2018年、未来に自信を持てる自分へ
2018年が明けました。
今年一年、世界がより良い方向に進んでいきますように。そして、私たちが健康で穏やかな毎日を送れますように。
昨年末は、30日から大掃除をスタートすることができました。妻は、会社の慰労会に行った先で飲んだワインにヤラレてしまい、数日間まともな生活を送る事ができませんでした。年を越した今でも体調が優れないようです。かわいそうに…(´□`。)
天気は、さすが北陸の冬です。晴れたと思ったら、次の瞬間は曇り、雨か雪になる。そして、一瞬だけ晴れて、また曇り、そんな感じ。正月はどこにも行かず、家でゴロゴロ。なんだか1年ぶりにしたゴロゴロですが、慣れないせいか罪悪感を覚えます。「今はやすむとき!」というふうに気持ちの切り替えができる人が羨ましい。
最近すっかりさぼっているブログですが、正月くらいはきちんと書こうと思います。二日遅れの一年の計。1年後の自分が読んだときにどう感じるかを楽しみにしながら。
もっともっと新しい価値を生み出す人間になりたい。
そして、その結果がもたらす未来に自信を持ちたい。
僕は20年の間に積み重ねてきてしまった仕事のクセとの向き合い方に苦労しています。もっと言うと、こども時代から培ってしまった「いい子でいよう」というクセをずっとひきづっています。
仕事のクセとは、プロジェクトコーディネーターという職種がそうさせてきたんですが、多くの人々の多様な意見、考え方を尊重しながらある一定の方向づけをする調整作業のこと。どんな会議に出席しても「他の人はどう思っているんだろう、あの人の表情は何を物語っているんだろう」などと考えてしまうのです。
この仕事は、こども時代から培ってきたクセが大いに役立ち、感覚的にすっと受け入れることができました。公共の仕事ではとても大事なことです。
しかし、富山に来てから、こういった仕事はほぼ卒業しました。今は、地域の主体者として、主体性を発揮して活動するというスタンスで仕事をしています。なので、いつも明確な意思をもった存在でありたいですし、自らが描くビジョンを実現しないといけないのです。例え人様の仕事であっても、こうしたほうがきっと上手くいく、という提案やアドバイス、ときには指導をできるのが、自分の存在価値だと思っています。
クライアントが納得する提案、好みのデザインを表現するだけだったら僕の存在価値はありません。そういった仕事は、それが得意な人に任せれば良いのであって、僕は自信満々に未来を語る人間になりたい。(と、書きながら納得した)
まちづくりの世界のプロジェクトコーディネーターは、経験の積み重ねや、技術習得だけではできない成り立たない一方、そんなに需要のない仕事です。まず必要性を理解してくれる人が少ない。だから宣伝や営業の方法がわかりません。結局わからないまま今に至ってしまいました。
場づくりという具体的な空間に落とし込める仕事が増えてくると、コーディネーターというスタンスが、自分のやっている仕事のイメージと合わないような気がしてきました。確かに、絶妙なバランス感覚とか、多様な事柄を調整する作業というものは必要なのですが、仕事へのモチベーションを支えるアイデンティティとの乖離は否めず、どうもスッキリしない。1つ1つの仕事の未来に自信が持てないまま、多くの人が望むコトを良しとした言い訳っぽい仕事をしている気がする。
良いのか、それで…。
いい訳ないじゃん!ヽ(`Д´)ノ ここに来て、仕事へのスタンス、アイデンティティの微調整が必要になってきている。今やっている、求められる仕事はプロデュース業なのかもしれないです。プロデュースは生産する人、僕の解釈はゼロからイチを生み出す人。価値を発見して表現活動へとつなげる人。デザイナーとはちょっと違う。
生み出した価値に自信を持って、どんどん育てていきたい。数年は理解されないかもしれない、必要性も感じられないかもしれない。でも、信じるのだ。責任も持つのだ。粘るのだ。くじけるな。
ということで、今年からはプロデューサーという意識を自分に植え付け、迷ったら何度も確認してみて、未来の結果に自信を持てるよう精進します。
アルフレッド・アドラー、スティーブ・ジョブズ、谷口正和、
今だからこそ、もう一度、彼らの言葉を咀嚼してみます。
今年一年、確実に、体感できる成長をします。世界よ、命よ、ありがとう。
(2019年の明石さん、今のあなたは、イケテる?)
明石少年、ありがとう。
<小学6年生の明石少年、修学旅行にて>
今、モーレツに仕事が楽しい:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。
楽しい?…。いや、そういう表現じゃ足りない…、幸せなんですよ!
富山に来てからはじまった活動「マチザイノオト」が、どんどん加速し始め、数年前には考えられなかったような可能性が広がってきたんです。
2013年、畳屋さんだった空き家の古民家をリノベして、カフェ(uchikawa六角堂)をオープンさせてから、僕の人生は変わりはじめました。理想的な仕事は、ローカルで、主体性を持って、リスクを取って、社会的な課題に向き合うこと。それをしたくて富山に来たわけですが、7年が過ぎて、気がつけば、それをビジネスとして実行できる立場になってきている。やりたいことを実現するためのビジネス…、超楽しい( ´艸`)
世の中的には「ソーシャルビジネス」って言うんですけど、それって、自分にとってはかなり後付けのコンセプトです。uchikawa六角堂のことがキッカケで、講演や執筆する機会が多くなったんですが、それらを通じて自分の思いや活動を整理するなりました。そうすると気づいてくるんです、あ、これってソーシャルビジネスっていうヤツね、という具合に。最近は、①個、②公、③市(マーケット)、の3つの輪が重なるところに「ソーシャルデザイン」という仕事がある、というお話をよくするようになりました。
東京時代、それから富山に移住してすぐの頃は、"自分はまちづくりのことをやっている"という自覚とともに、そういう仕事を欲していました。でもなんだろう、面的に、システム的に、上から下へのベクトル的に、なんか違うんじゃないのって思うようになったんですよね。面的なしくみやシステムでは地域や社会は変わらないと思ったです。
だから、「まちづくり」というより今では「場づくり」というほうがシックリくる。ここ10年くらいでしょうか、空き家とか空きビルをリノベして、そこがまちづくりに貢献するコミュニティ拠点になる、というような事例で溢れかえっています。でも、場づくりも、成熟してくればしくみやシステムが必要となります。
場づくりが楽しいという感覚は、もともと持っていたはずなのですが、本当に、心から楽しいということを実感したのは、今になってから。その理由の元素は何なのか、わかっているんです。それは、少年時代の遊び…、瀬戸内の海と、その後転校した先の広島の山で「秘密基地」をつくっていたことが、場づくりの楽しさの基盤をつくってくれたのです。実はこれ、最近気づいたことなんですが。
だから感謝したい。当時の明石少年に。明石少年は、写真の一番右のこどもです。見るからに弱々しいとこどもだと思うんですが、その内面では、いつも何かをつくることへの楽しみに満ち溢れています。それは今でも忘れない、いつも、いつもツクルことを考えていた。
朝起きたら、裏側が白い新聞の折り込みチラシをかき集め、未来のクルマとか、基地の見取り図とか、宇宙人とかを空想しながら描いていた。学校の休憩時間は、ボーッと空をみて空想にふけるか、ノートに漫画を描いていた。学校が終わると、海や山に出かけて秘密基地をつくっていた。
ちなみに、その秘密基地ですが、基本的には一人で構想を練り、場所を選定し、落ちている資材を集めます。ときには仲良しの友達が参加します。ちゃんと柱と梁と屋根で構成されていて、見つからないような工夫を施すのです。でも何故か、1ヶ月以内には誰かに見つかってしまい、壊される。そしてまた違う場所を探し、いちからつくり始める、この繰り返しです。
マチザイノオトでやっていることは、実は秘密基地的な場をつくっていることなんじゃないかと思うのです。もし、単にカッコイイとか、キレイとか、オシャレとか、そういうデザインの空間をつくるだけなら面白くないのです。そもそも興味が湧かない。
過去、新潟県で道の駅の整備のコーディネートをしたことがあります。基本構想の段階で、自分のなかに芽生えたコンセプトはもちろん秘密基地だったんですが、観光のための公共施設であれば、それは叶わぬ夢です。
僕は建築士ではありません。美大で学んだのはプロダクトデザインですから、空間デザインや建築のことは独学です。今は、空き家や建物を見たり、写真を撮ったりするのが趣味で、暇さえあれば雑誌や専門書、WEBなどで建築や空間に関するものをいつも見ています。きっと明石少年の魂が、おじさんになった明石氏を動かしているのでしょう。この衝動は何なのか、まったくわかりません。もし、大金持ちになり、すべての物を手に入れてしまっても、やりたいことをやり尽くしても、今と同じような仕事をしているはずです。
2017年は、あと2日間で終わりです。沢山大変なことがあったけど(本当に沢山あった…)、今が幸せです。
明石少年、富山との縁をつくった妻よ、そしてあらゆるご縁に、心から、心から感謝します。
ありがとう。本当にありがとう。