私の運営している『名言と愚行に関するウィキ』より1項目抜粋。

 

『1点刻み』

 

「詰め込み教育」という言葉と共に、知識を詰め込むことにすら成功しそうにない者たちが、現状の入試制度に対する反発の念を表す際に、入試制度の「異常性」をイメージさせるために用いられる語。

 

 2017年現在、国立大学の入学試験は基本的に学力重視である。大学入試センター試験の成績と2次試験の成績の合計で合否が決まる例がほとんどだ。ところが、平成32年度より、センター試験が廃止され、代わりに「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」が行われることが予定されている。試験内容に様々な変更がされるが、もっとも大きいのは、記述部分の点数が、「1点刻み」ではなく、「段階別表示」となることだ。つまり、例えば500点満点なら、100点ごとの5段階評価となる、というわけである。

 これにより、本当に事態は改善されるのであろうか。下村文部科学相によると「知識の詰め込みによる1点刻みの差で合否が変化するのは良くない」といった意図のようだが、この主張にはいくつかの問題がある。
 1つは、現状のセンター試験のように950点満点で1点刻みであれば、生徒の学力の程度に応じて非常に滑らかに学力が測定できるのに対して、5段階に分けてしまうと「1点差で評価Aではなく評価Bになってしまった」といった生徒が、1点刻みの場合より圧倒的に不利になってしまうということである。まさにたった1点で、入試の結果がこれまで以上に大きく変わってしまうことになる。改革の目的と結果が、完全に逆行しているわけだ。
 もう1つはさらに根本的な問題で、既存の入学試験は決して「知識の詰め込み」などではない、ということが挙げられる。確かに下村文部科学相のように、早稲田大学教育学部といった私立大学文系(の、しかも大学内で決して上位とは言いがたい学部)なら、入試に数学も物理もなく、単なる知識の詰め込みのみだったかもしれない。ことによると、氏は早稲田大学の政治経済学部に合格できず、苦々しい思いをしたのやもしれぬ。しかし一般的に、一流の国立大学の入試には、理系はもとより文系であっても数学が2次試験に課せられ、詰め込みではなくて発想力や応用力を問う出題がなされる(氏が経験しておらず、よって想像すらできないことではなかろうか)。これを「知識の詰め込み」と断ずるのは無理がある。

 今後は面接等による人物評価での「総合的な判断」で合格者を決めるそうだが、面接等で「人物評価」が正しくできるという考えはほとんど完全な幻想だろう。実際、例えば公務員試験のうち面接試験では、男性より女性の方が合格率において6倍程度高い場合がある等の事例があり、「人物」ではなく「見た目」「性別」等が重視されることが想定される。また、権力者からの圧力等により、不正で不透明な評価がされる危険もある。税金によって学生に教育を与える国立大学にあっては、入学試験は公平で客観的なものであることが求められるはずだ。

 

 最後に、掲題表現がなぜ名言であるか、もう一度確認しよう。東京大学の入学試験は、950点満点のセンター試験を110点満点に圧縮して採点される。したがって、東京大学の入学試験は1点刻みどころか、約0.11579点刻みなのである(実際、筆者の友人に、合格最低点より0.3点ほど高い得点でギリギリ合格した者がいる)。掲題語を用いる者の想像以上に、入学試験はシビアだ。