日米映画批評 from Hollywood -5ページ目

亜 人 (9点)

採点:★★★★★★★★★☆
2017年10月8日(映画館)
主演:佐藤 健、綾野 剛、玉山 鉄二
監督:本広 克行

 

 決して死ぬことのない人種=亜人同士の戦いという設定が単純に面白く、また監督が「踊る大捜査線」シリーズの本広克行ということで見に行った作品。 

【一口コメント】
 「死=恐怖」という人間が持つ根本感情を取っ払うという画期的な設定の上に成り立つ日本映画史上最高レベルのアクション映画です。

【ストーリー】
 日本国家が運営する不死の新人類である亜人の研究施設に収容された永井圭。その内実は不死であることを利用して、ありとあらゆる人体実験を繰り返す施設だった。
 ある日、研究施設を亜人のテロリスト・佐藤が襲い、圭も助けられる。しかし、亜人自治区の設立を求める佐藤に嫌悪感を持った圭は佐藤とは別の道を選び、山奥に1人で住む老婆に匿われながら、佐藤と国家から逃亡する日々を送る。
 数日が経過する中、亜人自治区設立要望に対し、何の反応も見せない国家に対して不満を抱えた佐藤が見せしめとして、厚生労働省のビルに旅客機で突っ込むというテロが発生する。また老婆の家にも亜人である圭の存在を嗅ぎ取った人々が押し寄せ、圭は佐藤を止めるため、亜人研究施設の長である戸崎と組むことを決意する―――!!

【感想】
 日本のSFアクション映画でここまで興奮したのは「
SP」シリーズ以来で、興奮度としては史上最高レベル!!
 漫画原作ということで、ストーリー展開においては安心して見ていられる仕上がりになっているし、死なない人間同士の戦い=どうやって終わるんだろうか?と思っていたが、そこもちゃんと丁寧に対策が描かれている。しかも上映時間は109分と短めで、非常にテンポよく進んでいく。
 もちろんその過程で、なぜ亜人になったのか?などの説明が省かれているなど、気になる点はあるものの、作品全体として見ると最初から最後まで緊張感を持って鑑賞できたことを考えれば、そんなに大きな欠点とは映らない。もちろん、この作品がドラマであれば、永井や佐藤、戸崎といった登場人物の背景描写などはもう少し丁寧に描く必要があるが、この作品はSF、もしくはアクション映画として楽しむ作品だと個人的には思うのでまったく問題ない・・・どころか、そういった不要な人物描写は最小限に留め、観客の想像力に委ねる手法がこの作品においては非常に上手く働いている。

 また永井がユーレイと呼ぶ亜人から生まれるもう1人の守護神ともいうべき体のCG映像も綺麗に馴染んでいて、ユーレイ同士の戦いも何度か繰り広げられるが、それぞれの個体に個性があり、見ていて楽しい。特に最後の圭と佐藤の戦いにおいては単純なユーレイ同士の戦いではなく、圭とユーレイの連携プレイも絶妙で、なるほど!そういう使い方があったか!?と唸らされた。

 そういった意味では原作の力=脚本が非常に良くできていて、漫画原作の実写を見て、久々に原作を読んでみたいと思わされた作品でもある。
 特に死んでもすぐに復活する=リセットの設定がものすごく上手く活用されているし、またユーレイを構成する粒子が一般人には見えないという設定を活かした最終決戦における圭の亜人捕獲作戦のアイデアや、佐藤が警備で固められたある場所へ瞬間移動する方法もなるほど!と思ったが、それを瞬時に応用してしまう圭の知力にも感嘆させられた。
 また、死んでもすぐに復活できる不死の亜人ならではの戦い方という意味では佐藤1人 vs SATの戦いも凄い!何度もリセットを繰り返しながら戦うという設定自体はもちろんだが、アクション映画として、アニメオタクでもある本広監督はそれを映画としてどう見せれば良いのか?というのを非常に良く分かっている。「アクション映画=細かいカットをつないでスピード感をもたらせる」というよくある演出方法だけでなく、ところどころに長回しを入れることで、1つのアクションシーンの中にも緩急をつけ、更なるスピード感UPを狙っているあたりは非常に効果的。
 また個人的にはSATの隊長が「
踊る大捜査線」シリーズと同じ役者というところも、一ファンとして嬉しかった。

 役者陣も素晴らしい。
 佐藤健も綾野剛もこの作品のためにかなり体を絞った感じが見える。エンドロールにライザップのロゴを見つけた時は、ちょっと笑ってしまったが、そういうことだろう。
 またここ数年、TVCMやTVドラマから映画まで幅広い役柄をこなす川栄李奈も良い活躍を見せる。戸崎に対する忠誠心と佐藤の右腕ともいうべき田中とのバトルシーンで見せるアクションのギャップも見事。元AKBの卒業生の中ではダントツで成功しているし、すでに元AKBという肩書が不要なくらいの存在感も示している。
 そして「
君の膵臓をたべたい」の浜辺美波が圭の妹役で出演していたのは事前知識がなかったので、嬉しかった。しかし正直、この妹の描写は不要だったと思う。妹が存在していようが、していまいが、圭がこの作品の中でとった行動に対して大きな影響を及ぼしたわけではなく、妹との描写を描く時間を亜人の謎解きに充てるなどしても良かったのではないか?(もちろん原作で登場しているのだろうが、原作のすべての登場人物が実写映画に登場しているわけでもないだろうから、この妹も登場させる必要はなかったのではないか?)

 もう1つのNGポイントとしてはHIKAKINが出演していたことだろうか。日本のTOP YouTuberとして最近ではTV CMにも出演しているが、さすがにやり過ぎ感が漂ってしまう。
 TV、新聞などと並ぶマスメディアの地位を築いた存在としてのYouTuberを描きたかったのだろうが、この作品においてYouTubeの存在を描く必要性が薄いし、どうせ描くならYouTuberではなく、YouTubeそのもののメディアとしての特性を描く(例えばリアルタイムで視聴者数がわかるなど)方が重要なはず。ましてHIKAKINを出すとなると裏でいろんなバーターの話や話題作りとしてのビジネスが見えてしまい、興醒めしてしまう。
 もっと言うと、作品としての質はハリウッドに持っていても楽しめるレベルのクオリティだと個人的には思うのだが、日本人以外が見た時にHIKAKIN=YouTuberとはならず、誰だこいつ!?となるのは目に見えている。いや、誰だこいつ!?となることが問題なのではなく、このメディアは何なんだ!?となる(YouTubeだとわからない)ことが問題なのだ。

 個人的に気になったのは妹とHIKAKINの2点のみで、それ以外は概ね満足の行く作品だった。冒頭の繰り返しになるが、日本映画特有の長ったらしい状況説明などを思い切って省きつつ、必要最小限の説明は残し、観客の想像力に委ねた演出は本当にお見事!!で、もしかしたらこの作品前後で今後の邦画(特にアクション系)の制作の1つの方向性が変わったとなるレベルの作品だと思う。
 「死=恐怖」という人間が持つ根本感情を取っ払うという設定の上で、「死を恐れる必要がない=永遠に死にもの狂いで動き続けることが可能」という画期的なアイデアによるアクション映画。今までの日本映画だと不死だからこその悩みや葛藤を描いてしまいそうだが、今作はそこを潔くバッサリ行ったことで最初から最後までダレルことなく、緊張感を持ち続けられる仕上がりになっている。
 それでもいくつか印象的な台詞があることも見逃せない。個人的には2つほど強く印象に残っているのが、戸崎と圭が組んでできた対佐藤チームの一員である平沢の「祝杯をあげよう!」と、佐藤が尋ねた「亜人なのになぜ人間の味方をするのか?」に対する「亜人とか人間とかどうでもいい。俺はお前が嫌いなんだ!」という圭の答え。特に圭の答えは上述してきた"無駄を省いて必要最低限"という、この作品の作りそのものを端的に表している。

 終わり方から考えると続編がありそうなので、期待したい!!

散歩する侵略者 (5点)

採点:★★★★★☆☆☆☆☆
2017年9月9日(映画館)
主演:長澤 まさみ、松田 龍平、長谷川 博己
監督:黒沢 清

 

 ここ数か月、映画館に行くたびに何度も予告編を見てきた中でなんとなく興味を魅かれて映画館に足を運んだ。 
 

【一口コメント】
 3/4までは傑作、1/4は駄作という割合の今までにない新しいタイプの宇宙人侵略モノです。


【ストーリー】
 ある日、一家惨殺事件が発生する。事件後、1人だけ女子高生・立花あきらが生き残る。たまたま出張でその地方を訪れていたジャーナリストの桜井が、その家を訪れると天野という男子高校生が「自分は宇宙人で地球を侵略するためにガイドになってくれないか?」と桜井に話しかけてきた。ジャーナリストの勘が働き、天野と行動を共にすることにした桜井は失踪した女子高生・立花あきらと合流する。
 一方、原因不明の精神疾患に陥った夫・真治を迎えにきた鳴海。その真治が「地球を侵略しにきた」と鳴海に告げる―――。

【感想】
 何だったんだろう、この作品は?宇宙人の侵略もので、こんなにものどかな作品がかつてあっただろうか?
 途中までは「どういう結末になるんだろう?」とものすごくのめり込んで見ていたのだが、最後の方は何だかな?という感じで終わってしまった。言うなれば、途中までは傑作だったが、そこまでのレベルが高く、期待度が上がっていたことが、かえって終盤のイマイチ感を際立たせてしまった感じだ。
 教会に入るシーンで、そういう終わりか!?と思ってしまった=結末が見えてしまったと思ったら、それは実はフェイントという高度な技を見せたあたりまでがピークで、その後は下り坂を転げ落ちるように終わってしまった・・・。 

【感想】
 まずはオープニング。一家惨殺というかなり衝撃的なシーンで始まり、直後に文字通り"散歩する侵略者"の背後でダンプカーの横転事故が発生するなど、のどかな雰囲気=日常の中で起こる"非日常"というギャップでつかみはOK!!
 そして宇宙人のガイドが2人存在し、一方は夫婦(鳴海)、一方はジャーナリスト(桜井)と高校生2人という組み合わせの妙も素晴らしい。のんびりとした夫婦の生活を描いている一方で銃の乱射など比較的過激な行動を取る、その対比構造が中盤までは非常に効果的だった。2組の侵略者がそれぞれ親和性と残虐性を観客に見せることで観客の気持ちはアップダウンの繰り返しで、次はどうなるんだ?感を煽られ続ける。

 また映画としての見せ方も、夫に見られていることに気づきゾクッとする演出に見られるジャパニーズ・ホラーの恐怖感と宇宙人が攻めてきた(そこまでのスケール感がないのは邦画の悲しい宿命・・・)という恐怖感。2つの恐怖感を上手く取り込んでいて、中盤までは邦画と洋画の良いとこ取りな感じでとても楽しめる。
 しかも過去にあった宇宙人の侵略作品とは一線を画す「概念を奪う」という新しいタイプの宇宙人像にぐいぐい引き込まれていく。"奪う"という言葉通り、概念を盗られた地球人はそのが概念を"失う"という設定も非常に面白い。"概念を奪う"ということは裏を返せば、その概念とは何なのか?ということを示すわけで、それを作品中で宇宙人が言っているように言葉ではなく、概念で説明するというところがこの作品の核だ。

 しかし鳴海と桜井が出会い、2組・3人の宇宙人が一緒になったあたりからいろんなことがおかしくなってくる。まず最初におかしかったのが、桜井がパーキングエリアでいきなり演説を始めるシーン。そこまではとても論理的かつ現実的な行動をし、「自分は人間側の立場」と言っていたのに、急に「宇宙人側の立場」へと転換してしまう。その理由が明示されておらず、観客に委ねるという感じの描き方。このあたりが心理的な意味ではこの作品の最大の欠点かもしれない。
 さらにそのきっかけとなった立花の死。オープニングで金魚から移っているわけだし、さらにそれまで散々地球人を殺してきた彼女があの場面で"他の人に移る"という選択をしない理由も不明。
 途中で「3分で侵略出来ると思ってたけど、3日くらいかかるかも。」的な発言をしていた割に、あまりにもあっけなく死んでしまう天野も、なんだかなぁ・・・。
 邦画なので仕方がないと言えば仕方がないのだが、侵略される!感を全く感じられないのも残念。日本ののどかな風景のみしか描かれず、海外どころか都心のカットもない。このあたりハリウッド作品であれば少なくとも数か国のカットを入れるのだが、予算規模が違うので諦めるしかない。

 そしてもっとも映像的にダメだったのか、ラストで待っている爆撃機のシーン。爆撃後に地面がえぐれることもなく、炎の残り火のみという貧弱な演出はいかがなものか?上述の理由で脚本的に萎えていたところに、映像的にも萎えてしまった・・・。

 しかし、宇宙へと信号を発信する部品をセットして、アンテナを起動した桜井が地球人のままだったのか?否か?そのあたりの含みを持たせた終わり方は嫌いではない。 そして最後の最後に鳴海と夫のシーンが待っている。人間の根幹に関わる、とある概念を失った鳴海。そこに至る過程は長澤まさみの演技力もあり、すごく重いはずのこの作品の核となるテーマ=概念について、説得力を持たせてくれている。

 といった感じでストーリー展開に合わせて良し悪しを並べてみた。すると、改めて途中まではものすごく面白かったはずが、終盤で一気に減速した感が否めないことがわかる。
 個人的にはぜひハリウッド版リメイクを見てみたい。

君の膵臓をたべたい (9点)

採点:★★★★★★★★★☆
2017年8月11日(映画館)
主演:浜辺 美波、北村 匠海、小栗 旬、北川 景子
監督:月川 翔

 

お盆で空いているかと思いきや、意外に混んでいた映画館。特にこれを観たい!と思って行ったわけではなく、やっている中から適当に・・・と思って、いざ映画館に到着すると「トランスフォーマー 最後の騎士王」、「スパイダーマン:ホームカミング」、「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」といったハリウッドの大作シリーズものやトム・クルーズ主演の「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」、ジブリから独立した監督による新作アニメ「メアリと魔女の花」、ヒット漫画原作の「東京喰種」などが並んでいる中、選んだのがこの作品だった。選んだ理由はそのタイトルの奇抜さと主題歌がミスチルというそれだけの理由で、ストーリーについては全く知識のない状態で鑑賞した。

【一口コメント】
 タイトルだけならホラーか何かだと判断してしまいそうな作品だが、実は涙の感動作品です。

【ストーリー】
 母校の高校で教師をしている春樹は机の引き出しに辞表を隠しながら毎日を過ごしていた。そんなある日、廃館が決まった図書館の蔵書を整理する役目を任される。高校時代に図書委員としてラベルを整理した経験を持っており、蔵書を整理する過程で1人の生徒と会話をする中で、春樹自身の高校時代の話になった・・・。
 クラスの中でも地味で目立たない春樹は、ある日病院で、クラスで人気者の桜良の闘病日記「共病文庫」を偶然見つける。その日記がきっかけで彼女が膵臓の病気で余命わずかなことを知り、なんとなく一緒に過ごすようになる。自分の死が近いことを知りながらも悲観的な素振りを一切見せずに明るく振る舞う桜良、そしてそんな彼女の秘密を知りながらも同情をするわけでもない春樹。桜良が死ぬまでにやりたいことに付き合う中で、人付き合いが苦手だった春樹も少しずつ変わっていく―――。

【感想】
 タイトルからホラーだと判断してしまいそうな作品だが、さすがにミスチルが主題歌を歌うだけあって、ホラーではなく、涙の感動作品だった。
 全体的な印象としては、大人になった主人公が学生時代を振り返りながら物語が展開していく感じや、ヒロインが不治の病に侵されている感じなど、「
世界の中心で、愛をさけぶ」と似た印象を受ける。そういえばセカチューは2004年公開なので、あれから13年も経っているんだなぁ・・・と懐かしい気持ちになったりもした。

 さて、この映画のタイトルである「君の膵臓をたべたい」。観終わってみると鑑賞前とは違った意味で改めてすごいタイトルだと感じる作品。
 昔、夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね。」と訳せば日本人には伝わると言ったとか言わないとかの逸話があるのだが、それに通じる言葉をタイトルにして、さらにエンディングの最後の最後に持ってくるという荒業を成し遂げている。

 主人公の2人は恋人ではなく、あくまでも"仲良しさん"として描写されている。そんな関係性の中で引っ張っていくのは女性の桜良で、そんな彼女に振り回されるのが男性の春樹。頼りなくもあり、いじらしくもあり、微笑ましい関係性。
 そんなライトな関係性だったからこそ、この作品のテーマ=生きることの意味が最後の最後で効果的に効いてくる。これを2人の恋愛感情を中心に描いてしまうと、"生きることの意味"が薄れてしまっていたのだが、そのあたりのバランス感覚がとても上手かった。
 前半は主人公の春樹(=男性)目線、後半はヒロインの桜良(=女性)目線で描かれていて、感情移入のスイッチが2つあるあたりも上手い。前半は桜良の行動に振り回されっぱなしだったが、後半は桜良の生きることに対する強い思いと、1人の人間としての(男性としてではない・・・)春樹に対する熱い想いが前半の会話のシーンを再現しながら描かれていて、見た目の明るさとは違う、内に秘めた感情に良い意味で振り回される。
 このヒロイン像が鼻につくという人も恐らくいるだろうと思われるほど、とことん明るく"いたずらっ娘"なのだが、自分の場合は「東京ラブストーリー」のヒロイン・赤名リカが高校生だったらこんな感じだろう、と思って観ていた。赤名リカを大好きだった自分はすんなりと(いや、むしろ熱狂的に?)桜良のキャラには感情移入できたし、春樹が彼女に振り回されることに対しても何の違和感も感じなかった。
 また自分が高校時代に余命を宣告された場合、悲劇のヒロインを演じるよりは恐らく桜良と同じようにやれることをやり、言いたいことを言い、自由奔放に振る舞っていたであろうことを考えると彼女の行動に不自然さは感じなかった。
 その一方で春樹のように冷静に振る舞う自分がいることも想像できるため、この2人のバランスはとてもしっくり来るのだが、もしかすると自由奔放に振る舞えなかったり、人の行動に振り回されるのが嫌な人にとってはただ鼻につくだけで物語に感情移入するどころではないのかもしれない。

 物語が進み、共病日記に書かれた桜良の本当の思いが明かされていくと、より強い思いが胸にこみ上げてくる。家族以外は、例え親友の恭子でさえも秘密を打ち明けない彼女なりの優しさと死に対峙する孤独の両面が見えてくるからだ。
 偶然とはいえ、秘密を知ってしまった春樹に対して「本当は君のようになりたかった」とある種の憧れのような感情も見せる。それは自分にはない"強さ"を持った春樹に対して抱く桜良の想いである。
 片や同じように自分にはない"人との関わりの中で生きる"彼女にひっかかりを覚えた春樹の想い。2人のそれぞれの想いが交錯していくストーリー展開は見事。

 また桜良は"運命"を否定し、「運命とは選択の積み重ねの結果」だと言う。病院で春樹が共病日記を拾ったのは決して偶然でも運命でもなく、あくまでも"拾う"という選択の結果というわけだ。当然"拾わない"という選択肢があり、"拾う"ことを拒否することもできたわけだから。
 そして作中に何度も登場する「真実と挑戦」ゲーム。これこそが端的にこの"選択"の重要性を表現するツールとして描かれていて、ゲームというなんとなく楽しそう、かつライトな切り口から2人の深層心理に迫っていくあたりの描写もとても上手い。
 その流れの中で、この作品の核心ともいうべき"生きることの意味"を、実は春樹がずっと避け続けてきた価値観だという逆説的な答えとして提供している(大人になった春樹を見る限り変わらなかったようだが・・・)。

 そして桜良が病気ではない理由で死んでしまうシーン。人によってはかなり違和感を感じるシーンかもしれない。だがこれこそが、桜良が言っていた"人は必ず死ぬ"ということ、逆を返せば"生きる"ことの難しさをこれ以上ないほどの驚きを持って伝えているシーンなのだ。
 そしてその喪失感は胸の奥に静かに蓄積してきて、春樹が1ヶ月苦しんだ後、桜良の親を訪ねて、「筋違いなのはわかっているんですけど、泣いてもいいですか?」と言ったシーンでは春樹と同じものが頬を伝っていた。

 そしてそんな2人を演じたのが知名度がそこまで高くなく、他の作品での色がついていない若手俳優というキャスティングも上手い。ただし興行的に成功させる必要があるため、大人になった春樹と桜良の親友だった恭子を小栗旬と北川景子で固めるというあたりも絶妙。

 実は共病日記を春樹が読むシーンで何か凄い謎解きがあるのか?と思ったら、意外と拍子抜けの普通の内容しかなくて、うーん?と思っていた。しかし物語前半で図書委員となった桜良がでたらめな番号を振って、正しい番号を付けるように怒る春樹に「頑張って探して見つけた方が嬉しいでしょ、宝探しみたいで!」と言った台詞が、からかっているだけの台詞かと思っていたら、実は重要な伏線となっていて、最後の最後に綺麗に回収された瞬間は爽快感と感動が一緒に訪れた。そういえば桜良の死も実は伏線が張ってあったことにも後から気づいてもう1度爽快感を味わえた。
 ただし、別に手紙に分ける必要もなく、共病文庫に書いてあっても問題はなかったのではないか?とも思う。

 また桜良の親友だった恭子の結婚式当日に手紙を発見し、それを式の前に持っていって渡すのはちょっとやり過ぎだと感じる。春樹の興奮を伝えたかったのかもしれないが、それは後日でも良かったのではないか?というのが正直なところだ。

 とはいえ、上記2点を除けば、ここ数年の邦画の実写作品の中ではトップレベルの仕上がりであり、もし"大人になってから高校時代を振り返る映画"というジャンルが存在するならば、2000年代を代表する「
世界の中心で、愛をさけぶ」と同じように2010年代を代表する作品となること間違いなしの作品です。

ハクソー・リッジ/Hacksaw Ridge (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2017年7月1日(映画館)
主演:アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、ヒューゴ・ウィーヴィング、テリーサ・パーマー
監督:メル・ギブソン

 

パッション」で史上最高級にグロい映像を創り出したメル・ギブソン監督の最新作で、戦争描写としてはスピルバーグ監督作品「プライベート・ライアン」と並び称されていたので見に行った作品。 

 

【一口コメント】
 期待以上のグロい映像と期待以上のヒロインに心奮える作品でした。

 

【ストーリー】
 ヴァージニア州で生まれ、兄とともに野山を駆け回る活発な少年時代を過ごしたデズモンド・ドス。第一次世界大戦で心に傷を負い、酒に溺れ、母に手を挙げる父親を見て育った。ある日、兄を危うく殺しかけてしまう出来事が起き、モーゼの十戒の1つ「汝、殺すことなかれ」という教えを胸に刻む。
 15年後、デズモンドは偶然立ち寄った病院で看護師のドロシーに一目ぼれする。彼女と幸せな日々を送っていたが、第二次世界大戦が激化し、デズモンドの弟も周りの友人達も次々と出征する。そんな中、デズモンドは「衛生兵であれば自分も国に尽くすことができる」と陸軍に志願する。
 少年時代に野山を駆け回って過ごしたこともあり、体力には自信があったデズモンドは軍隊の訓練をなんなくこなしていく。しかし、ライフルの訓練が始まったとき、デズモンドは断固として銃に触れることを拒否する。それがきっかけとなり、軍法会議にかけられてしまう!!
 父親の尽力もあって、無罪となったデズモンドは1945年5月、沖縄「ハクソー・リッジ」へと上陸する―――。

【感想】
 いろいろと見応え満点の作品だった。
 オープニングはいきなり戦場の場面。火炎放射器で生きながら炎に包まれる戦士たち、その足元にはたくさんの死体が映される。その後、主人公の幼少時代にさかのぼる。その中でデズモンドが殴り、兄が命の危機を迎えるシーンがある。
 この冒頭での対比によって、軽く描かれがちな戦争における1人1人の"命の重さ"というものを、改めて伝え直してくれている。恐らくこの作品を見る世界中の多くの人は実際の戦争を経験したことがない人だと思う。そういう人たちが戦場における"死"を感じることは難しいが、兄弟という身近なところで"死"を感じさせることで、観客にも大きな印象を残している。
 このあたりの演出は非常に上手い。

 またグロい映像を撮らせたらこの人の右に出るものはいない!と個人的に思っているメル・ギブソンらしい、グロさ満点の映像もさすがだった。戦争映画を見たことがない人が、心の準備なしにいきなり本作を見てしまったら、トラウマ級のすさまじい映像だと思う・・・。
 具体的には頭が吹き飛んだり、胴体が割れて腸が出ていたり、両脚がちぎれていたり・・・。更にうじ虫がわいている死体や、野ねずみが食べている死体なども登場する。グロさのフルコースと言っても良いかもしれない・・・。
 ただし映像ではなく、音響という意味ではやや物足りなさがあったのも事実。もしかしたら映画館の音響システムの違いかもしれないが、銃弾が前から後ろへ、左から右へと飛んでいく効果はあまり感じられなかった。また「
プライベート・ライアン」とは異なり、音響効果の真価を発揮するアイテムの1つである戦車が登場しないのも1つの要因かもしれない。

 多くの人物が登場するが、個人的にはヒロイン役のテリーサ・パーマーが非常に良かった。
 初登場のシーンから恋に落ちて行くあたりの流れ(告白シーンはいかにもアメリカ的で、日本ではありえないが・・・)が戦争という重いテーマを扱う作品の清涼剤的な役割も兼ねていて、作品の緩急をつけるという意味で非常に良い。特に道路を横断しようとして車にひかれそうになる一連のシーンのやり取りが何とも初々しくて素敵だ。
 そしてこの2人の描写が後の軍法会議において、大きな役割を果たすのも上手い。最愛の妻からの願いであっても、自分の信念を曲げない主人公。これが恋愛描写なく、ただ信念を曲げない描写になっていたとしたら、そこまで深く主人公に感情移入することはなかったかもしれない。観客1人1人があのシーン(信念を曲げないと人生が終わる危険性が極めて高い状況)で自分の妻、もしくは子供、恋人などから自分の信念を曲げてくれと頼まれたら?という想像を頭の中でイメージしたはず。そのイメージの前段として2人が恋に落ちるシーンが非常に重要になっているわけだ。
 そんな重要な役どころを演じたテリーサ・パーマーだが、主人公に負けないくらい信念を曲げない(自分の夫を何があっても信じ抜く)強い女性でありながら、夫にだけしか見せない可愛らしい笑顔を見せるような女性を見事に演じきっていて、彼女の次回作も見てみたいと思った。

 ここからはマイナス面。
 一度たりと弾切れしない銃や、相変わらずの腹切り描写など、いくつか突っ込みどころがある。
 それでも腹切りに関しては、アメリカから見た"敵"である日本軍の描写としては、ありかもしれない・・・。というのもその直前に降伏と見せかけてのだまし討ち作戦を描いていた(=日本軍の姑息さの表現)こともあり、この腹切りは"敵"であっても、人間としての潔さであったり、命の尊厳のようなものを表現する手段として考えれば、ハリウッド映画(=世界中の人が娯楽として楽しむモノ)の描写としては一方的な勧善懲悪ではないという意味において、過去の作品とは一線を画していると言えるかもしれない。

 またこの作品最大の欠点はデズモンドが崖の上から1人ずつ負傷兵を降ろしているのに、崖の下にいる米兵は誰も上に行かないという描写。最初は誰かもわからない謎の人間が謎の何かを降ろしているということで不思議がるのはわかるが、その数が10人、20人となって同じ仲間だと分かれば、崖の上に行くのが普通ではないだろうか?
 主人公の偉業を際立たせたかったのかもしれないが、この描写だけは腑に落ちなかった。
 それと個人的には最後のエンディングは国に帰還し、妻とのハッピーエンドまで描いてほしかった・・・。

 この作品は史実に基づいた作品なのだが、第2次世界大戦当時にアメリカでは法律で良心的徴兵拒否が認められていたことを知り、更に戦場においても銃所持を拒否することができるという事実に驚かされた。
 それと共にアメリカの先進性というか、寛容さのようなものに少しながら感心させられた。もちろん映画でも描かれているようないじめなどがあり、簡単なことではなかったのかもしれないが、とにかくその発想そのものが信じられなかった。

 というわけで、戦場で銃を持たなくても英雄になれるというシンプルなストーリーながら、戦争のもたらす悲惨さを十分に描き切り、その一方で家族(主人公の親、そして愛する妻)との喜怒哀楽の共有もしっかりと描かれていて、心奮えた作品でした。

メッセージ / Arrival (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2017年5月27日(映画館)
主演:エイミー・アダムス、ジェレミー・レナー、フォレスト・ウィテカー
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

 

 以前に映画館で見た予告編が面白く、調べてみたらアカデミー賞8部門ノミネート、1部門受賞作品であったため鑑賞した作品。 
 

【一口コメント】
 キューブリックの「
2001年宇宙の旅」+スピルバーグの「未知との遭遇」を2で割らないレベルの傑作です。


【ストーリー】
 何の前触れもなく、地球の12か所に突然現れた楕円形の宇宙船。その中の1つであるモンタナの米軍キャンプに言語学者のルイーズと物理学者のイアンは米軍のウェバー大佐に連れられてやってくる。彼らの任務は2体の地球外生命体とコンタクトし、地球来訪の目的を聞き出すことだった。
 いろんな手段を試した結果、口頭での音によるコミュニケーションではなく、文字によるコミュニケーションに活路を見出したルイーズ。そしてとあるメッセージが判明する―――。
 その一方で中国をはじめとする数か国が武力に訴えようと行動を開始する!!

【感想】
 見終わった直後にいろいろと考えさせられる作品だった。
 「時は流れるものではない」という壮大なモノローグで始まった今作だが、正直、見ている途中は何だこの駄作は!?と思いながら見ているシーンもあったのだが、途中途中で提示されたミスリードと伏線を回収する仕掛けが最後の最後に待っていた!!
 「
シックス・センス」程、すべてのピースが一瞬でつながる気持ちよさはないが、それ以上に長い時間考えさせられる仕組みであり、考えることが好きな人にはたまらない仕上がりと言っても良い。
 SF映画で宇宙人と聞いて、地球人vs宇宙人的な映画を期待しているとかなり裏切られるし、そういう視点でこの作品を見てしまうと最後に待っている仕掛けの本当の意味にも気づかないまま、「駄作だった」という感想を持ってしまう。実際自分もそうだった。しかし映画館からの帰り道、いろいろと考えを巡らせていたら「実はものすごい傑作なのではないか?」という考えが宇宙船さながらに突然頭の中に現れたのだ!!伏線の張り方、そして最後に明かされたある仕組みを最大限に活かした編集。その意味が分かると恐らく多くの人が2度目を見てみたい!と思う見事な作品と言わざるを得ない。

 

 ただし映画という意味では映像表現にもう少し工夫をしてほしかった。ルイーズを演じたエイミー・アダムスとその娘の物語がフラッシュバック的に何度か挿入されるのだが、娘は着実に歳を重ねているのだが、エイミーの顔はまったく歳を重ねない。あの仕組みを考えればフラッシュバックでありながら歳を重ねないのは逆の意味で不自然であり、ハリウッドのメイク技術をもってすればできないことでもないはず。
 また宇宙人のデザインについても、もう少し何とかならなかったのか?と思わずにはいられない。今まで何度となくハリウッド映画の中で宇宙人は描かれてきているのだが、今作の宇宙人はオリジナリティがほぼない。一言で行ってしまえば7本足のタコ。彼らが地球に来た目的を考えれば前後左右という概念がないような外見としてあのデザインになったのかもしれないが、どうせなら前後左右だけでなく、そこに上下も加えて球状にしたり、複数の球を組み合わせた形態にするなり、別の表現方法があったのではないだろうか?

 そして今作の最大の欠点はルイーズが中国の暴走を止めた1本の電話。この部分こそがこの作品のタイトルであり、一番重要な"メッセージ"のはずなのだが、中国語で話していて、日本語字幕だけでなく、英語字幕すらないという演出。
 観客の想像にお任せします!的な演出というのも、なくはないのだが、それならそれで中国語で話しているシーンもカットすべきではないか?中国の観客だけはそのメッセージを理解できるわけで、中国語のわからない観客に中国語の意味を調べさせるという手間をかけさせる仕上がりになっている。もしかしたら中国資本が入っていて、故意にそうしている可能性もなくはないが、全世界で公開されることを前提としたハリウッド大作なのであれば、そこは全世界の観客が想像するなら想像するように編集すべきではなかったのだろうか?
 もう1つ言えば中国の将軍がルイーズの言葉を信じるに足る理由が「奥さんの最後の言葉だったから」というのはやや強引過ぎるきらいもあった。

 ダメ出しばかりしてきたが、作品の評価は8点。

 ということでここからは良かった点。まずは宇宙人とのコミュニケーション。同じ地球人同士でも困難なコミュニケーションの難しさを宇宙人とのそれに置き換えることで現代の地球の置かれている状況に対する"メッセージ"を込めると同時に、コミュニケーションに使用した文字=墨で書いたような円形の文字もとても良い。宇宙人のデザインはイマイチだったが、この文字は彼らがもたらす全く新しい概念であり、映画を見終わって最後の仕組みの意味を理解するとその概念を表現するのにこの円形の文字以外には考えられないほど最適な文字だということがわかる。
 劇中で説明された「サピア・ウォーフ仮説」=人間の考え方はその人が使用する言語によって影響されるという理論が、この円形文字を理解することでルイーズがとある能力を手にすることも理論的に正しいということを説明しているし、このあたりの脚本の構成は本当に素晴らしい!!

 そして娘の名前、Hannah。これほどこの作品の内容を端的に表現し、かつ能力を手にしたルイーズの娘の名前としてこれ以上に最適な名前も他にない。

 あらすじを簡単にまとめると、「突然やってきた宇宙人とのコミュニケーションを通してとある能力を手に入れた1人の地球人が地球を救う」というシンプルなお話なのだが、2つの科学的理論を入れたことでかなり深いSFヒューマン・ドラマ的な傑作に仕上がった。
 1つ目は上述の「サピア・ウォーフ仮説」。そしてもう1つが「非ゼロ和ゲーム」理論。ゼロ和ゲームが誰かが勝者になると誰かが敗者になるという理論であるのに対し、簡単に言えばWin-Winの関係が「非ゼロ和ゲーム」。宇宙人が「非ゼロ和ゲーム」をするために地球に来ているのに対し、地球人は「ゼロ和ゲーム」の考え方をしてしまう。その例として麻雀の話が出てきたりするあたりの脚本も非常に上手いのだ!!

 なるべくネタバレしないように書いたつもりだが、冒頭のモノローグの本当の意味に気づくかどうか?それがこの作品を傑作と判断するかどうかの分かれ目だ。
 そこに気づきさえすれば、この作品がキューブリックの「
2001年宇宙の旅」以上にいろいろな解釈をもたらし、スピルバーグの「未知との遭遇」以上にコミュニケーションの大切さを訴える作品であり、SF映画史に名を残す傑作だということがわかるのではないだろうか?