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鳴くよ(794)うぐいす 平安京
学生時代、語呂合わせでおぼえた記憶を
お持ちの方も多いと思います。
その平安京、なぜ長い間都(みやこ)として
存在できたのでしょうか?
【日本史探訪】今回は
平安京を作った人物や他の都との違い、
そして平安京が固定された理由について
探っていきたいと思います。
平安京を作ったのは誰?
平安京を作ったのは桓武天皇です。
桓武天皇は784年に長岡京に遷都しましたが、794年に平安京に再び遷都しました 。
理由は、政治的な安定と宗教的な理由でした。
平安京は自然の地形を利用し、災害に強い都市を目指しました。
これにより、平安京は長い間日本の中心として栄えたのです。
平安京に城壁はなかった!
奈良時代の首都、平城京には城壁がありました。
平城京の正門、羅城門の西側近くで城壁「羅城」の跡が、2011年に発掘されています。
これはその規模などから見て、中国の都のような外敵からの防御のためではなく、「都を荘厳に見せるのが目的」だと考えられています。
それに対して平安京には城壁がは見つかっていません。
これは、平安京が内陸に位置し、まわりを山に囲まれた自然の地形が防御の役割を果たしていたためです。
また、政治的に安定していたことも影響しています。
城壁がなくても、平安京は十分に安全な都市だったのです。
平安京が長期間、都として存在できたのはなぜ?
平安京が長期間都として存在できた理由はいくつかあります。
まず、地理的条件が良かったことです。
平安京は自然の地形を活かし、洪水や地震に強い場所に建設されました。
次に、政治的安定が続いたことです。
桓武天皇が築いた制度が長く続き、平和な時代が続きました。
また、経済的にも発展し、文化の中心地として栄えました。
これらの要素が組み合わさり、平安京は長く都として存在し続けました。
平安京以後、都が固定されたのはなぜ?
平安京以前、都は天皇が変わるたびに移っていました。
これは、天皇の即位や崩御が神聖な儀式と結びついていたためです。
新しい天皇が即位すると、前の天皇の住まいは「穢(けが)れ」とされ、新しい都が必要とされました。
しかし、平安京以後は江戸時代が終息し東京に遷都されるまで、都は京に固定されています。
理由はいくつかありますが、まず、平安京の地理的条件が良かったことが挙げられます。
平安京は自然の地形を活かし、災害に強い設計がなされていました。
次に、政治的安定が続いたことです。
桓武天皇が築いた制度は、強力な中央集権体制を確立しました。
これにより、都の移転による混乱を避け、統治の効率化が図られました。
京に都を固定することで、政治的安定が保たれ、経済や文化の発展が促進されたのです。
また、経済的発展も大きな要因です。
平安京は交通の要所に位置し、商業や物流の中心地として繁栄しました。
これらの要因が重なり、平安京は長期間都として存在し続けることができたのです。
平安京の固定は、地理的条件、政治的安定、経済的発展という三つの要因によるものでした。
まとめ
平安京は桓武天皇によって造営され、地理的条件や政治的安定、経済発展などが理由で長く都として栄えました。
また、平安京以後は都が固定され、安定した都として機能しました。
参考文献
- 『日本の歴史』第4巻(朝日新聞出版)
- 『日本古代史大辞典』平城京の項目(吉川弘文館)
- 『平安京の都市計画とその影響』(奈良文化財研究所)
- 『日本の都市形成史』(中央公論新社)
- 『日本の古代国家と都城』(山川出版社)
- 『桓武天皇と平安京』(吉川弘文館)
- 『日本の歴史』第5巻(講談社)
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