おれがブログに書いた中学生範囲のクイズに、キチガイで有名な「りおし」が自らのブログに解答を記したので、添削して所感を述べる。問題は変則ルールの3×3の○×ゲームに関するもので、詳細はおれの過去の記事(http://ameblo.jp/totutohoku/entry-12267753276.html)参照。りおしのブログ記事は以下のとおり。

【以下引用】

 

とつげき問題

2017-05-08 22:20:56

テーマ:

 

ブログ

(1)相手より先に〇や×を縦、横、斜めのいずれかに3つ並べてしまうと、負ける。

(2)後手は、通常のルールで引き分けとなった場合、負ける。

(3)負けにならなかった場合は、当該プレイヤーが勝つ(引き分けは後手敗北のため、存在しない)。

この時、先手または後手のいずれが必勝であるか答え、それを論証せよ。

http://ameblo.jp/totutohoku/entry-12267753276.html

通常のルールとあるので、格子状の9マスに、先手から交互に○×を記入し列を作るゲームであるものとする。

当該ルールでは上記3点が追加されている。

 

まず、マスは9つであるので、先手は5つ後手は4つ記入する事になる。

そして先手が中央を取った場合、残り4つをどのように配置しても列が作られる事が分かる。

よって後手は中央にさえ置かなければ必勝となる。

後手が中央を取らない場合、先手は5つ置かなければならないので、必ず中央を取ってしまい、一列が完成し、(1)により先手が負けとなる。

 

 

【以上引用】(アメーバブログ「りおしのブログ」より。

http://megalodon.jp/2017-0512-0038-46/ameblo.jp/riosis/entry-12272930427.htm

 

さて、添削しよう。まず1つ目の論理から。

>まず、マスは9つであるので、先手は5つ後手は4つ記入する事になる。

誤り。

反例。

×××

○○

まあ、「最善手を打てば最大」そうなる、と甘く見逃してやろう。

 

次の論理。

>そして先手が中央を取った場合、残り4つをどのように配置しても列が作られる事が分かる。

誤り。

反例。

○○×

×○○

○××

以上より、論理的に、りおしの推論は誤りであることが示された。

 

早!!

この反例すら思いつかないの!?

「2分で解けた」とか言ってたけど、この反例、10秒で思いついたよ!?

みんなもちょっと考えれば思いつくよね!?

偏差値50の中学生でもわかるよ。

頭悪ぅぅぅ!!

 

ついでに次の論理も見てみよう。

>よって後手は中央にさえ置かなければ必勝となる。

誤り。

反例。

×××

○○

ええええええ~!?

何も考えてないの!?

こんな簡単な例がわからないの!?

怖ぇぇぇぇ!

 

この問題はそこそこ難しいから、結果的に間違うことを責めはしない。だが、この水準のミスは、ちょっと賢い幼稚園児レベルならあり得ない。

 

 

「りおし」は過去に、「対偶」という概念(高校1年生の数学で習う)すら知らずに、「おれは論客だから、調べればなんでもすぐ理解できる」と、恥ずかしいセリフと共に上から目線でTwitter上でおれに論理学に関する討論を挑んできたものの、あまりのバカさに50名くらいから失笑や怒りを買っていた(「いい加減にしろゴミ」「りおしが間違ってるんだよ」「バカすぎてイライラする」等の批判を50名くらいから喰らっていた。当然であろう。ログはこちらhttps://togetter.com/li/648559)。

このレベルは冗談抜きでキツイっすわ。論理が一切使えなかった結果「ネットでとつげきから集団いじめを受けた。処分してください」とか職場にメールして来たうえ、アメーバピグでは「50人全員を論破した」と吹聴し続けるとか、病気すぎるわ~。キチガイ怖い。

 

 

なお、りおしがおれの問題を解いた、と言っていた時、「ちーちゃん」や「ワッフルB」等が、「とつげきは、りおしの解答を添削して欲しければ、1万円出せと言っていた」「うわマジ!? ケチ」などと完全な妄言を吐き合っており、「とつげきの魂胆がわかった。間違わせて、バカと言いたいだけww」と騒いでいた。

いや、初めに算数の問題を解けとか言ってきたのはりおしとちーちゃんだからね? 広場の大勢が解けている程度の問題をおれに解けと言ってきたが、それこそまさに「間違わせて、バカと言いたいだけ」あるいは解かなければ「解けないから逃げたと言いたいだけ」だろうが。大衆の多くに解ける程度の算数問題を、おれが解いてどうする。バカらしい。おれの問題みたいに頭使うものならともかく。

また、りおしは「(自分の解答の)どこが間違っているか言えないww」とおれを煽っていた。たかが○×ゲームのこのレベルで、である。心底から自分の深刻な愚昧さに無自覚なのであろう。

 

 

りおしを含む低学歴嘘つきバカ集団「ちーちゃんズ」のキチガイさは、止まらない――。

3×3の〇×ゲームを考える。

通常のルールでは、相手より先に〇や×を縦、横、斜めのいずれかに3つ並べれば勝ちである。

ここでは、ルールを次の通り変更する。

(1)相手より先に〇や×を縦、横、斜めのいずれかに3つ並べてしまうと、負ける。

(2)後手は、通常のルールで引き分けとなった場合、負ける。

(3)負けにならなかった場合は、当該プレイヤーが勝つ(引き分けは後手敗北のため、存在しない)。

この時、先手または後手のいずれが必勝であるか答え、それを論証せよ。

 

※なお、コンピュータプログラミングによる機械学習を用いて答えてもよい(大学レベル)。

ある人が、宅配とかが届いたときに「ご苦労さま」と言うというので、それは上から目線だからよくないよ、普通は「お疲れさま」「ありがとうございます」とか言うべきだよ、と指摘をしていた時のこと。

 

何度指摘しても、「ご苦労さま」の何が悪いのか理解してくれない。

「ご苦労さま 上司 間違い」で検索しろと言ってもわからない。

それどころか「お金払ってるんだからお疲れさまでもよくない?」とか言い出す始末。

いやいや、飲み屋ではした金出したって程度で、店員とかにタメ語で偉そうにするやつ、確かにいるよね。あれっていやらしいよね。

 

はーダメだな~と思っていたら、レコナーの発言である。

 

 

全然違うわ。

敬語かそうじゃないかって圧倒的な差あるわ。

 

さすが働いたことのないレコナー、社会常識なし。

てか、面接マニュアルレベルにも載ってるだろこれ。

 

キチガイきめ~。

 

 

大学受験のことを何も知らない「ちーちゃん」に、「上智大学生のほとんどは早慶の全学部にかすりもしなかった人」と言ったら、「証拠だしてね~」といつもの中学生論法に持ち込んできたので、証拠を貼っておく。

 

ダブル合格時の入学先。

 

 

このように、早稲田と上智で同時合格した受験生の大半は早稲田大学を選択し、早稲田大学を蹴って上智大学に進学する受験生はほとんどいないことがわかる。上智大学の最大の看板、外国語学部ですら、早稲田に圧倒されている。

 

同じように、東北大学工学部と早稲田大学の理工学部の場合、90%以上が東北大学に進学する。

つまり、一般受験での進学者のレベルは、東北大学>早稲田大学>上智大学であることは明白だ(文系は知らんが)。

 

おれが早慶理工、慶応法、慶応環境情報、上智理工、同志社理工を蹴ったのは当然のことであり、受験界の常識として、何ら不思議がることではない。

 

私の運営している『名言と愚行に関するウィキ』より1項目抜粋。

 

『1点刻み』

 

「詰め込み教育」という言葉と共に、知識を詰め込むことにすら成功しそうにない者たちが、現状の入試制度に対する反発の念を表す際に、入試制度の「異常性」をイメージさせるために用いられる語。

 

 2017年現在、国立大学の入学試験は基本的に学力重視である。大学入試センター試験の成績と2次試験の成績の合計で合否が決まる例がほとんどだ。ところが、平成32年度より、センター試験が廃止され、代わりに「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」が行われることが予定されている。試験内容に様々な変更がされるが、もっとも大きいのは、記述部分の点数が、「1点刻み」ではなく、「段階別表示」となることだ。つまり、例えば500点満点なら、100点ごとの5段階評価となる、というわけである。

 これにより、本当に事態は改善されるのであろうか。下村文部科学相によると「知識の詰め込みによる1点刻みの差で合否が変化するのは良くない」といった意図のようだが、この主張にはいくつかの問題がある。
 1つは、現状のセンター試験のように950点満点で1点刻みであれば、生徒の学力の程度に応じて非常に滑らかに学力が測定できるのに対して、5段階に分けてしまうと「1点差で評価Aではなく評価Bになってしまった」といった生徒が、1点刻みの場合より圧倒的に不利になってしまうということである。まさにたった1点で、入試の結果がこれまで以上に大きく変わってしまうことになる。改革の目的と結果が、完全に逆行しているわけだ。
 もう1つはさらに根本的な問題で、既存の入学試験は決して「知識の詰め込み」などではない、ということが挙げられる。確かに下村文部科学相のように、早稲田大学教育学部といった私立大学文系(の、しかも大学内で決して上位とは言いがたい学部)なら、入試に数学も物理もなく、単なる知識の詰め込みのみだったかもしれない。ことによると、氏は早稲田大学の政治経済学部に合格できず、苦々しい思いをしたのやもしれぬ。しかし一般的に、一流の国立大学の入試には、理系はもとより文系であっても数学が2次試験に課せられ、詰め込みではなくて発想力や応用力を問う出題がなされる(氏が経験しておらず、よって想像すらできないことではなかろうか)。これを「知識の詰め込み」と断ずるのは無理がある。

 今後は面接等による人物評価での「総合的な判断」で合格者を決めるそうだが、面接等で「人物評価」が正しくできるという考えはほとんど完全な幻想だろう。実際、例えば公務員試験のうち面接試験では、男性より女性の方が合格率において6倍程度高い場合がある等の事例があり、「人物」ではなく「見た目」「性別」等が重視されることが想定される。また、権力者からの圧力等により、不正で不透明な評価がされる危険もある。税金によって学生に教育を与える国立大学にあっては、入学試験は公平で客観的なものであることが求められるはずだ。

 

 最後に、掲題表現がなぜ名言であるか、もう一度確認しよう。東京大学の入学試験は、950点満点のセンター試験を110点満点に圧縮して採点される。したがって、東京大学の入学試験は1点刻みどころか、約0.11579点刻みなのである(実際、筆者の友人に、合格最低点より0.3点ほど高い得点でギリギリ合格した者がいる)。掲題語を用いる者の想像以上に、入学試験はシビアだ。

これはただのからしではない。

 

借家の契約更新をした。

本来、先週の土曜日6時に行くと約束していたのに、行ったらなんと閉まっていた。

電話もまったく通じない。時間を超無駄にしてしまったのである。

ブチ切れたおれは、会社帰りに寄れるよう、本来は業務時間外の、今日の夜7時に対応させた。

 

その際、不動産屋がおずおずと「からしとか……お食べになりますか」と渡してきたのがこれである。

 

そういう、謝罪のからしw

なんやからしてw

もうちょっと渡すもんあれへんかったんかいw

 私の運営している『名言と愚行に関するウィキ』より1項目抜粋。

 

 

 議論している際、勝敗を客観的に示すことは、一般には困難である。

 

 勝敗が「誰の目から見ても明らか」なものの多くは、ある者が矛盾した言動をしたとき、つまり「Xである」と主張しておきながら、「Xではない」とも主張ないしそのような行動をする時くらいである(なお、主張と行動の食い違いについては、必ずしも「矛盾」ではないことも多い)。

 

 ここでは、もう一つ、明快な敗北の例があるので解説しよう。
 それは、「自らの前提の破棄」である。

 

 例えば、「タバコは健康に悪いhttp://totutohoku.b23.coreserver.jp/totutohoku/index.php?cmd=read&page=%A5%BF%A5%D0%A5%B3%A4%CF%B7%F2%B9%AF%A4%CB%B0%AD%A4%A4&word=%BB%FE%B7%CF%CE%F3)」の項目において、「カロヤンガッシュ」という人物が演じたのがその一例である。
 彼は喫煙を規制すべきだと訴えていたが、その根拠に関する発言の要約を、時系列順に並べてみよう。
 >「健康に悪い」は規制する理由に当たる。2007-08-29 (水) 22:55:57
 (※この発言内には、文脈上、「直接的」な迷惑を指す例示がある)
 >「間接的」に周りに迷惑であれば、規制されることもある。2007-09-02 (日) 01:54:44
 >直接的であろうと間接的であろうと(略)規制されうる。2007-09-02 (日) 22:46:12
(※以上、直接引用ではなく意図の要約である)
 当初「直接的に迷惑な場合、タバコは規制すべきだ」と言っていたのが、「『間接的』に迷惑なら、規制されることもあり得る」となり、最後には「直積的であろうと間接的であろうと、規制され得る」と変化している。
 徐々に「強い前提に基づく主張」から、「当たり前無意味な前提に基づく主張」に後退していくのが看取できよう。これは、前回置いた自らの前提を放棄して、議論に一見負けないために、より「安全な前提」を置きなおす行為であり、こうした行為の実行は、そのまま議論における明快な敗北を露呈してしまう。

 

 もう一例だけ。

 アメーバピグというSNSサービスにいる「りおし」という愚物が、私と次のようにやりとりした。時系列順に要約を記載する。

りおし「とつげき東北は東京大学非常勤講師ではないことを論証した。なぜならば、東京大学には非常勤講師という役職が存在しないからだ」
とつげき東北「東京大学に非常勤講師は存在する。(URL掲載)このように、実際に東京大学は非常勤講師を募集し、雇用している」
りおし「東京大学非常勤講師になるためには、教員免許が必要だ。とつげき東北は教員免許を持っていないため、とつげき東北は東京大学非常勤講師ではないと証明できる」
とつげき東北「東京大学非常勤講師になるために、教員免許が必要だなどというバカな話は聞いたことがない。それは常識レベルだ」

りおし「非常勤講師になるには教授の職位が必要だが、とつげき東北が教授であるわけがない。よって、とつげき東北は東京大学非常勤講師ではない」

とつげき東北「非常勤講師になるのに教授の職位が必要だなどというキチガイじみたことは聞いたことがない。それは常識レベルだ」

りおし「非常勤講師の任命権者は教育委員会だ。とつげき東北は東京大学教養学部の教授会で認めたられたからと言っているが、教授会は教育委員会ではない。ゆえに、とつげき東北は東京大学の非常勤講師ではない」

とつげき東北「……。教育委員会と大学は一切関係ない。それは高校教諭等の話だ。それは常識レベルだ」(このあたりの恥ずかしい発言は、「りおし」のブログに、惨めにも未だに晒されている)
りおし「少なくともとつげき東北は、今現在は東京大学非常勤講師ではない」
とつげき東北「それは以前から私が自ら口にしていることで、何も問題はない」
りおし「とつげき東北は東京大学非常勤講師といっても、学級会レベルの、大したことのない講義をしているだけだ」

 

 一読しておわかりだろう。
 最初は、「相手は東京大学非常勤講師ではない」と「論証」までできたという、途方もなく困難なことを達成したと報告していた「りおし」なる狂人が、無知蒙昧な主張の数々を繰り返しながら徐々に前提を変更し、最後には「(彼が言うにはレベルが低い講義だそうだが)相手は東京大学非常勤講師だった」と認めるに至るのである。
 これを「りおしが論破された」と形容せず、どう言い表そうか……。

 

 長期に渡る議論をしていると、「自分が勝った、相手を論破した」といったことをお互いがアピールするようになり、単なる罵声の浴びせ合いに陥ることが多いものだが、こうした「前提の放棄と逃げ」を的確に指摘することにより、読者に対して特権的な立ち位置をキープできるので、覚えておくと良い。

納豆たまごかけごはん!

『秘伝金印くめ納豆』にこだわり、白ネギと青ネギも別々に用意。

ごはん(こだわりのゆめぴりか)に先に醤油をかけて混ぜる「うまさの秘訣」を凝縮し、ハイミーでコクを出す。

これぞ和料理の究極形態やああ!!

 

ちーちゃんのブログより。

 

「ほめってなんもしらない」

「大学のだの字もしらない」

「通信工学科って学部を見て」

「通信制の大学?とか」

「勘違いするか?」

 

だそうだ。

 

はい、よく見てみましょう。

 

通信工学科って学部を見て」

 

「学部」と「学科」は全然違うものです。

「学科」と聞いて「学部」と勘違いするか?

そんなやつ、大卒には一人もいないよ。

それでいて大学について語る愚劣さ。

 

 

ついでに、ちーちゃんって表現の幅が狭すぎるよね。

「〇〇の〇という字も知らない」

って表現、ここ1か月で4回くらい見てるんだけど。

手垢にまみれている上、何の面白みもない表現だ。

それを何度も使うなんて。

よくそんなに表現センス低いままいられるね。

恥ずかしい。