孤独とは……ですな。
こんばんは、渋谷です。
今日は久々なことが起きたよ!夫が携帯を機種変したから、旧携帯をもらって自分のSIMカードを入れ替えていたのです。
……というか、私のスマホが格安スマホで機種自体がしょぼかったので、夫に「それちょーだい」と言って機種変をさせたのである。夫は会社で法人契約をしているので、機種変しても自分の懐は痛まんのね。
で、SIMロック解除だのAPN設定だの自分で頑張ってやったんだよ。で、はたと気付けば電話帳がすっからかん。旧スマホの方もすっからかん。さすがにケータイショップに行きましたよー。そしたら、「グーグル、いじりました?」って。
グーグルなんかめちゃくちゃいじりまくってるっつーの。どうも私が自分で消しちゃったらしい。バックアップをとっていなかった私の電話帳はこれにて終了。でもいいのです。私の心は平静です。
夫以外の人と滅多に連絡をとらない私は何も困らない。用事がありゃ相手からなんか言ってくるでしょう。思えば、私昔から定期的に電話帳を飛ばしてる。水濡れとか紛失とか。まるで定期的に人間関係を整理しているかのようです。でも困った試しは一度もない。
こう考えると、一般的には私は孤独な人間なのでしょう。とにかく単独行動の人間なんです。むしろ誰かのペースに合わせるのが苦痛。なんかの集まりとかめんどい。若い頃はリア充みたいなこともやったけど、もうそういうのもなんか遠い世界の話だしねえ。
だから空っぽの電話帳で生きていくぞ。そういう私は孤独なのか?……とか思いながら読んだ、絲山秋子さんの「海の仙人」。特に何もねらってないのに、今回もなかなかタイムリーなお話でございました。
主人公は30代男性河野君。宝くじで3億円当てちゃって、東京で働いていたデパートをやめて、青い海が美しい敦賀に引っ越しました。元からこの男の子は孤独を好むタイプです。働く必要がなくなって、河野君は毎日釣りしたりアパート経営したり寄付活動してりしてのんびり過ごしています。おもしろかったのが、「海の砂でリビングを埋め尽くす」生活様式。ダットサンのピックアップトラックの荷台に海砂を積み込んで、自宅リビングに敷き詰めるんですね。彼は元々大阪の人間なんですが、すっかり敦賀の海に憑りつかれています。
そんな彼がある日、海で出会ったのが「ファンタジー」と称される謎の男。外国人の顔をした……私の頭の中ではジョニデでしたけど、白いローブを着た男です。彼は神だと名乗り河野君のおうちに居候してしまいます。
なんかね、イメージ的には「聖☆おにいさん」なんよね。キリストと仏陀の共同生活。そういうマンガがあるんです。いまNHKで実写ドラマになってますね。キリストが松山ケンイチ、仏陀が染谷翔太。面白いのでお勧めです。
ファンタジーは自分を落ちこぼれの神だと名乗ります。彼を必要とするのは、ニホンオオカミとかトキみたいな絶滅寸前の生き物なんだって。これは冗談でなく、ファンタジーはある人間には見ることができますが、ある人間の眼にはまったく映りません。この段階では何が何だか分からない。ふたりはのんびりと、でもじんわりと心を通わせ日常を深めていきます。
そんな河野君に、ある日恋が舞い降ります。観光客の女性、かりん。年上の彼女は観光で敦賀を訪れていて、河野君と相思相愛に。けれど仕事で忙しい彼女とは、月に2回ほどしか会うことができません。その上河野君には心に傷があり、かりんとセックスすることができない。かりんはファンタジーを見ることができ、3人で過ごす時間は優しくて、河野君はそれまで孤独だった自分の人生が充足していくような感覚を覚えます。そんな時、東京からやって来たのが、デパート勤務時の同僚、片桐という女。
この片桐はむかしからずっと河野君に恋をしていました。彼女は旅行の一環で河野君の家に転がり込みます。彼女の眼にもファンタジーは見ることができます。3人は新潟までの自動車旅を計画します。そこには河野君の絶縁中の姉がいる。姉はその昔、河野君を夜な夜な襲っていました。近親相姦ですね。なのにお姉さんは河野君に襲われていたと主張するので、悪者は河野君です。そんな姉に会いに行き、過去を清算しようとする河野君。この旅が一編のロードムービーなんですね。お約束のガス欠も起こりますし、夜は3人でラブホお泊りしたり。いいなあ、楽しそう。
河野君以外、他の登場人物もみんな事情を抱えています。かりんも家族と断絶。片桐は河野君への届かぬ思いに無駄な男性遍歴を重ねたり。片桐もかりんも孤独なんですね。かりんと河野君はセックスレスのまま付き合いを続け、片桐は河野君への思いを募らせ続けます。そしてある日判明するのがかりんの乳がん。もうターミナル期です。孤独な人間である3人の関係性は、これからどう変わっていくのでしょうか……。
最後まで謎なのが、ファンタジーという謎の存在です。「この人……いる?」と思いながら読んでました。いや、いい人だしキャラとして面白いんですが、どうしてわざわざ神?この存在にどういう意味がある?
でも読み終わって分かりました。ファンタジーという神様は、孤独な人間のもとに舞い降りる。その孤独を一時癒すために現れ、孤独が癒されれば去っていく。かりんはがんで死んでしまい、より深い孤独に苛まれた河野君のもとに再び舞い降ります。河野君の身にも大きな不幸が訪れているんですね。ファンタジーが現れて、ラストにまたほんの少し孤独が薄まる河野君。……うん。良かった。そうか。でも私は思うんだよ。孤独なことは、果たして悪いことなんだろうか?
テーマは「孤独」ですね。興味深いです。けど、家族を持っている私がいうのはなんですが、孤独でいることはそんなにいけないことなんでしょうか。いけない、っていうのは言葉は違うかな。でも、生まれつき一人の方がいい人間もいるし。そういう人間を「かわいそう」だと思う人もいるんでしょうが、こっちは別にかわいそうじゃないし。気を遣って仲間に入れてもらう必要もないし。
けど、私もファンタジーが目の前に現れたら普通に受け入れてしまうかも知れない。ずうずうしく垣根を越えて分け入ってくる謎の神様。ほんとタイムリーやわ。私、今日電話帳飛ばすし、今書いてるのは孤独から抜け出ない女の子の話で、がんで死ぬ人が出てくる話だし。
図書館で「あ、読んでみよ」と何気に手に取っただけなんですけどね。図書館には答えがある、というのは本当ですね。面白かった。絲山秋子さん、さすがに芥川賞作家さんなんですね。この作品も芥川賞候補作なのですが、受賞作の「沖で待つ」も読みたいと思います。面白い作家さんだと思います。
しかしねえ……、いま、夫が横で「ノーサイドゲーム」見てるんですよ。日曜ドラマ。池井戸潤さんですね。しかしこれ、こんなふうに映像化されて池井戸さんはどう思われているんでしょうか。なんというか……見ててつらい。しんどい。これだからドラマ嫌い。
ううう……映像化ってこういうもの?なんだかなあ。きっと池井戸さんが書きたかったものが、すごく陳腐になってしまっている気がする。分かりやすく尺に収めるには、仕方ないのかも知れませんが。
……うん。まあ、これから毎週見ることになるのでしょうから、もっと良くなっていけばいいな。私の勝手な意見です。面白いと思ってらっしゃる方も多くいらっしゃるでしょうから、生意気言ってごめんなさい。
芸術性のあるものを見たい。大衆をあおるものを見るのがしんどい。結局変人のつぶやきですわ。分かってはいる。でも、これが娯楽なのか……。
まあ、自分の道を行きましょう。というわけで、おやすみなさい!