最初に私の立場を書いておきます。「男性○○」を「男流○○」と呼ぶことがないのに「女性○○」だけ「女流○○」と呼ぶのは (男性が無標で女性だけ有標なのは) 性差別である、という意見には賛同しています。

その上で、将棋界では「女性棋士」と「女流棋士」は全く別の存在である (段級位の認定基準面で異なる流派である) ことが社会に知られていないことはとても残念です。

「女性棋士を女流棋士と呼んでいる」のは囲碁界の話であって、将棋界は「女性棋士≠女流棋士」です。

で、女性が (女性というだけで) 名人になれないのはおかしい、という批判に対して私は「いや、制度上は女性も名人になれるし、女性が名人になれない競技なんてないだろう」と思っていました。

しかし、ありました。競技かるたは女性というだけで名人になれないようです

代わりに「クイーン」という称号があるようですが…外来語? 「名人」と「クイーン」とでは称号から受ける印象がものすごく異なるように感じます。

門外漢である私が意見を言っていいのかどうか分かりませんが、「名人」の称号を得られる可能性が性別で線引されているのって望ましくないように思います。「男性名人」「女性名人」のように男性も女性も同じ条件で似たような称号を名乗れるなら、大会自体は男女で分けていてもよいと思いますが…。


将棋界の「女流棋士」という女性優遇制度は男性差別だからなくせ、という声もないわけではないですが、現時点では賛同しかねます。

女流棋士制度を真似て「男流棋士」制度を立ち上げることは自由です。LPSA を真似て MPSA のような名称で「男流棋士」専門の社団を設立することも自由です。

でも多分、「男流棋士」に需要がないでしょう。男流棋戦をやろうとしても sponsors がつくはずがありません。sponsors がなければ賞金が出せません (参加費から賞金を出すと違法行為です)。これでは「プロ」とは呼べないと思います。

子ども大会の指導対局で男性棋士と女流棋士が指導を受け持つ様子を何度も見たことがありますが、子どもからの人気を見ると女流棋士の方が人気が高いです。男性棋士は、男性というだけで需要が低いです。

世の中に女性棋士が何人も誕生すれば女流棋士と言う制度は不要になるかも知れませんが、現時点ではそれなりの需要があります。

(なお、女流棋士制度があるせいで女性棋士になる負担が大きくなってしまった、という例も読んだことがあるので、女流棋士制度に全面的に賛同しているわけでもありません。)

私は基督教徒ではないのですが、今日~明日は基督教の方々にとって特別な日だと思われるので、基督教に関する話題を1つ。将棋と直接の関係はないですが、子どもへの接し方に関係があります。

「♪アブラハムには7人の子」の歌詞で始まる曲がありまして、踊りもついています。ご存知ない方は、YouTube などで視聴していただくといいかと思います。

さて、幼稚園児~小学校低学年児を相手に5人の大人がこの曲を歌い踊って見せる場があり、そのうちの1人があなただとします。子ども達に親近感を持ってもらうにはどうしたらいいでしょうか。

正解は1通りではないのですが、例えば他の4人の大人には正しい踊りを当たり障りなく踊ってもらい、自分だけ微妙に変な動きをする、という方法があります。ふざけて踊るという意味ではなく、本人は大まじめに踊っているつもりなのに傍から見ると微妙に変、という点が重要です。中日のドアラを想像してもらうといいかと思います。

例えば、多くの人は手を動かすときに回転運動をさせます。そこで1人だけ直線運動をさせると明確に違和感が生まれます。間違ってはいないけど変な動きです。

そうすると、

子ども達「なんかこのオジサン、変。」

あなた「変じゃないよ。どこか間違ってる?」

子ども達「いや、間違っていないけど、でも変。」(多分このあたりで笑い声が出る)

あなた「待って待って、だって『♪右手、右手』って歌った後は右手を動かしたらいいんでしょ? だからほら (機械のように右手をカクカク動かしながら) ちゃんと動かしているよ。」

子ども達「そうだけど、でも変。」

あなた「ええー!? 頑張って踊ってるつもりなんだけどなあ。」

みたいなやりとりになりやすいです。

そういう行動をすると子どもから見て声がかけやすくなる理由、うまく説明ができませんが、何というか、そういう呼吸が分かると、将棋の場でも子どもに親近感を持ってもらいやすくなると思います。


ついでに、この動画を見て下さい。「いっちー」「なる」という2人が踊っています。子どもに親近感を持ってもらいやすいのはどちらの女性でしょうか。

恐らく「いっちー」です。2分40秒くらいのところから視聴すると、声も動きも微妙に comical になっています。

更に言うと、演出上は2人の順番を逆にする方がよいかと思います (正統派を先に持ってきて、comical な人を最後に回す)。

COVID-19 の期間、「感染防止」と称して将棋盤の上方に透明膜を垂直に設置する様子が大変多く見られました (大部分の大会・例会がそうだったのではないかと思います)。ですが、この透明膜について医学的な根拠や実効性を述べた文章を見たことは1度もありません。

結局、多くの将棋関係者が無思考に「透明膜さえ張っておけばよい」と考えたのではないかと思います。

2023年1月に実施されたとある将棋大会の写真の2枚目を見て下さい。(将棋大会自体を非難するつもりは全くないのでここでは大会名は明記しませんが、後世の資料になると思うので link は貼っておきます。)

この高さの透明膜って、感染防止に全く役立たないと思いませんか? 下図は、写真右下の橙色の服を着た女児を基準に写真を計測しておおよその尺を再現したものです。(説明のためにこちらの画像を利用させていただきました。)

透明膜は机から 31cm くらいの高さにあり、女児の目の高さよりも上です。最上部は机から 120cm くらいの高さに達しているので立派な透明膜に見えるかも知れませんが、子ども同士の対局でそんな高い場所を通過する飛沫なんてあるものでしょうか。


COVID-19 は空気感染と飛沫感染を考える必要があります。

空気感染を防止するにはこのような透明膜は全く役立ちません。そもそも、空気感染を防止したいなら同じ部屋に保護者を入れてはいけません (それだけで感染確率が上がります)。

じゃあこの透明膜は飛沫感染の防止に役立つかと言うと、私には役立つようにも思えません。

例えば左の人物が感染者だとしたら、左の人物の口から見て右の人物の胸から目までが晒された状態になっています。左の人物が咳をしたら右の人物はがっちり飛沫を受けます。

無思考に「透明膜さえ張っておけばよい」と考えた結果が、この透明膜の張り方なのだと思います。


この透明膜、大会後はどうやって撤去したのか気になります。大会中の感染防止に役立たないだけではなく、よほど気を付けないと撤去作業者の感染可能性を増加させてしまいます。

この大会とは別ですが、透明膜は役立たないだけではなく感染可能性を増加させるからやめてほしい、という声を医療関係者から聞いたことがあります。


個人的には将棋界の黒歴史だと感じています。

最近は 5ch をちょくちょく覗いているのですが、以前書いた通りひどい書き込みも多いです (将棋民と囲碁民がお互いに非難していることが少なくないです)。

なので、普通の browser で 5ch を見るのではなく専用 browser を用いて不快な書き込みを mute することで、それなりに読めるようになりました (Siki というものを使っています)。それでも精神衛生上はあまり良くないので、いずれ見なくなるかも知れません。

5ch を見ていて有用な点は、例えば以下のような書き込みが見つかることです。

囲碁であそぼみたいな普及に金使わねえからな
あれだって篤志家が2000万出してくれてやっとできたけど
んなもん年間30億の予算持ってる組織が2千万用意できないわけがない

この「2000万」という数値が正しいかどうかは 5ch 上ではわからないことが多いですが (嘘の書き込みも多い)、検索の手掛かりにはなります。


この「2000万」という数値が正しいかどうか分からない状態で論じますが、仮にこれが正しいとすると、日本棋院が「囲碁であそぼ」にどれだけ本気なのかを推測しやすくなります。

個人的な感覚ですが、開発費が7桁円だと「とりあえず作ってみました」程度、9桁円だと「収益化を目指しています」、という感じです。営利企業でもないのに8桁円出しているということは、一応それなりに普及に用いる覚悟があるのかな、と感じています。(書き込みでは篤志家となっていますので、本気度は少々異なるのかも知れませんが…。)

先日、とある場で「どうぶつしょうぎ」の紹介をしていたら、男子小学生の兄弟がハマッていました。

最初に私がやり方を示した後、兄弟で何度も対局し、その後は兄弟のうちの1人が私に何度も挑戦してきました。

学年を訊くと中学年とのことでしたので、なるべく王手放置ではなく私が詰まされる形に誘導しました。(幼稚園児くらいを相手にしている場合は王手放置の形もよく使います。)

一緒にいた親御さんが「○○に行く時間がなくなるよ」と声をかけるほどでした。

普通の将棋盤と駒も1組だけ置いていたので、最後はそちらを使っていました。

親御さんに「どうぶつしょうぎ」の相場を訊かれました。また「おおきな森のどうぶつしょうぎ」(9×9マスで本将棋と等価なもの) の価格も調べていたようでした。

「どうぶつしょうぎ」は普及に使いやすいですね。

私が昨日話題を取り上げた方が、別の日に世代間の意識の違いを書いていました

どうも団塊の世代に多いのが、困ったら人に聞けばいいという独特の文化が存在する。自分で情報を事前に用意するとか、何か予期せぬ事を想定して準備するとかを全て人頼りにする。

団塊の世代全員というわけではないのですが、上記の傾向は確かにある気がします。

上記の話を読んで、以下の話を思い出しました (原典は削除されているので、孫引きします)。

わからないことをスマホで調べてた若者を見てご老人が「最近の子はまずスマホで調べる。人に聞けばすぐわかるのに。わざわざ調べる意味がわからない」と嘆いてて、ほ〜んちょっと調べればすぐわかることをいちいち問い合わせてきて仕事を滞らせる方々はこういう思考回路なのか勉強になるな〜

これはとても同感します。まあ、でも、自分で調べずにすぐに他人に質問する老人は、私が思っているほど多くはないです (でも確実に存在します)。

「人に聞けばすぐわかる」のは質問する側の話であって、質問される側の時間の浪費規模は全然違います。「プログラマ的思考」はその点を端的に表現しています。

同じ場所まで潜るにはかなりの時間が必要です。思考内容にもよりますが、ヘタすると数十分間くらいかかります。だから私は自分の思考を邪魔されたくないと考えています。

逆の立場になったこともあります。職場で system 運用を担当している方に別件で質問に行ったら、「そうやって質問されるとまた一から考えないといけないんですよ」と怒られました。


怖い点は、先ほどの老人は自分の考え方が他人に大きな迷惑を及ぼすと認識していない点です。

「何十年か経ったら私もそのようになってしまうのかな」ということが怖いです。

今回は割と主観的な話です。一応、現在の日本国内の話とします。

世の中で「プロ」と呼ばれる職業をいくつか並べます。

  • 将棋の「プロ棋士」
  • 囲碁の「プロ棋士」
  • 麻雀の「プロ雀士」
  • ゴルフの「プロゴルファー」
  • 野球の「プロ野球選手」
  • サッカーの「プロサッカー選手」
  • 運転の「プロドライバー」

そして、線引きが曖昧な分野もありますが、「プロ」の補集合として「アマ」があります。

私が初めて「プロ」の言葉を習った時は「○○を本業にしている人」という意味であると教えられました。まあでも、この定義はちょっと問題がありそうです。例えば、引退前のプロ棋士で公式戦もいくつか指しているけど実は印税収入の方が多い、なんて人がいたら自動的に「プロ棋士」じゃなくて作家・執筆家となるかと言われると、そうではない気がします。


逆に「アマ」の方から考えてみましょう。将棋がとても強くて各種の賞金付き大会で優勝し年間50万円稼いでいる、という人がいたら、この人は「プロ」でしょうか、「アマ」でしょうか。

私の感覚だと、年間50万円では生活できないのでこの人を「アマ」と分類します。

単身者の生活保護費が月10万円~13万円程度らしいので、少なくとも年間120万円稼げないと「アマ」と呼んで差し支えないのでは、と思います。

で、「年間120万円を超過していればプロと認めるのか」と言われるとそれも微妙で…まあ、生活のための副業をやらずに生活を成り立たせている人が「プロ」の下限かと思います。(執筆収入や指導収入は本業に含めて考えています。)

そうすると「少しでも副業したらプロじゃないのか」と言われそうですが、その副業をしなくても生活が成り立つなら「プロ」と呼んでも差し支えない気がします。


プロ雀士に関して、興味ある記述を見つけました。

主要5団体の内麻将連合μを除く4団体は、会員ビジネスをしています。
プロ試験のスクーリングを厳しくして、少数先鋭にするというよりは、ある一定の水準を満たせばお金さえ払えば誰でも席は置ける会員制度です。

私は実態を知らないので大きなことは言えませんが、確かに多くの麻雀団体は内部の license (恐らくは公式戦参加資格) を得た人を安易に「プロ」と呼んでいる気がします (認識違いだったらすみません)。(所得面で) 底辺の「プロ雀士」が麻雀だけで生活していけるのか、に興味があります。


最低限の生活費も稼げない人を「プロ」と呼ぶのには抵抗がありますが、では「どこで線引きをするべきか」を論じると、それは各団体が定義権限をもつことであって、外部の者が意見を言うことは望ましくないかも知れません。(そして、大抵の場合は sponsors の支援額に大きく左右されると思います。)

それでも言わせて下さい。将棋や囲碁は「対局の棋譜を残してもらえるかどうか」が「プロ」の線引きとして妥当なように感じています。(まあ、「キミをプロ棋士と認めて対局料を払ってあげるよ、棋譜は残さなくていいよ」という sponsors がいるならその範囲まで「プロ棋士」と呼んでいいとも思いますが、そういう sponsors は減っていくような気がします。)

連盟を退会した橋本八段も、今の棋士は多すぎると言っていた気がします。私もこれは同感で、今の将棋人口の減り方を考えると、毎年4~5人の「プロ棋士」が誕生するのは多すぎるように思います (現在の将棋界の底力だと毎年2~3人程度が妥当なような気がします)。「プロ棋士」の人数が増えると、棋戦の負担額が増え、sponsors から降りる会社がどんどん出てくるのではないかと危惧しています。


…と思っていたら、(年度にもよりますが) 日本棋院は恐ろしいくらいの「プロ棋士」を採用していますね (2019年の例)。

囲碁界にある大会の中で、「宝酒造杯」というものが多くの棋力階層に分かれている、という情報を以前から持っていました。

ふと調べてみたら、正式に終了していたようです。


終了したかどうかは脇に置いておいて、全国大会の地区予選から棋力別のたくさんの階層があったことは羨ましい限りです。

将棋の場合、全国大会に繋がる地区予選では多くてもせいぜい2~3階層くらいじゃないでしょうか。私が見聞きしてきた範囲では、私の県の予選はいつも1階層、小学生名人戦県予選で名人戦と交流戦があるくらい、でした。(阪田三吉杯などはもっと階層がありますが、これらは 地区予選→全国大会 という流れの大会ではありません。)

先日参加させてもらった将棋の場。初参加ではなく2回目です。

撮影されている動画に写っていたので見てみたら…私が小さい子と対局している終盤、他に2名の子ども (と1名の保護者) が盤の横に張り付いていて、私が「負けました」と言った瞬間に対局相手の子は「イエーィ」と言いながら拳を突き上げていました。

私が「負けました」と言う瞬間、私は頭を下げているので、対局相手の子がどういう様子なのか普段は分かりませんでした。今回初めて知りました。

因みに、その子が席を立ったらそれまで脇で見ていた子が1秒くらいですぐに私の対面に座りました。(私との対局を希望する子はすぐ脇で待ち構えていることが多いです。)

なるほど、私の対局相手が途切れないときはこういう感じなのか、という点も初めて知りました。

今回は将棋とは無関係な話です (囲碁だけちょっと関係します)。

10年ちょっとくらい前、Apple 製品の evangelist の方が iPad 上で『英語でアリス: 不思議の国』を周囲に見せていました。

「こんなこともできるんですよ」と言って挿絵の懐中時計を動かしたりして、周囲は「すごいですね」なんて言っていたのですが、私はそれを見て「ああ、生き残れない技術だなあ」という感想を持ちました (もちろんその場では言いませんでした)。

ふと思い出したので、この application が今でも入手可能なのか調べてみたら、既に配信を停止していました

これは当然の話で、絵本の中の懐中時計を動かすような application を作ったら、対応 OS が update されるたびにその時その時の技術でもちゃんと懐中時計が動くように作り直さないといけないのです。

まあ、発行者である eigotown 社がとても大きければ新しい技術に合わせてずっと作り直していくこともできるでしょうが、そんなことができる企業は本当に限られています。

どうしてもずっと懐中時計を動かしたければ、懐中時計を動かすことを記述できる format を作って世に公開し、その format に従って絵本を表示する application を作り、どちらも普及させる、というのが正攻法です。ある程度普及してしまえば、eigotown 社が application を作らなくても誰かが作ってくれますし、公開されている formart に従った data であればどの application でも再生できるようになります。

結局、この『英語でアリス: 不思議の国』を買ってしまった人は、普通の電子書籍と異なり新しい端末では読むことができなくなってしまいます。古い端末に古い OS を載せたままなら読めなくはないですが、そういう端末は普段使いには向きません。言い換えると、10年たったら読めなくなってしまう data のために600円を払った形になっているのでしょう。

こういう、技術に対する嗅覚って、結構大切なことだと思っています。


日本棋院の電子書籍の page を見ていたら、少々怖い記述がありました。

日本棋院を信じて i碁BOOKS で電子書籍を買った方は、先述の『英語でアリス: 不思議の国』を購入した人と似たような目に遭っていると思われます。

さすがにこれは、日本棋院の見通しが甘かったと言われても仕方ないと思います。

専用 application の開発はそれなりにお金がかかります。対応 OS が update されると、それに合わせてまあまあ開発費用が掛かります (イチからの開発ではなく修正で済むので、ムチャクチャ高額というわけではないですが、でもまあ毎年数十万円~数百万円くらいの出費は覚悟すべきと思われます)。

i碁BOOKS で電子書籍を買った方は、その電子書籍を何年間くらい読めることを期待していると思いますか? 基本的には「死ぬまで読める」ことを期待していると思われます。まあ、全ての購入者の「死ぬまで」を保証することは難しいとしても、少なくとも30年間くらいは読めるようにしておかないといけないでしょう。

つまり、Kindle のような大手 platform に乗っからずに自分達で独自の platform を用意するのなら、ちゃんと売り上げから application 改修費用を捻出できるくらいの見通しを持っていないといけません。大雑把に数値化してしまいますが、この application を30年間養うのは、平均以下のプロ棋士1人を30年間養うのと同じくらいの出費になるものと思われます。

なお、e碁BOOKS の URL も bit.ly という短縮 URL service を使っている点が問題です。最近だと「オートバックスDMのQRコード読み込み→不正サイトでカード情報抜き取られ」という事件も発生しています。短縮 URL は基本的に利用してはいけない (短縮 URL service 側で転送先を簡単に変更されてしまう可能性がある) のに使っている点が、公的な団体としてとても心配です。