父上、お疲れさま

2014年12月21日午後1時11分、義父がコチラからアチラへ行ってしまいました。今までの人生でもっとも身近に感じた死です。決して行き来のできない線の、コチラとアチラのことを強く意識しました。
目を閉じたまま、スヤスヤと寝ているようにも見える義父の顔を見ながら、必ず自分にもこの瞬間がやってくることをリアルに自覚しました。
同時に「いつか死ぬことを心から理解できることが、日々の生への感謝につながるんだろう」という気持ちが、何かの文章を読んでいるかのようにわき上がってきました。
たった4年足らずの親子の交流…、本当の息子のように可愛がってくれました。
実父とは43年間も親子の関係ですが、酒を酌み交わし、世間の、世界の、色々なテーマの話をするような機会はありません。ましてや、イベントのお手伝いをしてもらったり、一緒に立山に登ったり、食事をしたり、店に遊びに来てくれたり、共通の知人が沢山できたり、そんなことはちょっとありえない世界です。
そう思うと、実に密度の濃い4年足らずの時間を過ごしたように思えます。多少の親孝行もできたのかなと、自分を納得させてみたり。
仕事が同じような業界だったのもあって、何をやるにしても、とても近い距離から応援してくれていました。僕のような人間でも、我が息子として誇りに思ってくれていたようでした。
嫁も交えた3人で、よく飲みながら議論しました。論理的なことが、そう得意ではない僕にとっては、とても面倒な人だと思えましたが、思ったことをすぐに口にできる性格が羨ましくもありました。人の評価など気にせず、言いたいことを言いたいように表現する様に、勇気をもらいました。「それでいいんだ」と…。
好きな嫁を産み育ててくれたということだけで、義父と父母には感謝しているのですが、間接的に富山の地へ導いてくれたことへの感謝の気持ちもあるのです。
義父と最後に会ったのは、退院した翌日の12月6日、義父の誕生日のときです。その後、手術した病名とはまったく異なる原因で突然倒れ、その翌日に亡くなりました。
こんなことになるのならもっと…、人間って、こうやって後悔するものなんですね。でも、人生に「もしも」はなく、この現実がたった1つの結果なのです。ここから何を学び、どうより良くしていくかを考えないと、死んだ人が浮かばれないような気がします。
何よりも、義母のことを思うと可哀想でなりません。失ったものと引き換えに得たもので、まだ十分にある残りの人生を意味のあるものにしてもらいたいと思うのです。「お父さんのいない世界」という現実は変えられませんが、お父さんと過ごした数十年を違った見方で振り返って、知らなかった一面に出会うことはできないかなと思うのです。
義父は記録魔です。旅行やイベント、特別な日の思い出はもちろんのこと、自分の年表や家族の出来事、最近では入院中の記録まで、写真や文字、場合によっては映像で残します。こんな言葉を思い出します。「旅行は3回楽しむことができる、行く前の計画、行った先での予期せぬ出会い、行ったあとの記録で新たな発見」と。そこで思ったんです。義父が亡くなってからの時間は、義父がたっぷりと残してくれた記録をもとに、義父の新たな発見をしてはどうかと。
今頃は、魂だけの軽々とした存在となって、自由に色々なところを飛び回り、楽しんでいることでしょう。
不思議と、亡くなった人の魂を身近に感じるような感覚がありません。
やっぱり、地球をも飛び越え、宇宙を旅しているのでしょう。
こんなにはやくお別れを言うとは思いませんでしたが。
全身全霊をもって、感謝します。
父上よ、今まで、どうも、ありがとう。