。車間を取るクセができたくらい。
○視界が良いので、車線変更やバックが楽。
○トータル燃費は9.8km/l、まちなか9.0km/l、高速道11km/lくらい。

【富山~新潟、どんだけ高速道を往復したことか】
<パワー・スピード>
○わざとじゃないんか、と思うほどパワーがない。電子制御かな。
※いつもパドルシフトで、ひっぱりながら走るクセができた。
○まちなかの出だしが、多少のストレス。
○高速道でスピードに乗って走ると楽!100km/hから良く伸びる。
※まちなかのストレスがウソのよう。
○坂道、めっちゃ非力です。
<雪道の性能>
○さすが三菱、素晴らしいと感心する。
○他社の4WDのクルマが苦労している雪道をスイスイと走破する。
○大雪が降っている高速道路での安心感は素晴らしい。
○50、60cm積もった駐車でも、ワイルドに突っ込んでいける。
○ダイヤルで選択できる「4WDロック」という設定は雪道では最強。
○ちなみに、凍った道はタイヤの性能に依存する。

【新潟県の奥地まで、ガンガン行ける頼もしいヤツ】
やぱっり、嫁とのドライブが一番印象に残っている:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
あとは、夜中の高速道路だなー。仕事で新潟県によく通った。だいたい夜にワークショップや会議があったりして、10時頃から帰るというパターンが多かった。
富山に来て1年目は、とにかく県内色々なところを見てまわった。人に会いに行った。思いが伝わらずに、仕事にならずに、悔しい思いをして運転しながら泣いたこともあった。あー、もー、懐かしいー。
大好きなクルマだった。
ホントに、ホントに、今までありがとう。
これが見納め、このあと、車屋さんに持っていった。
嫁からは「トンボみたい」と言われていた顔。
最後に手洗いで、きれいに洗車した。我ながらよく大事にしたもんだ。


82511km乗った。思い出がつまりすぎている(*v.v)。
富山へ移住する、ちょうど5年前、東京のディーラーで購入。
東京生活が長かったので、人生初の新車となった。
東京を発つまで、ディーラーの駐車場に置いてもらい、
引越し当日、残りの荷物を載せて、嫁と一緒に富山までいきなりのロングドライブ、慣れないクルマでドキドキもんだった。(((( ;°Д°))))。

【2010年5月、定休日の三菱自動車にて記念撮影】
新天地での生活と仕事開拓に、胸がいっぱいだったことを覚えている。
富山へ行くことは、人生において、最大級の決断だった。
そして、富山生活5年間の足として、大活躍してくれたわけだが、
思い出が詰まりすぎて、心が痛くなる。
僕は、乗り物を単なる「マシン」として割り切れないところがある。
エヴァのように、ドライバーの意識とシンクロしながら動いている気もしているし、話しかけてくるようにも感じる。
その筐体を変えながら、クルマの意思が乗り移っていくという感覚もある。
そこで、思い出に残すためにも、
三菱RVRの5年間のインプレッションをまとめてみた。
<外観デザイン>
○5年間、まったく飽きなかった。未だにカッコいいと思う。
○フロントから見ると大きく見えるが、うしろから見ると小さく見える。
○オプションのグラストップ、見た目は良いが、実用性はない。(夏暑い、冬寒い)
<インテリア・機能>
○最初は安っぽいと思ったが、飽きがこなかった。
○本革シートだが、どこか安っぽい。シートの形状のせいかも。
○クルマのサイズ以上に広い。足元のびのび。
○三菱純正のナビ、なかなか不親切だと思った。直前で案内終了。
○オプションのオーディオの音が良い。大音量で聞くのが楽しかった。
○パドルシフト、スポーツカーではないが、あると楽しい。
○メーターまわりが非常に見やすい。
○ハンズフリーの操作性に慣れず、電話機能は着信専用で使っていた。
○見た目以上にラッゲージが広いので、大きなものを運ぶのに便利。

【RVなのにパドルシフト、っていう設定が新鮮だった】
<操作性・燃費>
○嫁のミニクーパーと比べて、直進安定性が悪いと思った。
※国産車と輸入車の違いでよく言われること。
○ハンドル操作と、実際の曲がり方のダイレクト感がいまいち。
○高速を4WD設定で走ると安定していて、あまり疲れない。
○ロールは気になる。ハンドルの切り替えしはモッサリしている。
○ブレーキの効きが悪い。車間を取るクセができたくらい。
○視界が良いので、車線変更やバックが楽。
○トータル燃費は9.8km/l、まちなか9.0km/l、高速道11km/lくらい。

【富山~新潟、どんだけ高速道を往復したことか】
<パワー・スピード>
○わざとじゃないんか、と思うほどパワーがない。電子制御かな。
※いつもパドルシフトで、ひっぱりながら走るクセができた。
○まちなかの出だしが、多少のストレス。
○高速道でスピードに乗って走ると楽!100km/hから良く伸びる。
※まちなかのストレスがウソのよう。
○坂道、めっちゃ非力です。
<雪道の性能>
○さすが三菱、素晴らしいと感心する。
○他社の4WDのクルマが苦労している雪道をスイスイと走破する。
○大雪が降っている高速道路での安心感は素晴らしい。
○50、60cm積もった駐車でも、ワイルドに突っ込んでいける。
○ダイヤルで選択できる「4WDロック」という設定は雪道では最強。
○ちなみに、凍った道はタイヤの性能に依存する。

【新潟県の奥地まで、ガンガン行ける頼もしいヤツ】
やぱっり、嫁とのドライブが一番印象に残っている:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
あとは、夜中の高速道路だなー。仕事で新潟県によく通った。だいたい夜にワークショップや会議があったりして、10時頃から帰るというパターンが多かった。
富山に来て1年目は、とにかく県内色々なところを見てまわった。人に会いに行った。思いが伝わらずに、仕事にならずに、悔しい思いをして運転しながら泣いたこともあった。あー、もー、懐かしいー。
大好きなクルマだった。
ホントに、ホントに、今までありがとう。
腰痛と砂糖

uchikawa六角堂のスイーツはすべて有機で精製しない砂糖
腰痛でお悩みのあなた、このブログにたどり着いたのはラッキーです(°∀°)b
アトピーが、化学物質をカラダから排出しようとする機能だということは、自分のカラダを使って長年実験した結果なので、間違いありません。
今度は憎っくき「腰痛」の話です。
僕は長年、この腰痛という現代病に悩まされてきました。
ストレスとか、座りすぎとか、鍛えてないからとか、色々な原因が推測できますが、何をやってもダメでした。もう、これは体質じゃないかと半ば諦めていたのです・°・(ノД`)・°・
そんな僕に、神様からのプレゼントがありました。
一昨年、ある日のこと、慌ただしく出勤準備をしている傍らで流れているTV番組のなかで、東洋医学の先生が「腰痛の原因は、ほぼ腸の不調ですね」というひとことが耳に飛び込んできた。
腸の不調…シャレのようだが、妙に気になるひとことだった。それから、ネットで色々と調べてみると、腰痛→腸の不調→砂糖の取りすぎ、というルールが見えてきた。
最初はもちろん、ウッソー!と思っていたんですが、どうやら原因と結果の黄金ルールのようです。
それから僕の人体実験がはじまりました(*v.v)。
まず、グラニュー糖を使った思われるケーキを食べ過ぎたところ、その日のうちに腰が痛くなりました。信じがたいのですが、どうやらこの法則は本当のようです。
無砂糖の日々を2週間ほど過ごすと、すっかりと腰が軽くなります。じゃ、うちの店のスイーツはどだろうかと、クレームブリュレとシフォンケーキをWで食べてみた。でも、腰が痛くならない。
多分、これは有機の精製していない砂糖だからだと推測してみる。
次にまた、誘惑に負けて他店のケーキを食べてみた。そして見事に腰が痛くなった。これは凄い発見です!!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
それからというもの、禁砂糖生活を送り、ほぼ1年間、腰痛とは無縁の毎日を送ったのです。神様ありがとうと思った♫
しかし、人間とは愚かです。腰痛と砂糖の因果関係のことをすっかりと忘れてしまい、つい先日、頂き物の美味しそうなチョコを食べてしまった。しかも、一度に板チョコ、まるごと全部!
見事にきましたね。一昨日から急に腰が痛い…。そして、今朝はMAX痛いです。
僕の場合、腰痛の原因は、ズバリ、砂糖の過剰摂取です!
もし、気になるようでしたら、試してみてください。
今日も、健康よ(じゃないけど)、ありがとう。
父上、お疲れさま

2014年12月21日午後1時11分、義父がコチラからアチラへ行ってしまいました。今までの人生でもっとも身近に感じた死です。決して行き来のできない線の、コチラとアチラのことを強く意識しました。
目を閉じたまま、スヤスヤと寝ているようにも見える義父の顔を見ながら、必ず自分にもこの瞬間がやってくることをリアルに自覚しました。
同時に「いつか死ぬことを心から理解できることが、日々の生への感謝につながるんだろう」という気持ちが、何かの文章を読んでいるかのようにわき上がってきました。
たった4年足らずの親子の交流…、本当の息子のように可愛がってくれました。
実父とは43年間も親子の関係ですが、酒を酌み交わし、世間の、世界の、色々なテーマの話をするような機会はありません。ましてや、イベントのお手伝いをしてもらったり、一緒に立山に登ったり、食事をしたり、店に遊びに来てくれたり、共通の知人が沢山できたり、そんなことはちょっとありえない世界です。
そう思うと、実に密度の濃い4年足らずの時間を過ごしたように思えます。多少の親孝行もできたのかなと、自分を納得させてみたり。
仕事が同じような業界だったのもあって、何をやるにしても、とても近い距離から応援してくれていました。僕のような人間でも、我が息子として誇りに思ってくれていたようでした。
嫁も交えた3人で、よく飲みながら議論しました。論理的なことが、そう得意ではない僕にとっては、とても面倒な人だと思えましたが、思ったことをすぐに口にできる性格が羨ましくもありました。人の評価など気にせず、言いたいことを言いたいように表現する様に、勇気をもらいました。「それでいいんだ」と…。
好きな嫁を産み育ててくれたということだけで、義父と父母には感謝しているのですが、間接的に富山の地へ導いてくれたことへの感謝の気持ちもあるのです。
義父と最後に会ったのは、退院した翌日の12月6日、義父の誕生日のときです。その後、手術した病名とはまったく異なる原因で突然倒れ、その翌日に亡くなりました。
こんなことになるのならもっと…、人間って、こうやって後悔するものなんですね。でも、人生に「もしも」はなく、この現実がたった1つの結果なのです。ここから何を学び、どうより良くしていくかを考えないと、死んだ人が浮かばれないような気がします。
何よりも、義母のことを思うと可哀想でなりません。失ったものと引き換えに得たもので、まだ十分にある残りの人生を意味のあるものにしてもらいたいと思うのです。「お父さんのいない世界」という現実は変えられませんが、お父さんと過ごした数十年を違った見方で振り返って、知らなかった一面に出会うことはできないかなと思うのです。
義父は記録魔です。旅行やイベント、特別な日の思い出はもちろんのこと、自分の年表や家族の出来事、最近では入院中の記録まで、写真や文字、場合によっては映像で残します。こんな言葉を思い出します。「旅行は3回楽しむことができる、行く前の計画、行った先での予期せぬ出会い、行ったあとの記録で新たな発見」と。そこで思ったんです。義父が亡くなってからの時間は、義父がたっぷりと残してくれた記録をもとに、義父の新たな発見をしてはどうかと。
今頃は、魂だけの軽々とした存在となって、自由に色々なところを飛び回り、楽しんでいることでしょう。
不思議と、亡くなった人の魂を身近に感じるような感覚がありません。
やっぱり、地球をも飛び越え、宇宙を旅しているのでしょう。
こんなにはやくお別れを言うとは思いませんでしたが。
全身全霊をもって、感謝します。
父上よ、今まで、どうも、ありがとう。