恥辱とカタルシス -10ページ目

恥辱とカタルシス

作家志望、渋谷東子と申します。
よろしくお願いします。

お久しぶりでーす。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

お久しぶり……と言うほど間は空いていないでしょうか。

 

でも空いても一日ぐらいだったんでねー、二日も空くとなんだかすごくお久しぶり気分です。この後三連休は大雨の中キャンプに出る予定なので、おそらく書けないので近況報告。とりあえず、ゲーム熱は収まりました。レベルが上がって爽快感より焦燥感が勝るようになって、もーいーやって。

 

とにかく小説を書いていました。結構かなり進んだ気がするんだけど……原稿用紙換算にしたらまだ280枚なんでやんの。10万字ちょっと。で、話は7割ぐらいまで進みましたかねー。これ、今月の半ばまでに書きあげたいって言ってた人がどっかにいましたけど……無理無理無理。月末までに書き上がるかなあ。子供は夏休みに入りますしねえ。でも、どうしても小説現代に応募したいので、ひたすら頑張るのみです。夫が寝静まってからも書いてたので、読書も進みませんでした。

 

いま、塩田武士さんの「罪の声」を読んでます。来年星野源と小栗旬で映画化される作品です。塩田武士さん、すごいなあ……。そう思って読み始めたんですが、これがなかなか進まん。結構な長編ということもありますが、それ以上にこのお話、ほぼ警察小説ぽい感じだったりするんですよね。主人公は新聞記者の阿久津。彼が、「グリコ森永事件」を模した「ギン萬事件」なる未解決事件を解明すべく奮闘する物語です。

 

主人公はもうひとりいまして、テーラーを営む中年男、俊也。彼が自宅の一室からとあるカセットテープを発見するところからお話は始まります。その中に吹き込まれていたのは、幼い頃の自分の声。かの有名な「ギン萬事件」で使われたとされる、幼児の声での身代金の受け渡し場所を伝えるテープは、なぜ自分にそっくりな声をしていて、しかも自宅に保管されていたのか……。

 

阿久津と俊也がそれぞれの方向から「ギン萬事件」を紐解いていきます。私は今4割ぐらいしか読んでないんですが、ふたりはまだ出会っていません。多分7割目ぐらいで出会うんじゃないかなあ。けどまあ、なかなかに登場人物が多くて、阿久津がやってることとかいる組織が警察っぽくて、複雑で一気読みすることができません。あほやから、色んな事があちこちで起こる話って整理するのに時間がかかるのよ。面白そうな予感はびんびんするから、読み飛ばすなんてこともできんしね。どれが伏線か分かんないから、目を皿のようにして読まねばならん。

 

というわけで、読み終わるのにはまだまだ時間がかかりそう。キャンプ中に読むかね。どうせ雨だしね。のんびり酒でも飲みながら。でも四国は豪雨らしいぞ。なんだってそんな時に野営をせねばならんのか。分からぬ……まあ、解放感はありますけどね、外で寝るの。とは言え何も雨の中やらんでも。

 

まー夫の唯一の趣味なので、付き合ってきたいと思います。

 

そんなわけで、また連休明けに!

ああー、えらいこっちゃ。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

えらいことになってしまいましたよ。時間泥棒が出没しました。映画泥棒の親戚です。やつの本名はスマホゲーム。子供が私に言ってきたのです。「ねえ、ママー、このパズルといてよー」

 

パズル、と言いますか、キャンディクラッシュみたいなやつですね。まああれはパズルゲームというのか。あれ、私大好きなんです。大好きかつ得意。解けるもんだからライフが減らずに延々やり続けなきゃならない。その沼に昨日落ちてしまいました。小説家を目指すようになって1年半、まったく触っていなかったのに。ああ、面白い。面白いけど時間の無駄。分かってる、分かってるのにやめることができない。

 

なんか知らないけど、時間帯で2時間ライフ無限みたいなこともやってるのね。昨夜、本を読み終わってさあこのブログを書こうかなとして、「……そういや子が言ってたパズル……」とつぶやいてから3時間やっちゃいましたよ。あっという間にレベルもガン上がり。朝子供大喜び。いかんいかーん!時間泥棒が出た!えらいことになっちゃうぞー!

 

スマホゲームなんかしてても作家にはなれません。面白いけど。子供のスマホに落としてるゲームなので、子供が家にいるうちはやらなくて済むんですけどね。……夜だな。やつが寝てからが勝負だ。いかに我慢するか。っていうか、私の日常って平和やなあ。なんだこの変な悩みは。

 

まあ、ほどほどにしたいと思います。では、本を読んだ話。今日は乾ルカさんの「心音」です。

 

この乾ルカさんはオール讀物新人賞からデビューされた作家さんなんですね。直木賞候補にもなったことのある方です。この「心音」は小説宝石で連載していた作品だったようで、図書館で手にした時には「あ、軽い恋愛ものなのかなー」と思って借りたんですよ。表紙は綺麗なピンク。うっすらバイオリンが描かれていたりして。

 

ところがどっこい、読んでびっくりでした。重い重い。命と運命を深く掘り下げたお話でした。なかなか……うん、ヘビーだったなあ……。

 

 

 

 

主人公は明音ちゃんという女の子。最初に出てきたときは8歳です。心臓に先天的な病気を抱えていて、募金を募りアメリカで心臓移植を受けました。手術は成功。けれど、まったくの健康体になったわけではありません。運動はできないし、寿命もおそらく短いと言われています。この明音ちゃんが、社会の悪意に晒されながらも必死で生きて行く物語です。

 

社会の悪意、とは何だという話なのですが、1億5千万の募金でアメリカで心臓移植を受けた明音ちゃんに心無い声をかける人が後を絶たないんですね。ネットで募金活動を展開していたために、明音ちゃんの名前を検索すれば当時の記事などが簡単に出てくるんです。そこで「ああ、命が助かったのね、良かったね」で済まないのが恐るべき大衆感情。

 

明音ちゃんは「1億5千万円さん」というあだ名をつけられ、「お金で命を買った」と言われ学校でいじめられています。ちょっと変わった子を爪はじきにしたいのが子供ですし、おそらく親たちも子供に色々と吹き込むのでしょう。お金が絡んでいますので、妙な感情を持つ人もいるんですね。そういう人たちに「募金で贅沢してるんじゃないか」なんて変な目で見られたりする。

 

こういうの、残念ですが震災の時にも聞きました。「義援金でぜいたくしてんじゃねえよ」「何にもしてねえのに金もらえていいよな」……びっくりするわ。どういう家庭環境で育ったら、こういうひねた人間が出来上がるんでしょう。お金を介すると人間の品が顕わになりますね。そんな下品な人たちだけでなく、「そこまでして病気の子供を無理やり生かすべきなのか」という生物学的な疑問を持っている人たちも、明音ちゃんからは距離を置くんです。まあなあ、これは私も考えるところ。

 

うちの子、切迫早産で600gぐらいで出てきそうになっちゃったんですよね。まあ、世の中には200g台で生まれてきても元気に育っている赤ちゃんがもいるので、そう一大事でもないんですが。いや、一大事よ。世が世なら、うちの子含めそういう子供たちは「残念だったね」で済んでいた。

 

私は3か月入院して元気に子供を産めましたが、そのまま子供を亡くしてしまう人がいる。医学の進歩でうちの子は生きている。でもこれが、1億5千万かければ妊娠継続できますよ、と医者に言われていたらどうだった?もちろんお腹の子は助けたい。でも人様のお財布にお願いをしてまで、私はお腹の子を助けていただろうか。生き物として弱かったから流れてしまいそうになった子を、医学の力で無理やり押しとどめてしまうことは自然の倫理に反しているんじゃないか。そう考えても不思議はなかった気がする。もちろん、今元気に学校に通っている子供をみて、本当に生んでよかったと思います。でも、確かに、私も明確な答えを持っているとは言えない……。

 

 

 

明音ちゃんは、募金してくれた人のために常に明るくあれとお母さんに強要されて、ひとりぼっちだけれど笑顔を作って一生懸命生きて行きます。高卒で就職するのも、社会の恩に報いるため。そこで出会ったバツイチ子持ちの上司と結婚をしたのが、おそらく明音ちゃんの人生の絶頂期でしょう。1年もしないうちにご主人は亡くなり、頑張って育てていた連れ子の男の子が自転車で事故を起こす。それにより、将来ある若い女性を寝たきり状態にしてしまうのです。

 

……おもっ。重いです。でも明音ちゃんは逃げません。病室に毎日赴き、被害者の家族にののしられまくります。もう死んじゃいたい明音ちゃん。昔からずっと、彼女には自殺願望があったんですね。心臓移植によって助かってしまったばかりに、彼女は苦しみの一生を背負わされることになってしまいました。でも、死ぬのは社会の善意を捨てること。もらった心臓を自分で止めてはいけないと考えているんです。うーん、律儀!お母さんの教育の結果なのでしょうが、だれか明音ちゃんに言ってあげれば良かったのに。「もらったものは俺のもの!」

 

被害者は手製のコミュニケーションボードを使い、まばたきで意思の疎通を取ることができます。ある日、明音ちゃんに被害女性は伝えたるのです。「わたしを、ころして」

 

ああ……大変。明音ちゃんはどういう結論を出すのでしょうか。ここでは書かずにおきます。どこまでも辛いラストでした。読み応えのある、それでいてさらりと読める作品。2時間ぐらいで読み終わりましたが、余韻はすごかった。だからゲームに逃げた。そして、ハマった。

 

まあとにかくね、何事も真面目に考えすぎちゃいかんのかなと思いました。明音ちゃんだって、ここまで追いつめられる必要はなかったんだよ。「ああそうだよ、私は1億5千万の心臓を持ってるよ!どうだ、すごいだろ!」と開き直ることができれば……こんなことには。ひとりの人間の半生を、脇から色んな人間に表現させる手法もとても際立っていて、読んでよかったと思える作品でした。面白かったです。

 

さあ、ゲームは封印して小説を書こう。今すぐ横にあるけど……子供のスマホ……だめだめ。ノーモア時間泥棒!

 

というわけで、またっ。

 

孤独とは……ですな。
 
こんばんは、渋谷です。
 
 
 
今日は久々なことが起きたよ!夫が携帯を機種変したから、旧携帯をもらって自分のSIMカードを入れ替えていたのです。
 
……というか、私のスマホが格安スマホで機種自体がしょぼかったので、夫に「それちょーだい」と言って機種変をさせたのである。夫は会社で法人契約をしているので、機種変しても自分の懐は痛まんのね。
 
で、SIMロック解除だのAPN設定だの自分で頑張ってやったんだよ。で、はたと気付けば電話帳がすっからかん。旧スマホの方もすっからかん。さすがにケータイショップに行きましたよー。そしたら、「グーグル、いじりました?」って。
 
グーグルなんかめちゃくちゃいじりまくってるっつーの。どうも私が自分で消しちゃったらしい。バックアップをとっていなかった私の電話帳はこれにて終了。でもいいのです。私の心は平静です。
 
夫以外の人と滅多に連絡をとらない私は何も困らない。用事がありゃ相手からなんか言ってくるでしょう。思えば、私昔から定期的に電話帳を飛ばしてる。水濡れとか紛失とか。まるで定期的に人間関係を整理しているかのようです。でも困った試しは一度もない。
 
こう考えると、一般的には私は孤独な人間なのでしょう。とにかく単独行動の人間なんです。むしろ誰かのペースに合わせるのが苦痛。なんかの集まりとかめんどい。若い頃はリア充みたいなこともやったけど、もうそういうのもなんか遠い世界の話だしねえ。
 
だから空っぽの電話帳で生きていくぞ。そういう私は孤独なのか?……とか思いながら読んだ、絲山秋子さんの「海の仙人」。特に何もねらってないのに、今回もなかなかタイムリーなお話でございました。
 
 
 
主人公は30代男性河野君。宝くじで3億円当てちゃって、東京で働いていたデパートをやめて、青い海が美しい敦賀に引っ越しました。元からこの男の子は孤独を好むタイプです。働く必要がなくなって、河野君は毎日釣りしたりアパート経営したり寄付活動してりしてのんびり過ごしています。おもしろかったのが、「海の砂でリビングを埋め尽くす」生活様式。ダットサンのピックアップトラックの荷台に海砂を積み込んで、自宅リビングに敷き詰めるんですね。彼は元々大阪の人間なんですが、すっかり敦賀の海に憑りつかれています。
 
そんな彼がある日、海で出会ったのが「ファンタジー」と称される謎の男。外国人の顔をした……私の頭の中ではジョニデでしたけど、白いローブを着た男です。彼は神だと名乗り河野君のおうちに居候してしまいます。
 
なんかね、イメージ的には「聖☆おにいさん」なんよね。キリストと仏陀の共同生活。そういうマンガがあるんです。いまNHKで実写ドラマになってますね。キリストが松山ケンイチ、仏陀が染谷翔太。面白いのでお勧めです。
 
ファンタジーは自分を落ちこぼれの神だと名乗ります。彼を必要とするのは、ニホンオオカミとかトキみたいな絶滅寸前の生き物なんだって。これは冗談でなく、ファンタジーはある人間には見ることができますが、ある人間の眼にはまったく映りません。この段階では何が何だか分からない。ふたりはのんびりと、でもじんわりと心を通わせ日常を深めていきます。
 
そんな河野君に、ある日恋が舞い降ります。観光客の女性、かりん。年上の彼女は観光で敦賀を訪れていて、河野君と相思相愛に。けれど仕事で忙しい彼女とは、月に2回ほどしか会うことができません。その上河野君には心に傷があり、かりんとセックスすることができない。かりんはファンタジーを見ることができ、3人で過ごす時間は優しくて、河野君はそれまで孤独だった自分の人生が充足していくような感覚を覚えます。そんな時、東京からやって来たのが、デパート勤務時の同僚、片桐という女。
 
この片桐はむかしからずっと河野君に恋をしていました。彼女は旅行の一環で河野君の家に転がり込みます。彼女の眼にもファンタジーは見ることができます。3人は新潟までの自動車旅を計画します。そこには河野君の絶縁中の姉がいる。姉はその昔、河野君を夜な夜な襲っていました。近親相姦ですね。なのにお姉さんは河野君に襲われていたと主張するので、悪者は河野君です。そんな姉に会いに行き、過去を清算しようとする河野君。この旅が一編のロードムービーなんですね。お約束のガス欠も起こりますし、夜は3人でラブホお泊りしたり。いいなあ、楽しそう。
 
河野君以外、他の登場人物もみんな事情を抱えています。かりんも家族と断絶。片桐は河野君への届かぬ思いに無駄な男性遍歴を重ねたり。片桐もかりんも孤独なんですね。かりんと河野君はセックスレスのまま付き合いを続け、片桐は河野君への思いを募らせ続けます。そしてある日判明するのがかりんの乳がん。もうターミナル期です。孤独な人間である3人の関係性は、これからどう変わっていくのでしょうか……。
 
 
 
最後まで謎なのが、ファンタジーという謎の存在です。「この人……いる?」と思いながら読んでました。いや、いい人だしキャラとして面白いんですが、どうしてわざわざ神?この存在にどういう意味がある?
 
でも読み終わって分かりました。ファンタジーという神様は、孤独な人間のもとに舞い降りる。その孤独を一時癒すために現れ、孤独が癒されれば去っていく。かりんはがんで死んでしまい、より深い孤独に苛まれた河野君のもとに再び舞い降ります。河野君の身にも大きな不幸が訪れているんですね。ファンタジーが現れて、ラストにまたほんの少し孤独が薄まる河野君。……うん。良かった。そうか。でも私は思うんだよ。孤独なことは、果たして悪いことなんだろうか?
 
 
 
テーマは「孤独」ですね。興味深いです。けど、家族を持っている私がいうのはなんですが、孤独でいることはそんなにいけないことなんでしょうか。いけない、っていうのは言葉は違うかな。でも、生まれつき一人の方がいい人間もいるし。そういう人間を「かわいそう」だと思う人もいるんでしょうが、こっちは別にかわいそうじゃないし。気を遣って仲間に入れてもらう必要もないし。
 
けど、私もファンタジーが目の前に現れたら普通に受け入れてしまうかも知れない。ずうずうしく垣根を越えて分け入ってくる謎の神様。ほんとタイムリーやわ。私、今日電話帳飛ばすし、今書いてるのは孤独から抜け出ない女の子の話で、がんで死ぬ人が出てくる話だし。
 
図書館で「あ、読んでみよ」と何気に手に取っただけなんですけどね。図書館には答えがある、というのは本当ですね。面白かった。絲山秋子さん、さすがに芥川賞作家さんなんですね。この作品も芥川賞候補作なのですが、受賞作の「沖で待つ」も読みたいと思います。面白い作家さんだと思います。
 
しかしねえ……、いま、夫が横で「ノーサイドゲーム」見てるんですよ。日曜ドラマ。池井戸潤さんですね。しかしこれ、こんなふうに映像化されて池井戸さんはどう思われているんでしょうか。なんというか……見ててつらい。しんどい。これだからドラマ嫌い。
 
ううう……映像化ってこういうもの?なんだかなあ。きっと池井戸さんが書きたかったものが、すごく陳腐になってしまっている気がする。分かりやすく尺に収めるには、仕方ないのかも知れませんが。
 
……うん。まあ、これから毎週見ることになるのでしょうから、もっと良くなっていけばいいな。私の勝手な意見です。面白いと思ってらっしゃる方も多くいらっしゃるでしょうから、生意気言ってごめんなさい。
 
芸術性のあるものを見たい。大衆をあおるものを見るのがしんどい。結局変人のつぶやきですわ。分かってはいる。でも、これが娯楽なのか……。
 
まあ、自分の道を行きましょう。というわけで、おやすみなさい!
 
 

酷い話もあったもんですよ。

 

こんばんは、渋谷です。

 

 

 

こんなお話を聞いたので、生まれて初めてのリブログ。

 

 

昔さあ、青竹屋っていたじゃない。「たーけやーあー、さおだけー」っていうアナウンスとともにやって来る軽トラ。青く塗装(ビニールテープを巻いてたのか?)した孟宗竹の物干しざお、もうちょっと後年になったらアルミパイプですかね、あれを売るおっちゃん。「さおだけくださーい」なんて声をかけようものならもう大変。勝手に5本も6本も切って、「奥さん、1本しか買わないの?もう切っちゃったんだけどねえ……」って脅しかけてくるんですよ奴らは。石鹸やスポンジ売る、押し売りって人種もいましたねえ。そういうのが、この令和の世に平然と商売してるんだって。すごいねえ、まったくもってナンセンス。

 

こういう人たちってうまーく証拠を残さず仕事を終えますので、なかなか尻尾を掴みづらい。でも、今はSNS全盛の消費者が声を上げられる時代ですから。同じ被害に遭う人がこれ以上生まれないためにも、微力ですがリブログさせて頂きました。私、ネット関係とかで電話窓口に出た人の名前は必ず控えるようにしてるんですが、録音しておいた方がいいかも知らんね。もしくは、「後々揉めるの嫌なんで録音しときますよ」って先に言い切るとか。それぐらいしないと自衛はできないのかも知れない。

 

社会が殺伐としてきて、言葉が正しいのか分かりませんが、日本人が日本人ぽくなくなってるような印象を受けることがよくあるんですよ。大陸的と言うか、半島的と言うか。ちょっとした不適切を社会全体で全力で叩くとかね。日本にかつてあった「なあなあ文化」はどこ行った。そんなに他人を叩けるほどあんたは清廉潔白なのか?人は誰でも間違う。間違った後にどう生きていくのかが大切なんじゃないか?不適切を叩きのめして満足か?じゃあ張り切って一生を「適切」の中で生きて行ってくれたまえ。どんぐりの背比べでお隣よりちょっと見栄えが良い自分を喜ぶがよい。叩き合いを見て笑っている人間がいることを知ってるか?政治家のマリオネットだ。ばーかばーか。

 

……あ、話それた。とにかく、大手だからと言って、相手の言うことを丸侭鵜呑みにするのは危険ですね。被害に遭われた方が、何十倍もの幸運に恵まれますように。

 

そんなわけで、今日も読書感想文。大好きな窪美澄さんの、「アニバーサリー」を読ませていただきました。

 

 

 

結論から言って、もうこの作品はチャンピオンです。チャンピオン……なんか懐かしい響きだな。秋田書店の漫画雑誌みたいですが、私にとってはそれぐらい響きました。とにかく、「ふがいない僕は空を見た」で始まった窪さんの不安定な物語が、ここで結実したんじゃないか、と思いました。……エラそうなこと言って、まだ全部著作を読ませて頂いたわけではないんですが。

 

とにかくまあ、面白かったんですよ。主人公はダブルヒロインで、マタニティスイミングの教師をしている晶子と、カメラマンをしている妊婦の真菜。晶子は戦争を経験している老人で、真菜は20代の若い妊婦です。最初に語られるのは晶子の半生。これがひとりの女の一代記としても引き込まれる、迫力の物語です。

 

裕福だった晶子の実家、使用人たちの分まで手を抜かずに料理を作る晶子の母親。家族で避暑に訪れた海での光景、疎開した先での友達とのかけがえない思い出。全てがキラキラと輝いています。やがて結婚し、我が子の死を乗り越え、晶子はマタニティスイミングの先駆者に師事し、自分もその道に心血を注ぐことになります。

 

対して真菜の半生は、闇そのもの。料理研究家の母親に顧みられることなく、切ない子供時代を過ごした末に、真菜は売春に走ります。唯一の憧れだった、カメラを自分の力で手に入れたかったんですね。やがて自分が身体を売ったカメラマン、岸本を師事し、カメラで身を立てていく真菜。けれど遊び人岸本に時間と若さと身体を捧げ、最終的には真菜はポイされてしまいます。そして、別れてから自分のお腹に命が宿っていることに気付いた。

 

そこで晶子と真菜は出会うんですね。やけっぱち真菜は知り合いに誘われてマタニティスイミングを始めますが、乗り気でない不良妊婦です。……いるよね。妊娠してても酒も煙草も止めない人とか普通にいますからね。社会は縦に出来ているので、下を見れば知らない世界はいくらでも覗けます。真菜はそういうところを歩いてきた女の子ですが、性根は決して腐っていません。そして、そこであの東日本大震災が起こります。

 

力強い高度経済成長期を生き抜いてきた晶子と、ノストラダムスの予言を本気で信じて薄目を開けて平成を生きてきた真菜。ふたりの間に生まれてくるのは真菜の娘。……ああ、迫力でした。前回、作品の「在り方」とか「なり方」みたいな話をしましたが、これは壮大な「なり方」だな。窪美澄さんは丁寧に主人公の感情を描き出す作家さんですね。どうしてこういう事態が起こったか、そしてここからどうなって最後にはどうなるのか、の「なり方」をとても丁寧に書いて下さる。真菜の「なり方」、この覚悟の決め方はきっと窪さんの持っている覚悟なのでしょう。ほんと、めちゃくちゃカッコいい女の人だなあ……。

 

 

 

と、いうわけで、窪さんが好きです。ツイッターもフォローしてるんですが、自分の本の書評をエゴサして「読んで下さり、ありがとうございます」って返信なさるんですよこの方。……なんて生真面目な……。やはり真面目が行き過ぎてこうなってしまったんでしょうか。好きです。私はこういう女の人が好きです。

 

いつか、私も老人の半生をこんなに美しく書きたいな。老人がちゃんと出てくる話を書いたことがない。三世代の絵巻物を書きたい。血族の物語、みたいな。「赤朽葉家の伝説」もすごく面白かったし。多分私こういうのが好きなんだよなあ。

 

そんなわけで、今日は終了。家族が寝たので、今から小説を書きましょう。

 

では、おやすみなさい!

健康診断、結果が届きました。

 

こんにちは、渋谷です。

 

 

 

6月に受けた健康診断の結果が届きましたよ。血液検査と乳がん、子宮頚がん検診。血液検査は1年ぶり、がん検診は3年以上ぶり。さあ、どうなっていたかと申しますと。

 

相変わらず健康ー!毎日毎日あほみたいにストロングのチューハイ飲んでるのに肝臓の数値は良好!乳がんも子宮頚がんも問題なし!しいて言えば一つだけ、コレステロール値が低すぎるんですけど。私、昔した病気のせいでコレステロールが低すぎる症みたいのになっているんですね。

 

でもまあ、高いよりゃいいだろ。ということにしておく。まあ何もなくてよかったです。そして本を読んだ話。

 

山崎ナオコーラさんの「美しい距離」を読みましたよ。狙ったわけではないんですが、この作品、末期がんでターミナル期に入った妻を見つめる夫のお話です。今私が書いてる話も、がんで死ぬ人が出てくるんです。(はっ!ゆかさん、ネタバレ!)だから色んな意味でタイムリーだった。

 

この山崎ナオコーラさんという方は、「人のセックスを笑うな」という文藝賞受賞作を読みました。キャッチーな題名とは裏腹に、意外に普通のお話だったんですよね。それからこの方、たくさんの著作を発表されてるんですが、とにかく賞に縁がない方だったんです。芥川賞は5回も候補になっているのに受賞に至らず。三島由紀夫、賞野間文芸賞なども候補どまり。この「美しい距離」も芥川賞候補になった作品です。けれど神は努力している人間を見放しませんねえ。この「美しい距離」で、とうとう島清恋愛文学賞を受賞なさったそうです。13年越しの文学賞の受賞ですね。うん、良かった良かった。(賞のサイズはやや小ぶりですが)

 

で、この作品。「純文学とは何か」みたいなのがとても分かりやすく表れている作品だなと思いました。今更ながらにやっと私、純文学って何だろうっていうのが分かったのかも知れません。

 

 

 

こないだ読んだ田辺聖子さんの「うたかた」の中の一編で、かつて小説家だった女の台詞でこんなのがあったんですよね。

 

「大衆向けの小説は、釣り針と一緒。最後をきゅっと上げておくの。純文学は縫い針。最後まですっと下がっていく」

 

はああ……確かにな。読後感はそんな感じですよね。エンタメものって最終的にハッピーエンドになることが多いし。純文学って「え?これで終わり?」ってなることが多い。

 

この「美しい距離」は、保険会社勤務の夫が、がんを発症したサンドウィッチ屋さんの経営者だった妻をただ看取るだけのお話。夫はそれなりに社会的地位があり、会社を休むことに抵抗感があり、けれど愛する妻のために出来るだけのことをしたいと思っています。二人の間に子供はありません。だから夫は妻を恋人のような感情で愛しており、介護休業制度を使ってかいがいしく妻の看病をします。

 

でもそこに悲壮感は薄くて、淡々と愛する人の死へと向かっていきます。いい死とは、尊厳を保った死とは、妻個人を尊重した死を迎えさせてあげたい、夫はそれだけに心を砕きます。妻も取り乱すことなく、死を受けているけれど生を投げ出しているわけでもない。いつか来る死に向かって、ふたりはただその日その日を生きています。

 

最終的に、やはり妻は死んでしまいます。でも、それで話のクライマックスが来るような作品ではないんですね。その後にも夫は淡々と妻の死体と向き合っていく。「最後にキスぐらいすればよかったな」「死に化粧をされてどんどん美しくなっていく妻がいやだな。外見を褒められて喜ぶような人じゃなかったのに」そんなことを考えながら、特に大盛り上がりもなく妻のお葬式が粛々と進んでいく。ラストは1年後、妻の納骨の場面です。「美しい距離」とは、一年かけて出来た夫と天国の妻との距離。そうか、そういう「在り方」もあるんだなと納得させられてお話は終わります。

 

 

 

なので、思うに純文学っていうのは「在り方」を書いた小説を指すのかなと思ったんですね。大衆小説は「なり方」を書いたものなのかなと。

 

「在り方」を書いてるから、その「在り方」が伝わった時点で話は終わる。別に起承転結は必要ないんですね。とは言え、まったくそれがないと詩みたいになっちゃうから一応お話になってるけど。……ていう感じなのかなと。今さらですが。本読みの方なら、「純文学とはなにか」みたいなことはもう分かって当然なのでしょうが、私、長いこと読んでなかったからさ。しかもこれであってるのかも分からん。まあ、でも解釈は人それぞれですかね。何となくそう思いましたよ、という話です。

 

さあー、応募用のエンタメ小説を書きましょう!やっぱり起承転結がはっきりしてる方が書く方も楽だわ。楽しいし。7月ももう5日ですからね。

 

30日が締め切りの賞に応募しますので、半ばまでには書きあげたい。というわけで頑張りましょう。

 

それではまたっ!