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恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

うーん、意外な作風でしたね。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

辻仁成さんのすばる文学賞受賞作、「ピアニシモ」を読みましたよ。中山美穂をシャルルドゴール空港で見かけて、「やっと会えたね」と言い放ったという伝説のある辻仁成さん。

 

「やっと会えたね」って。「どちらさんですか?」ってならんのかね中山美穂。またシャルルドゴール空港って。松山空港で見かけたんではその台詞は出んわな。とにもかくにも洒落こい人、という印象だった辻さんですが。

 

中山美穂と離婚したあたりから、私的には好感を持っていたんですよ。息子さんを引き取って、フランスで大事に育ててる辺りね。ちなみに中山美穂とは三回目の結婚で、その前は南果歩だって。恋多き方ですね。そして才能豊か。バンドはやってたわ映画は撮ってるわ本は書いてるわ詩も書いちゃうわ。

 

本当にすごい方です。しかも人間ができている。この方のツイートは読むたびに目が覚める思いです。

 

で、作家としてのデビュー作になるこの「ピアニシモ」。

 

ラブストーリーなのかと思いきや意外や意外、いじめられっ子中学生の泥沼青春物語という内容でございました。

 

 

 

主人公は透くん。年齢は14歳。悩み多き中二です。彼は父親の仕事の都合で日本中を転々としています。冒頭、彼が東京の中学校に転校してくるところからお話は始まります。この学校が結構荒れているようで、さっそくいじめの対象になってしまった透くん。

 

両親の仲も悪く、友達もおらず辛い日々を送る透くんですが、彼には「ヒカル」という親友がいるんですね。ところが、このヒカルは周囲の人たちには見ることができません。彼が辛い生活の中で生み出した自分の分身なんです。このヒカルと共に、透くんは「街のヒーロー」を探して繁華街をぶらぶらうろつきます。

 

彼らにとって「街のヒーロー」とは、電車に飛び込み自殺をしようとするサラリーマンみたいな、煩悩の先に生のエネルギーを発する、そういう都会の犠牲者ともいえるような刹那的な存在を指します。そういう人を見つけたくて、懐かしの伝言ダイヤルにかけまくったりなんかもするんですね。

 

とにかく透くんは孤独なのです。そんな透くんに、父親の自殺と苛烈ないじめという逆境が襲い掛かってきます。さあ、透くんは自分もヒーローになっちゃわずにこの逆境を乗り越えることができるのでしょうか……。

 

 

 

というね。

 

よくあるテーマです。川上美映子さんの「ヘヴン」や田中慎弥さんの「冷たい水の羊」を思い出しました。普遍的なテーマなんですねいじめ。中学生が出てくると大体いじめられてるような気がする。

 

どぎつさやショッキングさで言うと、この「ピアニシモ」は大したことありません。前述の二人の作品の方がよっぽどぎょっとします。でもこの作品の特筆すべき点は「ヒカル」という存在かなあ。透くんが心の中に作り出した幻影。

 

このヒカルが、なんか旧日本兵みたいなことをぽろぽろ漏らすんですよ。だから、これは何かの伏線なのかなあと思ってたんですが、結局回収されないままに終わった。これは予定通りなのか?それとも行きあたりばったりの設定だったのか。分かんないままです。でも、そういう不可思議な存在を出してるから、納得いかなくても「……まあ、なんか含みがありそうな気はするな」と納得させられてしまうという効果はあった。

 

あと、表現がまどろっこしかったね。冒頭がいきなり「ざらついた空気が、もう何か月も蒸発することのない腐りかけた日蔭の水たまりのように、長く古い廊下の先まで充満していた」から始まるもんね。腐りかけた日蔭の水たまりは、ざらついてないと私は思うのよね。そこは「ねっとり」なんじゃないか。比喩に使われる言葉のチョイスがいまいち納得いかなくて、いちいち考えさせられるから立ち止まらなきゃいけなくてまどろっこしかった。これが辻さん独特の文体なのかも知れませんが。

 

全体的にはエネルギーに満ち溢れた青春小説でした。なにが「ピアニシモ」なのかはよく分かんなかったけど。後半にかけての盛り上がりはどっちかって言うと「フォルテシモ」だったんじゃないかな。自分の中の鬱屈のエネルギーを暴力という形で発散した透くん。うん、いいいい。男の子は黙ってやられっぱなしじゃあかん。煉瓦で相手の頭かち割るぐらいのことはやらなあかんわな。

 

ヒカルとも無事決別できたようです。最後に光が見えたのは良かった。新人賞受賞作ならではのエネルギーを感じる作品でした。というわけで。

 

辻さんのは他の作品も読みますよ!なんせ芥川賞も受賞してるらしいんでねー。芥川賞好きとしては読んでおかなくちゃ。この粗削りな作品から、どのようにこの方の作品が洗練されていったのかも気になります。

 

 

 

さて、今日は川柳を6つも捻らんといかん。子供の宿題。昨日は俳句考えたよ!……いや、考えたのはあくまで子供。子供……が考えたようなやつを、うまいこと誘導して子供の口から引き出したよ。誰の宿題やねんほんとに。過保護ですねえ。困ったもんだ。

 

そんなわけで、またっ!

古典第二弾、ということで。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

古典を読もうのお時間がやってまいりました。

 

一日空きましたね。子供と遊んでいました。もうすぐ夏休みも終わるし、髪切りにつれてったり児童館つれてったり。

 

そうそう、読書感想文も何とかなりましたよ!いったん書いたやつに私が赤ペンで修正を入れて、清書させるんだけどここでも間違い連発してるから全部消して書き直させたり。こうまで手を出していいのかと思いつつ、よそのお母さんも聞いたら似たよーなもんだった。一年生なんてそんなもんよねー。それと、自由研究もテーマは「押し花」で何とかまとめました。ベランダの花とか、道端の花を押し花にしてスケッチブックに貼り付けた。

 

プリント類も終わったし、あとは俳句ですか……。これ、私が無職だからこうまで付き合えるけど、お仕事をなさってるお母さんは大変だろうなー。学童で宿題まで見てくれるのかな。朝のラジオ体操にも付き合わないかんし、一年生はまだまだ手がかかりますわ。

 

今日も午前中は宿題させて午後からお出かけ。児童館かなー。古本屋という手もあるけど、まあ子供に訊いてみよう。

 

小説は書けないけど、まあ仕方ないのです。9月から馬車馬のように書きまくります。で、古典を読もう。今日はヘミングウェイの「老人と海」です。

 

 

 

まず何がどうってね、文庫本で読んだんですが、文庫本ってカバーの裏っかわにあらすじ書いてあるじゃない。そこにさあ、もうあらすじどころじゃなく最後のオチまで書いてあるんですよ。私が手にした本。新潮文庫なんですが。

 

「名作だからどうせ中身知ってるでしょ?」とでも思ってるんでしょうか。ちらっと裏側を見て話の筋は分かっちゃったんですが、なんとか忘れるよう努めながら読み進めました。結論から言うと、むっちゃくちゃ感動した!

 

ピューリッツアー賞フィクション部門受賞作なんですって。私、ピューリッツアー賞って「戦争をテーマにした写真」みたいなのに贈られるんだと思っていました。本もあるのねえ。じゃ、この賞の歴代受賞作を読んでいけば、このレベルのアメリカ文学が読めるってわけね。

 

学びました。で、あらすじです。舞台はキューバ。サンチャゴというおじいちゃん漁師が主人公です。

 

 

 

 

サンチャゴは一人暮らしの老漁夫。手こぎのボートで、シイラやカジキを狙って漁に出る生活を長年送ってきました。でもここ最近はすっかり不漁。なんともう84日間も何も釣れていません。だもんで無収入、食うや食わずの生活を送っています。

 

そんな彼には弟子の少年がいたのですが、あんまりにもサンチャゴが何にも釣ることができないもんだから、別の船に乗ることを両親に命じられてしまいました。サンチャゴはまた一人で海に出ることになったのですが、この少年との交流は続いています。身体が動かなくなったサンチャゴを気遣う少年……ううう、いい子や。ふたりの話題は魚のことや大リーグのこと。サンチャゴも少年も大の野球ファンです。

 

さて、84連敗のサンチャゴが漁に出た85日目。サンチャゴの針に巨大なカジキが掛かります。でもサンチャゴはおじいちゃん。ひとりでこの巨大なカジキを釣り上げ、漁師としてのプライドを取り戻すことができるのでしょうか……。

 

 

 

……と、いうだけの話なんですが。

 

サンチャゴという一人の老人が背負ってきた人生の重さ、そして大海の中ひとりあがくその存在の軽さが、圧倒的な迫力で迫ってくるような作品です。大いなる海の恵みでその人生を保ってきたサンチャゴ。このひとりの漁師の誇り高い人生が船の上で回想されます。なんたって丸3日間もカジキと引き合いしてたんだから。

 

サンチャゴはカジキを殺そうとしていますが、その存在に強い敬意を払っていて、払っているからこそ自分の手で仕留めてやりたいと思う。自分の方だってもう傷だらけでふらふらです。寝てないし。あちこちずる剥けだし。釣って食べたシイラはなんか腐ってるし。

 

命がけで老人とカジキは戦うわけです。男のプライドのぶつかり合いです。魚と殺し合い。現代では考えられない大変な漁ですが、その中に「自然と対峙すること」「命を頂くこと」「人生と向き合うこと」が鮮やかに描かれていました。……で、老人はとうとうカジキに勝ちます。船よりデカいそのカジキを船に結び付けて、故郷の港を目指すのですが。

 

美味しい匂いに誘われて、サメがいっぱい集まってきちゃうのよー。うわーん、おじいちゃんが頑張って釣ったカジキがかじられちゃう!銛とかで応戦するサンチャゴ!でもサメの方が上手ー!港に帰った時にはカジキはもう骨だけになっていたっていうのよ!疲れ切っておうちでバタンキューするサンチャゴ!少年がサンチャゴの帰還と巨大なカジキの残骸に気付き、彼の小屋を訪れた時にはサンチャゴは深く眠っていました。サンチャゴはその昔、アフリカで見たライオンの夢を見ていたのです……。

 

 

 

……と、いう!

 

なんか、「人間ってこうやって長い営みを送って来たんだなあ」と実感させられるお話でした。文明が発達したのなんかこの200年やからねえ。それまで、ただの衣食住にこういう死闘が繰り広げられていたんだろう。このお話は近代の話ですが、「人間の持つパワー、尊厳」みたいなのに、人類の長い歴史を思ってしまいましたよ。うーん、こういうのを名作っていうのね。

 

文字って面白いよね。言葉って。記号だけど、組み合わせによって人を傷つけることも出来れば、こうやって大きな物語を紡ぐこともできる。素晴らしい物語は千年越えても残り続ける。あ、そうそう、源氏物語も読みたいな。田辺聖子さん訳がいい。まあ、それもそのうち。

 

そんなわけで、古典って素晴らしいなというわけでした。次は現代の読もー。ツイッターでフォローしてる、辻仁成さんのデビュー作を借りて来たので。

 

私、この人好きなのよ。人生訓みたいなのをよく呟いてるんですが、ほんとに深く頷かされる。真理を知ってる人だなと思うんです。あと、この人のレシピで作った味付け卵はホントに美味しいぞ。一時期ハマって一日に3個ぐらい食べていた。

 

というわけで、俳句を考えます。いや、子供に考えるよう促します。ていうか、結局私が考えちゃうんだろうけど。

 

ではまたっ!

うーん、時代ですかねえ。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

前回「消費される小説と残る小説がある気がする」って言ってたじゃないですか。うん、そりゃ「残ってる」小説を読んでみにゃならんなというわけで、昨日は図書館に行ってみました。

 

と言うか、二日に一回は図書館に入り浸ってるんですけどねえ。なんか好きで。借りなくても図書館に足が向いちゃう。本屋も楽しいんですが、図書館には座れるスペースがあるのがいいよね。

 

でまあ、古典と言われるものも読んでみようかと数冊借りてきました。ここには書かなかったんですが(厳密に言うと読書したと言えない分類の本かなと思って)桜庭一樹さんの「小説という名の毒を浴びる」という書評集みたいなのを読んだんですね。桜庭さんという人は大変な読書家なんですが、主に読まれてきたのが海外文学なのだそう。

 

だからその辺も読んでみたいなと思いつつ。私の海外文学歴と言えばホームズ、ルパン、ポアロ、若草物語赤毛のアン辺りの児童文学、大人になってシドニイシェルダン、スティーブンキングぐらいですかねえ。全然読んでないの。だからどんな人がいるのか、何が面白いのかも全然わかってない。

 

とりあえず、普遍的なのを読んでみようと思って手にしたのが、「星の王子さま」。子供向けのように見せかけて大人向け、大変深い話だということでしたので読んでみたんですが、これは結構、暗い時代を反映した話なのかも知れない……。

 

 

 

とあるパイロットの男が飛行機の不具合で砂漠に不時着します。怪我はありませんが飛行機は飛びそうにありません。手持ちの水は8日分。さあ困ったぞ、と思っているところに、小さな男の子が現れます。

 

こんなところに子供がいるわけないじゃないか、と男は思うんですが、彼は実在としています。そして男に「羊の絵をかいてよ」と頼むんですね。意味分かんねえなと思いつつ、男はポケットのペンとメモで少年に羊の絵を描いて見せます。物体としては紙でしかないその絵に王子さまは満足し、ふたりは友人になっていくのです。

 

共に砂漠で過ごす中で、王子さまは別の星からやって来たのだと話始めます。王子さまの星はとても小さくて、王子さまはそこでひとりで暮らしています。ある日星にバラの花が咲きました。王子さまはバラを好きになるんですが、バラは結構なツンデレで王子さまにあれこれいちゃもんをつけるんですね。バラはしゃべるんです。王子さまは好きになったバラと反目してしまうことが辛くて、星を後にします。そして様々な星を旅して、7つ目に地球に降り立ったというわけです。

 

 

 

そっからね、王子さまが降り立った色んな星の話になっていくわけです。まず最初が王様がたった一人で治めているひとりぼっちの星。王様はえばる相手を見つけて大喜び。一生懸命王子さま相手にえばりますが、もとよりひとりぼっちで暮らしているわけですから、えばる必要なんかなかったんですね。王子さまは嫌だなと思ってこの星を後にします。

 

次の星にはうぬぼれ屋の男が、これまたひとりぼっちで住んでいます。うぬぼれ屋もやっと自分を称賛してくれる相手が現れて大喜び。「俺ってイカスだろ?カッコいいだろ?」と猛アピールしますが、王子さまは「褒められることに何の意味があるんだろ」と首を傾げてここも出立。

 

……そういう風に、欺瞞に満ちた大人たちが住む星を、王子さまは首を傾げて通り過ぎていくんですね。星の数を数えて、誰も所有していないその星々は自分のものだから、管理するために数えているというビジネスマンや、酒浸りの自分が恥ずかしくて、そんな自分の姿を忘れるためにさらに酒に溺れる男、過去に決めたルールを曲げることなど考えず、自転が早くなった星で街灯をつけたり消したりしている点灯夫などがいます。うん、そらおかしいわな。おばちゃんでもそんな人たちと関わり合うのは嫌です。

 

王子さまは語り終え、とうとう水を切らした二人は井戸を求めて歩き始めます。井戸を見つけ、渇きを潤す二人。王子さまは出立の日からちょうど一年が経ったのだそうです。王子さまの星が空の一番近いところに巡ってくる。

 

地球に来て出会った狐に、王子さまは「俺にとってお前はいっぱいいる人間の中のひとりだけど、仲良くなったら唯一の存在になるんだぜ」と教えられていました。地球にはたっぷりバラが咲いていましたが、自分の星のバラは自分にとってかけがえのないたったひとりの存在だったんだと王子さまは気付きます。

 

よーし、帰ろう!と思い立った王子さま。毒蛇に噛んでもらって魂だけになって、軽くなって星へと帰っていくんです。

 

 

 

 

……うーん、言いたいことは非常によく分かります。「肝心なことは目では見えない」、有名な名言ですが、これを言ったのは王子さまじゃなくて狐でしたよ。この狐が一番真理を知ってるな。

 

この作品が書かれたのは第二次世界大戦中だそうです。冒頭に「この本をレオンに捧ぐ」とありますが、このサンテグジュペリのお友達はユダヤ人だったそう。そういう暗い時代背景だから、生まれた話なのかな。

 

けっこう、ただの童話なんですよ。地球までの6つの星をめぐってる辺りとか。「裸の王様」とか「クリスマスキャロル」とか「賢者の贈り物」的な。

 

でも、狐の言う「お前はいっぱいいるただの人間だけど、仲良くなったらかけがえのないたったひとりの人になるんだよ」というメッセージにはけっこうな意味がある気がします。「ユダヤ人」とひとくくりにすると記号でしかありませんが、仲良くなったらその人はもうただの「ユダヤ人」ではなくなる。

 

こんなこと、もう分かりきったことなんじゃないかと思うんですけどね。最近はすっかりマイノリティに優しい世の中になりましたし。でも、まだ民族差別とか経済戦争とか領土問題とか言ってるもんなあ。そう考えるとやっぱりこのお話から学ぶものは多いのかも知れません。

 

うーん、やっぱり一回宇宙人にお出ましいただくしかないで。地球の中で争ってる場合じゃないと目を覚ますようなことが起こらないかん。日本人とか韓国人とかこまいこと言ってるんじゃなくて、地球人として団結すべき事態が起こらんといかんのかも知れん。

 

できれば、優しい宇宙人に来てほしいなあ……。星の王子さまみたいな。あ、綺麗にまとまった。というわけで。

 

またっ!

あと一週間ですー。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

夏休みもあと1週間よー。今日は小学校の掃除に参加してきました。

 

なんか夏休み前にプリントが入ってたのよね。「8月25日に学校の掃除をするよ」と。

 

だから「手伝いに来てよね」と。

 

私は素直だから軍手やら雑巾やら持って行きましたよ。子と。そいで、学校に行ってみたらクラスの半分も人来てないんでやんの。

 

うちのクラスは8家族ぐらいでしたかねえ。ああいうのって、言われたからって絶対行かなきゃいけないってわけじゃないのね。しかも私、内容が分かってないから、ロングスカートに素足にヒールで行ったのよ。日傘差して。自分用の上履き持ってさ。

 

そしたらみんなジャージにスニーカーに帽子だった。そして与えられた仕事は運動場のトイレの掃除。虫だらけ、ゴミだらけ。水でびちょびちょ、それが終わったかと思いきや、今度は芋畑で雑草を抜かされる。

 

全身どろどろのぐっちゃぐちゃやーん!なんやねんもう!腹立ちまぎれに知ってるママさんに「結構人集まってないんやね。みんな、来ようと思わんのかな?」と愚痴ってみると。

 

「……仕事してるママさんもいるから。みんな、忙しいんじゃない?」

 

とさらっと言われましたとさ。そっか……。そしたらもうなんも言われんな。大体ボランティアなんだから、文句言う方がおかしいんよな。掃除なんだからジャージで当然だっての。分かってないとんちんかんな母親として本日の私は先生の記憶に残ったことでしょう。

 

でも、全校で校庭に並んだ時に、二年生の列が異様に少なかった。なるほど、一年生の初の掃除で私みたいに文句垂れて、「来年は絶対に行くもんか!」となった人が多々いたのでしょう。うん、わかる気がする。とにかく疲れたわー。でも、そんな夏休みもあと一週間。

 

早く私だけの世界を構築したい。頭の中に私だけの世界を作り上げたい。あと一週間。9月が待ち遠しい。

 

と、いうわけで今日も本を読んだ。窪美澄さんの「水やりはいつも深夜だけど」。

 

いわゆる「専業主婦、兼業主婦」問題も出てきていましたね。色んな人の心のもやもやを描いた作品、うん、興味深かったです。

 

 

 

この「水やりはいつも深夜だけど」は短編集で、収録作が

 

ちらめくポーチュラカ

サボテンの咆哮

ゲンノショウコ

砂のないテラリウム

かそけきサンカヨウ

 

となっております。

 

すべてのお話、登場人物は別で、それぞれに関連性はありません。ですが、多分舞台は同じ街なのかな。昔は下町に近いような場所だったけど、最近は低層マンションなんかが増えて高級住宅地と言われる場所になった街。

 

そんなところには「ちょっと宅はよそ様とは違うんざーます」みたいな人が住み始めるんですね。そんなママ友との関係に悩む話が「ちらめくポーチュラカ」。

 

そんな簡単な話じゃないんですけどね。私も経験したので「あるある」と言いながら読みましたが、キラキラ系ママへの嫉妬とか。保育園ママを見下す幼稚園ママとか。子供を介すると急に垣根がなくなって、友達に「ならなきゃいけなくなる」面倒さとか。子育て中のママさんならだれもが「わかるわー!」と膝を打つのではないでしょうか。

 

「サボテンの咆哮」は、そんな高級住宅地に引っ越したある一家のお話。育児ノイローゼになった妻を慮り、妻の実家の近くに引っ越したある男。出来る範囲で家事も育児も手伝って、気遣っているのに妻は実家に入り浸りになってしまいます。

 

子供はなんか義実家にばっかなついてるし。俺には微妙になついてないし。とか思ってたら嫁が「二世帯住宅建てんだけどー」とか言ってくる。義両親は嫌いじゃないけどそんなのって息苦しいじゃん!まるで俺が嫁を育児ノイローゼにしたダメ夫みたいじゃん!

 

そんなわけで不倫に走ってしまう夫。……これもあるあるですな。まあこの旦那さんは家族の元に戻るのですが。気持ちはわかるよ。あんたは悪くない。

 

 

 

そんな風に、家族のお話が収められた短編集です。知的障害の妹をもったある母親が、自分の娘に障害があるのではないかと思い悩む話とか。出来婚を悔やみ、「あん時に嫁が妊娠さえしてなきゃ、俺だって逆玉乗ったり若い女抱きまくったりして楽しく暮らしてたのになー」とか不埒な思いに苦しめられる男の話とか。

 

生きてて、結婚する、子供を持つって選択をした時に、こういう思いに苦しめられる人っていうのは少なからずいると思います。「あるある」」を鮮やかに描き出した作品でした。……でも。でもね。

 

この短編集、どの話もぜーんぶハッピーエンドなんですよ。みんな色々思い悩むんだけど、なんか結局元さやに納まったり、最終的には明るい明日が待っている。

 

……でもさあ、現実ってそんなにうまく収まるもんじゃないよね。ていうか、そこんとこをぶっ壊してきたのが窪さんの作風だと思うんです。今回のこの短編集は、どの登場人物も社会的に破綻する前に自分の過ちに気付く。修復し、日常が帰ってくる。

 

逆に、そっちの方が現実的と言えるのかも知れませんけど。「ハッピーエンドの話を書く」と決めて雑誌連載を始めたのだというのがよく分かる作品集でした。一言で言えば、物足りなかった。

 

 

 

最近とみに思うのですが、「小説作品」として、消費されるものと残るものがあるよね。それってまあいわば、ビックネームの文学賞とったとか、そういうことになるのかも知れませんが。でも賞獲りものと獲ってないものを読み比べてみると分かる。「消費されるだけ」で消えてしまう作品っていうのは間違いなくある。

 

決して賞獲りでなくても、深く心に刺さる作品もある。そういうものを書きたいなと強く思いました。……お、偉そうか?偉そうだな。うん、まあでもそう思ったんだからしょうがない。

 

さあ明日から最後の一週間。宿題も大詰めです。我が子の読書感想文はどうなる?なんとかうまいこと、誘導したいと思います。

 

ではでは、おやすみなさい!

 

 

 

うーん、やっぱりこの人は面白いです。

 
こんにちは、渋谷です。
 
 
 
田中慎弥さんの「ひよこ太陽」を読みましたよ!久々の田中慎弥さん。これはほぼ私小説といっていい作品なのだとか。
 
田中さんと言えば、衝撃作「共喰い」で芥川賞を受賞された方ですね。あれは面白かったなあ。貧しい地区に住み、暴力的な父親に支配された青年が、泥の底でのたうつような物語。……あたしゃ、ああいう世界が好きなのよ。
 
なんかほわーんとした悲しみを「誰か癒してくださーい」って丸投げするようなんとは次元が違うんですよ。命ぎりぎりのところで、どうにか正気を保って生きていこうとするぎらぎらした刹那を見せつけられる作品でした。あーいうのって、そーいう人にしか書けないものなんじゃないかと思うんですよ。あーとかそーとか何なんだって話なんですが、そういう素地がある人。要は、「破滅に近い場所にいる人」って感じ。
 
田中さんは今回も「死にたい死にたい」言ってます。はっきりは言いませんが、電車に飛び込もうとしたり、実家の屋根裏にベルト輪っかにしてぶら下げてみたり。
 
この人の何に惹かれるかと考えた時に、この「死んじゃいそうな感じ」を知ってるってとこなのかなと思うんですよ。うっかりしてると死んじゃいそうな、すぐとなりに死がある感じ。
 
 
 
 
死なない限り、人間は生きていかなきゃいけません。寝てるだけでお腹は減るし身体は臭くなる。その不快を取り除くためには動かなきゃ。家賃も、光熱費も払わなきゃ。
 
そうするとお金が必要になってくる。働かなきゃ。家から出なきゃ。なんか周りと話し合わすために情報しいれなきゃ。あれもしなきゃこれもしなきゃ。
 
あーめんどくせー!やってらんねーよ生きてくってめんどくせー!寝てるまま死ねればいいのになんで起きてめんどい雑事にかまけなきゃなんねーんだよほっといてくれこの世!この世の森羅万象よ俺をほっといてくれー!
 
……という主張が聞こえてくるかのようです。
 
その叫びを田中さんはこの作品中で「自分が生きていることが、自分自身の負担になってくる」と表現していました。こういう、この世界との結び付きが薄い人っているのよね。こういう人が世界に食らいついていく時に見える景色が、私は面白い。
 
 
 
 
で、「ひよこ太陽」です。
 
田中さん、ずっと下関に住んでたのが、四年前に東京に出てきたんだそうです。……で、しばらく女と同棲してたらしいぞ。おお……浮いた話。しかしその女性とは別れ、現在は独り暮らし。
 
財布事情は切迫しており、原稿は書けない。そんな鬱屈した日々を過ごすひとりの作家の日常が綴られています。あくまでフィクション。でも、ほぼ田中さんの日常なんでしょう。彼が田舎の母親から、東京で行方不明になっている「G」という青年を探して欲しいと頼まれるんですね。
 
Gは母親の友人の息子。作家志望でしたが、バイトを辞め姿を消してしまったのだそうです。田中さんはめんどいなーと思いつつも、原稿は書けないし死にたいし、とりあえずGくんを探してみよーかなーとゆるーく行動にうつします。
 
バイト先に聞き込みしたり、ファンレターの中にそういう人物はいないか探してみたり。間で、幻影のように現れる別れた女や白い帽子を被った男。病みかけの作家田中さんは、酒に溺れ締め切りに怯え、結果Gくんを見つけ出すことができるんでしょうか……。
 
 
 
 
物語と考えると、訳分かんない話です。でもね、「G」っていうのはGODの頭文字なんだって。田中さんが探してるのは神。相変わらず、この人は救いを求め続けている。
 
太宰治が延々「僕みたいな卑怯で矮小な人間はさっさと死ぬべきだー。僕はほんとにクソ以下でだってこんなこともあんなこともあったしさー」みたいに書いてるエッセイあったじゃないですか。エッセイ、というのかは分かりませんが、あれも私小説と分類するんかね。まあ、そういうぐじぐじ言い訳ばっかしてるやつ。
 
あれを無様にならずに書き上げた作品、と私は受け取りました。田中さん自身は、自分の恥部を明かすことに快感を覚えてるぽいところがあるんだけどねえ。でもやっぱり嫌いじゃないのよこの人。むしろ好きなのよ。おんなじ星の生まれっていう気がする。赤の他人とは思えない。
 
最後、田中さんはGの代理人という女性にこう問いかけられます。
 
「あなた、まだ死なないんですか?」
 
……だめー!まだ死んじゃだめ!もちょっと生きて!世の中の度肝を抜く小説を書くのよー!
 
という訳で、相変わらず面白い男、田中慎弥。私はこの人が好きです。未読のも読まなくちゃなー。
 
いずれ読もっ。楽しみ。ではではそんなわけで。
 
またっ!