パッション(7点) | 日米映画批評 from Hollywood

パッション(7点)

採点:★★★★★★★☆☆☆
2004年5月2日(映画館)
主演:ジム・カヴィーゼル
監督:メル・ギブソン


 監督メル・ギブソンが私財約30億円を投資して、完成させたが、あまりにも残酷すぐる描写にローマ法王やアメリカ大統領までも巻き込んで、公開前から物議を醸し出していた作品。


【ストーリー】
 十二使徒の一人ユダの裏切りによって捕えられたイエスは、裁判で司祭に冒涜者だと宣告される。イエスの身柄はローマ帝国の総督に委ねられる。尋問に応じないイエスに総督は、釈放するも十字架に掛けるも私次第だと告げる。しかしイエスは「私をあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と答える。荒れ狂う群衆にも促され、総督はイエスに鞭打ち刑の判決を下す。
 兵士により鞭打たれるイエス。道具を代え、時間をかけて執拗に続く刑罰。変わり果てたイエスの姿を見かね、総督は群衆にこれでも不十分かと訊ねるが、もはや自分の力ではどうすることもできないと悟った総督は、群衆の望み通りにすることを決定する。
 十字架を背負わされ、エルサレムの街をゴルゴダの丘へと歩むイエス。その間も執拗なまでの鞭打ちが繰り返される。そして遂に歩くことすらできなくなったイエスの代わりに側にいた男が十字架を背負うことになる。兵士たちのあまりにも残酷な仕打ちにその男は「いい加減にしろ!」と怒りを顕にする。
 ゴルゴダの丘でイエスは十字架に掛けられる。手足には太い釘が打たれ、磔にされてもなお、彼を裁こうとする人々の為に祈るイエス。そして最後の時が訪れる―――。


【感想】
 見終わった後、かなり気分が悪くなった。これが正直な第一印象である。
 鞭打ちのシーンから、十字架を背負って市街を歩くシーン、そして最後のゴルゴダの丘における磔のシーンまで、思わず目を背けてしまうようなシーンの連続。
 特にひどいと思ったのが、鞭打ちと磔のシーン。鞭打ちのシーンは前半はおそらく誰もが想像する鞭打ちシーンなのだが、途中から先端に刃物が付いた鞭になり、打つ度にその刃物が肉を深くえぐるというあまりにも壮絶な地獄絵図が展開される。しかも打つ側と打たれる側を交互に映し、打つシーンが直接描かれないというありがちな撮影手法ではなく、その肉をえぐる瞬間もリアルに描いている。
 そしてラストの磔のシーン。両掌に打ち込まれる釘、そして足を固定させるために打ち込まれる釘。これも槌を振り下ろし、打たれた顔を撮るというありがちな手法ではなく、きちんと釘が掌に食い込んでいくシーンを刻銘に描いている。
 こういった描写に気分を悪くしながらも、かつてここまで残酷な描写を描いたシーンがあっただろうか?と考えながら、非常にリアリティに富んだ作品だと感心させられた。

 リアリティといえば、ハリウッド映画であるにも関わらず、英語の字幕付きで、劇中で話される言語はアラム語やラテン語という徹底ぶり。

 リアリティの追求という意味では満点をつけたい作品ではあるが、腑に落ちない点がいくつかあった。聖書を忠実に映像化しているのだから、そういう点が幾つかあるのは仕方がないといえば、仕方がないのかもしれない。それでもあまりにも腑に落ちないのが二つある。
 まずは途中何度か登場する悪魔のような男。この男の存在意義がまったくといってよいほど"ない!"。おそらく神の子イエスと対峙する存在として登場しているのだろうが、それならそれで、妄想の中でもいいからイエスと絡むシーンが一つでもあれば、この男の存在が際立っていただろうと思うと、少し残念。
 もう一点は兵士達とそれを監督する隊長の関係。十字架を背負い、ゴルゴタの丘に向かうイエスにこれでもかというぐらいに鞭打つ兵士達を制止する隊長。しかし、しばらくすると再び鞭打ちが始まる。しかし、二回目の制止はない。まるで権威のない学級委員のような隊長。過去の歴史において、ヒエラルキー社会における上位者の命令は絶対というのが、今までの世の中の常識(少なくとも自分の中ではそうだった)だと思っていたので、このシーンは腑に落ちなかった。

 ところで聖書を元にしたこの作品、アメリカをはじめとするキリスト教国家では「
ロード・オブ・ザ・リング~王の帰還~ 」と並ぶほどヒットしている(それもあって、この作品を見にいった・・・)が、我々日本人にとって、聖書というのは馴染み深いものではなく、聖書を元にしたこの作品がそこまで大ヒットするとは思えない(公開劇場数から見ても配給会社であるヘラルドもそれほど力を入れているとは思えない)。しかし、一見の価値がある作品だとは思う。
もし今後、この作品を見ようと思っている人はあらかじめ予習をしていくことを勧めます。といっても、聖書を読めというのではなく(読めれば読んだほうがいいが・・・)、この作品のオフィシャル・サイトにアクセスして欲しいという意味です。というのも、オフィシャル・サイトの特集サイトにわかりやすい簡略版聖書(といってもこの作品に関わる部分だけだが・・・)が掲載されているからです。映画を見る前に予備知識を入れたくないという人もいるかもしれません(自分もその一人です)が、この作品に限っていえば、予備知識があるのとないのとでは大きく違ってくると思います。予備知識がない状態で見ると「残酷だなぁ。重いなぁ。」という上辺だけの感想になってしまうと思います。
とはいえ、予備知識があったとしても、やはり実質的には無宗教国家である日本人にとっては、深い意味で理解するのはとても困難な作品であることは間違いないと思います(私はそうでした)。