あーちょー怖いわ。
悲しいお別れがありました。
こんにちは、渋谷です。
今日、大変に悲しいお別れがありましたよ。
結構落ち込んでいます。まあくだらない話なんですけど、子供が持ち帰って夏休みの間お世話していた、朝顔を学校に返しちゃったのです。
「朝顔のタネ植えたんだー」みたいな話は7月頭に聞いてたんですね。で、夏休み前に持って帰って観察日記もつけたわけです。
私としては、「この朝顔はもううちの子なんだ」と思い、ベランダにネットをかけて、それに這わせて大繁殖を試みたのです。いい具合に朝顔ちゃんは蔓を伸ばし、うちのベランダを華やかにしてくれていたのですが。
夏休み明けに「また学校に持ってきてくださーい」なんて馬鹿なプリントが入ってやがるんだよ。ばかばかばーか、この子はもううちの子だっ。誰が学校なんかに返すもんか!
……なんてことも言えるはずもなくね、ネットに絡まった蔓を鉢に戻し、車で今日持って行きました。子供が持てるような重さのもんじゃないからね。したら、三分の一の朝顔が枯れてるの。だよねー、先生ちゃんと言っといてくれなきゃ、枯らす家庭はあるって。ていうか、鉢ごと処分しちゃった家もあるんじゃない?
うちは逆に愛着が湧いちゃって仕方なかったんですけどねえ。一緒の鉢に別の花の苗を植え足して、なんかものすごいボリュームになってるのもあった。笑った。でも、枯れちゃってる子は結構心に傷を負っちゃうんじゃないかなあ。先生、ホントに言葉が足りてないですよ。
そんなわけで悲しいお別れとなりました。けどね、この朝顔ちゃんのタネをまたベランダの鉢に撒くのだ。芽が出るかなー。まあ、季節的に不向きかもしれませんけどね。
楽しみです。そんなわけで本を読んだ話。中村文則さんの芥川賞受賞作、「土の中の子供」を読みました。
この作品は短編集で、
土の中の子供
蜘蛛の声
が収録されています。
芥川賞受賞作の「土の中の子供」は、はっきり言っちゃえば児童虐待の話ですね。実の親に捨てられ、親戚に暴力を振るわれながら育てられた子供が成長して、死の手前にあるものを求めるお話です。
主人公の「私」は27歳のタクシー運転手。最近白湯子という女を拾って同棲しています。
この主人公が虐待を受けた青年なんですが、冒頭からいきなり暴走族にぼっこぼこにされちゃいます。自分から因縁つけに行っちゃったんですね。他にもビルの屋上から飛び降りてみたり、車のアクセル踏み込んでガードレールに突っ込んでっちゃったりするんです。この青年なりの「生と死」が描かれた短編なんですが、これは、分かる人じゃないと分からない世界なんだろうなー。
「生きて行くのが嫌だから死ぬ」という、単純な理由で彼は死を求めているんじゃないんですね。もともと、はっきりと「死にたい」と思っているわけでもない。
ヘドロの川に捨てられた壊れた自転車、そういったもののようになってしまいたいと彼は思っているんです。それって死にたいって状態なんじゃないの?って思うんですが、違うんですよね。彼を死に至らしめる暴力の先に、彼はもっとも本質に近い自分に出会えるのではないかと思っているんです。死にたいわけじゃない。彼の本心は死を恐れている。
彼女の白湯子というのは、無保険で飲んだくれの困った女なんですが、この女を守って生きて行こうという意思も感じられます。決して自暴自棄になって人生を放りだそうとしているわけじゃない。でも彼は、どうしても自分の身を危険にさらしたいと欲求にあらがえないのです。
結局のところ、死ぬ寸前までの虐待を受け、山中に埋められるという経験ののちに生き延びた彼は、自分に根付いた恐怖を克服し、強さを得るためにわざわざ死にそうな状況を作り出し、その中に飛び込んでいってしまっていたんです。死ぬために危険に身を投じるのではなく、「自分には生き抜く強さがある」と証明するためにわざわざ死にかけてみる。……めんどい男やなー。でも気持ちは分かる。破滅願望ってちょっとこの感情に近いよね。
どこまでやったら死ぬのか。意外に死なずに済むものなのか。どこまでやったら破滅するのか。私は破滅まではいかない運を持ち合わせているんだろうか。
いったん死の淵を見た人間は、妙なことをし始めてしまうものなのかも知れません。けれど彼には白湯子という守るべき女ができました。良かったね。もう克服して見せなくても君は強い。守るべきものを持った人間は、何も持っていなくても何者よりも強いのです。
……と、いうわけでドストライクだったぞ「土の中の子供」。この作品は暴力描写がたっぷりでしたが、中村さんって書き方が上手いなー。「暴力があった」ことは分かるんだけど、エグさがない。すっと読み飛ばせるエグさ。上品な暴力描写とでも言いましょうか。私もこんな風に書けるようになりたいな。
私も今児童虐待の話を書いているので、参考になりました。やっぱキーワードは「淡々と」やな。淡々と書く。なんなら爽やかに書く。ねちこい話ほどさらっと流さんといかんね。
さあ、次は今村夏子さんの太宰治賞受賞作の「こちらあみ子」。デビュー作でしたっけ?芥川賞受賞おめでとうございます!こちらの評判も非常に良かったそうなので、楽しみ。
そんなわけで、またっ!
うーん、なんかちょっと違う感じでした。
こんにちは、渋谷です。
「切羽へ」「潤一」が面白かった井上荒野さんをまた読んでみましたよー。「そこへ行くな」。題名が良くない?「そこへ行くな」。そこってどこやねん。
今書いてる短編がなんかもうけちょんけちょんの話で。田中慎弥さん風味の、神もなけりゃ仏もない地獄の環境に住んでる子供が、表面だけは綺麗につくろってたんだけど中身はえらいことだったんですよ、という話を書いてるんですね。最初はもっとマイルドにするはずだったのになかなかねー。こんなに日々にこにこして生活してるのに、パソコンの前に座ったら鬼畜みたいな話書きだしちゃうんですよねー。私の中の鬼畜成分を吐き出しちゃおうとしているのかも知れません。だいぶ吐いたけどまだ残ってるんだなー。
まあ、そんな話を書いてるので、いまいち薄味に感じたのかも知れません。この「そこへ行くな」は中央公論文芸賞受賞作の短編集です。
収録作が
遊園地
ガラスの学校
ベルモンドハイツ401
サークル
団地
野球場
病院
となっております。
題名の「そこへ行くな」が意味する通り、「そこ」で起きた不穏な話を集めた短編集なんですね。「そこ」が遊園地だったり団地だったり。
この井上荒野さんという方、前にも思ったんですが、セックスの描写が面白いのね。描写って言っても、実際の行為の場面でなく、「なんでその二人はセックスすることになったのか」「愛し合っているわけでもないふたりをセックスするに至らしめた理由は何なのか」っていうね。
「潤一」なんか、もうもろにそれで1冊の本を書いちゃったっていう話だったし。私はもういい大人なので、セックスそのものには大して興味がなくなってきてるんですが、所謂「性交」って行為は面白いなって思うんですよ。初潮迎える前の子供にも欲情する男はいるし、閉経を迎えてもセックスしたい女性もいる。子孫を残すことが目的なら、その思考って必要ないってことになりますもんね。
だから、子孫繁栄以外の欲求がセックスという行為にはのってるんでしょう。それが何なのか。肉欲と呼ばれるものなのか、承認欲と呼ばれるものなのか、それ自体が本能なのか、セックスというのは善なのか悪なのか。
……とか考えると面白いよね。「汚らしい!」とかって拒否するのはもったいない議題だと思うんです。
で、それが描かれていたのが「ベルモンドハイツ401」と「野球場」。……人間って、セックスって、因果なものやなあと思いました。
「ベルモンドハイツ401」は、三十代半ばの中学校の同級生たちが、ベルモンドハイツ401で飲み会して酔っぱらって、乱交しちゃったという話です。男3、女2。
いい大人が合意の上でやっちゃったことなので、笑って済ませりゃいいんじゃないかと思うんですが、女のうちの1人が「訴える!」とか言い出します。中学時代のパワーバランスが微妙に働き続ける5人の関係。そこに乱交しちゃったという事実が加わり、話は混迷を極めていくのです……。
「野球場」はなんかその逆。野球チームを作って球場を借りて練習している、飲食店の従業員の男の子たちが登場人物。
その野球場で事務なんかをしている冴えない女がいるんですが、この女が激しいヤリマンなんですね。この男の子たちと個別に関係を持っているのです。
「俺あいつとやっちゃった」
「え、マジで?俺もやったんですけど」
「うっそー、お前らよくあんな女抱けるなあ」
「よくあんな女抱けるなあ」なんて言ってる男も、実はもうやった後なのかも知れませんけどね。他のチームにも手当たり次第に手を出していた女。……どういう心理状態だったのか。一番知りたいのはそこなんですが、女の視点はまったく描かれていないので分かりません。さんざんやりまくった挙句、仕事を放りだして姿を消してしまった女。もうほとんどサイコホラーです。
井上さんの著作というのは、結末がはっきり描かれないものが多いようですね。作風と言うか。
私はその「なんでセックスするに至ったか、その欲望の正体は何なのか」みたいなのに面白味を覚える人間なので、結末がもやっていてもこの2作品は面白かった。でも、他のは本当になんだかよく分からんかったなあ。
狭い世界で生きる人間の日常を切り取った、もやっと小説、て感じですかねえ。「遊園地」はクズな男が際立っていたのでなかなかいい具合でしたがね。二つの家庭の間を行ったり来たりする亭主。これは恐らく井上さんのお父さんのことをモデルにしていたんだろうと思います。瀬戸内寂聴さんと長く不倫関係にあったそうだし。
あと、最後の「病院」だけ急に爽やか青春物語みたいになってたのが不思議だった。あれは中学生に読ませるためのやつですかね。ちょっと他の短編と毛色が違い過ぎる。
……と、いうわけで、「潤一」みたいな井上荒野さんの作品をまた探してみたいと思います。次は「掏摸」が面白かった山本文則さんの芥川賞受賞作を読むよー!
「土の中の子供」……おう、今私が書きたいことに近いのではないだろうか。楽しみ。というわけで。
またっ!
あーやっと読んだよー。
こんにちは、渋谷です。
はい本読んだ。うーん、長くかかったなあー。ま、ここ数日ぼんやりしてたんですけどね。子供の学校始まって。ネイルも新しくして。
美容室は明日ー。いつもより強めにパーマかけてもらうんだ。緩いパーマがかかったロングなんですが、ちょっとファンキーな感じにしてもらうよ。なんかそんな気分。色もいつもより明るくしてもらおうかな。
なんか自由だなと思って幸せな日々です。幸せな今日が幸せな明日を作るのです。とか言って、書いてる小説はぎょっとするようなやつなんだけど。昨日書いたとこで少年が継母とあんなことしてお父さんに刺されちゃったよー。相変わらず作風はエグイ。今日これから書いていくところは、可憐な少女の中に潜む泥の血についてです。人間性はとてものんびりした女なんですが、書き始めるとすぐこんなんなっちゃう。
ま、書いてる間も面白いのでそれはそれでいいかと。で、下村敦史さんの「闇に香る嘘」を読みましたよと。……うーん、これがね、ものすごく社会派の作品でした。
第60回江戸川乱歩賞受賞作です。捻られてて作り込まれてて、面白いんだけどこれを読んで良ーくわかりました。
私って感覚派の人間なのだわ。こういう理詰めで攻めてくる作品って、納得はするんだけど心に残ったりはしないのよねえ……。
非常に複雑なお話の上に、ミステリーなので全容をここで書くのは控えようと思います。というか、複雑すぎて説明し切らん。
主人公は60代後半の盲目の男性です。40代初めで失明し、周りに当たり散らし奥さんに逃げられた困ったおじいさん。東京でひとり暮らしをしています。とても寂しい男性です。
主人公には娘がいますが、この娘にも距離を置かれてしまっています。けれど彼の孫娘は腎疾患を抱えている。自分の腎臓を孫に与えることで、家族を取り戻すことができたらと主人公は願いますが、残念ながら主人公の腎臓は移植に耐えられる健康なものではありませんでした。
主人公の実家は岩手。そこには中国残留孤児だった兄と、年老いた母親が暮らしています。この兄が孫に腎臓を与えてくれたら。そう思い主人公は実家へと向かいますが、兄にはにべもなく断られる。それを主人公は、「この兄は偽の兄で、適合検査をされると偽物であることがバレるから拒否しているのではないか」と疑い始めるのです……。
中国残留孤児。私が子供の頃に、よくテレビで再会の場面が流されていたものです。満州開拓団として中国に渡った人達のうち、敗戦後日本へ引き揚げる最中に親とはぐれるなどし、そのまま中国で育った子供たちのことを指すんですね。
宮尾登美子さんの「仁淀川」では無事に家族三人満州から高知に帰って来られましたが。あの本にも極限状態だった引き揚げの様子が描かれていたなあ。そういう状況下で、もう連れて行けないとなった子供を中国人夫婦に預ける人などが多くいたんだそうです。
そんな状況で母親と共に岩手に帰り付いた主人公。はぐれた兄は後に帰ってきましたが、主人公は兄の変わりように違和感を覚えます。日本人というより中国人っぽい。まあ、中国で育ったんだから当然なんですけど、その疑念が主人公を、兄の正体を暴く戦いへと突き動かしていくのです……。
えーと、まずこの主人公の老人が性格が悪いんですね。ひねた障碍者なんです。盲目であること、それ自体は大変なハンデキャップであるし、ご苦労は私には分かりません。しかしそれにしたってあんまりだ。自分は誰に甘えてわがまま言っても許されるという、妙な信念のもと大暴れをし、結果ひとりぼっちになってしまいました。この孤独な老人の一人称なのが読んでて結構つらかった。
で、テーマが中国残留孤児と不正入国。話が複雑で登場人物も多い。主人公が話を聞きに回る満州開拓団の人もわんさかいるし、「残留孤児の権利を守る会」みたいなとこの人も怪しいし、入管の職員なんか偽者まで現れるし、密航して来た中国人は意味分かんない点字の暗号文を送り付けてくるし、とにかく盛り沢山なんです。
盛り沢山だからこそ、謎は深まり読後にはすべての謎と行き違いが解き明かされてほっとするんですが、ここまで盛ってくれんでも私はいいわあ……。しんどい。主人公が盲目だからこそ成り立つ、テクニック満載のミステリーではありましたが、私が求めているものとは何か違ったねえ……。
そうそう、こないだ夫とこんな話をしたのよ。テレビ見ながら。光浦康子が「外食で7000円以上払うのはなんかヤダ」みたいな話をしてて。それは、「7000円以上払うならいい素材使ってんのは当然なんだから、美味しくて当たり前じゃん。安くておいしい店に行きたい」って意味らしいんだけど。
夫は「そうそう!」って。「原価計算したら大体の値段分かるのに、ボラれてる気がするから高い店には行きたくない。高ければ美味しいものだって、客が勘違いするとでも思ってんじゃないの?」だって。でもさー、私はそれは違うと思うんだよね。どっちが正しいっていうんじゃなくて、感覚の違いなんだけど。
店行って、くつろいで、食べて、店員さんにサービスしてもらって、あー美味しかったってなって、家帰って、寝る前に「今日のお店良かったなあ、いい一日になったなあ」って思う、そこまで含んでの料金だと思うのよ。原価1000円のものに3000円払わされたからあの店はダメだ、なんて短絡的過ぎだと思わない?
……って言ったら、「へええええ」だって。「そういう考え方もあるんやねえ」って。
まあ、理論脳と感覚脳の違いなのかなと思います。大体店行って原価計算なんかせんちゅーの。それより目の前の食べ物で頭の中いっぱいになるっちゅーの。男の人って、めんどくさい世界に住んでるんですね。
そんな感じに理論の渦に巻き込まれた「闇に香る嘘」でした。はー疲れた。次は女性作家のやつ読もう。
というわけで、またっ!
今日から新学期!
こんにちは、渋谷です。
子供が学校に行ったのよ。
12時過ぎには帰ってくるんですけどね。
朝の家事をパパっと済ませて、喫茶店でモーニング食べて帰ってきましたよ。
はー……人が焼いたホットケーキと人が淹れた紅茶。
幸せでした。
今、本は下村敦史さんという方の江戸川乱歩賞受賞作、「闇に香る嘘」という作品を読んでいます。面白いんですが、長いのでなかなか読み終わらない!中国残留孤児がテーマの、とってもスリリングなお話です。
今半分ぐらいまで読み進んでるんだけど、せっかく時間ができたのでやりたいことが色々あって、ちょっといつ読み終わるのか分からない……。もちろん小説も書きたいしね。その前に、前にも書いたけど、自分を甘やかすっていうのを徹底的にやろうかなって思ってます。私癖なのか何なのか、自己犠牲の精神でここまでの人生を生きてきちゃってるんですよね。
40になって人生折り返し(分からんけど。120まで生きるかも知れんけど)、この先の人生も誰かの犠牲になって苦しむなんてまっぴらだ!
ちょっとそういう流れが来ているようです。なので、脇目も振らずに小説を書きまくろうかとも思ったけど、まずは自分を甘やかしまくりたいと思います。
美容室行って。綺麗にネイルして。小説じゃない本も色々読みたい。(ここには小説の感想しか書いてないのですが、私、実用書みたいな本大好きでよく読むのよ)
つくづく、お姫様扱いされてないと嫌な女なのですよ。結婚すると夫にしか女扱いされないので、つまんないのよね。自分で自分をお姫様扱いしてあげないと、自分の中の自分が拗ねる。で、誰かの犠牲になることで自分に価値を見出そうとし始めちゃう。そうなると色々めんどいので、私自身で私を可愛がりまくってやらなければならないのです。
夏休み中、子供優先だったので拗ねていたようです私。1週間ぐらいやりたいことやります。だから更新もしたりしなかったりだろうなー。まあ生きてますので、ご心配なく( ´艸`)
今の本を読み終わったらまた更新しますね!
そんなわけで、また!