ショスタコーヴィチ:室内交響曲(弦楽四重奏曲第3,4番)バルシャイ (2005) | クラシックCD 感想をひとこと

クラシックCD 感想をひとこと

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ショスタコーヴィチの時代 ㉜

先週は、弦楽四重奏曲第3番、第4番の記事をアップしましたが、今週は引き続きその弦楽合奏版です。バルシャイは5曲の弦楽四重奏曲の合奏版の編曲を行いました。前回はその中から3曲を聴きましたので、今回は残りの2曲。ちょうど、第3番と第4番になります。

【CDについて】

作曲:ショスタコーヴィチ(バルシャイ編)

曲名:弦楽と木管楽器のための交響曲ヘ長調 op73a (34:29)

   室内交響曲ニ長調 op83a (26:25)

演奏:バルシャイ指揮、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団

録音:2005年 ミラノ Auditorium Verdi (ライヴ)

CD:8212(レーベル:Brilliant Classocs) 1/2CD

 

【曲と演奏について】

バルシャイの編曲版のショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は、とても聴きやすくて、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲への導入としても素晴らしいものだという認識がありましたが、この2曲は、弦楽四重奏曲第3番と第4番がバルシャイによってどう変貌するのかが興味の湧く処です。というもの、この2曲は以前DGから発売された、同じくバルシャイの演奏によるCDを聴いたことはありましたが、昔のことで内容はかなり忘れているのでした。

 

弦楽と木管楽器のための交響曲ヘ長調 op73a

弦楽四重奏曲第3番が、交響曲第8番や第9番の流れを汲むものとすれば、この曲の管弦楽編曲にはどうしても、「交響曲第9番」を期待してしまいます。とは言うものの、聴いてみるとやはり弦楽四重奏曲第3番なんですね。確かに、バルシャイは編曲をしているのであって、改作をしている訳ではないのでした。交響曲第9番の第一楽章の飛び跳ねるような曲調と比較すれば、やはり幾分まったりした感じになるのは否めません。

 

それはそうなんですが、実際第二楽章、第三楽章と聴き進んでいくと、悲劇性に重厚さが加わって、ショスタコーヴィチの交響曲の響きのニュアンスに近いものを感じてきます。結局最後まで聴いて、この弦楽四重奏曲第3番は、この編曲版の室内交響曲と並んで、ショスタコーヴィチの戦争交響曲の総決算であり、総集編であるという感触がますます確かなものに感じてきました。戦争中に作られた第8番の暗さは少々控えめになり、圧政は続くものの、少なくとも戦争は終わったという何某かの安堵感も見えるような気がします。戦禍への哀悼と将来への不安が消えない中で、時代は流れていきますが、ここで一つの区切りはついているものと感じました。

 

この音源から、この曲の一つの聴きどころでもある、パッサカリアの第四楽章をリンクしておきたいと思います。

 

室内交響曲ニ長調 op83a

弦楽四重奏曲第4番の管弦楽編曲版です。第4番はジダーノフ批判の自粛中の中で、ある程度は発表も見込んで書かれていると思います。この管弦楽編曲を聴くと、出だしが比較的わかりやすいメロディで、まるでプロコフィエフの第7番のように感じます。おっ、純音楽分野でも社会主義リアリズムの軍門に下ってしまったか…というところですが、その後の展開が一筋縄ではいかないのと、ユダヤのメロディを使用しているという事もあって、当時の当局の許容範囲からは大幅に外れているものになっているという事になるでしょう。

 

この編曲を聴いて感じるのは、バルシャイはいろんな楽器を導入して、かなり凝ったオーケストレーションにしているのですね。特に金管楽器の使用は、弦楽四重奏の編曲というところからすると、色彩的にもかなり手の込んだことになっていると思いました。そして、そこから出てきたのは、新しい形の小交響曲なのでした。ジダーノフ批判やスターリンの死去を経て、これから先ショスタコーヴィチの音楽も変化していくことになるのですが、これが最初ではないにしても、このあたりも一つのターニングポイントと見ることもできるのではないでしょうか。

 

さて、これからジダーノフ批判へと向かい、ショスタコーヴィチの創作は再び停滞していくこととなってしまいます。

 

購入:2023/12/27、鑑賞:2024/02/17

 

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