健康診断、結果が届きました。
こんにちは、渋谷です。
6月に受けた健康診断の結果が届きましたよ。血液検査と乳がん、子宮頚がん検診。血液検査は1年ぶり、がん検診は3年以上ぶり。さあ、どうなっていたかと申しますと。
相変わらず健康ー!毎日毎日あほみたいにストロングのチューハイ飲んでるのに肝臓の数値は良好!乳がんも子宮頚がんも問題なし!しいて言えば一つだけ、コレステロール値が低すぎるんですけど。私、昔した病気のせいでコレステロールが低すぎる症みたいのになっているんですね。
でもまあ、高いよりゃいいだろ。ということにしておく。まあ何もなくてよかったです。そして本を読んだ話。
山崎ナオコーラさんの「美しい距離」を読みましたよ。狙ったわけではないんですが、この作品、末期がんでターミナル期に入った妻を見つめる夫のお話です。今私が書いてる話も、がんで死ぬ人が出てくるんです。(はっ!ゆかさん、ネタバレ!)だから色んな意味でタイムリーだった。
この山崎ナオコーラさんという方は、「人のセックスを笑うな」という文藝賞受賞作を読みました。キャッチーな題名とは裏腹に、意外に普通のお話だったんですよね。それからこの方、たくさんの著作を発表されてるんですが、とにかく賞に縁がない方だったんです。芥川賞は5回も候補になっているのに受賞に至らず。三島由紀夫、賞野間文芸賞なども候補どまり。この「美しい距離」も芥川賞候補になった作品です。けれど神は努力している人間を見放しませんねえ。この「美しい距離」で、とうとう島清恋愛文学賞を受賞なさったそうです。13年越しの文学賞の受賞ですね。うん、良かった良かった。(賞のサイズはやや小ぶりですが)
で、この作品。「純文学とは何か」みたいなのがとても分かりやすく表れている作品だなと思いました。今更ながらにやっと私、純文学って何だろうっていうのが分かったのかも知れません。
こないだ読んだ田辺聖子さんの「うたかた」の中の一編で、かつて小説家だった女の台詞でこんなのがあったんですよね。
「大衆向けの小説は、釣り針と一緒。最後をきゅっと上げておくの。純文学は縫い針。最後まですっと下がっていく」
はああ……確かにな。読後感はそんな感じですよね。エンタメものって最終的にハッピーエンドになることが多いし。純文学って「え?これで終わり?」ってなることが多い。
この「美しい距離」は、保険会社勤務の夫が、がんを発症したサンドウィッチ屋さんの経営者だった妻をただ看取るだけのお話。夫はそれなりに社会的地位があり、会社を休むことに抵抗感があり、けれど愛する妻のために出来るだけのことをしたいと思っています。二人の間に子供はありません。だから夫は妻を恋人のような感情で愛しており、介護休業制度を使ってかいがいしく妻の看病をします。
でもそこに悲壮感は薄くて、淡々と愛する人の死へと向かっていきます。いい死とは、尊厳を保った死とは、妻個人を尊重した死を迎えさせてあげたい、夫はそれだけに心を砕きます。妻も取り乱すことなく、死を受けているけれど生を投げ出しているわけでもない。いつか来る死に向かって、ふたりはただその日その日を生きています。
最終的に、やはり妻は死んでしまいます。でも、それで話のクライマックスが来るような作品ではないんですね。その後にも夫は淡々と妻の死体と向き合っていく。「最後にキスぐらいすればよかったな」「死に化粧をされてどんどん美しくなっていく妻がいやだな。外見を褒められて喜ぶような人じゃなかったのに」そんなことを考えながら、特に大盛り上がりもなく妻のお葬式が粛々と進んでいく。ラストは1年後、妻の納骨の場面です。「美しい距離」とは、一年かけて出来た夫と天国の妻との距離。そうか、そういう「在り方」もあるんだなと納得させられてお話は終わります。
なので、思うに純文学っていうのは「在り方」を書いた小説を指すのかなと思ったんですね。大衆小説は「なり方」を書いたものなのかなと。
「在り方」を書いてるから、その「在り方」が伝わった時点で話は終わる。別に起承転結は必要ないんですね。とは言え、まったくそれがないと詩みたいになっちゃうから一応お話になってるけど。……ていう感じなのかなと。今さらですが。本読みの方なら、「純文学とはなにか」みたいなことはもう分かって当然なのでしょうが、私、長いこと読んでなかったからさ。しかもこれであってるのかも分からん。まあ、でも解釈は人それぞれですかね。何となくそう思いましたよ、という話です。
さあー、応募用のエンタメ小説を書きましょう!やっぱり起承転結がはっきりしてる方が書く方も楽だわ。楽しいし。7月ももう5日ですからね。
30日が締め切りの賞に応募しますので、半ばまでには書きあげたい。というわけで頑張りましょう。
それではまたっ!