『週刊少年サンデー』2024年3・4合併号の「十勝ひとりぼっち農園」第288話で気になる説明があったので引用します。

たった6頁の漫画なのに、「聴牌」という言葉のためにこれだけの紙面を割いているのがすごいと感じます。全ての読者が麻雀を知っているわけではないからこの説明が必要だ、と感じたのでしょう。

私が同じ内容の漫画を描くことになっても、「聴牌」という言葉をちゃんと説明するなんてことは多分思いつかないです。つまり「聴牌」という言葉に初めて遭遇する人の気持ちが推し量れないということです。

週刊少年サンデーの中でも、この漫画はかなり好きな方です。絵柄も親しみやすくて、(実話を元にしているからだと思いますが) 話の展開に無理を感じることもなくて、気に入っています。

『週刊少年サンデー』2024年3・4合併号の「白山と三田さん」第97話で気になる引っ越し場面があったので引用します。

まあ、『ゴルゴ 13』だけでこの量になるのはちょっと大袈裟な表現な気もしますが、紙の本が多いと本当に場所を取ります。

そしてこちらの呟き

本で床を抜くという話、万単位という先入観があった。5000冊くらいで抜けてしまったので若者は気をつけるべきである。床が耐えられる荷重を学校で教えるべきだ。

別記事

5000~6000冊を所有していた小山さん(仮名)。地震をきっかけに部屋の床が抜けた結果、何百万という弁済金を大家に支払って退去を余儀なくされたという。

私も本の重さで実家の家屋を歪ませてしまった人間なので、かなり共感しています。


紙の本は、入手時の価格だけでなくその後の保管にもかなり費用が掛かります。転居の可能性がある人は手間もかかります。

出版されている書籍だけでなく、その他の情報も含めて、今の時代は電子で情報を扱うことを基本に考えるべきかと思います。

『週刊少年サンデー』2024年3・4合併号の「トニカクカワイイ」第255話で気になる場面があったので引用します。(実は、この号には色々と気になるところがあって、次回と次々回も引用します。)

受験面ではこれはだいたい正しくて、「90点より上に点数を引き上げる努力ってそんなに必要かな?」って思います。で、まあ、90点台半ばくらいになると (科目にもよりますが) 出題者の限界が現れてくるように思うので、点数そのものにあまり意味がないように感じます。

その点、将棋大会は90点の棋力と92点の棋力の差がモロに結果に表れるように思うので、上位の人たちは大変だろうなあ、と思います。(有名大学の合格者は何千人もいるが、将棋大会の優勝者は1人。)

私は、0点の人 (将棋をやったことがない人) が30点くらいとれるようになるお手伝いをしたいです。(学べば学ぶほど棋力が上がる、を実感できるくらいを30点と考えています。)

『週刊少年サンデー』2024年3・4合併号の「龍と苺」第172話で気になる場面があったので引用します。

いずれ女性棋士が誕生したら「古い話」と見られるのかも知れませんが、かつて将棋界に女性が殆ど存在しなかった頃から先人たちが頑張って、今は女流棋戦も結構注目されるところまできているので、今の時代の漫画としてこういう表現があることは歴史的価値がある気がします。

私は途中までしか読んでいないのですが、『龍と苺』は結構面白いと思うので、興味ありましたらどうぞ。

色々と知ってしまうと外部の人の苦労が分からなくなる、という事例は世の中に多いと思います。

私にとっては、JR の券売機がその1つに該当します。

最初にこちらの呟きの画像を見て下さい。

JR券売機のUI、ユーザ視点でなくて、JR視点だな、といつも思う。「○○に行く」のが目的でそれを最初に選ぶべきなのに、まず自由席か指定席、次に在来線か新幹線、そのあとで目的地。慌ててるときはパニックになるよこれ。

恐らくこの方の指摘は的を射ていて、大部分の JR 乗客にとってこの券売機 (の UI) は使いにくいものと思われます。


ですが、私は JR の券売機 (の UI) で困ったことが1度もないのです。(正確に言うと、券売機で発券できない券を買おうとして困ったことはありますが、本筋に関係ないので省略します。)

(このような券売機が設置されている地域の) 多くのお客さんは、目的地、乗車したい時間帯、くらいのことしか念頭にない状態で券売機に来るのだと思います。例えば横浜市内から大阪市内へ行くなら「混んでそうなら指定席取るし、混んでなさそうなら自由席で行くから、直近の新幹線の込み具合を見せてほしい」という感じでしょう。

私の場合は、乗る列車や席の種類を事前に時刻表で全て調べてほぼ完全に予定を立ててから券を購入しに行くので、この券売機の UI で不便を感じたことがありません。詳しく書くと、

  • 指定席 : 全国どの列車でも、どんな区間の乗車券でも、1か月前から自由に購入できる。服に例えるなら、自分の体形に合わせて発注する感じ。JR からすると、(指定席区間を含めば) 全国のどんな区間の乗車券も購入する権利があるお得意様。券面に書かれた指定席は JR が責任を持って空けておく必要がある。
  • 自由席 : 自由席特急券なら売らないこともないが、乗車券は (原則として) 乗車を開始する駅でしか購入できない。服に例えるなら、大量の既製品 (座席数を超えて発券することも多い自由席特急券) が山積みになっているところから手に取って代金を支払う感じ。JR からすると、特急列車に積み込んでしまえば座席が足りなくても気にする必要がない大量客。

みたいな印象があって、指定席と自由席とで扱いが全く異なるという認識です。

なので、私みたいな人間にとってはこの券売機の UI は基本的に困惑しないのです。


そうすると、JR の利用に慣れていない人の感覚がつかめなくなってしまいます。

推測に過ぎませんが、最初の画面は以下の選択肢が表示されるのが良さそうな気がします (大阪圏の例)。

・まず目的地を入力する

・まず日時を入力する

・1本でも早い新幹線に乗りたい

・1本でも早い特急 (在来線) に乗りたい

・乗る列車は既に決めてある

・上記以外の選択方法

まあでも、JR に慣れていない人の心境を既に把握できなくなっている私なので、上記の案も多分色々と欠点があるのでしょう。

あと、これは日本将棋連盟や日本棋院でも課題であると思うのですが、選択肢は基本的に排他的でないといけません。(この話を書くと長くなるので、機会があればいずれ。)

 

前回触れた動画で、形勢評価値ならぬ好感(反感)評価値を考えてみて下さい。

将棋に対する子どもからの好感度 (反感度) が動画開始からどのように変動しているか、分かるでしょうか。

連続量では表現しにくいので、以下の5段階で考えてみて下さい。

  • 将棋って、駒を取ったり取られたりして、楽しいなあ。
  • 原因も分からず自分の形勢が悪くなるから、将棋は楽しくないなあ。
  • この対局は既に勝ち目がなく楽しめる要素がないから、早く対局を終わらせたいなあ。
  • 自尊心をズタズタにされたから、もう一生将棋はやらない。
  • 将棋は真面目に対局する価値もない遊戯だ。駒の動きなんか無視して将棋自体を侮辱してしまえ。こんな対局にした父親も大嫌い (恐らく一時的だが、父親とは会話もしたくない状態)。

入門者に対して普及を目指すなら、上から2段階目に落ちただけでもうダメです。私の予想ですが、この子は12手目 (動画開始から1分02秒経過時点) くらいでもう上から2段階目に入っています。多分、6分48秒経過時点で子どもの心理状態は取り返しがつかないところまで追い込まれています。

この動画、将棋嫌いの子どもを生み出す様々な言動が随所に埋め込まれていて、本当に参考になります。将棋を普及させたい全ての将棋関係者に見てもらいたいです。

この動画を視聴した後でも「駒落ちは8枚落ちから」とか「駒落ちは19枚落ちから」とか言う人がいたら、多分その人は将棋の普及に向きません。(ただし、子どもの相手が上手なプロ棋士はどんな手合いでもちゃんと接戦に持ち込んで子どもに勝たせてあげることができるので、プロ棋士が「私と対局するなら○枚落ちから」と発言するのはアリだと思います。)

5年も前の呟きですが、将棋について触れていたので引用します。

将棋でコマの動かし方知らないで「勝てないからつまらない」って言ったらおかしな人でしょ……?

全然おかしくないです。

入門者相手に飛車角鬼ごっこをする人も少なくないと思います。これは飛車と角行 (と竜王と竜馬) の動かし方だけ覚えればよく、殆どの場合は対局前に動かし方を知らなくても対局開始時に説明を受けるだけで対局することができ、また大抵は入門者が勝たせてもらえるので勝つ楽しみを味わえます。

(ちなみに私は飛車飛車鬼ごっこから始めます。これなら飛車と竜王の動かし方だけ覚えればよく、また玉を詰ませやすいです。)

「格闘ゲームに入門したい」と意志が固まっている人相手ならこの呟きの通りでいいと思うんですけどね。実際は世の中に数多存在する娯楽の中で「格闘ゲームは自分の可処分時間を費やす価値があるかどうか」を判断しようとしている人を相手にすることが殆どなので、

格ゲーで「勝てないからつまらない」って言うなら、せめてガードとかキャラぐらいは覚えてから遊んだほうが良いのでは。って話をこないだつぶやいたら、「そういう初心者お断りが格ゲーの衰退を招いたんだろ」って言われてるのを見かけて、「初心者お断りのハードル高いな!」ってなりました

という呟きは本当に入門者排除の方向にばかり進むと思います。

入門者は「ガードとかキャラ」を覚えるという学習 cost を払うだけの価値があるかどうか (楽しめるかどうか) を見定めにきていて、受け取った「楽しさ」を原資に学習 cost を払うのだから、どんな状態であろうと楽しんでもらうことが先です。


先崎学九段の『駒落ちのはなし』p.10 に以下の記述があります。

よって私は勝手に定義する。
「駒落ちとは、八枚落ちからである」

私は初めてこの記述を読んだ時に反感を覚えました。8枚落ちから始めたら多くの入門者が脱落してしまいます。(一応弁護すると、先崎九段は八枚落ちをしようとしない将棋関係者に対して「八枚落ちも駒落ちとして許容しようよ」というようなことを主張しているのであって、「八枚落ちよりも落とす駒が多い駒落ちは認めない」という主張をしているわけではありません。)

「駒落ち」の範囲内なら最初は19枚落ちでしょう。それでも難易度は高いので、19枚渡し (自玉以外の全ての駒を下手の駒台に置く) + 玉は最下段の中しか動けない (王手の場合を除く)、くらいでもいいと思います。

今までに何度も取り上げた動画ですが、19枚落ちで対局して最後に「これからは一生将棋やらない。」と言わしめたこの対局を見てどう思いますかね。19枚落ちですら、入門者排除に繋がってしまうのです。

将棋界の方々は、今までどれだけたくさんの入門者を排除してきたのか、自覚する必要があると思います。

入門者を相手にする場合は、「今後将棋に対して学習 cost を払ってもいいかな」と思わせるだけの楽しさを最初に与える必要があります。

今回は将棋と殆ど関係ない話題です。

一連の気になる呟きを見つけました。

一度まともな海外グロスと仕事すると国内で原画マン集めて現場回すのが時としてバカバカしくなる位ちゃんと仕事してくれる
スケジュールは守るし作監もまとも。総作監レベルの人材はまだ少ないけど、正直並のクオリティーのシリーズなら下手に現場持つより海外グロス囲った方が良いのでは?って感じ
そして中国の人達とアニメ作ってるとひしひしと感じるのが業界の中国人軽視。
ただ、海外グロスに関してはこれまで日本から作画の技術とノウハウしか流れて来てないから、演出面はまだまだ弱い。
演出は日本の現場ですら全然教育出来てないので仕方ない事だけど、そこが担保されればいよいよ日本追い抜く流れが加速するはず。

私が子どもの頃は animation と言えば日本の独壇場で、でもいつ頃からか動画 (作画を元に中間の絵を描く作業) はすっかり外国任せになっていました。

よければお気に入りの animation の ending roll で動画担当者の名前を見てみて下さい。日本人の名前なんてまず見かけないはずです。(韓国系・中国系の名前も頻度が下がってきて、ベトナム系の名前がよく見られます。)

まあでもその頃の私は「動画は外国に任せても大丈夫だろうけど、作画はまだまだ日本だよなあ」なんて思っていたのですね。でももう韓国や中国の作画すら日本と遜色ないくらいになっています (さきほどの一連の呟きでは「日本を凌駕」なんて表現しています)。

これは、日本の独壇場だった時代から予測しておかねばならなかったことです。日本の animation が優秀なら多くの国で放映されますし、それを見た人 (特に子ども) は animation 関係の仕事がしたくなるでしょう。そうして日本からの仕事を引き受けるようになり、色々な人材が育ってくると、自国だけで animation 制作のかなりの部分を担当できるようになるはずです。

そうすると、人口が力に直結してきます。人材が揃えやすくなるし、国内市場が成長してきたらそちら向けに仕事がしやすくなります。

その視点で見れば、中国 (中華人民共和国) は当面の間 (多分今後30年間くらい) は脅威です。去年「フェーレンザイ」(非人哉) という中国製 animation が日本国内で放映されました。(映像的な) 技術面ではもう日本に並んでいます。

日本の人口と出生率を考えれば、日本が優位だった側面も数の力でどんどん並ばれるようになるはずです。(その中国も、かなり激しい人口減の時代にそろそろ突入します。)


将棋も、遊戯界の中で可処分時間の奪い合いをしているだけで、魅力が不充分であればどんどん衰退してきます。

「いや、藤井聡太八冠のおかげで子ども達に将棋は人気だよ」と思うかも知れませんが、その期待通りの数値が数年後の『レジャー白書』に現れるでしょうかね。

長い目で見れば、将棋はかなり長期間衰退しています。


元の一連の呟きに戻ります。

「ただ、海外グロスに関してはこれまで日本から作画の技術とノウハウしか流れて来てないから、演出面はまだまだ弱い。」と書いてあるので、今後日本が優位を保てる可能性が高い領域はそこなのでしょう。動画や作画という領域ではもう優位は保てないはずです。

あと、これは私の願望なのですが、興味を惹く物語を作るという面では、日本はまだまだ強いと思っています。

animation 素人の話にここまで付き合って下さり、ありがとうございました。

囲碁界の仕組みを知らない私が囲碁界の説明文書を読むことで、将棋界の説明文書が外部者に対して親切かどうかを判断する糧にしたいと思います。

今回は「持ち時間」。


最初に「多分これが正解だろう」という概念説明をしておきます。

どうやら以下の3つの概念があるようです。(3つの概念と「フィッシャー式の追加秒」を合わせて広義の「持ち時間」と呼ぶことにします。)

将棋界でも通じやすい用語 内容
(狭義の) 持ち時間 自分の手番として自由に消費してよい時間。仮に持ち時間が30分間あれば、1手で29分を消費したりしても問題ない。
秒読み 持ち時間を消費し切った後に1手ごとに消費できる最大時間。例えば秒読み30秒なら、持ち時間を使い切った後も1手30秒以内で指している限りは時間切れにならない。なお、秒読み30秒のところを5秒で手を指しても、余剰の25秒が次に繰り越されることはない (繰越す自由はない)。
考慮時間 持ち時間を消費し切り秒読み制限を超えても許容される時間。○回まで、1回あたり○秒、という形で設定される。

私見ですが、「50分 + 30秒 + 3回(60秒)」のような書き方が軽量でかつ誤解が最小になると思われます。(分・秒・回 の単位で内容が推測でき、左から順に消費します。)

将棋界における「20分切れ負け」なら「20分 + 0秒 + 0回」、将棋界における「20分 + 30秒」なら「20分 + 30秒 + 0回」と書くことで、将棋界でも囲碁界でも誤解なく通じそうな気がします。

将棋の NHK 杯を表すなら「10分 + 10回(60秒) + 30秒」でしょうか。(間違っていたら指摘して下さい。)


私が読んだ囲碁の説明の中で最も適切な説明はこちらです。

適切なので、引用はしません。


適切でない説明を紹介していきます。

1つ目、日本棋院の web site で「秒読み」の検索語で検索した結果の一番上、幽玄の間の説明

持ち時間を使い切ると時間切れ負けとなりますが、
幽玄の間では3つの秒読み方式を導入しており、持ち時間が切れた後、決められた秒読みに入り、その秒読みが切れなければ、時間切れ負けにはなりません。

これを読んだ人は、「時間切れ負けとなりますが」と書いてあるから (全ての事例に於いて) 持ち時間を使い切るだけで負けになる、と認識した後、その後の説明で混乱します。

望ましい書き方は、恐らく以下の3通りです。

  1. 「原則として時間切れと負けとなりますが、…」(原則と例外とを区別し、原則部分に「原則」と表記)
  2. 「時間切れ負けとなりますが、例外として…」(原則と例外とを区別し、例外部分に「例外」と表記)
  3. 「時間切れ負けとなります。但し…」(但し書き)

つまり、時間切れ負けが全ての事例に適用されるのか例外があるのか、という情報を文章構造に埋め込まなければいけません。(日本棋院の説明は、必要な情報が文章構造に埋め込まれているのではなく、読み手が「多分この解釈しかないだろう」と思考して初めて正しく認識されるようになっています。言語学における形態論(層)と統語論(層)のように、読み手の思考負荷がかなり異なります。)


2つ目、上記と同様に「秒読み」で検索した、何番目かの検索結果

持ち時間は一人60分、これを使い切ると1手30秒の秒読みが3回与えられます。もし3回目の秒読みで30秒以内に着手できなかった場合は、時計が止まり、「時間切れ負け」となります。

この文章を素直に解釈したら、60分の持ち時間消費後は3手しか打てないことになります。

この文章表現が「60分 + 30秒 + 3回(x秒)」を意味しているのだとしたら、文章表現としては完全に失格です。中学校の国語の先生に叱られるでしょう。


3つ目。幽玄の間の説明書の画像。

これも2つ目の例と同じです。「20分」と「30秒」が分離していることと同様、「30秒」と「3回」は分離していないといけません (30秒が3回、ではなくて、30秒の超過許容が3回、であるため)。

各文化でどのような表記を標準とするか、は文化ごとに決めてよいことですから、囲碁界が好んでこの表記を用いるとしても外部者である私が文句を言う権利はありませんが、それにしても囲碁に入門しようとする人を混乱させる変な表記ではあります。


4つ目。元県代表の方による説明らしいのですが…。

この持ち時間の残りが0になると、時間切れ負けです。

全ての事例に適用されるのか例外があるのか、が明記されていない説明が出てきました。そういう明記がないと、人は「全ての事例に適用」と解釈します。つまり、この文を読んだ時点で「全ての囲碁対局は切れ負けだ」と解釈するわけです。

囲碁の秒読みとは、1手あたりの考慮時間を定めたものです。
秒読み30秒なら、1手を30秒以内に打たなければいけません。

この説明はかなりまずい (おかしい) のではないでしょうか。この表記が正しいなら、囲碁の棋聖戦 (持ち時間8時間) も最初から1手60秒で打たないといけないことになります。

正しくは、(狭義の) 持ち時間を消費し切って秒読みに入った後の制限時間でしょう。

棋聖戦 8時間(残り10分から1手60秒の秒よみ)

この説明が正しければ、棋聖戦の (狭義の) 持ち時間は8時間ではなく7時間50分となります。「1手60秒の秒よみ」ではなく「1回60秒の秒よみ」が正しいような気がします。


囲碁界の方には申し訳ないですが、おかしな説明が横行していると、じわじわと入門者を排除していくことになります。

「口頭で正しく説明するからいい」のではないのです。今の時代、囲碁に興味を持った人はまず web で情報を調べます。その際に読んだ文章が支離滅裂だったら、囲碁界に近づくことなく離れていきます。

囲碁ではないですが、私も新しいことに興味を持って web で情報を調べてみて「あ、この界隈、文章が支離滅裂だ、近づかないでおこう」と思ったことが何度かあります。


多分将棋界も、外部者に対して不親切な説明文章があるんじゃないかと思います。内部に入ってしまうと文章のおかしさに気付きにくくなるので、外部の人に指摘してもらうことが最良の方法だと考えています。

最初に書いておきますが、ヘンな英文であってもないよりはある方がマシだと考えています。(その点で、囲碁は将棋よりも進んでいるように思います。)

で、表題の動画 (YouTube) の英文説明を読んだところ、色々と気になってしまいました (強調部分)。

Match: 3th Teikei Cup Unusual Talent Battle
Host: The Nihon ki-in
Sponsored by: Teikei Co., Ltd.
format:  2 league system, 3rd final match between league winners
Date: 2023/12/26 11:00(JST)* Closed on the 20rd
Place: Nihon ki-in, Chiyoda, Tokyo
Time allowance: 2 hours(*60 seconds byo-yomi) will start from when the remaining time becomes 5 minutes.
Commentator:  

最初の「3th」から衝撃でした。「3つの th があるらしいけど、th は何の略だろう」と。

Nihon ki-in に定冠詞がついているから 「ki-in」は固有名詞ではないようです (後述)。

テイケイ株式会社の英文正式名称は TEIKEI Inc. です。sponsor 名称を間違えたらかなり失礼だと思うのですが…。

生中継なのに (この説明文が公開された時点で対局は終わっていないのに) Closed (過去形動詞または過去分詞) って…。

20rd は 20 rounds (20番勝負) の略だと思いました。

一番困惑したのが持ち時間の説明です。この英文ですと、持ち時間が残り5分になった時点から持ち時間が2時間になるように読めます。巡回定義?

そして最後、解説者は「張豊猷九段、星合志保三段」の2人のはずなのに英文では単数形になっています (解説者が誰なのかも書かれていません)。


まあでも、英文がないよりはある方が断然良いです。

そして、私はこの文章を読んで囲碁の持ち時間の仕組みがさっぱり理解できませんでした。(この話は後日書くかも知れません。)


追記。調べたら日本棋院の英文表記自体に定冠詞「The」がついていました。つまり日本棋院は「ki-in」を普通名詞と認識し、世界中にいくつかある棋院のうち「日本」を冠する棋院として「Nihon Ki-in」を名乗っている、ということなのだと思います。言い換えると「The Ki-in of Japan」のような感覚なのだと思います。(「of」の使い方が正しくないですが、そこは目を瞑って下さい。)

私の感覚とは異なりますが、日本棋院が「The」付きで名乗り、それが英語として許容範囲内である以上は、日本棋院の英文名称について私の感覚を日本棋院に寄せるしかないかと思います。