会社の成長は、人の成長
先月、一身上の都合により、ある社員が突然辞めてしまいました。
理由を考えてみても、それは想像の域を超えることはなく、深く考えることはやめておきます。
さてと、これで何連敗でしょうか(´□`。)
仕事もあって、資金調達も順調です。うちの会社の課題は相変わらず、マンパワーのリソースが足りないこと。正直、人材マッチングがうまくいっていません。
ひとり辞めるごとに、それなりの教訓があります。その都度、ミスマッチの責任を感じて反省をします。なぜ、こうなってしまったか…。辞めた理由ではなく、1、2年しか続かない人を、なぜ採用してしまったのか、という点についての反省です。
色々と考えました。今後の弊社のために書き留めておくことにします。
<年齢とカルチャー>
一般的には35歳以上の採用は気をつけろ、と言われます。今の私なら「30歳以上の採用はやめておけ」とハッキリと言えます。社員が30人以上になるまでは、30歳以上の人は積極的に採用しないことに決めました。
35歳にもなると社会に出てから12年選手です。働いてきた環境や仕事内容によって、自身の世界観がある程度確立されて、それがカルチャーとして仕上がってきます。
そのカルチャーと、新しい会社のカルチャーの相性が悪ければ、いいパフォーマンスは発揮できず、会社もその人を上手く評価できません。カルチャーは、その人の常識が、異なる会社や仕事では非常識になるほどの価値観の違いを生み出します。
それならば、20代の若者と一緒に、会社のカルチャーをつくっていくほうが楽しいし、会社の成長につながります。一人前に仕事ができるようになるには時間がかかりますが、私は会社のカルチャーを育てるほうに力を入れるべきと気づいたのです。
こんな簡単?なことに気づくまで、7年もかかってしまいました。
<人がいるから仕事ができる>
仕事があるから人を取る、は順番が違います。しかし、今まではその順番で考えていました。でも、今ならハッキリと言えます…「会社の成長は、人の成長」です。
会社が成長したから、人を育てようという順番ではありません。いつでも仕事に飛びつける状態にしておくこと。これって、余裕のある大企業の戦略じゃないの?と一瞬思うのです。でも、小さな会社だからこそ、仕事づくりを一緒に取り組み、それそのものが人材育成になっていれば良いんです。
「社長、仕事ないっすかねー?!」という期間を楽しみ、一緒に仕事をつくる経験こそが、会社のカルチャーをつくる近道なのかもしれません。
<社員は、社長の1%しか仕事ができない>
それを聞いて「俺は同じくらい頑張っている!」と思う人はいます。でも実際は、どう頑張っても私の10%くらいしか仕事ができません。それでいいんですよ。逆に言うと、社員の10倍の仕事ができないと、社長は務まりません。
だから、自分の右腕になる人を雇う!!なんて発想はもう捨てたほうが良いと思ったのです。私の右腕に…、そんな優秀な人はいません。そう思ったほうが楽ですし、仕事ができない社員を見てもストレスが溜まりません。
ちなみに10倍という概念は、社員の2倍の時間を使って、5倍のスピードで事を進めているという感覚から来ています。もっと言うと「10倍のクオリティで」となると100倍の仕事をしていることになります。でも言い過ぎではないです。
だから、私の能力の1%の仕事ができれば、社員として合格なんじゃないかという割り切りができます。
儲かっている会社では、新人の100倍の報酬をもらっている社長は珍しくありません。例えば、年収250万円の100倍の、年収2億5千万の社長などざらにおります。昔は貰いすぎじゃん!と思っていましたが、今では当然かもしれないと思います。
私は、2、3倍です。情けない…(ノ_-。)
これからが勝負ですよ。いい会社をつくります!
今日も、情熱よ、ありがとう。
内川に3軒目のプロデュース
こちら、内川に新しくオープンした貸衣装店です。
店の名前はKIPPOと言います。浴衣や着物に着替えて、内川を散策して楽しむ提案型の観光スポットです。ここは古い町家をリノベーションした建物で、この度、トータルのプロデュースをさせて頂きました。六角堂にはじまり、次はma.ba.lab.、そしてKIPPOさんです。このような機会をくださり、大変感謝しております。
今から約5年前、六角堂をオープンすることができるのかどうか、ツテも、信用もない自分は、深い深い闇のなかで、もがいていました。素晴らしい内川の風景全体に心踊る一方で、次々と解体されていく空き家、それを目の前に、何もできない自分…。ため息しか出ない状況が2年ばかり続いたでしょうか。この時が自分の人生を変えた大事な2年間でした。
古い木造伝統工法の建物に、社会に価値あるものとして、再度、新しい人生を送ってもらう、そして本当の耐久年数が来るまで、人の役に立ってもらう、そういう思いをもって仕事をしています。木と土で出来た伝統的な建物は、日本人の魂を鍛え、整え、豊かな人生を送るための手伝いをしてくれます。
次のお仕事もすでに頂いており、もうブレている暇はありません。目先の経営はまだまだ大変で、生きていくのが精一杯なのですが、きっと大丈夫。この方向で大丈夫なのだと、根拠のない素敵な未来を描くのです:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
その先が見えなくても、まずは階段の一段目を上がってみればいい、そうすると一段上がった分の違った景色が見えるはず、そこでまた、二段目を上がり、そこで考えればいい、、、そんな思いを胸に、とりあえず進み続けます。
感謝の気持ちしかありません…、この度の人生に、ありがとう。
ついに内川にオフィス開業

ついに、あこがれだった「町家のオフィス」が現実のものとなった。
曳山が通る街道筋に面した古い町家を譲っていただき、オフィスとしてリノベーション、5月9日に新天地での営業を開始。
この建物との出会いは、古民家を調査する仕事の対象物件だったことにはじまります。すでに売りに出されていて、何組かの方が見に来たそうですが、買い手が決まっていなかった。その時は「調査をする」というミッションで関わっていたため、ここで仕事をすることになるとは当時想像もつきませんでした。
その一方、妻の会社、ワールドリー・デザインの事務所として、空き家になっている町家を見つけるというミッションをもらっていて、いい物件を探している途中でもあった。妻は以前二人で視察に行った丹波篠山で、女性の代表が務める会社の町家オフィスを見て以来、絶対に、内川に町家オフィスを持つんだと強く決心をしたのでした。
最初は、こじんまりとした建物をイメージして探していたため、この町家は大きすぎると決めつけていた。ところが、我が社も入居するし、イベントスペースもあったほうがいい、蔵も書庫に使える、細い通路で内川につながっている、などと冷静に考えてみると、かなりドンピシャな物件だった。
持ち主さんに譲っていただきたいという話を持ちかけたら、最初は戸惑っていたように思います。売りに出すとは言いながらも、本当にこんな古い家を人様に売っても良いものか…買った人が後で後悔するんじゃないか…と心配だったと、オフィスを見学されてから、当時の心の内を明かしてくれました。
物件が見つかったものの、施主となる妻の会社が融資を受けて建築するとなると、この町家をリノベーションするような予算を工面できるのかが心配だった。さらに言えば、ちゃんと返済していけるのかという心配もあった。この建物にするかどうかは、妻が決めることだったけど、僕の直感は「ここにすべきだ!」でした。
ですが、プロデュースを任された身としては責任があります。一度、建物を妻に見てもらって、その後は、ご近所さんの雰囲気も良いし、観光駐車場も近いし、仲良しのNPOさんの事務所も近いし、内川につながっているし、立派な蔵があるし、等々と妻にセールストークしてみたが、彼女は「(判断は)任せた!」と言って、その後の成り行きを見守り、売買契約の日に持ち主さんと会い、ポンと判子を押してしまった。なんて男前なんでしょ。
僕が経営するカフェの六角堂に続いて、今度は妻の会社と言えども、他人様の事務所のプロデュースをすることになり、この上なく幸せな気分を味わうことができた。
途中段階の様子は、マチザイノオトで紹介してます。
ひとまず、神様、ありがとう。