曳山祭りを目前に、やっとアップできた⑥
<町内を通るときは、かなりのヒートアップ>
奈呉町でお昼休憩になった。浜通りに曳山を止めて、気比住吉社にある公民館で弁当が振舞われる。僕にとって好都合なのは、事務所がすぐ近くにあること。事務所に行くと、嫁が朝から準備していた料理が待っていた。いつも安全で美味しい料理をつくってくれる嫁に、あらためて感謝。休憩は12時半までと聞いているけど、本当にそうなのかが気になる。昔から遠足などのイベントで、昼時間をのんびり過ごして置いてけぼりを食らう、という経験をよくしてきた。だから、外の様子が気になって仕方ない。
午後、再スタート。「スイター!」という誘導係の掛け声は、進めー!という意味。ここから湊橋までは、まだ奈呉町だから、気合いの入れように手抜きはない。一軒、一軒、すべての家の前で止まる。そして威勢の良い掛け声「イヤサー、イヤサーッ!ハァー、イヤサー、イヤサーッ!」。
湊橋までゆっくりと長い上り坂が続く。橋の真ん中まで来ると、通り沿いを埋め尽くす大勢の観覧者が見えた。去年よりもはるかに多い、凄い人だかり。橋を越えると、下りのクランク。右へ、左へと、連続で方向曳山を転換する見せ場の1つ。そこを越えてから古新町の広い通りになると、急に気が安らぐ。北原くんの家の前も通過。親族の人らしき人が家の前に立っていた。
途中、知り合いを見つけて声をかけたり、ワールドリーの女子たちが「あかしさーん!」と言って手を振ってくれたり、なかなかの楽しい気分を味わった。道中、ロープを持って曳山と一緒に移動する警備係をしている、ご近所のSさんとよく会話をした。昔はああだった、でも今はこうだ、と曳山の思い出話をしてくれた。昔は曳き手も多くて、曳山に触ることすらできなかったらしく、曳山につながるだけで嬉しかったそうだ。今は当日来たら必ずつながれるから、それが当たり前になっているかも、昔は中山に登るには曳子を10年以上しないとダメだった、など。
道中、とても印象的な曲がり角があった。長徳寺を抜けて、庄川沿いの道に出るところ、ゆるい上り坂からの右ターンだった。いつもよりも「押しながら曲がるんやぞ」という指示が徹底されて、曲がる瞬間、左側の車輪は、しっかり転がりながらカーブを切った。上手く曲がれた!という感触が全員に伝わり、盛り上がった。曳山に付いて回っているベテラン勢からも「よかったぞ、よかったぞ!」と言いながら喜んでくれた。
西漁港から古新町を回って、あとは花山のフィナーレ、新湊庁舎を目指す。心配なのは、曳子の数が少なく、曳山を押す力が足りないこと。曳山の後に付ける人数は12名程度だが、道中、タバコを吸ったり、買い食いしたりしながら休んでいるため、いつも9名程度しかない。代わりの曳子がいるわけでもなく、抜けてしまった分、曳山が重い。この時、Sさんの話を思い出す。昔であれば、つながる場所が出来た途端に、さっと誰かがそこへ来て、喜んでつながったんだろう。曳山初体験の私は、ずっと押し続けた。手を抜かない、気を抜かないことで、最期に何かご褒美が待っているかのような気分を味わっていたから。何を曳いているのかいうと、やっぱり神さんなんだという実感が、徐々に高まってきていたから。
どうかどうか、最後まで無事で。神様、よろしくお願いします。
曳山祭りを目前に、やっとアップできた⑤
<嫁が撮ってくれた、とっておきの笑顔?>
再び浜通りに戻って、まっすぐに進む。何度か角を曲がっていると、曳山を押しながら曲がらないと車輪が上手く回らないことに気づいた。今までの曲がり角は、曳山の真ん中を軸に無理やり回転させているような印象がある。ま、素人発想だと思ったが、途中で「押しながらじゃないと曲がらんぞ」ということを指摘するベテランがいたので、やっぱりそうだよなと思った。
途中、途中で色々なことに気づく。曳子の皆さんの新湊弁が新鮮だった。荒々しく激しい人の喋り方だと、言っていることの3割くらいが理解できない。ほぼ全員が自分よりも年下だからなのか、こちらから話しかけても、相手はどう接していいのか分からないような雰囲気だった。
いよいよ奈呉町に入る、という手前で音頭を取る人が入れ替わった。いかにもベテラン!という人たちが掛け声を始めると、曳子のカラダに力がみなぎる。この時、拍子木とハタキを持った人間が曳山に乗る理由がよくわかった。全員の声が一段と大きくなった。「イヤサー、イヤサーッ!ハァー、イヤサー、イヤサーッ!」町内を曳くとは、特別の意味があるのだ。
応援してくれる町民の方への感謝、奈呉町に活気があることの表現、無病息災を願う祈り、そして神さんに町内を見渡してもらうため…、かどうかは定かではないけど、直感的にそう思った。音頭を取る人から「ゆっくりやぞ、ゆっくり、でも止まるな!少しずつ進め!」と指示が出る。
奈呉町の曳山は、鉄製のシャフトと木製の車輪の間に、木製のシャフトカバーのような部品があり、ゆーっくり進むと「ギューウ」と木が軋む音がする。「えーぞ、えーぞ、この音はうちの曳山しか出んのやぞ」と誰かが教えてくれた。この音を響かせながらゆっくりと町内を曳くのが良いらしい。木が軋む…、なかなか良い音色である。
一軒一軒、浜通り沿いのお家の前で止まって、お囃子とともに盛大に祝う。このとき、空き家には止まらない。だからこそ、本当に空き家が多いことを実感した。3軒ほど間を飛ばしたところもあった。
曳いていると、みんなの顔がよく見える。気持ちまでもわかるような気がする。手を合わせ、笑みを浮かべながら、ずーっと曳山を見上げているおばあちゃんの姿が忘れられない。その他、つながっている息子を見つけて一生懸命に手を振っている親たち、一眼レフを構えて、バシャバシャと撮影している観光客、孫を高く抱きかかえて、曳山を見せているおじいちゃん、皆んな素敵な笑顔で、その笑顔のために一役買っているような気分になった。
浜通りに面している事務所の前には嫁が見えた。僕を探しているようだが、僕の方が先に見つけた。軽くココにいるよ!的な合図を送ってから、目があった瞬間、嫁がニッコリしてカメラをこちらに向けた。その姿がなんとも愛くるしくて、思わず僕もニッコリした。フェイスブックにアップされた写真は、僕としては珍しく、無邪気ないい表情の笑顔だった。
警備として曳山に連れ添っていたご近所のSさんは、その一部始終を見ていて、僕に向かって微笑んだ。一瞬の出来事だったけど、とても印象的な時間だった。ご近所の方や、嫁の会社、ワールドリー・デザインのスタッフの女子たちが、僕を見つけて手を振りながら声援を送ってくれる。
応援してくれた皆さん、ありがとう。
曳山祭りを目前に、やっとアップできた④
<放生津八幡宮にむけて、全町13基の曳山が動き出す>
放生津八幡様に到着、巡行の並び順とは逆に入ってきて、最後に入ってきた古新町が巡行の先頭になる。先頭は毎年決まっている。八幡様の前には例年よりも多い、大勢の人だかり。もしかすると観覧側にいたかもしれない自分を想像してみると、今、曳山につながっている自分とのパラレルワールドは、ほんと少しのキッカケの差でしかないと思った。
間違いなく、今年の自分はこちら側にいる。八幡様を通り過ぎ、そのまま浜街道を進む道はゆるい上り坂になっている。普通に歩いていてもなんて事ないほどの傾斜が、曳山の場合はこたえる。
ここからは巡行本番、少しの休憩のあと、古新町を一番山に、13基の曳山が動きだした。奈呉町は4番目。軽い下り坂を進み、今度は「ケツ浜、ケツ浜」と音頭取りの若者が叫ぶ。ちょっと雰囲気に慣れてきたので、まわりの人たちを見る余裕が出来てきた。一部の人を除き、町では見かけない若者ばかりだった。多分、奈呉町出身で今は他の地域に住んでいる人たちに違いない。
浜通りには露店がびっしりと並んでいるため、いつもよりは狭い道幅のところを進んでいった。「ケツ浜、ケツ田んぼ、ぐーっとケツ浜」などという掛け声が、まっすぐ進んでないことを物語る。たまに、自分は何を曳いているのか確認したくなって、一瞬だけ、少し離れてみて曳山を眺める。そして、またつながる。巡行経路にある宮は、必ず止まって頭を下げる。宮の前では、ハチマキを取ることを何度か忘れて、注意される。すべてが新鮮で神聖な体験だった。
浜通りから途中の交差点を左に曲がり、uchikawa六角堂まで行く。5年前の今日は、ここを曲がってやってくる曳山を、観覧する側として観ていた。uchikawa六角堂の三叉路が近づいてくると、胸がドキドキした。今度は自分が曳山を曳いている側で、この時を迎える。興奮しながら、不思議な気分になった。店の前に立っている店長の北原くんが見えた。
いよいよ、見せ場の1つの三叉路を曲がる瞬間、本当に曲がれるのか心配になるほど狭く感じる。誘導の笛が激しく鳴り響き、曳子たちが力いっぱい、曳山を回転させた。ゴッゴッゴッゴッゴ、っと車輪が道路にすれて大きな曳山が動く。上手くいった!よく「曳山が回転しやすいように家の角を落とす、地元では角切って言う」なんて説明するけど、この説明に間違いない。三叉路に面しているどれかの家の角が切られてなかったら、曳山が曲がれない。この感動的な三叉路で、思い出に浸ろうと思ったけど、まったくその余裕はなかった。
荒屋町をぐるっと回って、途中の休憩中、六角堂まで水を飲みに行った。今年揃えた玄関幕が祭りの日に映えてカッコよかった。さっき、この三叉路を曲がったのかー、と今更ながら感動がこみ上げてきた。
おー、マイガッ、僕をここに連れてきたすべてのコトよ、ありがとう。