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曳山祭りを目前に、やっとアップできた③

 

<曳き出し間近、雨は止まず>

 

山蔵を出て、まずは町内にある気比住吉神社に向かった。雨は降り続き、神社に着く頃には法被がビショビショになっていた。

 

関係者全員が宮の境内に入り、社の前に並んだ。曳山の中山から聞こえてくるお囃子が鳴り止むまで頭をたれた。雨はずっと降り続けている。僕はたまたま松の下に立っていたため、滴り落ちる大粒の雫の重さを頭や肩に感じながら、巡行の無事を祈った。

 

祭りの無事については、この時間が一番重要だと直感的に感じた。だから曳子は、昼からでも夜からでも、つながる前には気比住吉さんで手を叩いたほうが良い。再びつながる前に、町内会で用意してもらった御神酒とかまぼこを口にしたことで、神事のはじまりの演出に一役買った気がした。

 

まずは湊橋まで行き、そこから町内曳きがスタート、その後は八幡様を目指して、浜通りをまっすぐに進んだ。段取りのよくわからない人間は、ただただ成り行きに身をまかせるだけ。イヤサー、イヤサーッ、という掛け声は、より一層の勢いを増し、元気良く出発した。

 

しかし、曳山は予想以上に重かった。この調子を最後まで続ける自信がない。前に6人、後ろに12人くらいの人数だったけど、明らかに力不足を感じた。半分くらいの人しか、力を出していないんじゃないかと疑うくらい、本当に重かった。早朝だから元気が出ないのか、夜のために力を温存しているのか、だいたいこんなものなのか、よくわからない。

 

中山で音頭を取っている若者の声も虚しく、曳山は思うように動かない。途中で世話役のような人に促されて、曳山につながってみると、なかなかの感触だった。車がゴロゴロと回って、つながっている手に響いてくる感じが気に入った。

 

八幡様に向かう導入、よくよく聞いてみると、中山に立っている子たちが、面白い言葉をしゃべっていることに気づいた。「おい、ケツたんぼ、ケツたんぼやぞ!」などと。後側をたんぼのある方向へ軌道修正するという事だけど、ここで言う「たんぼ」とは南側のこと。逆は「浜」と言って、海がある方向を指すようだ。先頭にいる誘導係の笛の音をよく聞き、動作をよく見て、曳子たちに的確な指示をします。まだ中学生か、高校生くらいに見える子たちだが、自分たちより一回りも二回りも年上の先輩たちには少々遠慮気味の指示。きっと、雰囲気をつくる重要な役目なんだろう…、しかし、相変わらずテンションの上がらない曳子たちの雰囲気を見て、心配になってきた。

 

大丈夫かな、神様。無事に終わりますように。

曳山祭りを目前に、やっとアップできた②

 

<朝5時半、曳山の蔵が前に魂が震えた>

 

今は、新湊の奈呉町に事務所があります。正直な気持ちは、奈呉町に来たばっかりだし、今年、曳山を観る側で満足しようと、祭りの直前まで、そう思っていました。

 

ところが数日前になって、自治会長さんのほうから「法被を貸すから曳山につながれ!」と言ってくれたことで、遠慮していた気持ちが吹っ飛んでしまいました。

 

さらに曳山委員長からも「つながってみられ」とお誘いを受け、すぐに法被を持ってきてくれたのです。奈呉町の法被を見て、すっかりテンションが上がってしまい、一気にお祭りムードに飲み込まれていきました。

 

委員長直々に曳子衣装の指導をしてくださり、前日の9月30日、嫁と一緒に指定の専門店で一式を揃えました。その瞬間から、曳山への愛着がより一層増してきて、今まで「それなりに好き」程度の自分を反省しました。

 

その夜、事務所のすぐ近くにある山蔵に行って、曳山の入魂式を見ました。自分の気持ちの変化で、こんなにも曳山が輝いて見えるのか…。明日、この曳山へつながるんだと思ったら、この瞬間に導いてくれた、すべての存在に感謝の気持ちが湧いてきました。地球という星で良かった、この時代に生まれて良かった、日本人で良かった、富山県に来てよかった、新湊に越してきて良かった、高木さん(事務所建物の元の所有者さん)と出会えて良かった、そして奈呉町で良かった、と気の遠くなるような確率でここに立っている自分を俯瞰して見ました。

 

ここに生まれ育った地元の方と、自ら選んでここにいる自分とでは、きっと感じ方が違うんだろうなと思います。まさに、奇跡です。

 

10月1日、朝、天気は予報通りの雨でした。朝、5時半、事務所に行って揃えた一式に着替えました。そういえば、自分は昔から祭りが好きだったと、今更ながらそのことを確認。股引、鯉口、腹幕、地下足袋を身につけるとお祭り男の完成です。ひとまず、山蔵の様子を見に行きました。外はまだ雨、予定の時間になっても曳山は出る様子がありません。

 

曳き出す時間について、どうやら曳山協議会からの連絡待ちとのこと。山蔵に居た自治会長さんは、自信満々に「あー、この天気なら大丈夫、もうすぐ晴れるから」と言っていました。6時半、徐々に、徐々に、若い曳子たちが集まってきました。八幡様のお守木札が全員に配られ、首にかける…、いよいよ曳き出しの時間、山蔵のなかにお囃子が響く、なんとも言えない体験、魂を揺すぶってくれる音色でした。

 

何の段取りもわからず、とりあえず、自治会長さんの教えを守り、曳山の後のほうに並んでみました。誘導係の「スイター!」という掛け声をともに、曳山が動き出した瞬間、見ていた側から曳く側に立場が逆転していることを実感したのです。

 

この地と所縁のあるすべての神よ、ありがとう。

 

曳山祭りを目前に、やっとアップできた①

 

 

<2011年、空き家だった畳屋の前にて(現uchikawa六角堂)>

 

2016年、10月1日、今年の新湊曳山祭りが終わりました…って、これは約1年前に書いた文章を今頃アップしたものです。

 

映画「人生の約束」が全国ロードショーされた影響があって、曳山が通る地区は予想を上回る人出。こんな賑わっている新湊を観たのは、はじめてです。

 

富山県に移住した翌年の2011年、嫁と一緒に新湊に行き、はじめて曳山祭りを観ました。この年、まだ空き家だったuchikawa六角堂になる前の建物のそばで、通り過ぎていく提灯山を眺めました。その時の情景を思い起こすと、胸が熱くなります。まだ、銀行からお金を借りれるかどうかもわからず、この場所にカフェをつくりたいという気持ちだけが募る日々を送っていたのです。

 

そして、2013年、念願だったカフェ、uchikawa六角堂がオープン。曳山祭りの見どころの1つとなっていた曲がり角がまさに六角堂のある三叉路です。この年の10月1日、数組のお客様が、わざわざ二階の席を予約をしてくれたにもかかわらず、花山巡行の道中に人身事故があったため、全町の提灯山が中止となりました。待ちに待った巡行が見れないことへの残念感ときたら、もう例えようがありません。六角堂をつくるモチベーションのかなりの部分が、来たるべきこの瞬間でしたから…。

 

その翌年は、無事に巡行が進み、六角堂の二階からお客様と一緒に、花山をたっぷりと堪能しました。そして2015年、ついに、待ちに待った瞬間がやってきたのです。提灯山が六角堂の前を通る瞬間、僕は2011年に観た同じ場所から観ようとカメラを携え、待ち構えました。しばらくして、浜のほうへ続く道に一番山が見えた瞬間、そして六角堂の前で13本の曳山が威勢よく回転し、通っていく間、感動しすぎて、ろくな写真が撮れませんでした。

 

神様、この日をありがとう…つづく。