突然ですが、今、宮城にいます。  



一昨日、PCR検査の、結果が届き

陰性だったので

決行を決めました。






























わたしのブログを読んでくださっている方なら

おわかりになると思います。







石巻に住んでいらっしゃる

遠藤伸一さんに、会いに来ました。










石ノ森章太郎先生のゆかりのキャラクターがたくさんあります。


そう、ここは、石ノ森先生の誕生地
ではありませんが


石巻の中瀬地区にはかつて岡田劇場という映画館があったそうです。




当時、石ノ森少年は自転車で3時間かけて頻繁に通っていたそうです。

漫画家につながる知識や感性を培ってくれた場所が、石巻


それで、石巻の町中には
石ノ森先生のキャラクターたちがたくさんいるのです。







TOKYO2020

の看板を見て


私は心がチクッとしました。




なにが復興五輪だ。



わたしは、開会式以外

サ室のテレビで流れているオリンピックを
なんとなく見るだけで

選手たちには悪いけど

今もあれは、やらないべきだと思っている。

他にもっとやることがあったはずだ。


あれが決まったときからずっと
反対していた。



まぁ、そんなことをここで書いてもしょうがない。









話を戻すと


私が石巻に来た理由は





遠藤伸一さんを、9月4日、荒川区にお呼びし


講演会をしていただくことが決まったので



そのお打ち合わせを兼ねて



初めて、石巻にやってきた…ということ。









遠藤伸一さんの作った
「虹の架け橋」と遠藤さん。








あの大津波でなくなってしまった
遠藤さんの3人のこどもたちが
お地蔵さんになって




ここで、こどもたちが遊んでくれていたら
きっと、うちのこどもらも淋しい思いはしないかなぁと思って…

と遠藤さん。










あの「独眼竜」伊達政宗が建造し
【伊達の黒船】とも呼ばれた

『サン・ファン・バウティスタ』号

にも連れて行っていただきました。


この船は、本来は下の方まで降りて行けて
中にも入れたのだそうです。

しかし、大津波に合い

中はぐちゃぐちゃ。

帆柱はなんとか、修復できたものの
施設も復旧が追いついておらず

『4分の1に縮小(壊)されて展示』になる予定

だということで

あの、サンドウイッチマンさんたちも
反対されているそうです。





遠藤さんは



「ここは、こどもたちとよく来ていてねぇ

一階のところにジェラート屋さんがあってね…

こどもたちがその前にゆくと、お父さんお腹すいたって言うんだよね。

じゃあ、おにぎりたべるべって言うと、ジェラート食べたいって言うんだよ」





わたしは、
昨日まで


遠藤さんのドキュメンタリー映画のDVDを見ていたので


はじめ、どんな顔をして、こどもたちのおはなしを聞いたら良いのかわからなかったのですが





「花(長女)が二十歳の誕生日のとき、ネックレスをくれたひとがいてね…」






と、遠藤さんがおっしゃったときに







あ、そうだよね



花ちゃんも、
かんたくんも、
響(かな)ちゃんも


遠藤さんと一緒にいるよね、って



うまくいえないけど
そう感じたのです。




わたしも、旦那には言えないんですが


義母が亡くなってから


『守られてるな』って感じることがとてもとても多くて





今までだったら無理しちゃったこととか


うまく行かないことがわかってて突破しようとしてしまったりしてたけど


そこでいったん、立ち止まることができるようになりました。


それから、うまくいくときは

グイグイと、物事が進むようになったというか。



これは、絶対にお義母さんが守ってくれているんだと思うんです。



亡くなっても

心には…   




と、よく人は言いますが



それは、たしかに、そうなんだと思う。





今日はそれを


強く強く実感しました。














ところで




これ








なんだと思いますか?








答えはね














交番。





 
大津波で倒された交番。








女川(おながわ)交番にも

連れて行っていただきました。









『何を残すか

何を残さないか』






ふたたび、大津波で、多くの犠牲を出さないように。





だけど残してばっかりでは

辛くなってしまう。










何を残さないか

何を残すか












今日一日、たくさんのことを考えました。














気がついたらもう8月。












ホテルでこれを読んでいます。



戦争もそうだよね。


何を残すか、

もう二度と

ふたたび悲劇を繰り返さないために。








街を歩いていると

建物に

『津波がここまで来た』の線。



それは  
  



「もしも、また地震が来たら


ここより高いところに登らなきゃだめだぞ」




って




未来の子どもたちに

教える大事なサイン。









 

…東京はどう?





関東大震災のことなんて






もう誰も覚えちゃいない。







私の地元の



23区内でワーストワンの



木密地域では


大地震が起こったら


大火事になる。




下町で道が狭いから

消防車は入らない。




震源地によったら



高潮が、くる。




隅田川沿いの家は…どうなる???







もしものときのこと



本当にいま、考えとかなきゃ。








遠藤さんの話は


一つ一つ心に響いて


早く、早く、荒川区の人たちにも

聞いてもらわなきゃって思った。









でも、やっぱり




来てみると違うなぁ…。。。










書きたいことはいっぱいあるけど

それは、書かずに

9月4日にとっとこう。











明日は、いよいよ

『木遊木』に、お邪魔します!!!




すごくすごく楽しみです!!!





オマケ





お昼に頂いた、女川のマグロ丼
もう、むちゃくちゃ、美味かったです…


私が牛だったら、今もまだ反芻してるよ、絶対。




とら