棟上寅七の古代史本批評
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2018-10-14 19:04:19

30.10.14 一段落しました

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●孫ノリキオが帰って後片付けもすみました。北九州のマダムKから頼まれていた、という花の絵を描き終わり、帰る前日に届けようと思ったら、マダムKは実家にお出かけで、結局花の絵は我が家にとどまっています。

もう少し手を入れよう、と思っているのでかえって良かったのかも、此の次来た時に、手をもう少し入れて届けるから、と伝えて、と言って帰っていきました。

ノリキオも、最近は人体部品のスケッチばかりだったようで、自分でも保養?になったのではないかな?

 

●アメリカで大迫選手がマラソンで日本記録を出して、日本陸連から奨励金1億円を贈られた、とニュースで報じられていました。

その後の追っかけニュースで、好記録の陰に新しいシューズが一役買った、ということでした。なんでも厚底の靴だそうです。確かに、マラソンのストライドが記録には大きく影響するのですから、厚底が一役買っているかもしれません。

しかし、同じシューズを履いて他の選手が走ったら、どうなるのかなあ、大迫選手ももう少し下肢を伸ばせたら、厚底シューズ効果と相まってもっと記録が伸びるということでしょうか?などと馬鹿な妄想をしています。

 

●来月の八王子セミナーのレジュメ原稿と図表などをおく、一段落です。6月の頃の応募提出原稿とは、それから『資治通鑑』を読んでから得た知識を入れ込んだので、とても、主催者から要求されたA4版5枚に収めるのに苦労しました。

まだ、それに基づいて、実際のおしゃべり原稿は準備しておかないと、壇上で立ち往生ということになりまねないかな、と思っているところです。

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のHPのURLは次です。

http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

 

2018-10-08 10:51:57

30.10.08 NTTが月1500円安くなる?

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●三連休でしたが、台風で空路が駄目で新幹線で孫ノリキオが顔をみせてくれました、J大学の解剖学教室にお世話になっていて、人体の不思議さを学んでいる、ということです。

今日は、北九州の知人のところに行く、というので、昨日久山の花屋さんで買ってきた草花を適当にアレンジして夕食後部屋を閉め切って描き始めていました。徹夜したようで、今朝こっそり覗いてみたら、描き上がっているようにみえました。(が、起きてきて「まだ未完成」ということです。)

 

●1か月前の車の接触による修理、ということになりました。修理屋さんの見積もりでは、4万円ということで、相手の保険会社から、その金額でよろしいのですね、という念押しがありました。

修理屋さんにどれくらい修理に時間がかかるのか、確認しましたら、「板金工場に出さなければならないので、6日間ぐらい見てください」とのことです。

簡単なこすり傷ですから、そんなにかかるとは思っていなかったので、さっそく代車の手配をしてもらい、その費用を相手の保険会社に伝えてもらいました。

 

●三連休前の金曜日の夜8時過ぎ「NTTからの電話が・・・」と既にまどろみかけていたところを起こされましたが、「もう休んだから明日・・・」と返事する声が聞こえました。

翌朝8時過ぎに「NTTから」と電話がありました。「現在加入されているNTTの各種サービスを一本化して、お安くするようになります。今より月1500円は安くなります」とのこと。

 

それは結構なことと話を聞くと、「スマホかPCで手続きを説明する」、とのこと。「スマホは使っていない」「PCは立ち上がっていますか」「うちのPCは古いから立ち上げるのに時間がかる」では15分後に改めて電話します」

15分後、今度は女性の声で、同じような説明がはいる。「NTTではそのようなサービス料金の変更があるなら、文書であるのではないか」「いえ今回は有名なニフティさんとの極秘プロジェクトで」。「わたしのNTTの知人に確かめてみる」「・・・プツン」でした。どこに連れて行こうとするのかな、という興味はありましたが、ゴタゴタに巻き込まれるのも、と思ってしまいました。

 

●九州古代史の会報「倭国通信」を昨日いただきました。室伏志畔さんがいろいろと意見を言っておられます。

その中で気になったのは、今作業中の郭務悰に関することで、白村江の比定地の件です。

錦江ではない。牙山湾奥の白石浦とされます。金在鵬氏の意見であり、それに東アジア史に詳しい小林恵子氏や軍事専門家の牛島康充氏も賛同している、というようにありました。

現在『日本書紀』の記す「白村江」は、現在の錦江が有力の様です。錦江は白馬江ともいわれ、落花岩の伝説もあり、『日本書紀』の「白村江」の表記や中国史書の「白江」という表記にあるように「白・江」という共通もあるのです。湾の奥の「浦」を「・・江」と表現できるのかなあ、という疑問も残ります。

まあ、白村江の場所の比定は、全体の歴史の流れにはあまり影響はないと思うのですが、謎があればそれを解きたくなるのは当然で、各説繚乱となるのでしょう。

 

「牙山湾奥の白石浦」に倭国軍船が集結しており、そこを唐海軍が襲撃した、ということでしょうが、偶然の出会であったという中国史書の記述から想像される、海戦の様子とはちょっと違うなあ、とも感じました。

金在鵬氏の論述そのもの読んでみないと、それ以上、何とも言えませんが。

 

●ついでに調べてみました。牛島康充氏とは:

陸軍嘱託ハルピン特務機関員。戦後、防衛庁事務官。著書『検証―白村江の戦い』(1995年近代文芸社1800円 アマゾンで古本9900円 びっくり!)

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会のホームぺーじのURLは次です。

http://torashichi.sakura.ne.jp/

 

 

2018-10-01 10:01:22

30.10.01 郭務悰は淑人君子であったのか

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●台風一過できれいな秋日和です。まだ、台風24号は孫Nちゃんのところあたりにいるようですから、手放しでは喜べませんが。

それに、今日は我が家の国慶節です。本人は年をとるのは喜べない、などと強がっていますが。朝さっそく娘からお祝いの電話があり、嬉々としておしゃべりをしていました。

 

台風は幸い北部九州からそれてくれたので、お祝いのケーキを買いに天神まで出かけました。皆さん台風予想進路を勉強されているのでしょう、天神界隈のお店はどこも営業していましたし、人並みも、普段の祭日程はないけれど平日程度にはありました。

 

●『資治通鑑』にも少々飽きてきましたし、枝葉末節なことは専門家にお任せし、古田武彦師の『壬申大乱』に見える郭務悰像と磐井の墓の破壊者としての唐軍司令官像との不一致について、『資治通鑑』から得られた情報をもとに、一文にまとめてみました。

ブログで何回か述べていたことですが、まとめるということになると、結構時間がかかりました。ホームページを始めたころには、毎月のように新しくアップできていたのですが、歳を感じさせられます。

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページに「郭務悰は君子であったのか」というタイトルでアップしました。下記URLをクリックしてみてください。

 

http://torashichi.sakura.ne.jp/kakumusoutoha.html

 

2018-09-25 19:05:01

30.9.25 涼しくなりました

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●涼しくなりました。1㌔ほどの市立図書館に散歩がてら、出かけるにはちょうど良い季節になりました。

県立図書館で借りた本も、市の図書館でも返却できるので、返却する本を抱えて行ってみたら、連休あとで休館日でした。ものはついで、と、電車に乗って県立図書館まで出かけました。倭国の滅亡時について、古代史史家の皆さんはどのように解釈されているのか、ついでに調べていたら気付いたら、半日が経っていました。

 

●TVのスイッチを入れたら、貴乃花親方が涙目で相撲協会からの引退を報告しています。これこそ最たるパワハラと思われるのですが、白馬の騎士は現われなのかな?内館さんでも難しいでしょうね。

 

漱石先生の「智にはたらけば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」、と喝破された名文句が思い浮かびます。

 

●先週、熊本市役所に頼んでいた戸籍謄本が届いたので、終活の一つとして、本籍地の変更を区役所に届けました。

おそらく福岡の現住所が終焉の地となること間違いないでしょうから、残された眷属の後始末がスムーズにいくのではないか、と思ってのことです。

 

熊本の熊襲末裔が福岡の熊襲の末裔、となっただけですが、何となく寂しい感じです。熊本のお墓に行って報告をご先祖様にしておかなければいけないかな、などと思っています。

 

●高校の同窓会は全国各地にありますが、東京の同窓同期会は元気が良いようです。年末に福岡に行くから、ゴルフとフグを楽しみたい、と言ってきました。連絡幹事役の仕事と楽しみが一つ増えました。

 

古希祝いのゴルフ会を東京と九州と合同で、千葉でやった時には、30人以上集まり、ベスグロ賞を戴いたことを思い出します。もうひと昔以上の昔話です。

 

●倭国滅亡時の状況の、一つの史料として、百済彌軍という人物の墓碑銘があります。これも読み解くのが大変な文章です。

ネットで検索しますと、いろんな方が、解釈をされています。その中の「僭帝」という語が誰を指すのか、ということでは「天智天皇」で一致しているようですが、唐が左戎衛郎将を授けたのは、天智天皇に対してか、それとも墓碑の主人公、百済彌軍に対してなのか、文章の句読点の置き方で違ってくるようです。漢文(白文)を読むのは難しいなあ、と思います。

 

天智天皇にも位階を授けているし、百済の余隆にも与えているのですから、当然、大倭国王の薩夜麻にも与えたと思うのですが、唐会要などにも調査を広げなければならないのかなあ、とちょっと根を上げかけているところです。

2018-09-20 20:16:11

30.9.20 秋雨前線でゴルフが中止で漢文の勉強へ

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●朝鮮半島の南北の首脳が会談して、戦争状態を止めて統一旗のもとに集まろう、と動いているようです。これは、世界史上の大きな動きが現在進行形で進んでいる、ということです。政治形態が決定的に違う二つの国がどのような形で「統一」できるのか、興味津々です。が、どんでん返しが待っているような懸念が消えません。

 

●今日は昔の会社のOB会のゴルフ月例会でした。雨模様の天気予報でしたが、集合したのは全体の7割ほど、15.6名で、この天気でゴルフやるの?という顔です。

結局、やろうよ、という積極派は寅七含め4名で、これではコンペにはならないな、とお開きとなりました。

家に帰って、一昨日図書館で調べた『資治通鑑』の漢語の整理などで過ごしました。 

 

●一昨日18日に福岡県立図書館に出かけました。敬老の日までの三連休で筥崎宮の放生会は終わったのか、とネットでチェックしてみたら、18日が最終日とのことでした。筥崎宮参道横の図書館ですから、駐車場探しが大変だろうと電車で行くことにしました。

諸橋先生の大漢和辞典のある場所を係りの方にお聞きして、案内していただき『諸橋漢和大辞典』にお目にかかれました。思ったよりも大部の辞書でした。普通の大型字引の10倍の量はありました。

 

探し物は、『資治通鑑』を邦訳された、加藤繁文学博士と公田連太郎氏の訳文のうちの、寅七にとっては意味不明な次の訳文の中に見える「キン」という漢字でした。

【原文】先帝東征而不克者、高麗未有也。

【訳文】「先帝、東征して克〈か〉たざりしは、高麗未だ〈きん〉有らざればなり。」という加藤繁先生の文章です。

この「キン」という字はネットで検索しても出てきません。一応造ってみました、これがという字です。

 

それにしても、この漢字を諸橋先生の辞書で引くには、この字が何扁なのか部首索引で、まず間誤つきました。結局は、読みを手掛かりに総画数で見つけることができました。この字が部首索引では「臼」になっているとは思いもよらず漢字についての知識の浅薄さを改めて思い知らされました。

 

諸橋先生の解説では、読みは①キン ②ブン・モン。意味は、①ひま・すき・ひび ②うごき とありました。

つまり「高麗の体制には、今は乗じる隙間がない」、というような意味ではないか、と思われました。

 

それにしても、大正・昭和の時代は、という言葉の意味が識者には通用していたのでしょうか。加藤。公田両先生には、諸橋先生の大辞典を引くことができなかったのでしょうか、それとも、後学の者へ「これくらいは自分で調べなさい」という意味でわざと訳さなかったのでしょうか? 

 

もう一つは、「枷鏁推禁〈カサスイキン〉」という言葉です。

【原文】及達西岸、惟聞枷鏁推禁奪賜破勲

【訳文】西岸に達するに及び、惟〈た〉だ・枷鏁推禁〈かさすいきん〉し・賜〈たまもの〉を奪い勲〈くん〉を破るを聞く。

 

「枷鏁推禁」のうち「枷鏁」は普通の漢和辞典に「足枷・手鎖という刑具で拘束する重い刑罰」という解説が見えますが、「推禁」の意味が分からないのです。

訳者の先生方も手に余ったのか「枷鏁推禁し」と逃げています。

「推」はよく使われる字です。①おしひらく ②おもう という意味だとあります。「推進」「推理」というように使われていて、諸橋先生も数十個の「推+X」の熟語を掲出されていますが、「推禁」はありません。似たような熟語には、

「推故」事故にかこつけて断る。

「推問」罪状を調べる。

「推鞫」罪を調べる。

等があります。

「禁」を「推」すのか、「推」しはかって「禁」じるのか?

前後の文章から、「足枷手鎖という重い刑罰があるのにも拘わらず(罪を犯す)」という意味だとは思うのですがどうでしょう。

 

このような年寄りの暇つぶし的な作業でこのところ過ごしています。

 

●「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページのURLは次です。

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2018-09-16 08:32:13

30.9.16 郭務悰のバックボーン劉仁軌

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●木曜日、久しぶりのゴルフでした。車が必要というわが相棒殿が、ゴルフ場まで送ってくれ、帰りは誰かに乗せてもらって帰る、ということになりました。

つまり、運転して還る必要がない、ということは、プレー途中で茶店に寄ってアルコール飲料でのどの渇きを癒しても、帰りに交通警察の取り締まりを心配する必要がないのです。

その為ではなかった、と思いますが、久しぶりにOBなどなく、上り3ホールで体力不足からのミスショットもなくパーであがれ、エイジシュートには少し足りませんでしたが、あといくつか予定されている今秋のゲームが楽しみになりました。

 

●先週、ウラジオストックで安倍首相を横にしてプーチン大統領が、突然「年内に平和条約を締結しよう」と提案されました。われらが安倍首相殿がドギマギする表情がTVに何度も流れていました。

その後のマスコミの論調は、今朝のサンデーモーニングのコメンテーター各氏も、今までの交渉結果を無視した、とプーチン氏を責めているのが多いようです。

 

しかし、1956年に鳩山首相がソビエト連邦と交わした「日ソ共同宣言」では、平和条約を締結して、その後に四島の帰属について話し合おう、というようになされていたと思います。(ネットでチェックしましたが、記憶は間違っていませんでした。)

 

プーチン大統領としても、日ソ共同宣言で決められた以上の譲歩を日本側に示すことは、ロシア国民の反発を食らうことは目に見えているので、できないものでしょう。まずは、プーチン氏の提案に乗っかってみて、その後の領土交渉に、日本人の外交手腕が問われるのは、それからでしょう。

 

●白村江の敗戦以後の、日中間の通交がどのようなものであったか、ということで、このところ『資治通鑑』の当時の中国側の記録を調べているのです。

 

『日本書紀』では、百済鎮将劉仁願という人物が、郭務悰など配下に命じて倭国に終戦処理を命じ、数度渡日させた、と言うように書いてあります。

 

ところが、中国側の史料、『資治通鑑』でも、『旧唐書』でも、百済での戦いが終わったあと、劉仁願は中国に戻り、あとは劉仁軌という人物が、百済の戦後処理に当たった、と書かれているのです。

 

つまり、『日本書紀』の記事が誤っているのか、『日本書紀』に登場しない劉仁軌という人物はどんな人物なのか、ということについて、日本の古代史史家はあまり研究の対象とされていなかったようです。

 

今回、『資治通鑑』の白村江の戦前後の記事を見ますと、劉仁軌の記事がずば抜けて多いのです。それも、きわめて文武両面で有能であり、その考えが高邁で君子というところにまで表現されています。歴史上悪女の代表的に見られている則天武后の余でも、武后から自分の片腕になってほしいとまで言われています。

 

この人物が、倭国殲滅の為に大軍団を倭国まで出動させたのか、『資治通鑑』の記事を読めば読むほど、日本の古代史史家(古田武彦師も含む)の通説、「数度にわたる唐軍の襲来、その首領が郭務悰」ということに疑問が生じてきます。

『資治通鑑』に見える、郭務悰のバックボーンとなった劉仁軌の記事を、次回以降このブログに紹介して、読者諸賢の判断を待ちたいと思っています。

2018-09-12 11:44:38

30.9.12 マッカーサーと劉仁軌

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●錦織選手はベスト4でしたが大坂選手が見事USオープンテニスのチャンピオンとなりました。Wチャンネルの無償視聴サービスで、目をこすりながらの10日間の応援視聴でした。

ライブ画像には楽しむことができましたが、老夫婦の体には堪えたようです。寅七が幹事をやっている、中学校や高校の同窓会の諸案内などでの作業ミスが多発しています。

外国でのいろんなイベントのライブ画像は夜中~早朝が多いので、年寄りには無理と、今回の「お試し視聴」でよくわかりました。

 

●先週水曜日、ショッピングセンターの駐車場で車をこすられました。こすった、こすっていない、という口争いになりました。車検の時に車屋さんの「車載カメラを付けておいた方が良いですよ」という勧めでつけていたので、カメラを見ればわかること、と安心していました。車屋さんでカメラを見てほしい、と頼んだら、もう時間が経ちすぎて、上書きされています、1時間前でしたら残っていたでしょうが、と言われてしまいました。マニュアルは読んだつもりですが、頭には残っていませんでした。

まあ、その後、所轄警察署に届けたら、双方の車を並べて検証してくれ、先方の不注意による事故、という判定は一昨日いただけました。しかし何度も警察や車屋に行ったり、無駄な時間を修理代4万円の擦り傷のために使わされました。まあ加害者の方でなかっただけは幸いと思いましょう。

 

●白村江の戦のあとの劉仁軌の百済占領政策について『資治通鑑』を読んでいて、「百済大いに悦ぶ」という文章が目に留まりました。占領軍を百済人が歓迎した、というような文章です。

念の為に『旧唐書』の叙述を調べてみました。そこには「国内では皆、生業に勤しめるようになった」というような表現でした。『資治通鑑』でも『旧唐書』の表現とほぼ同じように書いていますが、「百済大悦」が付け加えられています。

いちおう調べてみたことを報告しておきます。読者諸賢は寅七の暇つぶしと思われることでしょうが、お付き合いいただければ幸いです。

 

●1065年に司馬光が編纂した『資治通鑑』は、もちろん中華思想で書かれています。その典型とも言うべきところが、劉仁軌の百済占領政策についての叙述に見られます。豊章・福信らの百済の戦火の残り火が収まり、高宗は、孫仁師・劉仁願を帰還させ、劉仁軌に占領政策遂行を命じます。

 

『資治通鑑』では仁軌の政策実行を「百済大悦」と表現しています。念のために『旧唐書』本伝の同じ記事をチェックしてみますと、その「百済大悦」が無いのです。

 

『旧唐書』では、【初、百済経福信之乱、合境凋殘、殭屍相属。仁軌始令収斂骸骨、瘞埋弔祭之。修録戸口、署置官長、開通塗路、整理村落、建立橋梁、補葺堤堰、修復陂塘、勧課耕種、賑貸貧乏、存問孤老。頒宗廟忌諱、立皇家社稷。百済余衆、各安其業。於是漸営屯田、積糧撫士、以経略高麗。】(計102字)

と表現し、「劉仁軌の政策で百済の民衆は安んじてその生業に勤しんだ」というようにあります。

 

同じところで『資治通鑑』では次のようにあります。

【百済兵火之余,比屋凋殘,殭屍滿野。仁軌始命瘞骸骨,籍口,理村聚,署官長,通道塗,立橋樑,補堤堰,復陂塘,課耕桑,賑貧乏,養孤老,立唐社稷,頒正朔及廟諱。百済大悅,闔境各安其業。然後修屯田,儲糗糧,訓士卒,以圖高麗。(計86字)

百済には兵火の影響がもろもろの建物等に明らかに残り、倒れたままの死体が野に満つ、という状態である。仁軌は次のように命じた。骸骨を埋葬させ、戸籍を復し、村民を治め、官長を定め、道路を通じ、橋梁を造り、堰堤を補修し、池を復旧し、耕作養蚕を課し、貧乏をなくし、孤老を養い、唐の社稷(宗廟)を立て、土地神の廟を立てる、などを行った。百済人は大いに悦ぶ。国内全て各人その生業に勤しむ。然る後、屯田を整理し、食料を貯え、士卒を訓練し、以って高句麗対策を練る(寅七訳)】

 

漢文に不慣れな方々でもこの二つの文章は、後者が前者の文章を整理して引用した文章ということはわかります。

この中の「百済大悦」というのは唐人からみれば、戦争が終わったことを百済の人民が喜ぶ姿が、そう見えたのかなあ。しかし、唐の支配下になったのだ、と示す社稷を立てられて、民族意識の強い半島の人々が悦ぶのだろうかと疑われました。

 

しかし、私たちは太平洋戦争敗戦後、マッカーサー元帥が任務を解かれて帰国する時に、羽田空港までの沿道に20万人の日本人が見送り、マツカサさん万歳と叫んだという映画館で観たニュース映像が、寅七の記憶に残っています。

戦前の日本の体制の基盤が、農民の多くが小作農であったことにあるのではと、不在地主から農地を取り上げ小作農に安価で払い下げた、占領軍指導の「農地改革」によって多くの農民が恩恵をうけたのです。

 

調べてみますと、1951年、マッカーサー退任にあたり、日本国国会は感謝決議をし、日本政府は名誉国民の称号を与えるなどしていますから、後世、歴史家が「日本人大いに喜んだ」と書いても可笑しくないでしょう。

そう思うと、この司馬光の「百済大いに悦ぶ」も簡単に中華意識による表現とは片付けられないかな、と思われました。

 

感想の、もう一つは、司馬光は1世紀前の『旧唐書』の記事を殆どそのまま字数を80%に削減して引用しています。しかし「百済大悦」という四文字は『旧唐書』に無いのに加えています。中華思想発露の精神が『旧唐書』より高く、以後の中国皇帝が手本とすべき帝王学の書とされた原因かなあ、と思われましたが・・・。

2018-09-07 11:38:31

30.9.07 資治通鑑の気になった記事二つ

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●台風21号の暴風雨による関空の被害、続いて6日の北海道胆振東部地震による大規模地滑りや液状化による大被害、など大自然の隠れていた恐るべき力を教えてくれます。

1949年の伊勢湾台風はでは今回の台風よりも大きな被害をもたらし、高潮により愛知・三重両県に人的にも物的にも大きな損害を生じました。関西空港の諸設備の設計者は、この台風による高潮の想定に甘さがあったのではないでしょうか?

 

●このところ、W社の無料視聴サービスでUSオープンテニスを楽しんでいます。ニューヨークとの時差で、夜中のプレーも多く、錦織圭・大阪なおみ両選手の活躍に悦びながらも、老夫婦共睡眠不足の一週間です。

今、大坂なおみ選手が決勝進出を決めました。明日、錦織選手もジョコビッチ選手を破って、決勝に続いて上がってくれれば良いのですが。

 

●昨日早暁、テニスの試合の画面に北海道に大地震というアラームが出ました。幸い、北海道在住の孫Nちゃんは、夏休みで、両親とともに石垣島にサマーキャンプ中だったことを思い出し、安心しました。

メールしましたら、孫Nちゃんから、「どうやら停電が長く続くらしい。冷凍庫に入れていたおばあちゃんからの肉料理の食べ残しが駄目になったと思うと残念」と返信メールが入りました。

また作って送ってあげますよ、心配しないでね、Nちゃん

 

●資治通鑑の7世紀後半の記事を読んでいて、特に気になった記事が二つありました。

一つは、龍朔3年(663年)の記事。劉仁願が帰国して、高宗に報告し、それを聞いていた侍従の士官儀という人物が感想をのべているところ、と、その後高句麗が力を盛り返し、劉仁願が高宗に現状報告した歳麟徳元年(664年)の記事です。この年に郭務悰が初来日(天智3年・664年 5月 帰国10月)しています。

前者の記事は、劉仁願と劉仁軌の百済の占領政策はどのようなものであったか、後者は、郭務悰が来日したころの百済の唐軍の情勢はどうだったか、を教えてくれる貴重な史料とおもわれます。前者については、現代語訳でき次第報告します。

後者については、2012年に外務省から報告された「日中歴史共同研究」で王小甫という中国側委員の論文で紹介されています。

「新しい歴史教科書(古代史)研究会のHPで紹介しています。URLは次です。

http://torashichi.sakura.ne.jp/yaridamasono52.html

2018-09-02 19:36:05

30.9.02 錦織・大阪コンビの応援も大変です

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●次々のスポーツ関係のパワハラ関係の話題が世間を賑わしています。今回の体操協会については、18歳の選手と教会の重鎮夫妻という構図ですが、世間の目は乙女に同情的です。

現在進行中ですが、音声記録がある、と重鎮側は言っているようです。しかし、それを出せないのは諸刃の剣になる恐れがあるからかな、など思ってしまいます、が・・・

 

●錦織圭と大坂なおみの二枚看板で、独占中継で、W社の無料おためし体験サービスで見ています。3回戦ですから、相手も強くなり大変だろうと心配していました。

なにせ、12時間の時差がありますので眠い目をこすりながらの応援です。大坂なおみ選手の1ゲームも相手に与えない完勝となりました。

そのあとの錦織選手の方は苦戦中で、目がつぶれました。最初は苦戦しましたが、なんとか3-1で4回戦に勝ち上がってくれました。明後日の4回戦も、真夜中からのTV観戦になるのでしょうか。医療機関に出かけるスケジュールもにらみながら、夫婦交代応援体制も考えなければ、など思っているところです。。

 

●続国訳漢文大成『資治通鑑』加藤繁・公田連太郎訳注第11巻 という本の、朝鮮半島関係、劉仁願・劉仁軌関係記事を拾い上げています。長短とりまぜ60あまりの記事が、ありました。取り上げた期間の全体の記事の15%程の量です。WORDで打って12枚ほどになります。

文章が訳者の手に余ったのでしょうが、難しい熟語はそのまま使っているので、何度か読み返して、おぼろげながら文意を読み取れるかというところです。

なにせ、80年以上前の出版の書物です。もっと新しいものはないかと探してみても、この本をタネ本としての解説書やら新書版の解説本だけきり見かけません。

寅七流で、時間はかかるかもしれませんが、現代仮名遣いに変え、意味も分かる文章にトライしてみよう、かなど妄想?しているところです。

ともかく、手持ちの漢和辞典やネット辞典では見つけられない漢字や熟語が次々と出てくるので、2,3日、県立図書館に行って諸橋先生のご教授にあずからなければならないかな、と思っています。近くの市立総合図書館にはない辞書ですので。

2018-08-26 21:33:37

30.8.26 資治通鑑を読み始めました

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●この一週間は秋田旋風・猛暑・連続台風で賑やかな一週間でした。

金足農高の驚異的躍進には、全国にはこれほど判官贔屓の人々がいるのか、を見せてくれました。

わたし的には、指揮官が「勝つ」という大目的を放棄したかと思われる連投ピッチャーの酷使采配には疑問がありました。多くの評論家さん、誰もこの点に言及していません。少数意見でしょうが、贔屓の引き倒しとはこのことか、と思いました。

 

●先週気温38度の予想の中で、昔の仲間とのゴルフでした。丁度、誕生日が過ぎていて、これまでよりエイジシュートの打数が1打プラスになります。

張り切ってスタートに臨んだのです。しかし、普段の不摂生がたたったのでしょう、残り4ホールから、クラブのコントロールが効かなくなり、力めば力むほど、ボールは思う方向と逆に飛んでいきます。3発のボールの行く方を見失い、パットも散々で、ブービー賞という結果になりました。

体力以上の結果は得られない、ということを、金足農のコーチ陣も今回身に知らされたこととは思います。

 

●久しぶりに、糸島~唐津~伊万里~七山~古湯~三ツ瀬ルートの巡狩に出かけました。目的は、息子のお嫁さんの誕生祝い、娘婿殿の還暦祝いに伊万里牛でも送ろうか、と出かけたのです。

迂闊にも、水曜定休は記憶していましたが、月末の日曜が定休日ということを忘れて、空振りになりました。明日出直しです。

三瀬の「さと山」という売店で「ポポー」という果物を見かけました。完熟して食べごろの帰還が短いので、店頭には出しにくい果物です、という説明でした。種からの栽培は割と洛と聞いて、誰とかさんに栽培してもらおうかなど言いながら試食用に1パック求めましたが、さて今後の展開は???

 

●白村江の配線以降の歴史がはっきりしていないのは、『日本書紀』の記事と海外史料との不一致にも原因があるようです。当時の唐側の人物「劉仁願」や「劉仁軌」などの人物像を知ろうと『資治通鑑』を読んでみようと思い立ちました。

今までは、歴史家が引用する片言隻語での知識でしたので、果たしてそれで良いのか、という思いからです。

福岡市総合図書館には『資治通鑑』はなく、県立図書館に『続国訳漢文大成 資治通鑑があり、図書館に行って調べて、7世紀のころについてはその第十一巻にあることがわかりました。

 

一応借り出しましたが、厚さ5センチ余りの大冊です。擬古文調の文章で大版700頁に及びます。

ザッと読みに二日かかりました。相棒殿が、電話したのに出ない、そんなに面白い本なの、と聞きます。丁度、武則天が成り上がっていく時の話のところを読み終わっていたので、かいつまんで話すと、そんな面白い話それだけで読み物になるのでは、などと言っていました。過去に沢山の文人が紹介している話ですよ、というと残念そうな顔をしていました。

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