学知にあらず~towel-monkey -9ページ目

曳山祭りを目前に、やっとアップできた⑨

 

<複雑な気持ちで眺めた曳山、こんな気持ちははじめて>

 

提灯山の巡行が始まった。この光景を見て、「羨ましい」以外の言葉が見つかるでしょうか。純粋に、純粋に、この気持ちしかなかった。映画「人生の約束」じゃないですが、曳山を曳けない寂しい気持ちが、この瞬間に理解できた。

 

今年、完全にやられてしまった。こんなに曳山が好きになるとは思っていなかった。この日の事故があったから尚更なのだ。もう来年が待ち遠してくたまらない。あと365日をどう過ごしていこうか、当分は気持ちの整理ができないかも。これが俗に言う“曳山バカ”なんだろう。2016年、明石博之は曳山バカ、確定。

 

この日は、飲みました。嫁に、今日の思いを気がすむまで語って、曳山愛をぶつけてみて、この気持ちの持って行きようを探してみたり。

 

よくわかったことがある。日本人たるアイデンティティは、祭りを愛していることだと。そして、神様とつながりたい一心で、様々な思考を凝らした行事になっているんだと。日本みたいにガチガチの宗教が必要ない国は珍しいと思うのだけど、こうして、それに変わる行い、楽しみが、日本人の心をつないでいるのだと理解できた。残念だったけど、本当にいい日だった。

 

翌朝、珍しい体験をした。

 

随分と酒を飲んだはずなのに、早朝、自然に目が覚めた。しかも気持ちよく。そして、心が晴々した状態で。そしてさらに、心地よい筋肉痛と共に、まったくどこにも疲れが残らず、辛いところが見つからない。例えるなら、少年だった頃の気持ちとカラダで朝を迎えた感じ。頭からつま先までがとにかく軽い。なぜだかわからないが、不思議な体験だった。

 

間違いなく、もう当分経験できない感覚だろうと思う。もしかすると、神様の贈り物だったのではないかと、いつもポジティブ思考が発動した。

 

…それから約一年が経過した。今日は、2017年9月30日、つまり曳山祭りの前日。昨年の暮れに祖母が他界したため、今年は“遠慮”と言って、祭りに参加できない身である。神様は、そう簡単に提灯山を曳かしてくれないのだ。はじめて曳山を観た2011年から、今日で約6年が経過した。まだまだ修行が必要のようである。

 

神様、最高のオチを期待しております。信じています、ありがとう。

 

 

曳山祭りを目前に、やっとアップできた⑧

 

 

<曳山の存在感をもっとも感じた一瞬、やっぱり神様は乗っています>

 

コースから外れて、道路に止められた奈呉町の曳山を眺めながら、もう、曳けないのか…と、無性に寂しい気分になった。夕暮れの空がその気持ちを助長した。曳子たちは地べたに座り込み、通り過ぎていく他の町の曳山を見送る。あぁ、良いなぁ、彼らは提灯山を曳けるんだぁ…。正直な気持ちは「羨ましい」だった。それ以外に相応しい言葉はない。

 

神さんは、何を言わんとしているのだろう。この事故が起きた意味とは何なんだろう。まだ神さんが乗っているだろう曳山を見上げて、答えてくれるのを待った。全町の曳山が通り過ぎるのを眺めているこの時間は、人生で忘れられない思い出になった。全町の曳山が通り過ぎてから、総代が全員を集めた。これからどうするかの結論が言い渡される。

 

「事故が起こってしまい、大変申し訳ない」という最初の一言がとても印象的で、曳山巡行の責任を背負っていることを再確認する瞬間だった。予想していた通り、提灯山の巡行は自粛するという結果となった。奈呉町の曳山蔵まで帰ることになったが、道中も気をつけるようにと念押しの一言があった。

 

13番目の紺屋町の曳山から少し距離をおいて、奈呉町の曳山が続いた。お囃子も掛け声もない、寂しい曳山だった。内川方面に向かって、本来であれば交差点を左に行く箇所に差し掛かった。当然ながら紺屋町の曳山は左に曲がっていった。一方、葬式帰りのように静かな奈呉町の曳山は、そこで右に曲がる。

 

お囃子や掛け声がないと、曳山が動かない。男どもが力一杯押しているのに、なかなか進まないし、上手く曲がらない。誘導係の笛の音すらも寂しく聴こえる。通りに出て見送ってくれる町民が沢山いた。口にこそしないが「残念やったね」みたいな顔をしたり、目を細めて軽く頷いていたりと、新湊の住民は、なんだか皆さん暖かい。

 

途中「来年、頑張りや」という優しい声に、我慢していた緊張の糸がプツンと切れてしまいそうで、必死にこらえた。重い、重い、曳山を曳いて山蔵までやってきた。すると、町内の皆さんが大勢待ってくれていた。そのときの思いは全員一緒だと、沈黙のなかに、確信めいた共感を覚えた。

 

曳山を納めて、曳子たちが山蔵のほうを見つめる。山蔵は早々に扉を閉めて、今年の(僕の)祭りは終わった。今頃、他の曳山は提灯山に衣替えして、全町一斉点灯のその瞬間を待っていることだろう。もっとも楽しみにしていた瞬間だったけど、奈呉町の曳山がないこの場に行く勇気はなかった。

 

神様、お疲れ様でした。そして、ありがとう。

曳山祭りを目前に、やっとアップできた⑦

 

<小路からチラッと見える曳山が、また良いんですよ>

 

古新町の曳山蔵を通り過ぎて、再び内川を渡る。ここもゆるい上り坂で、かつ、藤見橋は傾斜がきつい。明らかに推進力が弱まっているので、総代が後ろに近づいてきて檄を飛ばした。檄を飛ばす先は曳子ではなく、中山に登って音頭を取っている若者。面白いなと思った。

 

「藤見橋はけっこうきついから登らんぞ」と本気で心配していた。そして、その心配は当たった。藤見橋を登る手前、まだ急な坂に差し掛かっていない所でピタッと止まった。重い!神さんがいたずらしているかのように思った。物理的に推進力が足りない。ロープを持っている警備の人も、誘導係も総出で、曳山につながり、精一杯の力で押した。それでもやっと藤見橋を渡りきった印象だった。中山で音頭を取っている若者が責められるが、世間でもそういう場面がある。きっと、なぜそこまで叱られているか、若者にはわかってないんじゃないかと思う。こういう祭りで色々なことを学ぶがよい、若者たち。

 

新湊庁舎前から敷地内に入り、来賓をはじめ、大勢の観客が待っている場所まで行くと、花山巡行が終わる。いよいよ、順番がやってきた。また、ベテラン勢の音頭取りに代わる。

 

掛け声はより一層の活力を取り戻し、曳山に力がみなぎる。これだ、これだ!新湊庁舎前の通りには、予想をはるかに超える、大勢の観客が待っていた。派手なターンを決めて、スムーズに来賓の前で曳山を止め、もっとも盛大な歓喜の声をあげる。「イヤサー、イヤサーッ!ハァー、イヤサー、イヤサーッ!」。観客から大きな拍手が沸き起こると、いままでの疲れが吹き飛び、清々しい気分を味わった。ひとまず、お疲れさま。

 

さあ、新湊庁舎を出て、あとは提灯山に付け替える場所へ移動だ、というタイミング、広い道路の交差点を右に曲がるところで、事件は起こった。ゴトンと曳山が何かに乗っかったような感触を覚えた。つながっていた人なら、手にその感触が伝わったはずだ。まだ曲がり終わっていないというのに、誘導係の笛が激しく鳴り、「止まれー!」という声も聞こえたので、曳山をすぐに止めた。

 

前のほうで何かが起こったらしい。よく見えないので、曳山の下を覗いてみた。すると、曳子がひとり倒れているのが見えた。どうやら足を車輪に踏まれたようだ。すぐに救急車と警察が駆けつけ、対処に当たった。事故にあった曳子は、痛そうだったが意識はしっかりしている様子だった。とにかく無事であることを祈りたい。現場検証が終わってから、曳山をコースから外して、次の町の曳山が通れるようにした。この瞬間、提灯山は曳けないんだなと悟った。

 

しかし、とても不思議だった。誰もが、怪我をした曳子の人のことを悪く言わない。本人の不注意かもしれないのに、町としては「怪我をさせてしまって申し訳ない」という態度なのだ。明日は我が身、という気持ちでいるのか、もしかすると自分が事故にあっていたかもしれないという思いも頭をよぎる。

 

神様、誰も悪くありません。どうか、お許しください。