「心が動くこと」に耳を傾けてみる
「自分」に向き合い
言葉を紡ぐ旅の真っ歳中
松本あゆみです
ライターとして
「書く」仕事をしていたし
ライティングのことを
伝えていた私でしたが
「これを書きたい。」
という気持ちがゼロになり
発信から離れ
ブログはもう書かないな。
と、なってたところから
/
書きたい!!!
\
と、
心から
湧き上がってくるものを感じたのが
豊島のリトリートでの体験 でした^^
その時は
なんでこのタイミングで
書きたいってなったのか
よくわからなかったけど
おそらく
今、振り返って
これかな?と思う理由が
「私はやりたい」という
「私は」が
ようやく腑に落ちたから
なんじゃないかなと
思ってます
え?
どういうこと?!
ですよね(笑)
抽象度が高すぎて
よくわからんわーーーー!
って私も思います
ということで
この説明が
またまた
長くなりそうですが(爆)
それでもいいよー!
という方は
お付き合いください^^
たとえば
自分の言葉を使って
発信をする
それがブログを書く
ということだったとき
今までの私は
その先にいる方から
どう思われるか
どう見られるか
どう受け止められるか
これをけっこう
考えたんですよね
もちろん、
その時に感じた
書きたいことを
書いているんだけど
この文章を読んで
誰が得するのか?
どんな役に立つのか?
誰が共感してくれるのか?
この思考を
すごく使うんです
だって・・・
これが
学んできた
ライティングの
基本だったから(爆)
発信するなら
読んでくれる人が
「読んでよかった~!」
「なるほどー!」
「役に立った!」
と思うことを
書かなきゃいけない
というのが
私の前提にあったので
いざ
ビジネスをしていない
パートとして働く
3人の子どものお母さん
が肩書になったとき
これが肩書なのかはわからないけどw
私が今感じていることを
どこかに書くことで
誰が得するんだろう?
誰が読んでくれるんだろう?
誰の役に立つんだろう?
という気持ちが
ムクムクとわいてくる・・・
で、
「よし、書こう♪」
という気持ちが
見えなくなった気がしてます
これ、
発信に限らず
いろんな場面であると思ってて
“「私はこれをやりたい。」と
「誰」かを気にせずやること”
けっこう・・・
難しいんですよね
人の目は気になる
どう思われるかも気になる
「大人なんだから」
「お母さんなんだから」
「○○なんだから」
という自分に向ける目が
色々言ってくるから
行動できなかったり
罪悪感を感じたり
「私はこれがやりたい」だけなのに
全力で自分で止めにかかる!!!
仲間を守るために止めにかかるのはいいけど
自分の行動を止めにかかるのはやめていきたいな
リトリートでも
実は
そういう場面がありました
私はこっちをやりたい。
でもそれってKYじゃない?
みんなに合わせた方がよくない??
みたいなやつ
でも
ちょっと勇気を出して
あることを「やらない」選択をした私
自分の心に従って
やりたいことを選んだ時
もちろん
思うことはありました
空気を乱したかな。
とか
輪の中に入った方がよかったかな?
とか
変わった人って思われたかな、とかw
でも
それはまったくの杞憂で
/
あの時のあゆちゃん、
めちゃよかったよね!
\
と
なぜかほめられて
ビックリした(爆)
それを聞いて
「そっか。
私がやりたいことでいいんだ。」
と
すーっとはいってきたんですよね
「誰か」
ではなく
「私が」 でいいんだ。って
うまく伝えられないんですが
そんな変換ができたのが
初めて尽くしのリトリートでの時間
どうにもこうにも
まとめられなくなってきたのでw
今日はここまでにしますw
次はこちら↓
ここまで
読んでいただいて
ありがとうございました
松本あゆみ